第5話

僕は、仕事を終え、寮への帰り道をフラフラと歩いていた。

あの後、捕虜は口を割る事も無く、今は軍の治療を受けている。

僕は自室に戻って、隅っこで一人震えていた。

今でも、拷問中の色々な情景がフラッシュバックする。捕虜のこちらを刺すような視線、

尋問部屋の血生臭い匂い、ペンチから伝わる肉の感触、そして、骨が折れたときの乾いた音、それらを思い出す度に吐き出しそうになる。

そんな時、不意にチャイムが鳴った。

フラフラとよろめきながらもドアを開けると、市川さんがタッパーを持って立っていた。

「加藤から聞いたぞ、今日初仕事だったんだってなぁ。美味いもん持ってきたぞ!」

市川さんは、いつものだらしない格好で、僕の部屋にズカズカと入って、テーブルの上でタッパーを広げた。

「今日は久々に牛肉が入ったからよ、シンプルに焼いてきたぜ」

確かに、牛肉は今となっては贅沢品だ。昔はよく食卓にも出ていたらしいが、今肉を使った料理で定番なのはネズミ肉だし、肉ではないが、庶民の味といえば虫料理だった。

「ほら早く座れ、俺が全部食べちまうぞ」

市川さんが横に座るよう促すと、2回目なので僕は躊躇なく横に座った。

タッパーに入った牛肉を箸で口に運び、噛み締めた。数年振りの牛肉は、程よい弾力と、上質な脂肪が、ネズミ肉では味わえ無い満足感を感じさせる。

その後、市川さんが爆速で食ったので、牛肉はすぐに無くなった。

「は〜…久々の牛肉はヤバイな〜」

と、市川さんが腹をさすりながら満足げに口にする。

そこから、数拍置いて、市川さんは急に真剣な表情をすると、

「どうだった?」

と尋ねた。

市川さんが聞いてるのは当然今日の尋問の事だろう。

「………今日、始めて、人の骨を折りました」

言った途端に、僕の足はまた震えだし、頭の中では、尋問の時の情景がまた目まぐるしく再生されていた。

僕は、震える足を手で抑えて、

「情けないですよね……自分から立候補しといてこんな……」

と自嘲気味に笑いながら言った。

市川さんは、そんな僕の言葉を黙って聞いてくれている。

「加藤大佐から聞きましたけど、市川さんって狙撃手らしいですね、こういう聞き方失礼かも知れませんけど……この仕事に慣れるためにはどうすればいいんですかね」

「慣れるっていうのは、人を傷付けるのをってことか?」

「…………はい」

タッパーを閉じて、僕の方へ向き直ると、

「慣れる必要は無い」

と言った。

僕は、何を言っているのか理解できずにいた。僕は仕事を滞り無く進めるために、なれる為に何をしたらいいか聞いたのに、慣れる必要は無い、なんて言い出したのだ。

「お前が捕虜の骨を折った時に苦しく感じたのは人である証拠だ。何も恥じる事は無い。

それに、最初から何も感じない奴は、何かの罪で捕まってるさ」

市川さんは胸ポケットからタバコを取り出し、火を付け、一服してから続けた。

「実はな、俺、今でも人を撃ち殺すときお前と同じようになるんだ」

意外だった。狙撃手ともなれば、踏ん切りをつけていると思っていたし、失礼だが市川さんはそういう事を気にしない人だと思っていたからだ。

市川さんは口からため息のように煙を出すと。

「だがそれは臆病なのでは無い、やられる側に対する敬意の印だ。それが無くなれば、そいつは人で無くなる」

市川さんは僕の肩をポンと叩くと、また続けた。

「お前が人である証なんだよ。それを恥じるな、その上で仕事に徹しろ」

市川さんは、そう言って、タッパーを持って自分の部屋に戻っていった。

僕は、ひとり残された部屋の中で、

ジッとしていた。そして、僕の頬を一筋の涙が通り、それを起点として、今まで抑えていた物が、とめどなく溢れた。

いつもは煙たく思う部屋に充満したタバコの匂いが、なぜか安心するものに感じた。

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