第124話「民業圧迫」


―――??日前、陰陽自地下応接室。


 近頃、陰陽自には常のニコニコ笑顔な技術者研究者の他にも激オコな団体旅行客かな?という具合なという人々がバスで乗り付けて来るようになった。


 その多くが畜産、水産、農産系の各団体の大物達であるというところは殆どの者が知らない事実に違いない。


 彼らの多くは既存のソロソロ関係者ならば驚くのも旬が過ぎただろう陰陽自畑で驚愕の表情を浮かべ、食堂で自分達の知らない人工蛋白質合成によって作成された肉類や海産物の味に震撼し、陸サーファーが普通に昼間の空で低空飛行しているのを呆然と見て、最後に責任者の部屋に通される事が通例であった。


 まぁ、一般人にしてみれば、陰陽自内は言うまでも無く魔窟である。


 関東圏以外の人々にとってみれば、怪異や変異覚醒者達の実際の脅威なんて感じようもないわけで……その例外はゾンビが出たり、実害を被った関東圏、関西圏、北海道の関係者や民間人くらいだろう。


 だから、実際に陰陽自に来た人々は事前に幾らかの情報を仕入れていたりはしても大いに彼らの想像を遥かに上回る実態に周回遅れながらも百面相せざるを得なかったのだ。


 そんな今日も来ている食料生産者の代表者達が脂汗と憤懣と驚愕に疲れながら基地の通路を歩いている様子は隊員達にとってみれば、近頃加わった“愉快で奇妙な陰陽自”のワンシーンに過ぎなかった。


『あ、またが来てるみたいだな』


『言い方言い方。マズイですよ。アレ、一応はVIPパスで来てる人達ですし』


『それにしても何か田舎から出て来たスーツ姿のジジババって団体だが、一体どういう人達なんだろうな。何か補給部隊のとこの畑番や食堂の連中が物凄い睨まれたって話だが』


『ああ、アレは農林水産省のとこの紹介で来てる各生産者団体の人達ですよ』


『何で知ってんだ? お前』


『いやぁ、ウチの叔母さん。農協務めの大物やってたんですけど、この間偶然バッタリと通路で会いまして。同じような顔してたので思わず声を掛けたら、驚かれましてね』


『で、何しに来たんだ? 農産物の技術は順次卸していくって話だったはずだし、何か問題でも起きたのか?』


『あはは、問題は起きましたね。でも、技術的なものじゃなくて、善導騎士団とかの副業関係へのいちゃもんらしいです』


『副業?』


『ええ、善導騎士団東京本部に怒鳴り込んだ人達が責任者不在でこっちに回されて来たようで』


『一体、何が問題ったんだ?』

『それがですねぇ―――』


 農林水産省の課長級のおじさんが同席する中。

 責任者は多忙に付き数分お待ち下さい。


 というアナウンスを秘書役をしている明神から伝えられた各団体の重鎮達。


 地方の身形の良いおじいちゃんおばあちゃんという風体のスーツ姿の人々は自分達が入って来たのとは別の扉から入って来た騎士の正装姿の少年と後ろのカーキ色な完全武装の陰陽自用装備に身を包んだ美人な外人さんを見て、目を一度か二度、瞬かせていた。


 ベルの背後で素知らぬ顔で明神から微妙に視線を逸らしつつ、少年の秘書兼護衛を兼ねるミシェルが直立不動で立つ。


 元々、その位置にいるはずのハルティーナは先日から続けている車両や乗り物関連のデータ取りで基地内部を車両で走り回りつつ、人員などを移動させており、業務が終わるまでは戻って来ないという状況にあった。


 それから数分後。


 役人から話しを聞いた少年は老人達の座るソファーの前の執務用の机に座りながら、その胡乱な瞳になった常識的な日本人を前に陳情という名のクレームを直に聞く事となっていた。


「民業圧迫?」

「そうだ!!」


 頷く老人達の代表者らしき70代前半らしきグレーなスーツの禿げた男が大きく頷く。


 それに詳しい説明を求める顔になった少年へ役人の40代の男がハンカチを額に当てながら、苦慮している様子で詳しい事情を説明し始める。


「ええ、つまりですね。善導騎士団の全国への野菜の供給量が増え過ぎて、価格が不当に破壊されている。廉売だというのが皆さんの主張です」


「ええと、昨日の方達にご説明したような資料はもう農水省の方へお渡ししてると思うんですが……」


 この数日、同じような団体が引っ切り無しに来るものだから、少年は役人側へと色々と問題解決の資料込みでデータを送っていた。


「はい。確かに受け取っております。それでご説明申し上げたのですが、納得がいかないと。その上で責任者である騎士ベルディクトへの面会を希望されましたもので……」


 役人の汗は止まらない。


 出会って数日もすれば、その小さな騎士ごっこしている子供にしか見えない少年がヤバイを通り越した人物である事は多くの省庁から陰陽自に出向して来ている者なら理解出来るのだ。


 だが、それをサポートする立場の者が脚を引っ張っている。


 という情報が省側にクレームとして入れられようものなら、彼らの未来予想は必ずしも明るくないだろう。


 そもそも問題解決策は本省の検討会議でも妥当だと了承されたものなのだ。


 それなのにもう解決したはずの案件で今正に人類救済レベルのお仕事中な少年の手を煩わせたら、確実に彼らの広いようで狭い世界の中では無能の烙印を押されてしまうだろう。


 それなりに偉いはずの役人が子供にペコペコし切りの様子に一般人達は今までの『本当にこんな子供が責任者なのか』という疑念を幾らか払拭させた様子となり、だからこそ、逆に鋭く少年へと切り込み始める。


「騎士ベルディクトと言ったかな。我々は生産者の立場から、善導騎士団。ひいては技術開発を共同している陰陽自に陳情をしに来た。我々の主張の詳しいところをまず聞いて貰いたい。どうだろうか?」


「あ、はい。どういうご不満があるのか詳しくお教え下されば」


 すると、老婆の一人が立ち上がり、持って来ていたバックから取り出した陳情書らしき書類を少年の机へとそっと提出する。


 それを少し目で追った少年は彼らがどうして来たのかを何となく理解する。


「ええと、つまりは……各地の生産物の多様性が失われる、と」


「そういう事だ。農水省の方から各地の農協に伝達された事は全て知っている。その上で我々は反対の声を上げざるを得なかった。その内容を見れば、何が不満であるのかは分かって貰えると思うのだが……」


 役人は汗をハンカチで拭っているが、明らかにジットリと絞れそうだ。


 胃薬もきっと必要に違いない。


「確かに善導騎士団は現在、一日10万t単位で日本全国に生野菜を供給しています。ですが、専業農家や兼業農家の方々は政府から一定品質以上のものは全量買い取り。更に大規模経営、アグリビジネスも順調との話を聞いていますし、多くの農産品は食品ロス防止と食料事情的な生存戦略で全て缶詰になる。その上で地方の生野菜の8、9割は地産地消」


 少年は手元のファイルを取り出して先日検討していた幾つかの解決案を練る為に取り出した資料の情報に目をやる。


「それも価格は高価格帯で安定してますし、こちらが出している野菜は全て日本国内に流通する苗や種から作った普通の品種です。供給量も大都市圏に偏って供給を増やしてますし、缶詰化された農産物の価格も安定していて、全体的には缶詰化されなかった地産地消型の産品の価格を脅かす事無く。存在が消えていた低価格帯の野菜が復活しただけ」


 少年は数字をチェックしてから再び老人達に向き直る。


「確かに一時的にブランド系の産品の売り上げは落ちるかもしれませんが、順次技術を卸して地方全域、全ての農業従事者の間で低価格帯の野菜が造られるように計らいますし、それも恐らく1年2年以内になるでしょう。そのロードマップなども開示していたかと思うんですが……」


