神様が大地を揺らして

フランク大宰

第1話 啓示

あの3月11日の震災は、東京の街さえ揺らした。九段会館の天井が落ち、確か看護学生が数人圧死した。何かの研究所で劇薬の入ったビーカーが割れ研究員が中毒死した。

私の記憶が正しければ、この程度の被害が東京を襲った。正直なところ計画停電が起こるまで、多くの東京の人々にとってあの"歴史的災害"は些細なことだったのかもしれない。

私の感覚的には先の北朝鮮の弾道ミサイルの件の時の方が東京は騒がしかったように思う。

九段会館の一件について、変わった考察を彼女は私に話した。

「人間て柔らかいのよね、それに水風船みたい、つまり"潰れる"し"破裂"するの。その様を見てトラウマにならない人は、むしろ医者にかかるべきよ。だから私も病院に行くべきだわ、でもね私はそこまでしない、本当に何も感じなかったから。きっと私は医療系の人間だし、何かと人の死を目にしてきたの、子供の頃から」

「そう。別に何も感じなくとも、いいと思うよ」

当時、震災以降の"絆"絆"ブームは個人的には気持ちが悪いものだった。まるで"絆"さえあれば、死んだ人間が戻ってくるようだった。

「ええ、そうね。でも、今のご時世、私の意見は御法度かもしれない」

そういって彼女はカクテルのグラスに口をつけた

「確かに、タコ殴りにされるかもね」

今考えれば実際のところ、何人が募金したのだろう?何人が被災地にボランティアに本気で赴いただろう?何人が赤の他人の死に涙しただろう?

「本気で悲しんだ人も零ではないでしょうね」

「零ではない、でも多数派でもない、上部だけなんだよ、皆。そして俺もね。だから、君の話を聞いて、妙に安心したんだ」

私はそう言ったあとに、煙草に火を着けた。それはフランス煙草で両切りだった、気取っていると友人に言われた事があった、私は彼に言った「何も気取らずに生きていきたいのなら、お前は坊さんに成ればいい」と。

彼女が誰だったのかは覚えていない。ホタテ貝のピアスをしていて、紫のシャツを黒いスカートにタックインしていた。しかし、肝心な顔が色々な人々のものと重なって虚ろに思い出される。

けれど、震災から三週間目の学生バーでの、この会話は覚えている。震災から三週間目ともなると津波での死者数もはっきりとわかり始めた頃だ。

しかし、数万人の死者は現実味がなかった。数百人と新聞が書いていたときの方が受け止めることもできた、人の死を容易く受け止めることは残酷なのだけれど、数万人の死者は何というか先の大戦での空襲で死んだ人間の数を教科書で見ているようだった。

結局、私はボランティアで被災地にも赴かなかったし。いつも騒がしい学生たちが、少し神妙を装っているのを、

"ざまあみろ"と思っていた。

「君達は毎日を楽しく生きるために努力をしているのだろうが、

今の日本ではそれは御法度なのだよ」と。

振り返ってみれば、そんな私は罪人だったのだ。福島原発を安全だと嘯いた連中よりはましだけれど。

同じような時期に大学内のエントランスにあるセルフで薄いコーヒーが100円で飲める、フロアの椅子に座っていた。

その時は薄いコーヒーでさえ飲みたい気分だったし、目の前の壁でなくガラス張りで、構内の庭園が見える。私はこの学生に優しい施設が好きだった。禁煙というのが私にはネックだったのだけれど、近くに喫煙室があったし、そこに紙コップに入ったコーヒーを持っていけばよかった。

