第7話:紅鬼が踊る

 気配だとか直感だとかいう概念が、アーシェはどうにも苦手だ。


 五感ならざる第六感にて知覚するという、それらの存在を眉唾と思っているわけではない。仮にも魔法使いであり、外界のマナをその第六感で認識している身なのだから。


 しかしアーシェの第六感は、お世辞にも優れているとは言えない。保有する魔力量は膨大でも、一度に御し切れる魔力量はせいぜい中の上だ。だから大規模な魔法を行使できず、実は魔導具なしだと中級魔法の制御も怪しい。


 絵描きで例えるなら風景の模写は得意だが、想像だけで見たこともない景色を描き出すのは全くの不得手、といったところか。


「なーんか、ここ嫌な感じがする」

「嫌な感じ?」

「空気がドロドロしてるっていうか、ネバネバしてるっていうか……」


 それ故かアーシェには、シュラのこういった曖昧な言い回しを、上手く理解できないときが多々ある。確たる根拠も理屈もないような言動に、苛立たされることも珍しくない。彼女の直感が常に正しいと経験で知っていてもだ。


 才能と感性、それらの方向性が対極と言っていい双子の間には深い溝がある。


「多分、匂いだ。血の匂い、汗の匂い、そういう争いの場特有の匂いが不自然に濃い。そしてこの状況、誰かの作為を感じないか? 誰かがこの状況を作り上げて、安全な場所から眺めて楽しんでいたような……シュラはその悪趣味を肌で感じ取ったんだ」

「なるほど、ね」


 そんなとき、その溝を埋めてくれるのは決まってライガだ。

 ライガの指摘を受けて、アーシェも辺りの空気に異常を感じ取る。


 汗は体調や精神状態に応じて含まれる成分が変動し、匂いも微細に変化する。

 常人には区別などつかないが、アーシェは第六感の代わりに五感が人並み外れて優れていた。だからアーシェにも、この場で起こった争いが不自然なモノだと理解できる。


 これが第三者によって仕組まれた状況と仮定すれば、確かに黒幕は相当な悪趣味だ。

 おそらくそいつは、この場に満ちていた『狂乱』を楽しんでいたのだから。


「えっと、どゆこと?」

「悪いことが起こった場所は、悪い空気になるってことだ。殺し合いが当たり前の戦場と、殺し合いが基本ご法度の町じゃ、空気の感じも全然違うだろ? どうやらここでは、戦場よりろくでもないことが起こったらしい」

「なるほど!」


 ライガの噛み砕いた説明で、アーシェの分析に頭を捻っていたシュラも納得する。アーシェから説明しようとすると、どうして小難しくなってしまうのでこうはいかない。


 そうやって話しながら、死体がいくつも転がる町中を進んでいく。


 三人の会話について行けず、呆然としていた他の冒険者たちがおっかなびっくりの足取りで後から続いた。ライガたちに先導されるのが気に食わないという顔で、早足になったダリオたちが隣に並ぶ。ちなみに戦士の少女は着替え済みだ。


「まさか、住人たちは盗賊団に抵抗して相討ちになったのか?」

「考え難いな。依頼主の話じゃ、町が占拠されて一週間ちょっと。死を覚悟してまで反抗するには早すぎる。外からの救援を当てにして耐える方が自然だろう」

「盗賊団だって、せっかく国にとっても重要度が高い拠点を押さえたのよ? 住人を無闇に追い詰めれば、外と中から同時に攻撃されるリスクを負う。反抗する気を起こさせない範囲で、むしろ丁重に扱うべきよ。首魁は元王国軍所属って話だし、それくらいのクレバーな判断はつくはずだわ」


 ライガと共にダリオたちへ解説しながら、アーシェは足元の死体に目をやる。


 酷い有様だ。腕と足が千切れ、胴体には何度も何度も刃を突き立てた刺し傷。頭部が原型を留めないほど潰された者までいた。

 そんな死体が、住人も盗賊も、数え切れないほどそこら中に転がっているのだ。


「それに、どっちも死体の損傷がやけに激しい。死んだ後にも過剰な攻撃を加えた痕跡があるわ。これはもう戦闘じゃなくて虐殺の痕ね。住人がやられたのはまだしも、盗賊に対して住人がここまでやれるかしら? しかも……」