「ああ、それで納得した連中はいる。だが、コレを食べて貰えれば、分かるはずだ」


 老人達の一人が持ち込んでいたバックからタッパーを3つ取り出して少年の執務机に置いた。


「これは?」


「ABCの順に食べて見て欲しい。同じ漬け方。素材を生かす薄味の漬物だ」


 代表者の老人の言葉に変なものこそ入っていないだろうが、何かあったらと役人が思わず止めようとしたが、少年の後ろにいるミシェルが片手で制した。


 つまようじまで渡された少年がタッパーの中から確かに同じような大根の漬物を一つずつ食べていく。


 そうして、Cを食べた時点で首を傾げて、ちょっとだけ考え込んでから何かに気付いた様子になる。


「ああ、そういう……」

「分かってくれたかな?」


 代表者の老人に少年が頷く。


「つまり、善導騎士団の野菜が美味し過ぎるのがいけないって事ですね」


「美味し過ぎる?」


 思わず明神が首を傾げた。


「ああ、いえ、此処まで考えてなかったんですが、漬け物を食べて見れば解ります」


 少年が進めるので事の成り行きを見守っていた明神がつまようじを受け取って一つずつ試食する。


「………Aは普通。Bは美味しい。Cが一番美味しいですね」


「でも、コレ恐らくCとBの価格は逆なんですよ?」


「え?」


「低価格帯で出回っている野菜がC。高価格帯で出回っているのがB、Aは自家消費用とか、規格外品、あるいは今缶詰になっているモノ。ですよね?」


「そういう事だ。更に農水省からのロードマップで民間に技術は降ろされるとの事だったが、それは量に付いての代物だけだ。つまり、このまま野菜だけではなく。全ての食料品に付いて同じ事が起こり得る」


 明神が未だよく事態を呑み込めていない様子で困惑した表情になる。


「明神さん。この方達の言っている事は極めて妥当です」


「妥当?」


「一番美味しいものを一番低い価格で提供されてしまうと。それより味が落ちるモノは見向きされなくなりますよね?」


「え、ええ」


「でも、政府がそういう見向き去れない野菜の在庫を全量買い取りしていたら、どうなりますか?」


「え? それは……収入は変わらないかと思いますが……」


「そうですね。収入は変わりません。ですが、技術で大量に造られた野菜以外が全て缶詰になるとしたら……やがて、缶詰の生産量が飽和し、他の高価格帯の生野菜だとしても買取価格は暴落するでしょう」


「ああ、そういう事ですか? ですが、それでも買い取り保証はある程度の年数維持されるのでは?」


「政府も買い支えられないラインがあります。ですが、缶詰食が主流な現在はそれでも食料品の生産システムの大系は100%維持されます。人類が滅びる寸前ですから。古くなった缶詰から食料として食べる事も今では普通の文化です。じゃあ、売れなくなった高価格帯の野菜が全て缶詰に化けたら、一体何が起ると思いますか?」


「大量生産品の野菜ばかりが出回って、高価格帯の野菜は……」


「ええ、大量生産品の方が美味しいんだから、世の常として作る理由は激減します。その上で品種が淘汰されてしまう事は確実でしょう。何せ、ブランド力が一気に下落するんですから」


「ですが、技術導入時にある程度は味についても向上する育て方になるはずでは?」


「善導騎士団が大量生産してる野菜には栄養価が高くなるよう魔術的な育て方をしていて、開発されてる技術は栄養価よりも純粋に産品が高品質で安定して大量生産出来るようにしてるんです」


「つまり、善導騎士団の野菜はそういった技術で造るモノよりもかなり美味しい、と」


「はい。これを加味すると。今の僕らがやっている事は農業従事者の方々が護って来たブランドの野菜、地域の特産品を絶滅させるような事になりかねません。それは文化の絶滅でもあるでしょう。それが急激に起こるとしたら、怒鳴り込まれても仕方ない話です」


「………そこまでご理解頂けたなら、お解りですな? 即時、善導騎士団の農産物の出荷を止めて頂きたい。聞けば、畜産、水産でも大量の同じような計画があると聞きます。それも是非各地の生産者の意向に添った形で停止するか。もしくは計画の変更を願いたい」


 代表者たる老人の瞳は大真面目だ。


 今、自分の言おうとしている事をしっかりと理解した子供が、ただの子供ではない事を知り、その手は皺枯れても巖のように執務机に張り付き、その顔は少年を真剣な瞳で見つめている。


「……解りました。まず、生産に付いての貴重な意見は尊重する形にさせて貰います。ただ、今計画を大幅に変更するというのであれば、それは同時に日本国内の食糧生産計画に更なる手を加えるべきという事と同義です。それは構いませんが、計画の停止という事は有り得ません。また、大量生産技術は今後の人類規模での人口増加や人口回復時に無くてはならない技術でもあります」


「つまり、変更はするが、停止はしない、という事でよろしいか?」


「はい。その上で一つ試験的な試みを皆さんにして貰う事を今思い付いたんですが、どうでしょうか?」


「試験的な試み?」


 少年が頷いて全員に付いてくるように言って部屋から歩き出す。


 陰陽自研内部までの直通路にはもうハルティーナの駆る黒武が展開済みで待っていた。


『ベル様』


「ハルティーナさん。研究所の第七試験場へお願いします」


『了解しました』


 全員が載り込んだ事を確認したハルティーナがMBTを軽やかに発進させ、時速数十km程の速度で広大な地下通路を進む。


 老人達は誰もが目を丸くしていた。


 通路の枝別れた分岐先には幾つも試験場らしき場所が置かれており、中には彼らが知るような野菜を育てている場所もあったからだ。


 こうして数分で目的の試験場の入り口。


 巨大なハッチの前に辿り着いた後部CP車両内の全員が下りた矢先。


 少年を先頭にして歩き出せば、すぐに開閉。

 何重にもロックが外れた隔壁の先。

 最後の扉を潜った人々は眩しさに目を細めた。

 そして―――。


「な?!! 何だ!? 地下なのに空が!? それにこの暑さは夏?」


 老人達と明神、ミシェルが呆然と周囲を見渡す。

 彼らの目の前に広がっていたのは里山だった。

 山間の山間部にある農村のような場所。

 棚田が広がり、畦道の横には小川。


 だが、その建物の中にあるはずの世界には青空と夏の日差しを大地に恵む太陽があった。


 風もまた吹いており、その涼が熱さと同時に別の意味で一筋汗を流す者達の頬を撫ぜていく。


「騎士ベルディクト。コレは……」


「明神さんも知ってるはずですよ。大都市圏の要塞化計画の要は完全循環自立型のアーコロジーである事は……」


「そ、それは―――コレが本当に現実だと言うんですか!?」


 明神と少年のやり取りに老人の代表が思わず少年の肩を掴む。


「騎士ベルディクトと言いましたな。この魔法が一体、我々の陳情に対してどういう意味を持つのか教えて貰いたい」


「知りたいなら、こちらに付いて来て下さい」


 少年は狼狽えた彼らを引き連れて棚田の一角。

 田ではなく畑になっている一角にやってきた。


 そこでは白衣の袖を斬り落としてノースリーブにした男女が数人。


 野菜を収穫していた。


「ッ、騎士ベルディクト!!? おおい!! 皆!! 騎士ベルディクトがお越しだぞ!!」


「え!? い、今すぐ!?」

「ほ、本当ですか!? 教授!!」


 教授と呼ばれた50代の男と数人の若者達が同じ白衣姿でやってくる。


 その顔と手は幾分か土色に染まっていた。


「今日は皆さんの研究を使わせて頂きたくて参上しました。フィールドワークはそのまま続けて下さい。彼方教授。お話をして頂けませんか? 今やっている研究の事を……」


 彼方と呼ばれた男はモミアゲが長く。


 毛深い腕と少し彫りの深い顔立ちを日に焼けさせながら、大きく頷いた。


「分かりました。では、フィールドワーク用の小屋の方でお話を」


 こうして男に連れられて、数十m歩いた彼らが辿り着いたのは棚田の一番上辺りに建設されていた古民家だった。


 土間があり、竈があり、座敷があり、畳があり、縁側があり、庭があり、物干し竿があり、土蔵があり、野菜が育った畑のある如何にも“らしい”日本家屋。


 茅葺屋根で家の中央にある囲炉裏の上からはディミスリルの鎖で吊るされた鍋が置かれていて、台所では桶にスイカらしきものが入っている。


 囲炉裏の周囲には座布団が人数分敷かれて、すぐに彼方教授と呼ばれた大猿のような男は老人達に頭を下げた。


「農大で教授をしている彼方雄大かなた・ゆうだいと申します」


 名刺が渡され、代表者たる老人がようやく話してくれるのだろうかと少年を見やる。


「皆さんに分かり易く言うと此処は地球が物理的に人が住める星ではなくなった時の為に造る予定のシェルターを使って完全循環型の農業をしているプラントです。この中での住み込みでの生活そのものが言わば、人類が地球環境を失っても住めるかどうかの指針になります」


