第131話「ネガティブ・キャンペーン」


―――××市立病院。


 近頃、日本の医療業界は劇的な化学反応で割れるビーカーみたいな様子だ。


 大草原不可避状態のまま、冗談みたいな事を真顔で言うオカシな子供によって毎日のように踊らされている。


 一体、何を言っているのか分からないと思うが、日本全国津々浦々の医者と病院関係者、医療従事者達の大半が同じであったから、皆一律に理解は出来るだろう。


 赤信号、皆で渡れば、怖くない。


 という精神が確実に医療現場では進行していたのだ。


 何が起ったのか。


 その一部始終は簡単に言えば、既存医療体制と大手医薬品医療関連商品を造るメーカーの完全な業務体制の大大大転換であった。


 それは崩壊と再構築。


 スクラップ&ビルドを通り越していたと言える。


 実はその状況は善導騎士団日本上陸から各地で進行していた事でもあった。


『医院長!! また、患者さんですッ!!』

『これで何件目だね!? もう病室は満杯なんだぞ!?』


『ですが、受け入れ拒否で盥回しにされて、もう持たないと!!』


『ッ、分かった!! 小児科以外の問診と診察を中断!! 救急医療現場に人を回せ!!』


『わ、分かりました!!』


『開放骨折以外の骨折は切って、内圧を下げて消毒したら、時間が出来るまで簡易の処置後、放置でいい!! 緊急事態に付き、痛み止めと抗炎症薬だけ渡して他のマンパワーは全て緊急搬送の患者に回す』


『りょ、了解です!!』


 東京の大崩壊時。


 クアドリスの魔力拡散テロによって大量の変異覚醒者による事件事故が多発した当時。


 首都圏の医療現場は完全に医療環境が病床の定数に対して飽和状態。


 もはや無秩序に運ばれてくる死に掛けや死体や死体寸前の患者達を医師達の努力と気力と根性で持たせたような有様であった。


『先生!! 近隣の区画から大量の患者が運ばれてくるそうです!!』


『今度は何だ!? さっきの爆発音は!?』


『そ、それが××区の大通りが壊滅的な被害を受けたらしく。チアノーゼでショック症状の患者や全身打撲、内臓破裂、四肢が欠損した患者が大量に出たとの事です!!』


『何ぃ!? 非常勤だけじゃ持たん!! とにかく全員集めろ!!』


『病棟はもう先日の事件で満杯ですよ!? 明らかにベッドが足りません!!』


『野戦医療キットを引っ張り出せ!! 対ゾンビ戦線じゃ、アレがスタンダードだ!! とにかく、人を集めなきゃならん!! 緊急時対応として医学生と看護師にも医者相当の医療行為を対ゾンビ特法の下で許可する!! 簡易処置が終わったら直ちに命の危険が無い患者は野戦病棟に放り込んでおけ!!』


『だ、大丈夫なんですか!?』


『そんな簡単に人間くたばるかよ!! こちとら北米帰りだぞ!! 問題ない患者と緊急処置が必要な患者くらい見分けが付くわ!! トリアージで黒以外は全部連れて来い!! 麻酔で寝かせとけ!! 麻酔医さえいれば、死ぬ時も安らかだ!!』


『そ、それはさすがに……過激じゃ?』


『北米じゃ麻酔も無く。助からず。医薬品すら足りなかった。満足に即死させてやる薬の代わりは銃弾だけだったよ……』


『……分かりました!!』


 このようにして政治の要衝が魔族のビルの流星群の如き攻撃で破壊された時も多くの医療関係者が必死に働いていた。


 だが、明らかにオーバーワークだった事は間違いない。


 それを支え切ったのは善導騎士団のまったく見知らぬ医療機器。


 MHペンダントと呼ばれた魔術具であった。


 政府から助からない重症患者へ軒並み首に掛けさせろと指示されたソレはトリアージにおいて助からないと見捨てられた患者達の大半を殆ど半死半生から掬い上げた。


 中には大手術をしなければ、5分後に死ぬような者が大量に含まれていた。

 唯一、治せないのは四肢の欠損。


 それすらも傷口は完全に治癒させる事が出来た事から、四肢欠損級の重症を負った患者達は手足が残ってさえいれば、保存しておいて後から繋げるという選択肢を取る事が出来た。


『一体、コイツは何なんだ!? 政府の極秘研究成果か!? 戦線都市の魔法か!? 欠損以外をほぼ治癒し、内臓の欠損すら4割程度ならば、回復……いや、再生させる、だと』


『政府から追加のMHペンダントが届きました!! 重症患者が回復した場合は別の重症患者に割り当てて通常の看護体制に戻して構わないと!!』


 当時、騒がれたのは明らかに超精密な外科手術が必要なはずの患者。


 例えば、心臓や肺や大きな静脈、動脈の損傷すらも治すのみならず。


 破損して体内に散らばった骨片や外部から体内に入った金属片やコンクリ片が再生時に体内から脂肪の隙間から押し出されて肌から飛び出て取り除かれるという事までも起こった為だ。


『馬鹿な―――鉄片や骨片が勝手に出てきた?!!』

『せ、先生!! 中毒症状も回復しています!!?』


『何ぃ?! 血液内の成分まで体外に排出してるのか?!! それ以外に考えられん!!?』


 MHペンダントは正に魔法の医療道具であった。


 重度の火傷、大きな外傷、熱中症、内臓破裂、有害物質の血液混入による中毒症状や脳挫傷、血管の破損……何でもござれの力はMHペンダントを掛けた患者の98%近くが助かった事からも明らかであった。


