第壱拾四節

「おい! 気がついたか?」


朦朧とした意識で、目は俺を捜している。


「何を食った、誰にやられた?」


「何も食ってない」


「んなことねぇだろ」


全身を痙攣させて、体が勝手に伸びる。


苦しいのか、月星丸は抱きかかえられている関の袖をつかんだ。


「変なものなんて、なんも食ってねぇよ」


体温が下がり、体がぶるぶると震えている。


俺は質問の仕方を変えた。


「今日食ったものを全部言え」


朝の飯、ブリの煮付けとみそ汁。


団子屋で食べた汁粉とみたらし。


「それか」


「なにが?」


「あの女にやられたのか?」


ぐったりとした体で、月星丸は首を横に振る。


「なんでそんなことを言うんだ、そんなの酷いじゃないか」


「他に誰がいる」


「俺に毒を盛ったっていうのか?」


「それ以外にないだろ」


「お萩さんはそんな人じゃねぇよ」


「バカか! お前は今までいったい……」


「今はもうよせ」


関に言われ、俺は口をつぐむ。


「千さんが最近、女を連れ込んでいるという噂は聞いていたのだが」


関はふっと笑った。


「天変地異でも起きたのかと思っていたのが、まぁ、普通の女子ではないことは、相分かった。千さん、これから女の助手を入れて看病をする。このままここにいるか?」


関に抱きかかえられた月星丸が、うつろな目で俺を見上げる。


「ちっ、看病が先だ」


「手当てはする。数日はよく看病されたし」


俺は長屋を出た。


それを合図に、外で待っていた女が中に入っていく。


こんなところに俺の用はない。


用があるのは葉山のところだ。


俺は苛立ちを抱えたまま、長屋の外に出た。


「お月ちゃんの具合が悪いって聞いたんだ」


長屋の木戸門をくぐった先にいたのは、お萩だった。


「何しにきた」


「お月ちゃんはいいのかい?」


「あぁ、もう助かった。無事だ」


そうと言い切れる状態とは言い難いが、関の腕ならそうなるだろう。


俺はにこりと笑ってみせる。


「悪かったな、心配かけちまって」


「何が悪かったんだろうね」


「さぁ、どっかで猫いらずでも拾い食いでもしたんだろ」


「私も看病しようかい? なんかこう、責任を感じちゃってねぇ」


そっとうつむく、その非常に女らしい仕草に、俺は思わず一歩後ろに下がった。


「間もなく日が落ちる。送っていこう、どこから来た?」


怖がっている場合ではない。


まずはコイツの正体を探ることが肝心だ。


お萩はちらりと俺を見上げると、妖しげな表情を浮かべた。


「おや、送ってくださるのですか? 独り身のお部屋まで」


「そう言っている。早ういたせ」


女はくすりと笑って俺の横に並ぼうとするので、すぐに後ろに引く。


「なんだい千さん、腕の一つでも組もうじゃないか」


「どこに住んでいる」


「この先の本町通りの向こうさ」


お萩はため息をついた。


「なんだよ、あたしが下手人だとでも思ってるのかい? そんなことしやしないよ」


「先に歩け」


「まぁ酷い」


女は歩き出した。


歩きながら自分は犯人ではない、そんなに疑われるのは悲しいなどとつらつら愚痴を並べているが、俺がお萩を避けるのは、それが全てなわけではない。


全部聞き流す。


女が立ち止まれば俺も立ち止まり、歩き出せば俺も歩く。


やがてお萩は泣き出した。


「せっかくお月ちゃんと仲良くなれたのに、そんな風に思われたんじゃ、あたしもやっていけないよ。どうしてそんなに……、あっ」


急に立ち止まってうずくまる。


「どうした」


「あ、足をくじいたみたい」


お萩がそこから動かないので、俺も動かない。


立ち上がって動き出すのをじっとそこで待つ。


女はついに怒り出した。


「ここは優しく近寄って、慰めの言葉ひとつでもかけるのが、男ってもんじゃないのかい!」


それが男の義務とでも言うのなら、俺は男でなくても構わない。


死ぬ。


「なんだい、千さんは衆道の方かい? だけどお月は女じゃないか」


ようやくお萩は立ち上がった。


足をくじいたというのは戯言のようだ。


「うちまで送るってのも、その気があるから言ってんだろ?」


その気とはなんだ、意味が分からぬ。


やはりこいつは隠密か、くノ一か。


俺は腰の刀に手をかけた。


「勝負をつけるなら、今ここでもよい」


女を斬るのは趣味ではないが、ある程度脅して口を割らせるのも一つの手だ。


やったことはないが、どうしよう。


「こんな気の利かない男も始めてだ。ははぁ~ん、分かった」