 いきなり、大きくなった話を前に老人達の大半はただ驚きと困惑に支配されていた。


「難しい話はこの際、関係ありません。彼方教授の研究が皆さんの懸念を新しい可能性に変えられるかもしれないと思い。此処に連れて来ました。彼方教授……此処で何を研究しているのか。皆さんに教えてあげてくれませんか?」


「はぁ、分かりました。何やらご事情がある様子。拙いプレゼン力ではありましょうが、微力を尽くさせて頂きましょう」


 一角の男が少年に敬意を払う様子を見れば、老人達もまた目の前の少年をもう誰も侮る気持ちにはなれなかった。


 ただ、若者達に敬語を使われている子供と言ってしまえる時期は当に過ぎている。


「こほん。では、失礼して。我々の研究は言わば、食料の生産サイクルの完全自動化です」


 老人達の瞳はその言葉を聞いて大きく見開かれたのだった。


 *


 男が語ったのは簡単に言えば、食料生産が自然の中で完全に自立して自動化され、その上で今現在、この地球上に存在する全ての植物を一度植えれば、永遠に収穫し続けられるように作り変えられるか。


 そういう研究であった。


「農業のプロフェッショナルである皆さんには釈迦に説法でありましょうが、接ぎ木で樹木に他の果樹の実を付ける枝を移植するというのは知られた方法だと思います。我々は元々が遺伝子工学。つまりはDNAの研究者なのですが、特に植物に関しての自立した機能の獲得を目指したプランを立案した研究室でもあります」


 男が室内の壁の天井から掛け軸のように長い長い床に付く程に長い紙の図を広げた。


 その中には無数の植物の名前が系統樹のように書き込まれている。


「そうですね。簡単に皆さんに分かり易く言えば、もし大根が一つの根から大量に無限に育てて採れるように出来るか研究していると言えます。根菜類、ニンジンとかゴボウとかが、もし種一粒から無限に取れるとしたら、皆さんはどうしますか?」


「ど、どうって……」


 先程まで大量に供給し過ぎるなと釘を刺しに来た老人達からすれば、かなり憤るべき話なのだったが、代表者の老人は静かな瞳で考え込み、答える。


「捨てる羽目になるくらいなら作らんな」


 その言葉に彼方が更に問いを重ねる。


「では、作れる数が自分で決められたら?」

「作るかもしれん」


「じゃあ、更に作る野菜が通常よりも簡単に収穫出来たら?」


「そりゃ、腰に優しくて助かるな」


「その上で今、皆さんが収穫している全ての種類の野菜が今の条件で、どう思いますか?」


「そりゃ、嬉しいに決まっとる。だが、現実的にそんな事はふか―――」


 思わず代表者の老人がこの“魔法使い”連中を前にしたら有り得るのかと押し黙るしかなかった。


 それを機に彼方は老人達に何処の出身かを聞き。

 更に故郷の名産の野菜の名を訊ねた。


「では、15分程待っていて下さい」


 そうして彼が彼方が席を立った後。


 沈黙の中で待っていた老人達の前に彼方がザルに入れたニンジンやカブなどの根菜類や茄子などを持って来た。


 それを視た老人達の目の色が変わる。


「こりゃぁ、ウチの故郷の野菜じゃないか!? 此処で収穫しとるのか!?」


 形を見れば、一目瞭然という品種だったらしく。


 老人達は此処で大量生産されていたのだろうかと気色ばむ。


「まぁ、まずは食べてみて下さい。話はそれからです。この野菜の収穫場所に連れて行きますので」


 そう言って、彼方がサバイバルナイフを腰から引き抜くとあっという間に土を落としてきた野菜をスライスし、台所から味噌と塩を持って来て、野菜スティックの形で全員に振舞う。


 それを食べた老人達は確かに自分達の故郷の野菜であると理解した。


 それも申し分ない。

 どころか。

 本家よりも更に旨い。

 張り、見た目、味、糖度。


 全てにおいて確かにホンモノでありながら、彼らが食べた事の無い程の高品質であった。


「こんなもん市場に出されたら、ワシらは死ぬしかないじゃないか」


 老人達の一人がそう呟く。


 それに賛同する老人達の様子に彼方は全員を家の裏に案内した。


「何だコレは……!?」


 彼らが視たのは大きな樹木だった。


 まるでバオバブのような太く固い幹と常緑広葉樹のような青々とした丸みを帯びた葉。


 更にその根元には幾つかの根菜類の葉が生えており、果樹らしい枝の先には見事にリンゴ、ナシ、モモ、バナナ、ココナッツ、レモン、呆れる程に多種多様な品種の明らかにおかしな果樹の類が無数に成っている。


「―――何じゃこりゃぁ……」


「皆さん。先程、皆さんに振舞った野菜は10分でこの樹木から作りました」


「な?!!」


 老人達が今度こそ息すら止まったような様子で固まる。


「ですが、これは皆さんの故郷の種をこの樹木に込めて作ったものでもあります」


「い、一体どういう―――」


「我々人類は今のところ、まだ食糧生産において限界を迎えてはおりません。ですが、政府は人口の維持の為に多くの子供を人工授精や代理出産のみならず、機械での代理出産までしようという計画を推進しています」


 少年が虚空にソレ関係の技術進歩を告げる新聞の情報を虚空へ表示してみせる。

 それだけでも随分と老人達には驚きだろう。


 正しく未来の技術が此処にあると理解するにはすぐであった。


「新聞などでは盛んに取り上げられていますよね? そして、いつか人類の人口を増やさねばならなくなった時、急激に食料の生産量を増やすのは難しい。旱魃、水害、台風、環境の激変……皆さんの故郷の幾つかでは既に多くが被害を被っているのは知っています」


 彼方が老人達を前にして真摯な瞳で続ける。


「この樹木……此岸樹しがんじゅ……【HMPハイ・マシンナリー・プランツ】はあらゆる植物の要素を短時間で果実や可食可能な部分に限って実を為らせる魔法の樹です。漫画やアニメや物語の中にしか無かった樹です。ですが、この樹には欠点があります」


「欠点?」


「幾ら自動化しようとしても最終的に人の手が必要なのです。それも寿命は人が死ぬまで程と普通の樹木よりも短く。その上で性質上、ただ維持する以外で食物を大量生産するには相応の肥料が必要で、更に大規模に大量の別品種の作物を生産しようとすると途端に管理が複雑化してしまう」


 彼方が縦10m横幅4m程の樹木を見上げて目を細める。


「果樹以外の植物を生らせる時にはその野菜に必要な肥料を要求し、その肥料が間違っていれば、出来の悪いものしか出来ず、味も落ちてしまう」


 男が白衣から小さな種を取り出して此岸樹の樹木の割れ目に押し込み。


 横に置かれていた肥料の袋と水の入った如雨露を使い、何も生えていない地面の上に肥料を撒いて鍬で混ぜてから水を慎重に掛けた。


 すると、すぐに異変が起きる。


 樹木周囲のフカフカな土の上に目が出たかと思うとまるで長い年月をずっと映し続けたカメラが捉える映像染みて、高速で野菜の葉らしきものが育っていた。


 それを男が途中で引き抜いて如雨露の水で洗い、代表者の老人に差し出す。


 それをおもむろに齧った老人が一言。


「マズイ」


「ええ、最適な肥料でも水加減でもありませんでしたから。更にこの樹木は取り込む種の数ではなく。最初から決められた数の実しか生らせない。気難しい樹でもあります」


「気難しい、か」


「はい。ですが、皆さんが美味しいと言って下さった故郷の野菜の味を再現する事も出来る。ただし、大規模には不可能です。生産量も面積辺りでは通常の露地栽培に劣ります。他の植物が植えた周辺数mから排除されるからです。他の植物との共生がかなり難しい。雑草などを取る必要が無い反面、他の作物がある畑には植えられません」


「………」


「例外は同じ此岸樹ですが、これも他の植物を育てている此岸樹同士が傍にいると途端に互いを排除する環境フェロモンなどを出してどちらも枯れてしまう」


「………」


 彼方が老人達に向き直る。


「今の技術の限界です。ですが、単一品種に限って数量を限定し、最低限の肥料と水を与え続けられるなら、例え零下-20℃だろうと、身が茹りそうな60℃以上の灼熱の大地だろうと、日照不足であろうと、必ず実は成ります」