 助からなかった者はほぼ死んで4分以上経っていた人間のみ。


 助かった者の中でも内臓の欠損が大きい者は再生し切らないという事もあったが、それでも神の御技に等しい医療という言葉を超えた何かを現場の医者と看護師達は見た。


『IPS細胞ですらまだ研究途上なんだぞ!? 豚の内臓を使える程度にはなったとはいえ……』


『先生!! か、患者さんが!?』


『どうした!!? 何か副作用か何かでも出たか!? あれ程の効能だ!! 何があってもおかしくは―――』


『免疫疾患の患者さんが、こ、この混乱で間違ってアレルギー食材を!?』


『すぐに吐き出させろ!!?』

『いえ!!? もっと、食べさせて欲しいと!!』

『はぁあ?!! どういう事だ!?』


『こんなに美味しいものだったのかと涙を浮かべながらアレルギー食材を食べさせて欲しいと?!!』


『―――その患者はMHペンダントを?』


『は、はい!! 他にも遺伝病の患者さんが快方に向かっていると医師会からの連絡で!!?』


『……コイツは本当に何なんだ?!!』


 それは医者達の共通意見であった。


 遺伝病にも一定の効果がある。


 そう知った医師達はその劇的な効果にもはや魔法以外の想像も出来なくなっていた。


 だが、それより少しの後。


 更なる効果が医者達の間では知られるようになると彼らはもう笑うしかないと肩を竦める事しか出来なくなった。


『せ、先生……どうか、本当の事を仰って下さい!! 私は後、どれだけ生きられるんですか!?』


『非常に申し上げ難いのですが……(´-ω-`)』


『う……娘が、娘を残して私はまだ死ねないんですッ!!(/ω\)』


『もう病院に来られる理由はありません……(=ω=)』


『そんなぁ……そんなぁあッ(´;ω;`)』

『貴方の病気は完全に治っています』

『え(´・ω・)?』


『ですから、もう病院に来られる理由はありません。先日、開放骨折で来られた時、MHペンダントを1日掛けておられましたが、その時のせいでしょう。今はCTにもMRIにも病の影も形もありません』


『そ、それじゃ私は……(´Д⊂ヽ』


『ケガと新しい病気をしなければ、七五三も成人式の振袖姿もウェディングドレスだって見れますよ。お体を大事にして下さい( ̄ω ̄)』


『せ、せんせぇえぇえぇえええぇええ(泣)』


 全身の癌という癌を癒し、あらゆる病が治ったという話は嘘のような本当の単なる事実として、MHペンダントの症例として論文が纏められる事になった。


 糖尿病から腎臓病、肝臓の病。

 あらゆる病が治った事は正しく奇跡と呼ぶ以外に無く。


 MHペンダントを掛けている内は遺伝疾患すらもかなり症状が軽減される。


 その能力が及ばないのは基本的に体内に重要な栄養素が足りない場合の疾病くらい、という事実に基いて多くの患者が栄養を取らされた。


『先生!!?』

『今度は何? また、MHペンダント関連かね?』


『は、はい!! 実は糖尿病だった患者さん何ですが……MHペンダントを掛け続けていたら、1週間で体重が平均に戻りました』


『はぁ(´Д`)?』


『あ、いえ、その……どうやら野戦医療で貰っていたMHペンダントをこっそり掛け続けていたようなんですが、体脂肪率や内臓脂肪がほぼ4%台まで低下しておりまして。それで皮も余らずに縮んだのですが、大量の垢が出て困るとか。その……』


