間章「小さな恋の歌」


―――20××年××月×日火曜日晴れ。


 今、私には好きな人がいる。


 それはきっとこんな人生で初めての……神様からの贈り物かもしれない。


 あの日から随分と経った。

 こんなにも心が浮き立つ事は今まで無かった。

 掛け値なしに奇跡だと言える。


 あの場所で死んでいったお母さんやお父さんも喜んでくれるだろうか。


 ゾンビに怯えて闇の風音に眠れなかった日々が嘘みたいだ。


 あの頃、好きだった歌……今は思い出せない。

 もう闇に怯えて口を噤む必要は無いのに歌えない。


 物音に狂いそうな恐怖を感じないのに……唇は動かない、動かなかった。


 だけど、あの人に会ってから、私の口は嘘みたいに誰かと喋れるようになった。


 最初に声を掛けてくれた時。


 一言も話せなかった私に流暢なロシア語で『可愛いお嬢さん。ごきげんよう』なんて言いながら、それ以外さっぱり話せなかったあの人は……しかし、それでも話し掛け続けてくれた。


 英語は分からないのに言っている事が分かったのはその笑顔と身振り手振りのおかげだろう。


 きっと、他の子とまともに話せない私の事を気に掛けてくれただけ。


 でも、その気持ちが嬉しかった。

 その日、何を話し掛けてくれたのか。

 今となっては分からない。

 けれど、言っている事だけは分かったのだ。

 一緒に勉強してみないか、とか。

 面白可笑しい冗談を交えて。

 そうだ。


 希望なんて無かった私が初めて自分の能力を持っていて嬉しくなったのはあの人の手伝いが出来ると思ったからだ。


 手を差し伸べて、友達の輪に入れてくれたあの手を取れた事。


 それこそが魔法だった。

 どんな魔術も叶わない。

 本当の魔法だったのだ。


 願っても、祈っても、動かなかった唇と手が動いた。


 きっと勇気の一欠けらすらない私が……流れ流れて辿り着いた大地。


 その上で別の世界から来ても逞しく生きる人達。


 そんな騎士であるあの人が私の呪いを祝福だと言ってくれた。


 良い力じゃないかと。

 みんなを助けてやれる凄い力だと。

 そう、言ってくれた。

 あの日に見た最悪の未来を変えてくれた。


 諦めていた私にまだ世界は残酷なだけではないと示してくれた。


 だから、私はあの人に信じて付いて行こう。

 帰るべき場所があの街にある。


 今は話せるようになった仲間達が待ってくれている。


 だから、私は―――。


 *


 善導騎士団のロスとシスコにある二つの本部。


 片方や大人の騎士達が住まい。

 もう片方は見習い達が住まう。


 そんな学校染みた場所が学校になったのは港から大使が旅立って東京からの隷下部隊の人員がチマチマと国籍離脱して移住してくるやら、観光に団体でやって来てからだ。


 年少の部隊員が移住してきた。


 それも稀少な力持ちである、とすれば……放っておく事など有り得ない。


 最初こそ、まともに話せなかった少女が物凄い勢いで辞書を片手に勉強し、軽薄な教師役が良く似合うアフィスの下。


 サラッと英語をマスターしたのは驚かれた。

 学校化された本部は今や見習い騎士達の楽園だ。


 午前中は朝から農業に精を出し、昼食が終わったらおやつ時まで座学。


 最後に夜間戦闘想定による夜8時までの実戦形式の訓練である。


 編成されたクラスは全部で40程。


 50人程の教師役の騎士達が基礎教練と数日に一回のゾンビ相手の都市外訓練を行う事でロスとシスコ周囲でのゾンビの数は確実に減り続けている。


 東京本部から齎されるあらゆる技術と武装。


 その評価試験や運用形態を纏めるのは教導が終わったばかりのひよっこではない見習い上がり達。


 騎士水準の技能を身に着けた彼らは正しく本当の意味で騎士になったと言える。


 最初は騎士の訓練を受けたという称号が欲しくて団に遊びに来て巻き込まれた少年少女達だったのだ。