「………」


「この樹に種を押し込めば、受粉は必要なく、短時間で成果を得られる。雑草も害虫も寄せ付けません。害獣は考慮して頂く必要がありますが、それは今の農業環境では予算さえ下りれば、どうとでもなるでしょう」


 彼方が再び種を肌に埋め込んで肥料と水を傍の土に与える。


 すると、すぐに大根の葉が伸びて来た。


「急速成長した可食部は食べ頃になってから必ず数日の保存が効きます。そういう栄養素を多く含むようにしてあるので」


「日持ちせんもんも出荷出来るって事か?」


「ええ、肥料も土に馴染ませて、すぐにこの樹は吸収してくれますので時間を待つ必要もありません。連作障害に関しても基本的には1日だけ何も成らせなければ、周辺土壌の状況はフラットな状態に戻ります」


 大根を収穫して如雨露の水で洗った彼方が再びナイフで切り分けて、老人達に大根を味見させる。


「………旨いな」


「この樹は元々、前々から構想していたモノの一つでした。ウチの実家の周囲は過疎化が酷く。農作業の重労働に耐えられない老人ばかりで多くが廃業しました」


 彼方が遠い目をした。


「専業で食っていけるモノは極僅か。それも寄る年波には勝てませんでした。ですが、この樹木は良いものを求めないのならば、そこそこの生産量を誇り、手間を掛ければ、一粒の種から永遠に同じ作物を収穫し続ける事も出来る」


 老人達を前に彼方が視線を向ける。


「兼業農家。専業農家問わず。夏や秋の重労働な畑仕事で死んでいる方も多い。ウチの祖父もそうでした……誰もいない畑で重労働が祟って……ですが、この樹ならば……例え、高齢者が一人で世話をする程度になったとしても実を付けてくれるでしょう」


 彼方の瞳に老人達はもう静かになっていた。


「毎日一時間もせずに収穫出来て、必要な分だけ必要な量だけ植物を作り続けられる。面積がいる穀物類などすらも可能なのです。その農業残渣も土に混ぜれば、数日を待たずに肥料として吸収される。それこそただの生ゴミならば、肥料として使えるでしょう」


 こうして男の言葉が終わった後。


「皆さん。この樹は今彼方教授が言った通り、不完全な代物です」


 少年が老人達の前に進み出る。


「でも、今まで皆さんが行ってきた農業を更に勘弁にしてくれる代物でもあります。ただ、栽培のノウハウが必要です。僕が食べた感じ、今出回っている低価格の野菜よりも美味しいというレベルまで味を出せる技術はこの樹だけでしょう」


 代表の老人が少年を見詰める。


「コレをやるから、黙れと?」


「いいえ。市場への流入量は半数以下に減らします。ですが、この樹木を専業農家、兼業農家、あらゆる人を問わず。日本国内の農業従事者の方々全員に無料で配ろうかと思います」


「無料?」


「はい。コレはゾンビに日本が占領されたとしても、決して途絶えない食料生産の要となる力……滅びを回避するツールなんです」


 少年は荒野と化していく北米の世界を瞳に思い浮かべる。


「この樹木を上手く使おうとするならば、それは企業や大規模農業を行う人々ではなく。今、その技術と知恵を持ち、農業の未来を憂い、故郷の味と文化を護り続けたいと願う方が適任でしょう。大規模農業との差別化も可能です」


 少年が老人達を見やる。


「例え、一人一人の生産力が知れていても、その生産量がそれなりで大規模農業を上回る上等な品質の作物が日夜市場に並ぶなら、消費者は決して大量生産の低価格品にだけ流れたりはしません」


 少年を前にして老人達は初めて、その瞳に宿る色を見た。


 それは少なくとも人生経験を積まねば出来ぬものだろう。


 何かの決意を宿した男の顔に彼らはようやくと心から思えた。


「詳しい事は家で詰めましょう」


 少年が役人の方を向く。


「各省庁への横断的な打診をこれからお願いするかと思います。明神さんと共にどうかよろしくお願いします」


 頭を下げた謙虚なのか大胆なのか分からない少年に慌てて男も頭を下げた。


「さ、帰りましょう。昼食はこちらで摂っていって下さい。実は少し生らせ過ぎた野菜が多くて困っていたんです。皆さんで召し上がって下さい。天婦羅、漬け物、炒め物、サラダにフルーツポンチ、麺類でどうでしょう」


「そこまで手作り出来るのかね?」


 老人に彼方が頷く。


「醤油や味噌、酢、酒こそまだ持って来たものですが、それも何れ手作り出来るでしょう。砂糖は天然の黒糖。小麦粉や蕎麦もあります。実は蕎麦を打つのが近頃は趣味でして。ご婦人方も若いのに料理のレパートリーをお教え頂ければ、我が研究室の食卓も少しは改善するかもしれません」


 ユーモアを交えた彼方の音頭取りで彼らは古民家に戻っていく。


 それを見送る少年を背後から見ていた明神とミシェルはふと横の女を見て、互いに同じ事を思っているのだろうと苦笑し……しかし、慣れ合う事はせず。


 もう視線すら合わせずに少年の背後にピタリと狛犬のように付けたのだった。


 その後、世界の食糧事情を良い意味で激変させていく会議が……いつかの歴史の教科書で史実として載るかもしれない話し合いが、和気藹々とした料理の香りの中で進んでいく事になる。


 その日、彼らの昼食に出た天婦羅とざるそばの定食は彼方研究室定番メニューとして引き継がれていく事になったのだった。


 *


 ―――現在。


 人々が非難を終えてから数十時間。

 ゾンビ達は今も激しい交戦を繰り広げていた。

 片や大量のゾンビが波のように押し寄せ。


 片や少数精鋭の強力なゾンビが連帯して強固な防衛線を築く。


 そこがもしも田畑の多い都市部から離れた郊外でなければ、市街地の只中だったならば、合戦と言うような様相は呈していなかったに違いない。


 数頼みのゾンビ達は包囲から分断各個撃破を戦術として、もう片方の少数のゾンビ達は遊撃機動、攪乱からの敵軍の遠距離攻撃での殲滅が主眼だ。


 どちらも高度に組織化され、隊列を組み、散兵戦術で広域に戦力を配分。


 数の多い方は【アーム】【シャウト】【アヴェンジャー】【ライト】【コア・ライト】という同型ゾンビの総結集であり、山間部で山岳を踏破しながらの機動も素晴らしく。


 相手の分断と包囲殲滅のお手本のような戦力移動で堅実な戦いぶり。


 片や遠距離から緑色の粒子を用いたビームにも見える砲撃や小数ながらも打撃力の高い駒を揃えた新規に確認されたゾンビ達は個体毎の能力の高さを生かして最小単位のユニットを巧みに用いて相手の分散を誘い。


 その移動しながらの包囲殲滅を企図して仕掛けて来るゾンビ達を機動力で引きずり回しながら各個撃破、距離を取りながら膠着を誘っていた。


 囮となる個体を使い捨てながらの消耗戦と広域に広がり過ぎるよう誘導されたゾンビ達の多くは警察と陸自、更に追加投入された陰陽自の包囲部隊によって着実に殲滅されてはいるが、何分数が多い。


『Zの減る気配がありません』

『何処かに生産設備もしくは“出入口”があるな』

『例の別空間からの投入ですか?』

『ああ、転移戦術と同じだ。あちらは恒常型なのかもしれん』

『抑え切れてはいますが、数が一気に増えると厄介ですね』

『今は間引いていくしかないだろう』

『狙撃部隊も交代制にしますか?』

『ああ、3時間交代でやらせろ』

『了解です』


 ゾンビを食い止める事は出来ていたが、それでも何処の包囲地域でも殲滅までには至っていなかった。


 その大きな理由の一つは山間部にある町村の幾つかが大量のゾンビ達によって護りを固められており、まったく数が減らないからであった。


 小規模精鋭のゾンビ達は町村から少し離れた場所を拠点にしているようだったが、その山間の施設近辺は防備が固く。


 ビーム染みた防空射撃と同時にとにかく強固な防衛網を築いており、近付いたドローンや侵入しようとした陸自の先行偵察部隊が被害に合っていた。


『陸自のレンジャー部隊に被害多数との事です!!』

『救援に向かう!! 【黒武】を盾にして撤退を支援するぞ!!』

『了解です!! 【黒武】04はただちに指定座標に向かわれたし』

『遂にゾンビが魔法かSFか分からん兵器を使い出したな』

『ですが、それは我々とて同じ事でしょう』


『違いない。陰陽自研での解析待ちだな。不用意に近付くなと徹底させろ』


『了解しました!!』


 陰陽自は転移戦術による強行突破という事も視野には入れてあった。


 だが、今現在相手の数に底が見えない既存ゾンビの群れと敵対している新規確認ゾンビ達を殲滅した場合、一気に戦域のバランスが崩れる可能性や街や村に間接的な被害が及ぶ可能性も考慮せねばならず。