『なぁ、君も前より肌艶良くないか? というか、前はクマ浮いていたのに消えたね(・ω・)』


『あ、あはは……そ、その……1週間程……付けてみたら、染み雀斑が消えて肌の張りが……じゅ、十代の頃にッッ(≧▽≦)』


『そういや、何かウチのお局様も往年のようにバリバリ輝いてた気が……』


『はい!! お局様も大変満足されているそうですよ(´▽`*)』


『どいつもこいつも……(;´Д`)』


 美容健康に効く。

 しかも、栄養食品も取れば、よりヨロシイ。


 ―――【MHペンダントを1週間掛ければ、ダイエットに成功します】


 ―――【MHペンダントは実際安全です】


 ―――【肌の潤いと更年期障害にコレ一本!!】


 医者が別の意味で匙を投げるレベルで全て事実であった。


 基本的に医療現場で本格的な治療を受ければ、尚回復力は高いとの話ではあったが、それにしても全て万事MHペンダントで解決されまくりであった。


 当初、この神の奇跡の如きペンダントが大量供給されて、更にその燃料用のM電池も送られていた病院は大喜びであったが、すぐに奇跡の弊害に気付く事になった。


『先生!!』


『何だね? MHペンダントで遂に死者でも蘇ったか( ̄д ̄)』


『こ、今月、我が病院は未曽有の大赤字だそうです!! このままでは潰れてしまうかもしれないと経理の方が!!?』


『だろうね。医者要らずで日本の医療体制も万全。良かったじゃないか。HAHAHA(´・ω・)』


『そ、それで医師会からご連絡が!!』

『今度は何だって?』


『MHペンダントの供給量を牛耳っているらしい善導騎士団との会議がある為、新しい医療現場態勢の相談に先生のお力を貸して欲しいと!!』


 MHペンダントによる医療行為が基本的にはどのような高額医療の類でもなく。


 薬を出す必要が極端に減り。


 同時に診察要らずのレベルで根本的に栄養さえ取って掛けておけばOK。


 高いのはM電池のみ。


 という事実から来る従来医療価格の大破壊が医療業界を襲ったのだ。


 殆どの製薬会社は今までの投資の大半が無に帰し。


 商品が原価割れするレベルで売れず。


 医療現場もまた国にMHペンダントでの医療行為は一律に安く済ませるように指導を受けていた為、殆ど儲けにならず。


 大都市圏や政令指定都市レベルの大病院。


 高度な先進医療を行う現場になればなる程に赤字という実態が浮き彫りになった。


 結果として小さな病院や地方には逆に恩恵があり、人不足、医師不足の問題を多くがクリアーする事になったが、やはり赤字になるところは多く。


 結果として善導騎士団と日本国政府と医療従事者、医療現場、製薬会社の意見を擦り合わせ、儲けの出る業務体制を創るべく会議が持たれた。


 名を国家安全保障医療体制刷新会議。

 しかし、その現場にフィットネスジムの事業主とか。

 化粧品会社の役員とか。

 健康食品会社のCEOとか。

 諸々が出てきた事には多くの者達も驚いただろう。

 医療現場と同じく。


 各分野の健康や美容を売りにする事業の大半がMHペンダントのおかげで関東圏で商売上がったりになっていたからだ。


 無論、他の地域にも遅くはあるものの、そういった影響は波及し始めていた。


 まぁ、病院もさすがに今更『MHペンダントを使用しません』という事は言えるわけもなく。


 早急に新たな新規の儲け口を探さねばならなかった。

 善導騎士団のお抱えに近くなった某ホテルの大会議場。


 近頃、なんやかんやと話題になっていた秘書を連れた騎士ごっこ姿の子供。


 耳敏い者ならば、もう知っているだろう。


魔導騎士ナイト・オブ・クラフト


 そう呼ばれる少年が壇上に入って来るに辺り、医療関係者の中でも特に製薬会社や高度先進医療関係の研究者達や経営者は頭を下げた。


 それを見て、あの企業の大物が頭を下げるのか。

 という顔の者は多かった。


「初めて会う方もいる為、此処は前に在った方にも改めて挨拶させて頂きます。初めまして。僕はベルディクト。ベルディクト・バーン。今、皆さんの事業をご破算にまで追い込んだ奇跡の道具と呼ばれているMHペンダントを造った張本人です」


 その言葉に笑える者は多くなかった。


 本日は明神を後ろに従えた少年は壇上の後ろでプロジェクター用のスクリーンが展開されるのを見ると明神に合図をした。


 すると、会場のプロジェクターが起動するのと同時に明かりが落とされる。


 そうして、善導騎士団のマークが少年の背後には浮かび上がった。


「まず、僕が所属している組織に付いてお話……しようと思っていたんですが、多くの方が予習はしているでしょうし、此処は飛ばして簡単な幾つかの結論に付いてお話しましょう」


 少年の言葉に今度はMHペンダントが映し出される。


「結論その1。MHペンダントの製造は生産数こそ絞りますが、全国の病院などに卸す事は止めませんし、M電池は大々的に供給し続ける事は既に決定事項の為、変えられません」


 一瞬、周囲がざわめいた。


「これは日本国政府との間にも契約された事実であり、皆さんの意見で変わりません。人類消滅規模の災害や戦災に備えて、シェルター設備や病院などへのMHペンダントやその亜種を充足させる為、大増産が決まっています」


 やはり、周囲がまたざわめく。


「しかしながら、それでも皆さんに儲けを出して頂く為に善導騎士団ではネガティブ・キャンペーンを広報業務の一環として行う事にしました」


 一体、何を言われたのか分からず。

 また、ざわめきが広がる。


「さて、では、まず……医療関係者の方にMHペンダントの良い点を挙げて頂きましょう。32番の方、医師の方ですよね? MHペンダントの効能と利点を上げて頂けませんか? 再確認の意味を含めて、この場の皆さんに共通の情報を周知して欲しいので」


 その言葉に50代の医師が立ち上がり、こほんと咳払いをした。


「まず、栄養失調や特定のビタミンや栄養素の欠乏とウィルスや病原体由来以外の疾病にはほぼ完全な効能を有する。病原体やウィルス由来の病でも殆どは症状を緩和する。遺伝病も根治はしないが、使用し続ける限りは症状が劇的に緩和される」


「はい。その通りです」


「また、精神病患者や鬱病、てんかん発作などがある患者も同様だ。特に精神疾患の大半が急速に回復、精神病質のサイコパス患者が人を上辺だけではなく心配するようになったり、鬱病患者は根治レベルで気分の起伏が平坦になり、躁鬱症状が改善される」


「ええ、脳内の一部の異常が是正されるからです。他には?」


「ヘルスケアに関して言えば、肥満患者が1週間で体脂肪率4%台を記録。その後に大量の垢を出したが、それ以外は殆ど異常無し。ついでにリバウンドするかとも思ったが、食欲も正常の範囲内に収まったとの報告を受けている」


「はい。満腹中枢に関連した脳と肉体の部位が通常の状態に戻るからです」


「他には肌の張りを改善。染み雀斑ニキビも除去。ニキビ跡も治っていたな。この事から身体的な火傷跡のようなものは治ると見て良い」


「そうですね。そういうのは大抵治ります」


「中には脳性麻痺の患者やチックの患者が治ったとか。自閉症の症状が治まって、学習能力が上がったという報告も確か……」


「ええ、大抵は異常な遺伝情報の僅かな書き換え、脳内の気質を通常の人間に近付けるような効果が発揮されてのものです。僕も左程詳しくありませんが……」


「詳しくない?」


 思わず医者が訊ねた。

 それに少年が頷く。

 そして、自分の背後を見た。

 其処には巨大な丸い白い球体が映し出されている。


「皆さんには初めて見せますが、これがMHペンダントの能力を構築しているコードの概念図。要はこちらでいうモデルようなものです。ざっと2500万行程の生物を正常な範囲で元に戻す為のあらゆる方法が書き記されたプログラムみたいなものと思って下さい」