 だが、彼らは今や騎士顔負けに新戦術や運用面でのノウハウの蓄積を行い。


 緊密に東京本部との間に情報をやり取りする事で地獄の訓練設備を使いこなし、日々実力を上げつつ、後輩となる生徒達を騎士達の副担任みたいな位置でサポートしている。


 そんな彼らにしてみれば、そろそろ先生ウェーイにも誰か付き人が必要だろうとの気持ちがあった。


『それにしてもウェーイって、あの量の準備と書類仕事よくやるよねぇ~』


『だな。つーか、本当にそこら辺だけ優秀なのが困る。弄れないじゃないか!!』


『教官達も普通の事を普通にしているだけだとか言いながらも準備された資料とかケチ付けた事一回も無いもんね』


『でも、さすがに2000人増えてからは大変そう』


『誰かサポートに付いて回るか? 従騎士役に立候補する人~』


 ―――『………(・ω・)』×一杯。


『誰か手ぇ上げろよ!?』


『しょうがねぇなぁ。じゃあ、下級生の優秀なのから引っ張ってくるか』


 こうしてアフィス・カルトゥナーの従騎士。

 秘書役を公募した結果。


『オ、オリガ・レヴィと申します!!』


『うぉ?! カワイイ!? あのウェーイ!? いつの間にこんな子に好かれてたんだ?』


『ア、アフィス先生の下で是非働きたく応募しました。志望動機と私の取得予定スキルと勉強中の言語とテストの結果と力の詳細と体重以外の健康診断結果です!!』


『ァ、ハイ……採用で(そこまで応募書類欄無いんだけどなぁ……書類裏まで志望動機だけビッシリ書かれてる……マジかよ……)』


『や、やったぁ!!? みんなに知らせて来ないと!!! ありがとうございましたぁ!!!』


『あ、駆けて行っちゃった……で、良かったの? 一応、審査する気だったんでしょ?』


『お前なぁ。応募数1でどうやって断れってんだよ?』


『それもそうね。じゃ、決まりって事で。正式決定するまで数日は様子見しましょう』


 アフィスの従者に決まった少女が今まで友達も見た事の無いような笑顔で本当に幸せそうに廊下を駆けた姿は多くの生徒達に目撃された。


 そして、それがアフィスに毎日のように語学を個人的に習っていた少女であると知れてからはアフィス=サンも罪な人だなぁという認識が生徒達の間では一般化。


 当人達は生温い視線で少女と教師の仲を見守る事となる。


『先生!! お願いです!! どうかもうお酒は止めて下さい。私、私、先生の身体が心配で!?』


『ウ、ゥエェ?! ちょ、泣かないで!? つーか、酒量はオレちゃん普通だぜ!!? し、心配されるような飲み方はさすがにしてないって!?』


『酒に溺れる人って格好悪い大人の筆頭よねぇ(ヒソヒソ)』


『ひぇ?! ち、違―――』


『本当、酒に逃げる大人ってロクデナシだと思う(ヒソヒソ)』


『ちょ、オ、オレちゃんは逃げてるわけじゃ?!!』


『え? ウェーイって酒乱で酒癖悪くて給料の半分も酒場に落としてるの?(ヒソヒソ)』


『何処からそんな噂が?!!』


『教師ウェーイ。騎士の査問委員会が開かれる事が私の権限で決定した。君の酒量に付いて医師を交えて―――(真面目な騎士並み感)』


『分かったぁあああ!? 分かりましたからぁああああぁ!? お酒止めますッ!!?』


『よ、良かったぁ。私、先生には長生きして欲しいんです(涙を額の端に貯めたニッコリ笑顔)』


『は、はーい……(どうしてこうなった)(´Д⊂ヽ』


 こうして酒場でミルクかアイスティーを注文するようになった青年に周囲はその歳で健康に気を遣わなきゃならないなんて騎士って大変ナンダナーという評価をする事になる。


 まぁ、そのおかげで更にアフィスの人格者的な面が強調された為か。


 酒場ですらミルクを頼む男として一部の女性達には人気が出る事になるのだが、それもまた長くは続かなかった。


『せ、先生!! もう酒場でナンパするのは止めて下さい!? 私の力で見えるんです!! 先生が悪い女の人に引っ掛かって、ぼろ雑巾みたいに捨てられて、最後に失意の中で……うぅ……』