 事態は膠着。


 最終的には半径4kmの山間部が円形状に封鎖され、僅かに溢れて来る同型ゾンビ達を遠方から打ち殺し、ハンティングするのみに留まっている。


「………」


 そんな最中。

 封鎖された村の内部。


 大勢である方のゾンビ達はまるで警邏のように道を巡回してはいたが、人間を襲う様子もない異様な光景が広がっていた。


 建物内部で震え上がっていた人々は次々にSNSやメール、電話の類で助けを求めていたが、善導騎士団も陰陽自も大規模な攻撃は仕掛けられず。


 国家非常事態宣言こそ発令されたものの。


 半ば人質に取られたに等しい平均69歳以上の高齢者達は半ば、覚悟を決めて家の中に引き籠っている。


『一体、村はどうなっちまうんだ』

『畑にも出られないしねぇ……』

『だが、娘達が帰って来てない時で良かった』

『ええ、本当に……』

『………もしもの時はお前……一緒だ』

『はい。あなた……』


 事態が発生したのが二日前。


 食料はまだ尽きていなかったが、少数ゾンビ達の陣地を中心に町村のある地帯一体で転移が不安定になるか封じられるという事態が発生。


 魔術を用いた使い魔や通常のドローンも山岳部からのビーム砲撃で撃ち落とされてしまう為に突破も物資の流通も滞っていた。


 水は山間から引いている為、まだ大丈夫らしかったが、生活必需品……特に老齢の村人達は薬が無いと体調を壊すかもしれず。


 何とか内部へ物資を届けねばと封鎖現場では議題になっている。


「………」


 そんな中、ゾンビに占拠された村に奇妙な男が一人。


 体調を崩した老人のいる家々を回っていた。

 ピンポーンと誰かが玄関先で来訪を告げ。


 それでも鍵が掛かって出て来ないところに鍵をどのような技か。


 即座に開けて内部に上がり込み。


 震えて包丁やゴルフクラブで武装する老人達を前に何やら何処からか取り出したホワイトボードにナオスと微妙に歪んだカタカナを書いて、具合が悪そうな老人達に手を当てて、輝く魔方陣のようなものを展開、相手が楽になって癒された後、スタスタと出ていく。


 そんな光景が繰り広げられたのだ。


「………」


 外部との連絡は継続されていたが、そんな話が包囲部隊に伝えられ、その詳しい中身を確認した者達は一様に無言であった。


 頭部に角を持つ全体的に灰色な姿の二枚目な風貌のオッサンが魔方陣、正確には治癒系の術式を用いる魔術方陣を展開しながら、老人達を癒している姿は正しく相手が魔族である事を示している。


(こいつはクアドリスの手下か?)


 包囲部隊の隊長として現場指揮を執るクローディオが現場からスマホやPCのカメラで送られてくる映像に目を細めた。


 現在、膠着した状態を打破する策が本部では練られているが、事実上は不可能という事で日本政府にも伝達されている。


 理由は純粋にして単純。


 日本政府が緊急時で無いならば、突入による死人を出来れば出して欲しくないという一線は譲らなかったからだ。


 この短期間に北海道で莫大な死者を出した米国やロシアと同じように日本人にも数万人単位の死傷者が出ていた。


 それもゾンビ化しての殲滅によって遺体が残っているのは稀という状況。


 続いて日本国内でもゾンビ化を防ぐ為とはいえ、善導騎士団の威力が向けられる恐怖そのものはある程度浸透しており、内部の人間がゾンビによって護られているような奇妙な現状を前にしては不用意に動いて死者を出すのは得策ではないという声は民間からも高まっていた。


 転移戦術が半ば封鎖され、制空権を取られ、二つの勢力が食い合い、人質が取られているが、人質達をゾンビが護ってもいるという複雑怪奇な状況は現在の日本の現状を反映して、現実的な犠牲を出さない突破方法も無いという事実から奇妙な膠着を全ての人々に強要していたのである。


 そして、今彼らの前に事態の停滞を更に推し進める因子が展開される。


敷也善しきなり・よしだ。先日ぶりになる。騎士ベルディクト』


「はい。お加減は如何ですか?」


『ああ、あの角持った若者に手当されてからは良いようだ。試験栽培用のキットはもう届いていて、成長促進剤も投与済み。これから本格的に食料の生産体制に入る』


「そうですか。赤鳴あかなり村全体の食糧は一応缶詰が8か月分あるようなんですが、何分穀物類は多くありません。それに缶詰は水煮よりも味が濃いものばかりで生野菜も今の時期は収穫が終わってますから、生鮮食品、野菜と穀物の確保はそちらでお願いします」


『任されよう』


 現場から遠く離れた東京の対策本部内。

 少年は代表者であった老人。

 敷也と名乗る男に頷いた。


 先日の件で全国に此岸樹を配布する前に様々な食糧の試験栽培とノウハウの確立を行う為、日本各地の協力機関や農協関係者などに配布した種は既に男の内の裏庭で樹木となって聳えているとの事。


『此岸樹が育ち切った時で良かった』


「僕らの落ち度です」


『テレビくらい見とるさ。善導騎士団が昼夜無くゾンビを包囲してるってな』


「救出までに時間が掛かるかもしれませんが、必ず其処まで隊員がお迎えに上がります」


『ああ、期待しとる。だが、若者が無駄に命を散らさんように頼む。此処らのは老い先短い連中ばかりだ。その為に若いもんが死ぬのは悼たまれん』


「ありがとうございます。心配して下さって……」


 まさか、自分がゾンビのいる地域で必要に駆られて育てる事になるとは思っていなかった敷也であったが、自分達の村の置かれた状況をベルから聞かされるに至り、解決まで時間が掛かるとの話に長期の栽培を命掛けで行う事を彼らに打診。


 それを了承した善導騎士団は出来る限りのバックアップを行うと事実上の隔離地域での食料生産計画を承認した。


 幸いにして日本全国のありとあらゆる種や魔術で凍結された苗が関係者には共に配布されている。


 それを用いての村人への食糧供給は可能。


 肥料に関しても事前に数年分が送られていた為、水と手間さえあれば、いつでも生産計画はスタートする事が出来た。


「では、これから幾つかの地域でノウハウを共に確立している方々に繋ぎますので、専門的な事はそちらの方達と相談して下さい。電力供給が続く限りは家の電話やスマホ、PCなども繋ぎっ放し、使いっ放しで構いません。各インフラと情報通信産業、電力産業の方達とは話しが付いていますので」