 ザックリした説明に多くの人々が胡乱になった。


「さて、皆さんにMHペンダントに付いて知って欲しい事は3つ。このペンダントの機能の根本は人間を治すものではない事。このペンダントには副作用が存在する事。我々はその副作用を治療する意味が無い為、治療は断らせて頂く事。という事になるでしょうか」


 少年の言葉にそのまま喋っていた医師が目を細めた。


「どういう事だろうか?」


「では、まず、このペンダントに使われている魔術に付いて少し説明させて貰います」


 少年が背後を見ると。


 再び映像に動きがあり、白い球体に近付いた視点が複雑な象形文字の羅列を映し出す。


「皆さんに知って欲しい事の一つ目として、この魔術の術式。コードは善導騎士団でも解析し切れない完全なブラックボックスに近いという事でしょうか」


 さすがに誰もがどよめいた。


「静粛に。これには理由があるんです。簡単に言いますが、これは僕らの世界……巷で僕らが異世界から来たという事が噂されていますが、その事実に起因します」


 今度はそうざわめきは無く。

 半ば、予想されていた事の為か。

 場はすぐに動揺が収まって静かになっていった。


「このMHペンダントの機能は僕らの世界における掛け値無しに最高の能力を持った存在達が編んだ代物であり、凡そ100万字程も開発されたとされる専用の文字……こちらで言えば、OSを組む為のプログラム言語を使った代物です」


 少年の言葉を聞き間違いかと思った者もいるだろう。


 100万の文字と少年は言ったのだ。


「また、人間のみならず。あらゆる存在に対して過負荷無く、生命体としての最良の平均値に状態を近付ける為の機能を有しています。此処で大事な事は最良の平均値という言葉です。これが何を指すかと言えば、その当人にとってを定義し、ソレの中でも幾つか考えられる最良の状態の中間、平均へ常に近付けるという事です。ただし、物理的な限界は超過しません」


「つまり、栄養が足らなければ、その時点での最良の状態になるという事かな?」


「はい。再生にも限度がありますが、それは物理的に再生可能であった場合でも、その再生に別の場所を使ってしまう為にリミッターが掛かった状態なんです。そうですね……足を生やす為に腕が無くなる事を防いだりしていると思って下さい。この時に重要なのは質量的には可能でも存在の魂的な部分で機能は対象を測定しているという事です」


「魂?」


「はい。我々の大陸では魂が数値化、定量化されてます。肉体と魂はある程度の相互関係にあり、肉体を消費して肉体を再生するような魂の総量が増えないような再生は頓挫する。そのような理屈です」


「……栄養素を取れとは肉体を増やして魂を増やす。そう考えてよいのかな?」


「はい。ただし、悪い事ばかりじゃありません。そのおかげで人間以外にも効果が出ます。色々と解析しましたが、動物も植物も大抵の存在ならば、この能力は再生させると結論しました」


「……先程から思っていたが、善導騎士団はMHペンダントの持っている能力に付いて詳しいわけでは無かったという事だろうか」


「はい。僕らは出来合いのパンを買って食べる消費者みたいなものですから。騎士団と名乗っているのは伊達や酔狂ではなく。そういう人種だからでもあります」


「……自分達で造ったわけでもないものに詳しいわけがない、と」


「ええ。ですから、此処からは推測でのお話も挟みますね」


 少年はいつもの(・ω・)表情であった。


「では、副作用についてお話しましょう。今、話したようにこの機能の集合体である術式は僕らの手に余ります。ある程度の融通が利くようにする事は出来ますが、根本的な機能は変わりません」


「どうにもならないと?」


「はい。風邪を治すのにAの方法で治すよりBの方法で治してくれとデータを追加するくらいの事です。でも、Bの方法を実行する機能そのものは同じって事です」


「なる程……」


「此処で平均値の話になります。治しているわけではないと言いましたよね? これは過不足なく、平均に永続的に近付ける機能なわけです。だから、高いものも平均になる。ただし、最良の状態で……これがどういう事かと言えば」


 少年が再び後ろを見ると。

 三パターンの人間の図が映っていた。


 左右に両手を上げた男と下げた男がいて、中央にMHペンダントを掛けた両手を水平にした男の図が映し出される。


「高い能力もある程度は是正されます。ただし、これは脳の気質的な部分における異常を通常の状態に戻す行為なんです」


「高い状態、というと?」


「そうですね……集中力が高いという状態は人間が定義しているだけであって、一部の脳機能が先鋭化され易いという事実なのですが、MHペンダントはこれを個人が最良とする平均的な状況に近付ける。すると集中力は長く続かなくなります。色々調整は可能ですけど」


 少年の言葉に何を彼が語り始めたのかを理解し始めた者達は……その重大さを少しずつ、脂汗や身体の震えという形で覚えただろう。


「サイコパスな方が異常にカッコよく見えたのに平凡になるというのが良い例です。そういった方がコレを使った後、極めて凡庸な当人にとって善良に近い人物となる」


「実験したのだろうか?」


「精神病院に卸した時に症例報告がありました。これを良いと捉えられるかどうか。皆さん風に言えば、この最良の平均値へ近付ける行為は洗脳と言い換えて構いません」


「洗脳……(T_T)」


 さすがの医療関係者達もその言葉の重さに汗を浮かべた。


普通じゃない方が普通になってしまう。そういう事です。実際、子供を何とも思っていなかった母親が我が子を愛するようになったというような症例が幾らかの医療機関や保健機関から報告されました」


「ネグレクトなどを行う親の事かな?」


「はい。これもまた脳内器質の最良の平均化が原因です。記憶や人格は変わりません。あくまで物理的なものです」


「物理的、か……」


「投薬療法で性格を変更したりする事の最上位互換方法と言っても大差ないでしょう。あくまで物理的な限界は超過しませんが、人間の脳は物理的な構造でしか出来ていません。幸せを感じたりする場所、報酬系が正常になったりすると価値観にも影響が及びます」


