第8話:貴方、臭いわね

雄太が山へと出かけて行ってから、数時間が経過した後。

 その山の中腹程には筋トレマニアのシャベルを握ったまま倒れた雄太と、それを見下ろすフェルフェトゥの姿があった。

 

「戻ってこないと思えば……こんなところで力尽きてたのね」


 雄太の近くには削られた岩壁と、シャベルを使って切り出された石の山。

 可能な限り同じ大きさの四角になるように頑張った跡が透けて見える。

 途中からは切り出した後に同じ大きさに切り分ける方式に変更したのか、黒い線が描いてある大きな石が倒れた雄太の近くに放置されている。


「……なるほど、土を乗せて線にしたのね。まあ、筆記具もない状況ではそれが精一杯かしら」


 ノートもペンもない時代に粘土板を使っていたらしい事を思い出した雄太が「なら泥でも線描けるんじゃね!?」とか思いついて実施した策だが、ちょっとした衝撃でズレるという点を除けばうまくいったようだ。


「……ふーん?」


 積まれた石の山は、人間の町で売り物になる程ではない。

 B級品、C級品を通り越してE級とか、持って帰れと言われる程度の精度でしかない。

 しかしロクに道具もない状況で素人が削りだしたにしては、かなり上等であると言えるだろう。

 まだまだ形も大きさも不揃い、美しい仕上がりなど期待できそうにはない。

 だがそこには、確かな雄太の努力の結果があった。


「頑張ったわね、ユータ」


 言いながら、フェルフェトゥは気絶している雄太の頭を撫でる。

 この二日の作業で薄汚れている雄太だが、昨日に比べるとほんの少しだけ逞しくなってきたようにも見える。

 まだまだダメ人間に変わりはないが、創意工夫という人間の武器を磨けるようになってきているのだ。

 それはフェルフェトゥにとって、好ましい雄太の変化であった。


「う、うう……」

「あら、気が付いた?」

「フェルフェトゥ……?」

「そうよ。貴方の邪神様よ?」


 クスクスと笑うフェルフェトゥを目線だけを動かして見上げながら、雄太は唸る。


「うぐぐ……動けない……」

「全身疲労ね。昨日井戸掘ってた時だって、シャベル握ってる間はそうはならなかったのに。流石に土堀りと石掘りは違うって事かしらね」


 それでも意識を保っていられる……いや、今目覚めたのはシャベルの効果によるものだろう。

 多少体力が回復したことで、「まだ俺はやれる」と目覚めてしまったのだ。


「まあ、よくやったわ。石と貴方は運んであげる……先に行ってなさい?」


 フェルフェトゥが指をパチンを鳴らすと、切り出した石と雄太は拠点へと転送されていく。

 無事に転送された事を確認すると、フェルフェトゥは「うーん」と唸りながら首を傾げる。


「……私はそういう心配はなかったから、つい無頓着だったけど。臭いってのは問題ね」


 汗と汚れで臭い。流石にあの場で言うのは酷すぎたので言わなかったが、そろそろ神の使徒としては許されざる領域に達しつつあるだろう。


「あの動きにくそうな服も駄目よね。もっと良い服を用意してあげるべきだわ」


 必要なものを考えると、フェルフェトゥは自分も転移する。

 転移した先ではシャベルを手放してしまった雄太が大の字になって気絶しており、その様子を見ながらフェルフェトゥはクスクスと笑う。


「満足気な顔で気絶しちゃって。どれだけ鬱屈した生活してたのかしら」


 雄太の顔は疲労に苦しみつつも、その顔には紛れもない満足さが溢れていた。

 一般的には「やりきった男の顔」とでもいうのだろうか。そんな感じの表情の雄太をそのままに、フェルフェトゥは井戸へと歩く。


「此処と競合しないようにする為には……」


 右、左、前、後ろ。ウロウロと歩いていたフェルフェトゥはそのまま何歩か歩くと「コレね」と呟く。


「此処から少し歩いて……広さを考えると、この辺りかしら」


 井戸から少し離れた場所。今はまだ何もないその場所を靴の踵で叩くと、フェルフェトゥはスカートの裾を翻しクルリと回る。


「さあさあ、おいでなさい。さあさあ、変わりなさい。私の望むまま、願うまま。貴方達ならば出来るでしょう? ほら、ほら。変わってゆくわ。今こそ理の鎖を抜け、至りなさい……!」


 踊るフェルフェトゥの動きに合わせるように、地面が揺れる。

 何かが地面の中からせり出すように、あるいは湧き出るように。

 ボコリと空いた穴からは蒸気が噴き出し、シュウシュウと腐った卵のような香りを放つ。


「ふふふ……いい子ね?」


 フェルフェトゥの言葉に歓喜するかのように、一際大きい水柱……いや、湯柱が立つ。

 それは自ら場所を開けるかのように大きめの穴を象った地面へと落ちていき、一つの泉を形作る。

 いや、それは泉であって泉ではない……温泉だ。

 フェルフェトゥの加護を存分に受けて生まれた温泉は、フェルフェトゥの「貴方、臭いわね」という一言で恥じるかのようにその香りを減少させていく。


 そうして生まれたのは、人が入るのに丁度よい温度と驚嘆すべき効能を維持し続ける、祝福された温泉。

 そんな温泉の湯の上に立つと、フェルフェトゥは薄く笑う。


「我ながら、いいものが出来たわ。これならユータも喜ぶかしら?」


 未だ唸っているであろう雄太の居る方角を見ながら、フェルフェトゥは足取りも軽やかに歩いていく。

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