 私が座っていると、顔見知りの学生がやって来た。

 「やぁ」

 「やぁ」

 本当にこんな感じだった。

 「久々じゃないか?」

 と彼が言った

 「ああ、二月に君が俺のバイト先に来て以来か」

 「あのときは悪かったな 、Aが吐いちゃって」

「構わないよ、よくあることだろ」

 「ああ、よくあること」

 彼はフレーズを繰り返した

 「でも、君はあのバイト先が好きなようだね、そう言えば、あの娘とはどうなった、ポニーテールの」

「何も、しかし彼女、ショートカットにしたよ」

「何で?」

「震災の三日後には、髪を切ってた」

 「女が髪を切るのに、地震が起因することがあるのだろうか?」

「さーね、しかし、君は本当に理系だよな」

彼は私の隣の椅子に座った

「こんな時は何の役にもたたないさ、物理学は」

「地質の教授がテレビに出てたね」

「確信の持てないことを、喋るのも苦労だろうよ」

「違いない」

 「ビックリだろ、誰も予想できなかったんだぜ」

 「確か天保の時に作った石柱より上には津波は来なかったようだね」

 彼は苦笑いを浮かべて

 「昔の人は偉い」

 と言った。

暫く私も彼も小春日よりの庭園を無言で見ていた。それは続く余震を待っているようでもあった。

次の会話は彼が始めた

「死んだんだ」

「誰が?」

「昔の彼女、いやSexもしたことがなかったから、初恋の相手というところが正解だろうね」

「申し訳ない、さっきの話」

 「何が?」

 「髪を切った女の話」

 「はぁはぁ、何も気にすることない、気にするのはおかしいよ。女が髪を切るのは気まぐれなんだ、ギリシャの頃から」

私は何を言い返せば良いのか分からなかった。

しかし、彼は続けた

「母方の親戚の娘でね、僕が昔し夏休みで訪ねた時に、知り合ったんだ。僕が12、彼女は11だったかな。笑えるだろ"恋愛おままごと"だ。でも、誤解しないでくれ、今は"おままごと"何てしたくもない、11才の少女となんて」

「知ってる、君のスタイルは彼女が言ってた」

「口説いたんだって」

 「バカ言うなよ、どうせAだろ」

「ああ、だから俺も信じてないよ」

そして、彼は言った

「煙草吸わないかい」

喫煙所は黄色く壁が汚れていて、窓はなかった。camelのロゴのプリントしてあると古代の丸い灰皿が一つ置いてあり、天空には換気扇が回っている。

彼はキャスターを白いシャツの胸ポケットから取り出し、私は白いジャケットのポケットから、青いフランス煙草を取り出した。

 「珍しい煙草だね、いつも思うけど」

 「いつも聞くな」

 「話始めには、いいネタだろ」

 私は煙草に火を着け吸った、彼も続けて同じ行動を取った。

「でも、これは前のとは違う、同じメーカーだけど、全体的にこのメーカーの煙草は好きなんだ 、といっても四種類しかないけど」

「フランス煙草、将来的にはパリ在住か?」

 「さぁ、モスクワかもしれない」

「モスクワねぇ」

彼はモスクワという単語に少しも疑問を持たなかった。

 「俺はとりあえず被災地に行く」

「ボランティア?」

 「まぁ、そんなところだよ、世話になった親戚もいることだし、死んじまったらしいが。

 それに...」

 私はすかさず訊ねたんだ、何故だかすかさずにね。

 「それに?」

 「懺悔なんだ、彼女にたいしての、勝手ながらね」

 "懺悔"私の人生で、この言葉を発したのは、宗教関係の人間を除けば彼だけだった。

 「何時いくんだい?」

 「早ければ明日にでも」

その時、校内放送で私は呼び出された。

 「何か悪いことした?」

 「いや、サークル関係だろうね」

 私は喫煙所を出ようとした、重要な話題を話していたのだけれど、これ以上、私には、私の言葉のストックからは何も出てこないと思った。

彼は最後に私に訊ねた

「気になっていたことがあるんだけど、君の働いているバーのマスターが好きで、よくかけてるグループなんだっけ?」

「テンプテーションズ、あの人はジャスティン・ビーバーなんて死んでも流さないよ」



 私は教務科に向かい、事情を聞いたが、それはサークルに関してではなかった。

 「T教授が貴方を探しています」

あの放送により、私の人生は大きく変わり、大きく狂わされたのだ。そして私の人生の最も重要な"カオス"は既に決められた。


 

 

 

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神様が大地を揺らして フランク大宰 @frankdazai1995

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