『分かった。村人達は家族みたいなもんだ。決して飢えさせん。これからよろしく頼む』


「はい。こちらこそ。何かあれば、すぐに声を上げて下さい。外に出る時はスマホを忘れずに」


『分かった』


 老人が善導騎士団が使うサーバーを用いて外部との関係者との連絡を開始したのを機に少年は現場である中央指令室から出た。


 事前に察知出来なかった魔族とBFCを名乗る者達の同時襲撃は1か所だったが、BFC側の攻撃は北海道、東北、関東、近畿、四国、中国、九州と広範囲に渡った。


 攻撃と言っても彼らが何処からか湧いて、拠点化した建物の周囲から人間を追い立てるように封鎖したという事であって、周辺都市を襲うような事は無かった。


 少数のBFC側のゾンビ達は東北から関西圏まで次々に善導騎士団と陰陽自衛隊、米陸軍によって対応された。


 拠点化寸前であった元厚労省管轄の施設毎、大規模な誘導弾の飽和攻撃と遠距離からの【黒武】HMCCの砲撃で潰されたのである。


 だが、今現在、四国、中国、九州の西側では完全に防御態勢を取った敵の拠点で大量にゾンビが発生し、周辺地域を制圧。


 避難時に重軽症者こそ出たが死人は無しで何とか避難は完了。


 しかし、陰陽自衛隊にも善導騎士団にも重傷者が複数出た事で消耗を抑制する包囲戦となっていた。


 幸いにして新型ゾンビは組織だった動きこそしているが、今のところ戦域を広げるような動きはしていない為、遠巻きに囲い込むだけで事態は膠着。


 唯一、魔族側の同型ゾンビが同時に出た中国地方では互いの戦力を食い合ってkm単位にまで戦場は広がっていたが、他は精々が半径300mというのが良いところだろう。


 こうして西日本の各地では今も陸自、陰陽自、警察による合同の対策本部が設置され、相手の監視に努めていた。


「ふぅ……」


 やっぱり、この二日寝ていない少年は状況がこれから長く続く事を予感していた。


 とにかく、魔族側の人質が取られた地域は一つだけだった事は幸いと言っていい。


 だが、それよりも恐ろしいのはBFCによる戦域殲滅可能な攻撃だ。


 拠点化された場所に戦力を集中投入して潰さないのは東京が被った被害から相手を下手に本気とさせない為でもあった。


 東京23区内に突如として現れた巨大な溶鉱炉の大穴は区の地下インフラを根こそぎ破壊して今もゆっくりと冷めている最中。


 とはいえ、その威力に震撼してばかりも居られない陰陽自と善導騎士団はあっちこっちに戦力を分散しての戦闘となり、消耗を余儀なくされていた。


 まだ人死にこそ出ていなかったが、薄緑色の粒子を用いたガントレットのビーム砲撃は一種の純粋波動魔力による物理転化作用を用いる攻撃に等しく。


 装甲や盾で防げこそするのだが、その超高出力の一撃は不用意に市街地へ着弾するとクレーターが出来かねない為、避ける選択肢が無く。


 現場では攻撃が飛んで来たら防御し続けねばならなかった。


『うへぇ……ウチのご自慢の盾が赤熱化してやがる。魔力残量はまだまだあるが、熱量も威力もとんでもねぇな……あの緑色のビーム』


『よく無事だったな。不意打ちだったんだろう?』


『ちょっと高く跳び過ぎた。陰陽自研にこいつは送るそうだ』


『盾以外に直撃した連中は下半身の一部と腕が炭化したらしいぜ』


『多重の防御方陣と肩以外の標準装甲を抜けてくるのか。オレも死ななくて良かった……』


『まぁ、連中は精密検査後、三日後には此処へとんぼ返りらしいが……』


『ハハ、しょうがねぇよなぁ。すぐ治るんじゃなぁ……』


『さっきの死にそうな悲鳴も聞こえんのだから、騎士ベルディクトに感謝する事だな』


『銃弾より痛そうだ。くわばらくわばら……』


 日本全域を巻き込むようなBFCの侵攻ではあったが、先日の魔族側が引き起こした災害に比べれば、被害は物損のみに留まった事。


 また、被害にあった東京や関東圏、北海道の住民の避難活動が規律だっていると報道されていた事も幸いして、多くの民間人が避難に協力。


 無駄に混乱も無く。


 戦域から避難した人々は今も市内の善導騎士団が即興で立てた関東圏内にあるのと同タイプのシェルターで暮らしている。


『はーい。押さないで下さ~い』

『部屋は人数ありますので~~』

『検疫にご協力下さ~い』


『舌でこの検査機に付けた使い捨ての紙を舐めるだけですので~』


『善導騎士団製ですから、安全安心時間も掛かりませんよ~~』


『あ、ちなみにブランドのイチゴ味とブランドのメロン味とチョコバニラ味ですから美味しいですよ~』


『はーいお嬢ちゃん怖くないからね~~この紙をペロペロしてねぇ』


『ママー。これ美味しい!!』

『あ、食べないでね~~これは検査用だからね~~』


 関東圏内の建造物のデータはこの数週間以上ずっと収集されていた為、東京の被害地域の建物を復興する事も善導騎士団ならば可能だと日本政府も保証に動き。


 今は建物の所有者の確認と一括しての区の再生の為に陰陽自研が区内の建築データをブラッシュアップし、要塞都市機能を組み込んで再設計している最中。


 数日中には建物に限って再建が完了する旨となっていた。


 これが今現在は初動対応時から防衛プランには組み込まれており、近隣の村落や旧市街地のインフラは緊急避難措置として善導騎士団の権限で要塞化。


 更に避難したくないとか。

 あるいは出来ないとか。


 諸々の事情がある人々に対しては『危険はあるものの、要塞化した村落と建物に住まうのならば、残る事を許可する』という日本政府の方針の下。


 急ピッチで村落のディミスリル合金による防衛設備と小規模シェルターなどが供えられ始めている。


「初期対応はこれで完了。結構、この身体って疲れ易いのかな……」


 今現在、少年の本当の身体は東京本部の私室に安置されていて肉体は引き続き、少年の肉体を模したハイクオリティーな分身が担っている。


 最初に使っていた身体は陰陽自研でデータ取りの調査中。


 二体目の身体である。

 しかし、いつもの肉体とは勝手が違う為か。


 疲れる事が多くなった少年は精神的にこそ大丈夫ではあったが、肉体の発する疲労を受け取っては徹夜が堪えるモノである事を身を以て知った。


「でも、あんまり疲れないようにするのと、疲れ過ぎない事も逆に防止しないと……精神的に休みも取らないと色々バランスが難しい気が……」


 少年は善導騎士団東京本部のメインシャフト。


 巨大な大穴に沿って存在する18機のエレベーターの一つに乗り込む。


 内部からはシエラの全包囲の投影技術を応用してシャフト内のリアルタイム映像が流されており、基本的には薄暗いが上に行けば行く程に明るく昼の日差しを照らし出していた。


 少年は静かにエレベーターが到着するまで現状の状況を脳裏で思い起こす。


 最初期の対応が間に合ったのは行幸。


 現状の部隊の総指揮はクローディオに一任されており、フィクシーは日本政府との全体会議に出席して以降は後詰として東京本部内で待機任務中。


 政治側の折衝は全て副団長の秘書役達が行う事で滞りなく現状は維持されていた。


 関東圏に響いたBFCの宣戦布告に等しい言葉と不穏な単語に付いて世間はあれやこれやと賑わっているが、断定するには裏付けも取れていない。


 言葉をその通りに受け取れば、【戦線都市バトル・フロンティア】の生き残りが存在し、空間を超える場所に潜伏し、その上で人類をどーにかこーにかしようとする立場にあると胡坐を掻いて、東京の人間を何かの計画や設定の為に皆殺しにしようとした、という事になる。


『報道官!! 政府は今回のBFCを名乗る者達の事を知っていらしたんですか!!』


『そ、それは現在目下のところ調査中でして。え~~~その……』


『先日から不祥事続きで政権の支持率は下落していますが、今後の中間選挙に向けて何かホワイトハウスや与党は具体的な情報公開を行う用意はあるのでしょうか』


『そちらは後日、発表になると思いますのでその時に~~』


『報道官!! 一部報道によりますと善導騎士団との具体的な米善軍事協定の策定に総務省と法務省、外務省が動いているとの話が出ていますが、事実なのでしょうか!!?』


『それも後日、発表となっていますので、この場では差し控えさせて頂きます』


『一体、何なら答えられるんだ!! 後日後日って先日も39回程同じ答弁をされてますよね!!?』


『すいませんが、今答えられる事は―――』

『ギャーギャー(国民の知る権利を護れ的な大合唱)』


 この特大のスキャンダルで今現在の米国は対応に追われており、北海道での事も相まって日本側からは不信の感情が噴出。


 米政府は正しく針の筵状態で15年前のゾンビ誕生の一件や戦線都市に付いての情報開示の突き上げを喰らっていた。


 これは米国民からの要望でもあったが、米政府は知らぬ存ぜぬ分かりませんの徹底スルー領域を展開しつつ、過去を知っている人間の多くが雲隠れしたり、逆に別の罪を告白して監獄に入ったり、病院に心神喪失等と精神病を理由に引き籠った。