 ―――「   」


 多くが口を噤んだ。


「色々と研究して症例報告を集めてみましたが、かなり人間としてアレな犯罪を犯した罪人の方が病気でコレの治療を受けた後、何か真人間に近くなったとか。夜に懺悔して泣いてるとか。良心を刺激されたのか謝罪の手紙を書き始めたとか」


「囚人の心情に変化が出ると……」


「其処まで極端じゃなくても、心理的な変化によってかなり変わった事が報告されてます」


「つまり、良いように?」


「良いと捉えるかどうかは皆さん次第という事です。これが副作用。ただし、この機能は根本的にはその人間が本来持っていたはずの、遺伝子や機能が欠落、欠如、低い場合でも最良の個体として存在していれば、というIFを再現していると考えて下さい」


 自分達は医療現場や自身の現場で儲ける為に来たはずなのに何故かいきなりヤバイ話をされ始めた事に背筋をゾクリとさせた大人達が顔色を蒼褪めさせる。


 その様子を見て、少年はポリポリと頬を掻いた。


「さて、皆さんは薬で無理やりに笑わせられたり、泣かせられたりする事を良いと感じますか? このMHペンダントの機能は薬よりも、もっとダイレクトな調整を個体に施します。それは極めて性善説に立った機能ではあるんですが、副作用と呼んで良い変化です」


「記憶や人格に変化は本当に無いと言い切れるのかね?」


「はい。記憶も人格も変わりません。が、脳の機能をと調整されて平均化されるのも避けられません。それを許せますか?」


 いつの間にか。

 誰もが少年の顔から視線を離せなくなっていた。


「傷つき易い感性をした女性が凡庸で鈍感な人になる。人の傷や世の中の理不尽を嘆いていた人が楽観的になる。失われた感性や感覚は元には戻りません」


「君達なら治療が可能なのでは?」

「だから、と言いました」

「………」


「寂しさで自殺出来なくなった人間を哀れだとは思いませんか? 己の信念に基づいて行動した犯罪者は必ず犯罪を悔いますよ。そして、良心に塗れて死刑になったり、実刑の中で生きていく事になるでしょう」


「そういう事か」

「優しい事は怖いんですよ」

「優しいのが、怖い?」


「人が怖いから、自分を変えようと頑張る必要がある。それを為そうとする決意は気高いものです。それを為そうとする意志は輝く事でしょう。でも、それすらも必要なくなるんです……」


 少年の瞳は澄んでいる。

 だからこそ、彼らは知る。


 突き付けられたソレを自分達が少しでも左右する立場にいるという事実の重さを。


「人間の成長に必要なものは挫折、苦渋、絶望かもしれません。でも、それを敏感に感じるからこそ、人に優しい歌詞を書ける歌手がいるかもしれません。人に必死に何かを伝える芸術家がいるかもしれません。でも、それは最良じゃないと機能は判断します」


 少年は見ていた。

 自分を見る全ての大人達を。


「どんなに悪くても自分。どんなに悲しんでも苦しんでも今の自分が好きな人はいるでしょう。変わりたくない人がいるでしょう。でも、それすらも変えてしまう」


「それは良い事ではないと?」


「前より苦しまなくなる、悲しまなくなる。それは感動や感情の起伏が減るという事です。無論、悲しめない人がちゃんと悲しめもするでしょうが、一生忘れられない悲しみが数年足らずで癒えるようになるのが良いかどうかという話です」


 それを善とも悪とも言わず。


「何事も良し悪しはあります。多くは性格や感情の起伏が普通の方より良いと言える状態に推移するでしょうし、自殺衝動に駆られる人も自殺を思い留まるようになるかもしれません」


「我が国でなら、諸手を上げてそうしたい者がいるだろうな……」


「感性が乏しければ、逆に育つかもしれませんし、一生もののあらゆる苦しみからもある程度は逃れられるでしょう。ですが、全ては物理的な効果に過ぎない」


 それは人間が物理的な事象の塊であるという魔術の徒とは思えない程の超合理的な意見。


「貴方の魂の在り様までも捻じ曲げられて、それでも病気を治す事は必要な事ですか? 健康、命、精神、全てを手に入れる代償は貴方の在り様そのものです。そう我々は皆さんに言わざるを得ないんですよ」


 在り様。


 そう言われて、安易に頷けるような人間はそういまい。


「それを当然とする方には単なる道具に過ぎないでしょう。ですが、そうではない方にすれば、奇跡の毒薬。それがMHペンダントなんです」


「奇跡の毒薬……」


 言い得て妙。

 しかし、実感を持って多くの者達が納得はしていた。

 確かに副作用。

 そう言うに値する事実に違いないと。


「無論、命の価値には代えられないという人もいるでしょう。でも、不健全でも儚くても、それでいい、それがいいという人は必ずいる」


「だろうな……」


「でも、我々はこの世界の存続の為に活動している。だから、その副作用を治療する意味が無い為、治療は断らせて頂く……そう言っています」


「それを広報して君達はと称するのか?」


「僕らを悪魔と詰るか。人類の救世主と呼ぶか。あるいは単なる超技術集団と縋るか。異世界からの来訪者と警戒するか。全ては皆さんの目と耳で聞き、その感情と魂で感じて判断を下して下さい」