「単純な盗賊対住人の構図でもなかったみたいだな。盗賊同士、住人同士で殺し合った死体がある。こんな最後は誰も残らないような徹底した殺し合い、盗賊にも住人にも得がない。ここまでやる理由なんてお互いにないはずなんだ」

「つまり、あんたらはこう言いたいわけか? こんな惨い状況を作り出して得をする、住人でも盗賊でもない誰かの仕業だって――」


 その第三者が、どこからかほくそ笑むのが目に浮かぶようなタイミングで。

『ソレ』は起こった。


「な、なんだぁ!?」

「し、死体が起き上がって……!」


 突如として、周囲の死体が一斉に動き出したのだ。

 見えない糸で吊り上げられたような、奇怪極まる動きに冒険者たちはぎょっとなる。

 そんな中、ダリオの仲間である僧侶の少女が前に進み出た。


「ゾンビの相手なら、聖職者である、私の、役目!」

「あ、オイ待て――」

「彷徨う死者よ、眠りな、さい。【リターン・トゥ・グレイブ】!」


 ライガが制止するより先に、僧侶の少女が浄霊魔法を発動する。

 死霊やゾンビを浄化する、墓場返しの魔法だ。魔法の技量だけでなく、強い信仰心と死者を悼む慈悲の精神なくして使えないという聖職者の秘技。


 しかし……清らかな光の波動を受けても、死体たちにはなんの変化も起こらなかった。


「そんな、【リターン・トゥ・グレイブ】が、利かない!?」

「こいつらはゾンビじゃないわ。ゾンビっていうのは死後何週間も経って腐敗した死体が魔物化するの。真新しい死体はゾンビ化しないし、【死霊術】なんかで強引にゾンビ化させると、術の副作用でやっぱり肉体が腐敗するわ」

「要するに、新鮮なゾンビはいないってことだね!」


 シュラのざっくりした理解に、アーシェは若干脱力しそうになる。

 まあ、間違ってはいないので余計な口は挟まないが。


「じゃ、じゃあこいつらは一体!?」

「以前、戦場でこいつらと似たような代物を見たことがある。死体を改造して魔導兵器に仕立てた《屍の兵士》だ。まさかこいつらが改造されてるとは思えないから、なんらかの手段でただの死体が操り人形にされてるんだろう。だから浄化じゃ止まらない」


 答えつつ、ライガは既に死体たちとの交戦を開始していた。

 鍛冶道具と思しきハンマーを避け、敵の首に長剣を突き刺す。

 胴体が穴だらけになっても動いている相手だ。これくらいでは止まらない。


 しかしライガは剣を骨の繋ぎ目に刺し込んだまま背後に回り、元々取れかかっていた敵の首を胴から強引に捻じ切った。

 すると糸が切れたように死体が倒れて、もう動かなくなる。


 慣れた手つきで二体三体と片づけながら、ライガは冒険者たちに呼びかけた。


「だが、対処方法は同じみたいだな。――首を落とすか、頭を完全に破壊するんだ! 体に命令を送る頭脳がなくなれば、こいつらは動かない! その点、霊魂の力で肉体を動かすゾンビほどしぶとい敵じゃないぞ!」

「そうは簡単に言うけどよお!」

「新鮮な死体の分、ゾンビとは違ったやり難さがありやがる!」


 肉体が腐敗していないのでゾンビよりかは機敏なものの、死体の動きは鈍い。

 しかし、冒険者たちはどうにも攻めあぐねている様子だ。


 ただでさえ、ここにいる冒険者は人間相手の戦闘に慣れていない。それに盗賊ならまだしも、相手が元はなんの罪もない住人の死体となると、良心や道徳心の呵責からどうしても躊躇してしまうようだ。