 四面楚歌。


 そう呼ぶに相応しい状況だが、米政府は同時に調査報告はすると国民に確約し、期限を区切らずやるので今は大人しくしててね、という類の声明を発表。


 一応の不満の爆発は防がれた。


 もはやBFCを語るテロリストの戯言だ、という類の言葉すら米政府が吐けなくなっていたのはネット上では驚きを以て迎えられたが、納得もされただろう。


 今の今まで失墜しまくった権威が此処に来て、嘗て味方だったはずの相手の暴走で東京の一区画を消滅させる事で弾けた。


『ママァ。また、HBCで報道官が泣きそうな顔で困ってるよ』


『この人も大変ねぇ……(・ω・)』


『あ、そう言えばさ。ママが言ってたチョコバー? っていうの? アレ、何だか善導騎士団製で売り始めたんだって』


『まぁ、そうなの? チョコが……もう食べられないと思ってたのに……』


『何だかさぁ。甘味の大量生産技術があって、北米から輸入してるんだってさ』


『じゃあ、ロスやシスコ産なのかしら? こっちにも出回るといいわねぇ……』


『チョコってどんな味すんの? あんこやダイフクより美味しい?』


『同じくらい美味しいわよ。日本にもショコラティエはいたんだけど、チョコが無くっちゃあ仕事にならないって本業は止めてパティシエになっちゃった人もいるのよね。代用チョコや白チョコも出回らないし』


『ふ~ん。ヒューリア印らしいから、今度学校の社会見学でベルズ・ブリッジに行ったら、買ってくるね。楽しみにしててよ』


『ありがとう。でも、ゾンビやZ化した海獣には気を付けるんですよ』


『は~~~い』


 誰もが米政府が隠している事を知りながらも、その大きさや影響力や現状の分裂したり、内紛したりの時点で人類絶滅の序曲になる事を理解する故に最後の一線は踏み込まなかったのだ。


 それは善意や知恵というよりは防衛本能のようなものなのかもしれず。


 誰かがその問題を解決するまで放置されるのは決定事項。


 人類生存の為の総意。


 人々の心からの要請、というようにも捉えられていた。


 まだ事態が起こって2日。


 しかし、善導騎士団の上層部や現場からすれば、もう起こって2日。


 事態が長期膠着で停滞する事が誰の目にも明らかな状況であると共有され始めた事で包囲部隊以外の善導騎士団、陰陽自の人員はシフトが通常通りに戻った。


 魔族側の動向がネットで普通に村内部から配信されている事も相まって、ファンタジー世界の住人がゾンビと関係あるという話が浮上。


 善導騎士団には今まで一般には知らされていなかった出生地に関する質問や魔族おにに関する情報の開示が要請され、それに付いて日本政府との間に協議を重ねた副団長の秘書達は二週間後に調査結果を公表する、という時間稼ぎに傾いた。


 こうして、何もかもが先延ばし工作、停滞、黙殺という手段によって破滅に至りそうな案件の引き金は回避され続けている。


(出来る事を地道に一つずつ。今は他の人の手も借りて……みんなで解決していかないと)


 少年は仕事に追われながらも自分に出来る事はしなければと武器兵装関連の研究施設に向かうべくエレベーターの到着と同時に外に出ようとした。


 その時だった。


『うぁ~~~此処が東京本部かぁ~~でっけー』

『此処がヒューリ姉ーちゃんのハウス……(ゴクリ)』


『男子~~ちゃんと年長の見習いの人達に付いてってよ~~』


『もう見習いじゃないんだけどな』


 ベルはゾロゾロと東京本部の所属ではない少年少女の群れと出くわした。

 何故、分かったのか?


 簡単だ。


 近頃は使う事も少なくなった英語が翻訳術式で流れて来たからだ。


『あ、ベルディクト=サンだ?!』

『あ、ヒューリお姉ちゃんの旦那さんだ!!?』

『え? 結婚したんだっけ?』


『え~知らないの~~? 最新のヒューリア時報に載ってたよ? 今は家族が出来たんだって』


『はぁあぁああぁあ!!!? ま、まさか、子供が出来たってーのか!? う、嘘だぁああぁ!? ひゅ、ヒューリア姉ちゃんは、野菜の聖女様はお、お腹が大っきくなったりし―――』


 何やら騒ぎ出した一部男子が女子によってボコボコにされ、ササッとノックアウト後に少女達の壁の背後に隠される。


 少女達はニコヤカだ。


「ああ、騎士ベルディクト=サン。おはよう。ござい。ます。キョーはイイテンキーですね」


 日本語に切り替えたらしい少女の一人が背後の色々は無かった事にして話し出したところで我に返った少年は『ヒューリア時報って何だろう……』とか思いながらも、引き攣った笑みで手をヒラヒラと振って。


「が、頑張って下さいね」

「ハ、ハイ!! ガンバリマス!!」


 少年少女達にエレベーターのハッチが閉まるまでエールを送った。


 そうして再び一階下に到達した少年はようやく思い出す。


 先程の少年少女達はアレだ。


 シスコ、ロスで一定年齢から騎士団見習いの登用を始めた時に志願してきたヒューリが果物などを寄付していた孤児院の子供達である。


 片方には【無貌の学び舎】がある為、そちらの子供達の大半はそっちで教育されているらしいのだが、もう片方にはそれらしき学び舎は存在しなかった。


 だが、色々と入って来た物資や情報や戦い方や武装一式が強力なものである事は間違いなく。


 見習い騎士達の教導が完了した時点で孤児院や通常の都市部の子供達で戦闘適正のある子供達に対ゾンビ護身戦闘術を騎士団側で訓練してはどうかという話が立ち上がり。


 更にその中から騎士団に入隊したいという子供達を日本と同基準で選抜して騎士見習い達を上級生兼教師役とした学校をアフィスが企画。


 現在、名誉顧問兼校長にバージニアを迎えて学校には2000名程が在籍していた。


『バージニア校長。おはようございます』


『ええ、おはよう。ちゃんとやってるようね。寮住まいでも……』


『はい!!』


『元気でよろしい。でも、習慣的に身に付ける技能も大事になさい』


『え?』

『足音足音!! 足音だよ』

『ああ?! す、済みません!!』


『ゾンビは物音に敏感よ。気を抜いてすら習慣は裏切らないわ。気を付けて』


『ご指導ありがとうございました!!』


 最終的には適正があるかどうかを親と子供に知らせ。

 騎士にならぬのならば、基礎的な護身術を。

 騎士になるのならば、住み込み。


 もしくは通いでの通学での本格的な戦闘技術習熟となる。


 その現場となるのは無論のように善導騎士団本部である。


 毎日のように農作業をしつつ、戦闘技術の訓練と勉学。


 それも大陸標準言語やらの語学研修、魔術師や魔導師としての訓練もある。


 適正があれば、騎士見習い達と教導隊の今も教官役をする一部の隊員達に技能毎に振り分けて、厳しいエリートコースも用意されいている始末だ。


 彼らはメキメキと上達しているらしく。


 陰陽自の若年層隊員との交換留学や相互研修も企画され、実際にそれらの幾つかのプログラムは始動していた。


(もう来てたんだ……近い内になるだろうって、この間アフィスさんが言ってたけど……)


 ロス、シスコの関連組織や機関の周囲には日本の陰陽自の訓練場で得たノウハウを転用発展させたサバイバル訓練場が造られ、都市内部とはいえ、実戦さながらに戦う様子は親や関係者ならば見学自由。


 危なそうに見えて、配慮マシマシな目の光が消えてしまいそうな訓練設備の数々に凄いクレームも来たらしいのだが、そこは子供達がこの訓練を潜り抜けるからこそ、ゾンビと戦っても死なずに済むのだ、と親や教育委員会を十把一絡げに説得。


 何故かアフィスはそこで絶大な信頼を得る事になったのだとか。


(そう言えば、アフィスさん今何してるんだろう?)