 その医師との会話は噛み合っていないようにも思える。


 しかし、その二人の間にある噛み合った視線を誰もが見ていた。


「これは私個人としての考えだが、それは……この未熟な人類には過ぎた決断の押し付けじゃないかね?」


 医師は真っすぐな瞳で少年を見る。


「確かに君達の……いや、君の言う事は最もだ。それを判断してこその大人であり、人としての姿だろう。だが、君は知っているはずだな」


 少年は言われている事を理解していた。


 その団結という決断をせず、多くが失われて行った事を。


「この世界が滅びた理由、今正に亡びようとしている理由……我々は愚かだったのだ。愚か過ぎた。それを自覚出来るくらいにはまた苦悩の中にある」


 医師はそう断言する。

 今の人類の様相は新聞ネットを見るまでも無く。

 多くの場合、民間人を見れば、事足りる。


 上辺だけの平和を享受していた国民が今やどんな顔で生活しているのか。


 医者という職業ならばこそ、男は人より多く知る立場にある。


「それでも妙薬は無いから、頑張って来た。抗ってきた……だが、君の言っている事は―――」


 少年は頷く。


「そうですね。今の人類にはMHペンダントは正に麻薬でしょう。何も考えず、ただ自分を良くしてくれるモノ……それこそは世界を真に滅ぼす毒かもしれません。だから、奇跡の毒薬と言いました。決して、代償は安くない」


「―――」


 少年は真っすぐに告げる。


「抗う意志は有りますか? 涙しても進む勇気は? 残酷に負けぬ志は? 終わりなく降り注ぐ絶望を前にして貴方達は神の如き屍の力を前に人の力だけで立ち向かえますか? この術式は僕らの世界で正しくが生み出したものなんです」


 神を超える者達が生み出した力。


 そう言われて、多くの者達が自分達の前にある問題がようやく単なる儲け話を遥かに超越したところにある人類の未来を決定する事になるかもしれないものだと理解した。


「……医者としてならば、職業倫理と熱意に掛けて最後まで患者を診て死ぬさ。真面目に職務を何よりも尊ぶならば、だがね」


「多くの人がそうあればいいと思います。でも、すぐ横に楽になれる力を、誰かを救える力を持ち、それでも最後の最後まで死する者に伝え続けられますか?」


「何と?」


「自分を失い、己を変えられ、努力する為の機会を、感動の瞬間を、人として得られたかもしれない真に価値ある時間を売り渡せるかと」


 まるで悪魔のような言葉はしかし確かに何よりも死を見定める者の魔眼の主によって始めて人類へ告げられる。


「僕らには時間がありません。だから、人類代表者として貴方達に問います。この日本政府でも、この日本の国土に住まう大多数の人々にでもなく」


 多くの者達の身体が無意識に震えた。


「今、此処にいる貴方達に……躊躇する事も選ばぬ事も出来ますが、決は取らせて下さい。それが僕の権限であるが故に……」


 少年は壇上からフワリと飛び降りた。

 そして、己の瞳の力を顕現させる。


 ―――「!!?」


 死が具現化された空白を宿した瞳。

 それを見た者達が理解する。


 今、自分の前にいるのが本当の意味で自分達とは違う存在である事を。


「MHペンダントの機能ですが、劣化させる事が出来ます。脳器質への調整を加える機能を鈍化させる事が可能です」


 ―――「!!!」


「ですが、それは劣化の名の通り、今の効能の全てを同時に劣化させます。今、現在生産されてしまっているものに対しても一斉に劣化だけならば、すぐに変更を加える事が可能です」


 ―――「?!!」


「この劣化の度合いは精神への影響が軽微になると同時に肉体の再生機能や調整に関して今までよりも効きが鈍くなります」


 少年の言葉に全ての参加者が何を言おうとしているのか理解した。


「即死レベルの傷でも治癒は可能ですが、殆どの機能が現機能の5割程度まで能力が落ちます。この意味、分かりますね? 皆さんなら」


 ―――「ッッッ」


 彼らの仕事が復活する。

 いや、復活ではない。

 今よりも苦しくはなるだろうが、前に近付く。

 そして、今のような極端な状況が是正される。


 だが、それは二重の意味であまりにも巨大な誘惑を有する選択だった。


 人類が手に入れた死を限界まで遠ざける力。


 それを劣化させてまで守らねばならない事なのかどうか。


 また、己の事業を継続出来たとしても、この一件が外に漏れれば、彼らは明らかに避難の矢面に立たされるだろう。


 例え、彼らを支持する声があるとしても。


「無論、人類に対して今後供与するモノも例外以外は同様のものしか渡せません。その分、多くの人々が巨大な災害が起こればMHペンダントにアクセス出来る環境でも死ぬ可能性が高いでしょう」


 それは明らかに良いわけがない事実。


 だが、自分の心を捻じ曲げられてまで生きたいかと言われれば、ある者にとってソレは死ぬよりも辛い事なのかもしれず。


「これを独断で決めていいのか、という問いに意味はありません。副団長、副団長代行に一任された僕の権限であり、日本政府にもこの会議に善導騎士団が参加する前提として承認して頂きました」


 逃げ場は無かった。

 誰もが息を呑む。


 今後、人類がどうなるにしても、大きな決断には違いなく。


「これを貴方達に聞くのは最良の答えが無いからです。そして、誰もが納得する答えも無い。人の魂と意志の問題にそんなものを求める気もありません。ですが、決断はしなければならない。気負わずにと言うのは無責任でしょうから、こう言い換えましょう。好きにして下さい」