 人間的に正しい反応なのだろうが、鬼たるアーシェたちには共感できない。


 さらに、悪い状況は重なる。

 通りの向こうから、追加の死体が群れを成して迫ってくるのが見えた。


「オイオイオイオイ! まさか、町の住人全部が操り死体になってるのか!?」

「あんな数、とても凌ぎ切れないぞ!」


 町の規模からして、住人は千から二千といったところか。

 群れの数はせいぜい二、三百ほどだが、五十足らずのこちらではあっという間に呑み込まれてしまう。乱戦となれば、同士討ちも平気な敵の方が圧倒的に有利だ。


 アーシェはシュラと同時にライガへ目配せする。

 ライガはため息を一つ吐いて、群れが迫る通りの向こうへと進み出た。

 その手には、フルフェイス型の鬼面を持っている。


「あの増援は俺たちで片づける。お前らは周りのゾンビもどきをどうにかしろ」

「な! お前、彼女たちをあんな危険な場所に突っ込ませる気か!?」

「じゃあ、代わりに君たちが突っ込めば?」

「できないなら黙ってなさいよ」


 無駄口しか叩かないダリオを言葉少なに黙らせ、アーシェたちも前進する。


 こちらもシュラは口元、アーシェは目元を覆う鬼面を手にしていた。丁度、ライガの鬼面を上下に割ったような代物だが、これらはれっきとした三つ一組の鬼面である。ライガによれば東方に伝わる鬼神に由来した、の品らしい。


 鬼面を装着し、三鬼は死体の行進の前に立ちはだかる。

 多勢に突っ込んで大暴れするのは三鬼、特にシュラの得意分野だ。

 なにせシュラの剣舞は、死を撒き散らす嵐であるが故に。


「暴れていいの?」

「ああ、存分に。多少勢い余るのはいいが、頭を潰すのは忘れるなよ?」

「了解! それじゃあ、行く――よ!」


 獲物を前にした肉食獣のごとく、シュラの体が深く沈んで、駆けた。


 進路上の敵と交差する瞬間、大鉈の刃が煌めく。通り過ぎた敵の五体は、悉くがバラバラになって道端に転がった。

 ライガも、シュラが斬り開いた道を走り抜けて彼女を追う。


「ボクは二人の援護に回るから。自分の身は自分で守りなさいよ」


 アーシェは手近な二階建て家屋の壁をスルスルと登り、屋根の上に陣取った。

 折り畳まれた弓部分を展開して構えた頃には、シュラが群れと接敵する。

 瞬間、嵐が吹き荒れた。


「アハハハハハハハハ!」


 鬼が踊り、刃が閃き、血と肉が四散する。


 飛び交う虫の羽ばたきも捉えるアーシェの動体視力を以てして、焦点調整が追いつかないシュラの動き。いくつもの残像を引き連れて踊る剣舞は、斬風を巻き起こし、間合いに入った全てを一切合切八つ裂きに斬り刻む。


 既に死んでいるゾンビもどきたちは、首どころか全身を細切れにされて、木の葉のごとく死の嵐に吹き散らされていった。


 一対一でヒイコラしている冒険者たちは、人ならざる鬼の暴威に顔面蒼白と化す。


「なんだよ、あのデタラメな強さは。本当に人間か!?」

「なにより尋常じゃないのは、あの速さだ! 斬られても刺されても構わず突っ込むゾンビもどきが、それでも指一本触れられない! 瞬発力だけじゃなく、敵に反応する速度も桁外れだ! あんなポヤっとした、なにも考えていないような顔でどうやって……!?」

「そりゃそうよ。だってあの子、


 は? と間抜け面を晒す眼下の冒険者たちに、アーシェは肩を竦めて見せる。


「シュラは生まれ持った天性の直感と、戦場で培った経験則に身を委ねて、考えるまでもなく常に最適解の動きができる。無駄な思考は一切しないから、速い。そういう理屈らしいわよ。根拠のない勘だけで戦うなんて、私にも理解できないけど」


 双子の姉が、アーシェには実際の距離より遥かにずっと遠くに見える。


 殺戮の限りを尽くすシュラの表情は、しかし幼子のように無垢な笑顔だ。それも当然。彼女は心躍り体が躍動するままに刃を振るうのが、純粋に愉しいだけ。無邪気に暴力を舞い、遊戯のついでで死を撒き散らす様は、まさに鬼。


 だから、シュラの剣舞について行ける者はいない。

 彼女の傍らで、彼女と共に踊り狂える者は一人としていない。

 シュラの剣舞に足の爪先だけでも踏み込めば、誰も彼もがたちまち八つ裂きだから。


 それは、唯一の家族であるアーシェでさえ例外ではなく。

 ずっとずっと、殺す敵だけを相手にして、シュラは独りぼっちで踊り続ける。


 ――長い間そうだった。三人目の鬼が、現れるまでは。


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