『ウ、ウェエエ?!! まだ、おねーちゃん達とすら楽しいお話しかしてないオレちゃんの未来が既に何か既定路線に成ってる?!!』


『え? ウェーイって女を物色しに行ってるの? 酒場に? うわ、信じらんない……女性を値踏みする男ってや~ね~(ヒソヒソ)』


『ファッ?!! ね、値踏みなんて、そんなのした事一度も無―――』


『あたし見たよ!! この間、本部の門外からウェーイに“また来てねぇ~~ウェーイ!! 今度はもっとサービスしちゃうから(≧▽≦)”とか言ってる女の人……アレって風俗街にいるような恰好の人でまさかウェーイは風俗に嵌って?』


『まだ、そういうお店の場所知らないんですけど?!!』


 ―――『やっぱりウェーイってギルティ―なんじゃ……(・ω・)?』×一杯。


『騎士ウェーイ。騎士の査問委員会が開かれる事が私の権限で決定した。君の女性関係に付いて女性騎士の意見を交えて―――(真面目な騎士並み感)』


『ちょ、ちょぉ?! アンタ確か風俗街に通ってますよね?!!』


『問題ない。私はこれでも独身だった。それに女性と愉しい一時を程々に過ごすのにしっかりとした店を選んでいる。ああ、でも、現地人の女性と婚約してね……いやぁ、あの場所から彼女を救い出すのに少し老後資金と思って溜めていた資産を使ってしまったよ。HAHAHAHA』


『か、カッコいい?! 悪い場所から愛した女性を救い出すとか!! 騎士の鑑よね!! ウェーイと違って!!』


『これが本当の騎士物語ね!! ウェーイと違って!!』


『分かったからぁ!? 酒場行くの止めりゃいいんだろぉ!? うぅ、オレのオアシスがぁ~~~?!!』


『せ、先生!! ちょ、ちょっとだけ、後数年だけ待ってて下さい!! 私、立派な女性として先生のお仕事を盛り立てていけるように頑張りますから!!』


『お、おぉう? た、楽しみにしてるぜ?』


 ―――『計画通り……(´-ω-`)』×一杯。


 こうして日々酒場へ征く事が無くなった青年はその分だけ都市をスポーツカーで乗り回し、入りたい酒場の前を通り過ぎては涙を零し、入れない風俗街の店の隙間をウロウロする事になる。


 最初こそアフィスが来なくなった事に店員や客も驚いていたが、アフィスが風俗街や治安の悪い店なども十把一絡げに入れないかなぁ~と見て回っているのを勘違いしたらしく。


 あの御仁はあちこちの酒場の治安を見て回っているに違いないと噂が流れた。


 結果、アフィスの車が夜の繁華街に現れるとまるで悪徳を監視し、夜の治安を守る夜回りの騎士様という具合な評価が定着。


『あ、ウェーイだ!! また見回り~~ホント、精が出るね』


『はは……入りたくても入れないだけさ』


『あ、知ってますよ!! 確か、教え子の手前恰好付かないからって自分から禁酒して大人の嗜みって言いながら、入りもしないのに酒場の治安護ってくれてるんですよね? も~~謙虚なんだからぁ~~♪』


『け、謙虚?』

『も~~カワイイ!! ハグしちゃう♪』


『じゃ、こっちはキスを。おっと、そう言えば、憧れの騎士様って今子供達に大人気だったわね。じゃー頬で勘弁してね? 健全が一番。うふふ』


『お、おぉおお~~~?!!』


『でも、ちゃんと寝なきゃダメだよ? 夜の警邏も程々にね』


『我らが【宵闇の騎士ダーク・ナイト】様♪ あ、このバーガーはお裾分けね?』


 ダーク・ナイトなんて徒名を付けられた彼に様々なモノを渡す男女の群れが列となって、酒やスナックや温かい飲み物やファストフードを捧げもの染みて渡す様子はシスコの夜の時折見られる名物となった。


 それどころか。


 夜を護る騎士に祝福をと言わんばかりのお水の女性達男性達の軽い頬への口付けや親愛のスキンシップまで大発生。


 同性からのものはさすがに顔を引き攣らせた彼だったが、常に人の輪が出来るようになって、お水の商売をする方面からの評判が都市国家全体に波及。


 結論として彼は多くの有力者達から人格者と見なされるようになった。


 その結果にちょっと従騎士の少女が膨れた事は誰も知らないが、更に騎士の顔役としてアフィスは都市内部での地位を確立していく事になる。


 そうして、禁酒となった彼が悲し気に貰った高級な酒瓶を他の騎士達の飲み会などに提供する事から、騎士団内部でも彼の評価は大いに上がっていくのであった。

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