 少年が手を左右に広げた。

 その左手には赤、右手には青の輝きが灯る。

 それと同時に左右の壁に同じ輝きが映し出される。


「もし今のまま人の命を選ぶならば、赤の方の壁に寄って手を壁に付いて下さい。もし他者の意志を尊重し、己の魂を選ぶならば、青の壁に手を付いて下さい」


 少年はまるで慈悲深い聖職者の如く声を響かせる。

 だが、その悪魔の如き選択を強要してもいた。


「どちらも選べない。この選択から降りるという方はこの会場から出て行って下さい。その方に選択権とその結果の詳細を知る権利はありません」


 放棄してもいい、との言葉に誰もがゴクリと唾を呑み込む。


「ただ、企業として善導騎士団との間に行うはずだった儲け話は無し。自力で頑張って下さい。これは協力企業の方でも同様です。それ以外は前と同じですので」


 男も女もいる。


 会社の重役ではあっても、企業の総意を代表する立場とは言えない者も多い。


 だが、だからこそ、彼らは理解する。

 それもまた意見の一つなのだと。


「どうして、我々なのだ」


 それでも医師は訊ねた。


「此処に集めた人々は最も現場に近く。同時に社の意見を尊重出来て、尚且つ人格者の方を選んで頂きました。選考方法は秘密ですが、皆さんの意見の結果はこの日本社会の方でも良心的な面で平均でしょう」


 それ以上は語る事もないと少年は目を閉じる。


「時間は1分。その合間に退場出来ず、壁に手も付けなかった方の意見は退場したと見なさせて頂きます。結果も見えないように仕掛けがしてあります。では」


 言葉と同時にスクリーンに制限時間が表示される。


 もう、ざわめきは無かった。


 10秒目には誰も動かなかった。

 20秒目には誰かが歩き出した。

 30秒目には会場の扉が開いた。

 40秒目には人が大勢歩き出す音がした。

 50秒目にはもう多くの足音は消えていた。


 そうして、60秒目が経過した時。


 少年が目を開く。


 その日、人類の総数からすれば、まるで芥子粒以下の数に過ぎない者達の手によって、確かに一つの決断は下されたのだった。


 *


 善導騎士団謝罪会見する、の報はすぐ全国に駆け巡った。


 記者会見の会場はいつもの御用達ホテル。

 そして、記者からの質問はオールカット。


 カメラとカメラマンの群れの前で会見場所に現れたのは……騎士ウェーイとして名を馳せているアフィス・カルトゥナーであった。


 パシャパシャとフラッシュが明滅しまくりの最中。


 スーツ姿のアフィスはダラダラと内心だけで冷や汗を流しながら、何でこんな事になったんだろうと考えた。


 が、副団長から広報や後方での予備指揮官扱いで送り込まれたんだから、こういう時は矢面に立ってねという秘書達の無言の圧力には屈さざるを得なかった、というのが真相だ。


 あれよあれよと知らない間に用意されていたスーツ姿で記者会見の現場に放り込まれたのは二時間前。


 一体、何を謝罪するというのか。


 というのはさすがに聞いていたが、それにしても自分じゃなくても、と思わなくも無いのは事実である。


 が、未だに忙しい日程や重要な研究や会議などを盥回しにされているフィクシーやベル、ヒューリの日常に比べれば、日本に来て気長に待機任務で東京本部内をウロウロしつつ、子供や若者やお年寄りとお話していた彼の日々は殆ど忙しさというものとは無縁だ。


 無論、その間にも北米の学校にテストの問題を送ったり、授業のカリキュラムを創ったりはしていたが、書類仕事が普通に出来る彼にとっては午前と午後の4時くらいまで働けば、後は自由時間にしても余裕があるというレベル。


 こんな時に使わずにいつ使うのか。


 そう秘書達はアフィスを今後は記者会見諸々で使い減りしない生贄に捧げる気満々であった。


「本日、記者会見となりましたのは……え~我が善導騎士団が開発したMHペンダントに重大な欠陥が見つかった事に起因します」


 アフィスが会見冒頭で既存の問題点を提示するとテレビではMHペンダントに重大な欠陥の荒々しい赤文字が瞬時に踊った。


 それから魔術用語をわざと多用した大量の横文字が10分程垂れ流される。


「以上の問題点から人格矯正的な機能も共に発動しており、良い方向で人の精神に影響を及ぼす事が確認されました。ですが、この機能は半ば、良い人になる洗脳というものに等しい事が確認されました」


 多くの者達がグッとツッコミたい気持ちに駆られたが、記者会見で記者からの質問が飛んだ瞬間、その社や個人には二度と記者会見場への入場許可が出ない旨が警告されていた為、誰も何も言わずカメラを向けるだけに留められた。


「機能の分割は不可能である事も確認された為、緊急用の処置として現在存在する全てのMHペンダントには2割から3割程度まで能力を落とす非常措置を取ります」


 アフィスが内心ではもうお家帰りたい病に掛かりながらも何とか真顔を保ちつつ、カメラを見詰める。


「これで能力を落とした場合でも現状、危機的な状況にある方の生命維持には問題ありません」


 フラッシュは未だ焚かれっ放しだ。


 アフィス・カルトゥナーの写真が今日だけで合計1万枚単位で撮られた事は間違いないだろう。


「ですが、今後出荷予定のMHペンダントに関しましてはシェルターなどに納める緊急非常事態用と病院に納品するモノ以外は全て機能が制限されたものとなります。制限が無いものに関しても緊急時以外は医療現場でも制限して使って頂く事になるでしょう」


 記者会見の会場後ろではオリガが先生カッコいいと目をキラキラさせていた。


「今後、従来のMHペンダントの機能に関しましては緊急時に本人もしくは家族がいた場合は同意が無ければ、原則使えないものとして扱い。また、美容健康に関する機能も同時に落ちる事から生活習慣病の改善などでも通常よりも長い期間の使用が必要となります」


 アフィスの映像には善導騎士団スキャンダルの文字。


 ―――『良い人になる洗脳?』


 よく分からんが、善導騎士団が謝るような事ナンダロウナーという空気がネットなどには流れ、精神汚染的なものならば、致し方ないだろうという話も出ていた。


 これが一般企業ならば、洗脳とかヤバイよヤバイよと騒がれまくりの叩かれまくりだろうが、生憎と憲法停止下で日本の国防を担う超技術集団にして軍事組織という善導騎士団に悪感情をブチ撒ける者は全体の1割に満たなかった。


