第壱拾弐節
午後になってたたき起こされた俺は、宣言通り河原の土手に座って、凧揚げをする子どもたちの守りをさせられている。
「あんたの仕事も大変だな」
そして何よりも気に入らないのは、その横に座る葉山の存在だ。
「なぜお前がここにいる。誰に聞いた?」
「俺も逃げたお姫さんを探さなきゃならねぇ仕事があってねぇ。万屋に聞いたらここだって言うから、来てみただけだ」
くそ、万屋め。
どういう了見だ。
「姫さんか、まぁそうだろうよ。あんたはあいつの素姓を知ってるってことか」
「は?」
葉山はイラついたような視線を俺に向ける。
「貴様、正気か?」
そんなことを言われても答えようがないので、そのまま黙っておく。
葉山はため息をついた。
「あぁ、そうかい。いやはや俺はあんたがうらやましいよ」
葉山は草深い土手の上に、ごろりと横になった。
「まぁそいつをお望みってことなら、仕方ねぇよなぁ」
葉山は空を見上げる。
「あぁ、今日もいい天気だなぁ」
そう言って葉山は目を閉じた。
凧を手に土手を駆け上がってきた月星丸は、寝ている葉山を見て驚く。
「え? 千さんこの人って、あ、あの、大丈夫なの?」
「どうだかな」
葉山は寝たふりをしたまま動かなかった。
「千さんも、凧揚げ、する?」
「するわけねぇだろ」
「そ、そうかい?」
「もうちょっとしたら帰るぞ」
「うん」
月星丸が駆け下りて行った後で、葉山がくすくすと笑っている。
俺は深い深いため息をついた。
「お前も暇なら働けよ」
「俺が探してるのはお姫さんで、ガキじゃねぇ」
葉山はごろりと寝返りをうってから、本当に寝始めてしまった。
月星丸は他の子どものと絡まった凧糸をほどくのに、悪戦苦闘している。
俺にそれを手伝わせようと手招きしたが、そんなのは無視だ。
やがて喧嘩が始まり、物別れに終わる。
「もういいよ、千さん帰ろう」
切れた凧糸を引きずって土手を上がってきた月星丸は、ぷりぷりと怒っていた。
「あいつら、全く話しが分かんねぇ。喧嘩凧するんなら、ちゃんとしたやり方ってもんがあるだろ。糸が絡まったからっていきなり喧嘩だなんて、そんなの聞いてねぇっつーの」
「お前が糸をほどいてやれ」
河原では、破れた凧を手に子どもが泣いている。
月星丸以外の子どもたちは、みな幼い子を慰めていた。
「やだよ。あいつが悪い。千さんも見てただろ」
「てめーいくつだ。お前の歳じゃあ、他の子どもは皆もう働いている。仕事もしねぇくせに遊んでばっかで、ガキを泣かしてちゃあ世話ねぇな」
月星丸の表情が、ムッとした表情に変わった。
「どこのお姫さんだか知らねぇが、ここで暮らしたいのならそういうわけにはいかねぇ。世間には世間の成り立ちってもんがあるんだ。お前も今からそれを学ばなきゃなんねぇ」
泣き止んだ子どもたちが、仲間と共にこちらに近づいてくる。
「それが嫌なら、うちに帰りな」
「……だから、帰れねぇって言ってるのに……」
ぼそりとつぶやいた月星丸は、ぷいと背を向けた。
子どもたちは月星丸を囲んで、何かを言い始める。
奴は黙ってそれを聞いていた。
それでもいくらかして、自分の半分くらいしか背のない子どもたちと和解が成立したようだった。
一緒になってこちらに戻ってくる。
「仲直りしたのか」
「うん」
不機嫌な月星丸はそう答えた。
俺は寝転んだままの葉山を放って、子どもたちを連れ長屋に戻る。
月星丸は、すぐに飯の支度を始めた。
「お前、飯炊きは出来るんだな」
「これだけは覚えてたんだ。下女に混じってヘマをする俺を見て最初は笑ってたけど、ある程度出来るようになったらやめさせられた」
かまどに火をおこすのも、上手い。
「子どものころは分からなかった。下女に混じって色んな仕事をしてた。裁縫もするし掃除や片付けもやってた。部屋の皆がやってたから、そうすることが当たり前だと思ってた。その間に、俺のために呼ばれていたはずのお茶や書の先生は、他の女中たちに手習いを教えて、俺はそれを見ていただけだったけどな」
武家の娘なら、お茶や書の指導だけではなく、家事全般も厳しく仕込まれる。
単なる意地悪を受けていたのか、まだ家事が出来ないから手習いは早いと思われていたのか……。
俺はこいつのおかれていた環境に、頭をめぐらせる。
月星丸に任せた日は、いつもより食事も豪華だった。
「読み書きは出来るんだろ?」
「少しくらいなら」
月星丸はうつむいた。
「そういうことは、やってない。十を過ぎた頃からは、ただ座っているだけだったから」
「あぁ、本物のお姫さまだったんだな」
そういうことにしておこう。
ここでかつての嫌な出来事まで、わざわざ思い出す必要はない。
俺は焼いた魚の身を口に放り込んだ。
「そんな、いいもんじゃねぇよ」
月星丸は、ぼそりとつぶやいた。
食べ終わった食器をさっと片付けて、土間も掃く。家事は完璧だ。
「さぁ、もう寝るんだろ。仕切りを立てるよ」
灯りを消して、布団にもぐる。
「だけどさ、そうやって犬子どもみたいな仕事をさせられてたのも、悪くなかったかなって。ただ座って幻のように人の行き来を見ているだけよりも、自分で何もかも出来るって、凄いな」
「本当にただ座っているだけだったのか」
「うん」
衝立のむこうで、月星丸が笑っている。
「明日の飯の支度も俺がやるよ。誰かの役に立てるって、楽しいな」
「……そうか。じゃあ頼んだぞ」
天井についた馴染みの染みは、暗くなって目に見えずとも分かる。
月星丸は、やはり疎んじられていたのだろうな。
まぁ、そうじゃなきゃ抜け出してきたりしねぇか。
だけどそれじゃあやっぱり、こいつの立場は家出の期間が長くなればなるほど、もっと悪化しねぇか?
ごろりと寝返りをうった。
家出か。
そういえば俺も、家を出てきたまんまだなぁ。
帰らないと覚悟を決めて出てきた俺に、帰れと言う資格があるのだろうか。
そんなことを考えているうちに、いつのまにか眠っていた。
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