お萩は急に腰に手を当て、俺を見上げる。


「あんた、お月ちゃんに惚れてるね? だから義理立てして、あたしになびかないってワケだ」


その突然の発想の飛躍に、俺の脳は思考を停止する。


これだから女と話していても、意味が分からない。


俺はどうしていいのかさっぱり分からず、その場に立ちすくむ。


いつものことだ。


「あぁ分かったよ。もういい、いいさ。さっさと帰って看病でもしてやんな」


お萩は急に背を向けると、手を振ってさっさと歩き出した。


俺は刀にかけた手のやり場に困る。


お萩は言葉通り、本町通りへ向かっていた。


後を追いかけてもいいが、話しかけて弁明する気はない。


つけるなら、こっそり後をつけるに限る。


俺は刀の柄から手を離すと、静かに一歩を踏み出した。


女は本町通りに出ると、しばらくは真っ直ぐに歩いていた。


日暮れ前、帰宅に急ぐ人々で通りはあふれている。


人混みのなかにお萩の姿を見失わぬよう、後をつける。


やがてお萩は、大通りからすっと脇道に逸れた。


すぐに俺もそこへ向かう。


間髪入れずに入ったはずの脇道に、お萩の姿はもうなかった。


慎重に辺りを見渡しながら歩く。


建てられた納屋の引き戸を開けようともしてみたが、どれも錠がさしてあって簡単に開くようなものでもない。


「簡単に振ったわりには、執着があるじゃないか」


お萩が姿を現した。


「なんだい、それとも、気が変わった?」


「何者だ」


近づいてこようとするのを、刀の柄に手をかけて制する。


「ふふ、千さんは幸せなお人だねぇ」


お萩は笑った。


「あたしとどうこうする気がないなら、さっさと帰んな。つき合うだけ時間の無駄ってもんだ」


「どこのどいつだと聞いている」


「ただの通りすがりのお節介焼きだよ。あんたに目の敵にされるような覚えは、何にもないんだけどねぇ」


土壁に背をもたれたまま、お萩は動かなかった。


その絡みつくような視線に、俺の方が居心地が悪くなる。


「相分かった。そこまで言うのなら俺も用はない。もう俺たちの周囲をうろつくな」


どうしようかと迷ったが、あえて俺はお萩に背を向けた。


これで斬りかかってくるようなら、この女は完全にクロだ。


全神経を背後に集中させて、歩き出す。


女は動こうとしなかった。


通りに戻り、人混みの中に紛れる。


俺はふっと息を吐いた。


お萩が本当に無関係というのなら、それでいい。


俺は暮れかけた道を長屋へと急いだ。


引き戸を開け中に入ると、そこに葉山が座っていた。


「てめぇ! なにしてやがる!」


居間に駆け上がった俺を、葉山はゆっくりと振り返った。


「戻ったか」


「ここで何してやがる!」


「その人が、助けてくれたんだ」


布団の中の月星丸が、ごそごそと動いた。


「千さんが出て行ってすぐに、変な人が来て。だけどこの人が、追い払ってくれたんだ」


俺はじっと動かない葉山の背中を見下ろした。


どういうことだ?


「女と連れだって出たわりには、帰宅が早かったな」


見られてたのか。


俺はどかりと腰を下ろす。


この男は敵か味方か?


「お前の知っていることを、全部話せ」


葉山はギロリと俺をにらむと、ゆっくりと立ち上がった。


「家を留守にするな。万屋からの依頼を、忠実に守れ」


俺は深く大きく息を吐く。


どれもこれも万屋の依頼とコイツ絡みか。


俺はどうやら、何も知らされずに面倒な仕事に巻き込まれているようだ。


葉山は出て行った。


「おい、月星丸」


俺は膝の上に方杖をついて見下ろす。


「てめーは一体、何者だ」


布団の中の月星丸は、こちらに背を向けていて顔が見えない。


「お前、本気でここで暮らすつもりなのか?」


俺にはどうしても、それが許される立場の人間であるようには見えない。


「どういう事情でここに来てんのかは知らねぇが、このカリは大きいぞ」


月星丸が、ごそりと振り返った。


「何でそんなこと言うんだよ」


「うるせー、具合はもういいのか」


見上げる月星丸の目には、たっぷりと涙が浮かんでいたが、そんなことは気にしていられない。


「何でそんなこと言うの?」


「答える気がないなら、いい」


衝立を立て直す。


俺は布団を敷いた。


「疲れた。もう寝る。おやすみ」


灯りを吹き消す。


夜になく鳥の声が遠くから聞こえてきた。


俺は何も分からないふりをして、目を閉じた。

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