 不満を言う者すらも善導騎士団のシェルターやらMHペンダントで命を救われたという者もおり、実際に治療費負担の改善によって関東圏や北海道ではおんぶにだっこな状況。


 これで支援が切られようものならば、どうなるか。


 分かっている人々の罵倒は口が重くならざるを得なかったのである。


「ただ、免疫疾患や症状の重篤な病の方。更に内臓の治療中の方などには引き続き同意さえあれば、元の効能のモノを使って頂く事も出来ます。また、犯罪を犯して拘留された方や実刑を受ける事になった方などは同様の効能で治療が受けられる事が決まりました」


 その言葉に『囚人は洗脳してもいいってwwww』などのコメントの弾幕が動画サイトなどでは流れ始める。


「現在、日本国内の犯罪件数は多くないものの。テロリズムなどの危険思想や個人的な執着による大量殺人、また多くの軽犯罪でも再犯率が高い犯罪などの矯正に社会資源を当てる事が難しくなってきています」


 日本の国力がこの数年で維持の為に落ちている事は誰もが知っている事だ。


 海外資産を全て引き上げる事など到底不可能だった為、多くの企業が破綻寸前で何とか国からの補助金の注入で生き残っている。


 こんな状況で社会資源が犯罪者の為に使われる、というのはそう多くない事例であって、刑務所や拘置所関連の予算はカットされ続けている。


「これらの事から日本政府との間に実刑の確定者と拘留中の被疑者や容疑者にもこのMHペンダントが例外なく使われます」


 独裁。


 そう頭を過った者は多かっただろう。


 しかし、それを見越したかのようにアフィスが更にペーパーを読み込む。


「ただ、一つ誤解しないで頂きたいのはこの副作用はあくまで人格や記憶を矯正するのではなく。当人がもしも善良な一個人として最良の人生を歩んでいたら、というもしもを物理的な作用を使って近付ける事にあります」


 どういう事なの?という顔の者が多数。


 だが、質問は許されていない。


「つまり、特定の団体や組織を支持するようになったりする事はありません。脳内における不均衡な機能の是正、良心や他者への思いやり、他者への共感能力や共生しようとする本能的な能力が最良の状態になる、という事なのです」


 約半数の者達は何を言っているのか分からんという顔だったが、分かっている者はそれだけでそれがどれだけの影響であるかを理解するだろう。


「サイコパスやソシオパス、人格障害、精神病などにもこの機能は有効です。カウンセリングや投薬によって引き出せる最良の結果を脳機能に絞って物理的に近付けると考えて下さい」


 アフィスの顔は極めて真面目だ。


「それでも皆さんに使用された後にこのような事実が分かった事は誠に遺憾としか言いようがなく。近い内に善導騎士団から日本国内の方々にお詫びを送る事になるかと思います」


 お詫び?とまた多くの記者やカメラマンの中に疑問符が浮かぶ。


「その詳細に付きましては今後の善導チャンネルや政府広報などをご覧下さい」


 そうして書類を纏めたアフィスがカバンに突っ込んだ後。


 一度だけ襟を正して記者達の前に出ると。


「今回はこのような不祥事を起こしてしまい。誠に申し訳ありませんでした。心から日本国内並びに今までHMペンダントを用いた方々にはお詫び申し上げます。では、これで記者会見を終了とさせて頂きます」


 大きく土下座してから何食わぬ真面目顔でその場を後にした。


 ネットでは『ウェーイ……いつの間に土下座なんて覚えて(´;ω;`)』とか誰に教えられたんだろうという話が盛り上がっていた。


 そんな再び日本中に混沌とした話をブチ込んだ張本人たる少年はテレビをリモコンでオフにして、背後の研究者達に向き直る。


「という事でこの件に関しては僕らの好きにさせて頂ける事が決まりました。あの咄嗟の状況であの方々は自分達にそれを好きにしていい理由はない。そう謙虚さを示す事を選んだ。これは日本という国に住まう人だから出せた答えなんでしょう」


 少年が赤0、青0、退出者全員という状況を思い出す。


「では、これより新型MHペンダントの開発計画について詰めていきましょう」

 多くの研究者達が頷いた。


「後、多くの人々を失業させるわけにもいきません。個別で解析出来た治癒関連の術式に関しては全て性能を落として民間へMHペンダントの亜種として放出。オリジナルよりも安くして、MHペンダントの本家の方は価格を高価格帯に再設定します。よろしいですか?」


 それに誰も異を唱える者も無かった。


「では、本題を……治癒術式の細胞内への混入、封入方法を考えましょう」


 その言葉に白衣の研究者達が頷く。


「【魔導機械術式HMC2】として再記述が完了次第……僕が自身で試します」


 少年は陰陽自研の会議室の一角で研究者達の前で頷き返し、次なる段階へと向かっていく。


 それがどんな成果として善導騎士団や陰陽自を強化するにしろ。


 また、隊員達の超人度合が上がる事だけは確かだった。


「対高位超越者用の戦闘継続能力の向上。これ無くして今後来る魔族、黙示録の四騎士、BFC戦は全滅を覚悟しなきゃなりません。どうか、力を貸して下さい」


 1人の少年を軸にして回り始めた歯車は運命という名を超える。


 いつかの誰かが言った。

 人は生垣、人は堀、人は城だと。


 ならば、少年の周りにいる白き戦闘服を身に纏う者達は間違いなく剣だろう。


 あらゆる敵を観測し、分析し、解析し、再現し、知り尽くす。

 城も堀も生垣ですらないとしても、それにも勝る刃。

 それこそが少年が手に入れた何にも劣らぬ力に違いなかった。

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