第6話 流木

 夏休みを迎えたオレのところに、一つの怪情報が回ってきた。ヒロシが彼女と別れた。そういう情報だ。ヒロシは夏休み直前に彼女を作ってチーム陰キャを抜けた男だ。「オレ、彼女出来たよ」そう言っていたあいつ。そのときに見たあいつの笑顔は本物だった。別れるなんて、そんなことが? オレには信じられなかった。


 しかし、それは事実だった。街中を一人でとぼとぼと歩くヒロシを見つけた。

「ヒロシ!!」

「……灯也か」

「お前、彼女と別れたのかよ!?」

「ああ……」

「いったい何があった!? お前、あんなにも彼女のことを大切にするって言ってたじゃねえか!?」

「まあ、初めての彼女ってことで調子に乗っちゃって……」

 要約すると、ヒロシは彼女が楽しみにしていたジョニーズアイドルのコンサートの日にデートを申し込み、しぶる彼女に向かって「おれとジョニーズとどっちが大事なんだよ!?」と聞いてしまったらしい。ヒロシは彼女が自分だと答えてくれると思っていたようだ。なぜなら自分は彼女の彼氏だから。もちろんヒロシの思惑は爆散した。「は?」今まで見たこともないキレ顔で彼女はただそれだけ言ったという。後でメールで別れ話をし、二人は別れた。すべては彼氏の気分を味わいたいというエゴイズムだった。ヒロシは最後にそれを認めた。

「馬鹿なことをしたわ。付き合って一週間だからな……」

「ああ、確かに馬鹿だよ!!」

「しかも刺客まで送られてるからな」

「どういうことだッ!?」

 要約すると、チーム陽キャの中では彼氏が彼女にアイドルと自分の二者択一を迫ることを禁じているらしい。このルールがキャッキャと楽しいチーム陽キャの雰囲気を支えているという。ヒロシは知らなかったとはいえ、この禁を犯した。それでチーム陽キャのヘッドからルール違反によるペナルティとして刺客が送り込まれた。そういうことらしい。

「それで……どうするつもりだ?」

「ハハ。やるしかねえだろ」

「お前……大丈夫なのか? ウチの陰キャ総番長に相談した方がいい。力になってくれるぞ?」

「俺は一度は彼女を作ってチーム陰キャを抜けたからな。頼るわけにはいかんだろ。もちろんお前にもな。灯也」

「ヒロシ……」

「自分のケツは自分で拭く。じゃあな」

 オレが生きてるヒロシを見たのは、これが最後になった。


 その海水浴場の管理人は、朝焼けの海の波間に何か黒いものが漂っているのを見つけた。それはヒロシだった。警察は夜の海を泳いで離岸流に流されたと発表した。こうしてヒロシはこの世界から消えた。でも、オレたちの記憶の中のヒロシまで消えちまったわけじゃない。

 陰キャ総番長はこの件について沈黙を保っている。ヒロシは彼女を作ってチーム陰キャを抜けた男だからだ。だが、たった一度ルールを犯しただけで殺されなきゃいけないのか? この件は火種だ。夏休み明け、何かが起こるかもしれない……。

「灯也っ? どしたの? なに考えてるのっ?」

 澪がオレの顔を覗き込んだ。

「いや、別に……」

 オレたちは海水浴に来ていた。どうしても澪が行きたいというからだ。澪は楽しそうだ。昨日の朝、この海水浴場にヒロシが浮いていたことなんて、こいつは知らない。いや、今日の海水浴客もそんなこと知らない。海水浴場の評判が下がることを恐れた管理人が警察に金を渡してもみ消したからだ。それだけにいっそうヒロシがかわいそうだった。

「泳ごうよ、灯也っ!」

 澪がオレの手を引っ張った。澪はあの白いツーピースのビキニを着ている。もちろん胸を隠す上の部分もつけている。オレは澪に引っ張られるまま海に向かって歩き出した。

「よぉ、そこのネクラそうな陰キャクズ。何やってんだオメエ?」

 突然、オレたちは三人の男に絡まれた。三人ともパツキンの日焼けしたマッチョだ。どうやらチーム陽キャの連中のようだ。

「女、嫌がってんじゃん。放してやれよ」

 どうやらこいつらは澪がオレの手を引っ張っているのを、オレが澪の手を引っ張って嫌がってるのを引き留めているように見えたらしい。チーム陽キャの眼球フィルターはよくこういった誤作動を起こす。オレは驚こうにも驚けないさ。

「なに言ってんだ? こいつがオレの手を引っ張ってんだよ」

「は? なに言ってんだコイツ?」

 めんどくさいことになる前に切り上げなきゃな。嘘も方便という言葉もある。

「オレら、付き合ってんだわ。こいつオレの彼女なんだわ。お前らかんけーねーから消えてくんね?」

「あ? オメエみてえな陰キャがこんな陽キャ天使と付き合えるわけねえだろ? マジ頭おかしくね?」

「クスリやってんじゃね?」

「あ、それっぽいわ。マジそれだわ。それ答えだわ」

 どうしようもねえ連中だ。

「おい、見ろよ」

 オレは澪を抱き寄せて肩を組んだ。そして回した腕でガッツリ澪の胸を揉む。

「わ!? と、灯也……っ?」

 祝え!! 姉ちゃんの「デビルフィンガー」が今、姉から弟へと受け継がれた!!! その瞬間をッッ!!!

「どうよ? こいつ嫌がってるか? つーか毎晩こうやってオレが揉んでんだよ。そのおかげでコイツ、AカップからBカップになってんだよ。分かる?」

「クッ……」

 男たちは脂汗を流した。日焼けした顔がてらてらに光ってやがる。

「だ、だが、それだけじゃ本当に付き合ってるのかどうかわかんねえな? 俺たちだって胸揉むくらいあいさつ代わりにやることあるしな」

 それ犯罪じゃね? 陽キャ進んでんな? しょうがねえ……。オレは澪の胸を揉んでた手をいったん背中に戻す。それから今度は澪の腕の下をくぐらせてまた胸に。そこからだんだん手を下ろしていく。おなかをすべらせておへその方へ。それからビキニの下布の中に手を突っ込んで……。

「お、おい、その辺にしとけ……ッッ!! 悪かった、俺たちが悪かった……ッッ!!!」

「わかればいいんだ」

 オレは澪の肩を抱いて三人のそばをすり抜け、意気揚々と波打ち際までやってきた。

「じゃ、泳ぐぞ澪」

「……」

 澪は顔を赤くしてうつむいている。

「と、灯也……」

「あ? なんだ?」

「やっぱボクたち、付き合ってんじゃん……」

「なに言ってんだ。あれはあの場を切り抜けるための方便じゃねえか」

「それにボク……灯也にすっごくえっちなことされた気がするんだけど……」

「安心しろ。気のせいだ」

「……むぅ~~」

 急に澪が走り出した。少し深いところまで行って泳ぎ始める。すげえクロールだ。陽キャはなんでスポーツを一通りこなせるんだ?

 オレの右手には澪の胸の感触が残っていた。小さいころ一緒にお風呂に入って何気なく触ったころの感触とは全然違ってる。これがBカップなんだ。やべえだろ……。あれから長い月日が流れてオレたちは高校生になった。オレたちはこれからどうなっちまうんだ……。

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