 ちょっと気になった少年が脳裏で術式を起動し、電子データで管理されるようになった騎士団幹部の日程表からアフィスを検索して、本日の日付を見やる。


「?」


 それに思わず少年が首を傾げた。


 毎日のように日程表には何をしているのかが書き込まれているのが今は普通なのだが、生憎とアフィス・カルトゥナーの日程表は白紙だったのである。


 取り敢えず、見なかった事にしてから、後でフィクシー辺りにでも報告しておこうと思い直した時だった。


 チーンと下の階に付いて扉が開いた瞬間。

 当人がいた。


「お? ベルか。フィクシー大隊長と待機任務じゃないのか?」


「アフィスさん……今日はどんな用事で日本に?」


「ああ、さすがに緊急事態だから、フィクシー大隊長やクローディオ大隊長がいない時の指揮を執れるようにって副団長がな」


「ああ、そういう……」


「後、そろそろメディア対応に本腰を入れるから、オレにやって欲しいとか何とか。いやぁ~~頼られる男は辛いなぁ~~」


「あ、はい。確かに近頃、何か凄く株が上がったって聞きますし、北米の方だと凄い人気だとか?」


「そう!! そうなんだよ!? お水のねーちゃん達がさぁ!! オレの価値をようやく分かったように目をキラキラと……うぅ、苦節20と数年!! 生きてて良かった!! そう、良かったんだよ……うぅ」


 何か栄光から一点挫折したような顔になるアフィス。


 その脳裏にあるのはチヤホヤしてくれるおねーちゃんズの評価が基準なんだろうなぁという少年の思考はさておき。


 二人は取り敢えず、ベルの私室に向かう事になった。


 何でも北米で状況は知っているが、仕事が忙しくて軽くしか状況は説明されていなかったとの事。


 実際、学校経営して語学に堪能な彼が英語ついでに日本語まで辞典片手に大勢へ教え始めたというのは少年も聞き及んでおり、何処の本部施設でも徐々に少年が使った英語、日本語、大陸共通言語の三か国語の翻訳術式を手放せるトリリンガルな人々が増えつつあった。


 実際、アフィスは一番滑らかに意訳まで熟せる少年の翻訳術式を相手に大差ない日本人にすらペラペラと言われるだろう精度の日本語を操っている。


「良かったですね」


「うん!! スゴク、良かった!! 良かった……んだけどなぁ」


 使えない奴の称号をデフォルトにされていた彼にしてみれば、酒場で相手にしてくれるおねーちゃん達に目をキラキラさせられるとか。


 夢のまた夢的な展開に違いなく。


 感動巨編な映画でも見たように瞳はウルウルものだ。


 だが、その声は何故か最後に影を帯びる。


 そんなアフィスとを引き連れて少年が自室前に戻って来た時だった。


 内部から声が聞こえて、誰かいるのだろうと扉が横に開く。


 すると、内部には四人の少女がいた。


 いつもの見知った緋祝姉妹が何やら寝ている少年の横のソファーで見知らぬロシア系らしい少女の話を聞いており、その横にはハルティーナが座っている。


「皆さん来てたんですか?」

「あ、ベル!! と、ウェーイの人?」

「あ、本当。ウェーイさんですね」

「アフィスさんが来ましたよ。オリガさん」

「ぁ……(´▽`*)」


 ベルが知らぬ十代前半くらいのロシア系らしい少女がアフィスの顔を見て顔を綻ばせた。


「先生」


 少女は金髪に碧眼で更に時折妖精と称されるようなロシア系の顔立ちをしており、日本語で呟くと嬉しそうに立ち上がって目を輝かせ、アフィスの傍までテテテッと子犬のように歩いてくる。


「う……オ、オリガちゃん?」


 少女の衣服は騎士団の外套姿ではあった。

 が、デフォルト・スーツは着込んでおらず。


 今現在ロス・シスコで日本の制服をモデルにして作り、実際に式典用や座学用として用いられている黒を基調とした制服姿であった。


 長いスカートに頭部に少し厚ぼったく潰れたあんぱんのような暗灰色の制帽を被っている。


 軍服かというようなスカートと同じ柄の日本の学ランを細く絞ったような金色の刺繍やボタンを用いたジャケット姿は一度見れば忘れられないだろう。


 タイも暗めの暗色で統一されている。


 どうやら北米では不評なようなのだが、騎士団は基本的に団体行動がデフォルトな職場である。


 非番な日以外は軍服替わりに統一された衣装を着込むのは当たり前だった。


 もしも、敵兵などに襲撃されたりした場合でも戦闘では国際法がそれなりに護られるのが根本的には大陸での戦地事情であった。


 騎士団の一員である事を示す衣服は見習いの教導が終わった時点で確保されており、特にを主眼として、その意図も伝える形で非番以外の日は着用が義務付けられている。


 改造や着崩す事はだらしなくさえなければ、認められている為、新規に入って来た少年少女達はそれなりに自分へ合わせて着こなしているが、それでも自由なお国柄のせいか。


 子供に制服を着せるというのを軍事組織とはいえ、快く思わない親というのはいたらしい。


 そんな北米では善導騎士団の美的センスだけは疑われる事態を生み出している元凶をキッチリ規定通りに着込んで髪すらおかっぱ頭な少女は……だからこそ、と言うべきか。


 模範的な生徒でありながら、その花の綻ぶような微笑が印象的だろう。


「ウェーイさんが心配で教導隊の人に付いてきたんだって」


 悠音が事情を説明し始める。


「ええ、正式な書類も確認しました」


 明日輝がペラッと書類を一枚持っていた。


 そこには大陸標準言語でアフィス・カルトゥナーの従騎士。


 要は小間使いにしていい秘書役として、このオリガ・レヴィを任ずるとあった。


「アフィスさん。良かったですね」


 ハルティーナはオリガがようやく自分の仕える人に会えたと笑顔な様子に釣られて僅か笑む。


「あ~~え~~秘書役はやっぱ要らないんじゃないかと上申したかと思―――」


「「「(T_T)」」」


 余計な事を言おうとしたアフィスが三人の少女達の冷たくなり掛けた視線にビクッとして、目を逸らし、ダラダラ冷や汗を描きつつ、口を閉ざす。


「先生。これから正式によろしくお願いしますね」


「お、おーう。了解了解~~おっと、ちょ~~~っと待っててくれないか? いやぁ、実はベルと少し仕事で相談しなきゃならない事があってさぁ。まだ、来たばっかりで疲れてるだろ? 姉妹ちゃんやハルティーナちゃんとお話しててくれよ。じゃ」


「ぁ」


 グイッと少年と無理やり肩を組んでアフィスが部屋から即時撤退した。


 何かを言う暇も与えない神速の逃げ足。

 そして、カシュンと扉が横に閉まった後。

 少年がアフィスを見上げる。


「あの……相談て何でしょうか?」


「(いや、分かれよ!? あの空気!! ちょっと、こっち!! 何処か誰も来ない場所に!!)」


 ヒソヒソとツッコミを入れられながら、アフィスに言われて仕方なく少年は自販機のある人気のない本部の休憩所の一角へと誘う。


 そこでようやくフゥゥゥと息を吐いたアフィスが汗を拭った。


「で、どうしたんですか? アフィスさん」


 置かれている長椅子に座った青年が自販機から無料で買った缶コーヒーを一口啜ってから大きなため息を吐いた。


「オレさぁ……そんな高尚な人間じゃないんだよ」


「?」


「あの子……実はこの間、本島への電源の件を教えてくれた子なんだけども……何か、あの件があってから、凄く懐かれたというか。慕ってくれるというか」


 アフィスが複雑そうな表情でコーヒーを一気飲みして、ハァァとやはり息を吐く。


「良かったじゃないですか」


「だね。そうだね。ええ、そうだろうとも。だが、なぁ……凄い勘違いしてるというか。オレちゃんみたいな奴に分不相応な視線が痛いというか」


「そうなんですか?」


「ええ、そうなんですよ。いや、本当に……毎日、朝起しに来てくれるし、教材の準備の手伝いもしてくれるし、昼食時に何故か弁当も作ってくれてるし……いや、本当に良い子だとは思うんだが……」


「だが?」


「酒場に行こうとすると物凄く悲し気な瞳で視られるわけですよ」


「どうしてですか?」


「それがさぁ。あの子、未来が見える系の超常の力の持ち主でね。見えるらしいんですよ。オレの死に様が……」


「死に様?」


「アレだよ。超未来で酒を若い頃から呑まなきゃ後20年は生きられたのにねって言われて死ぬ、らしい……」


「ああ、そういう……」


「分かるんだよ? 言ってる事は分かるんだよ? 若い内から身体に気を使えば、長生き出来ますよとか。うん。七教会のシスターちゃん達がさ。毎日毎日笑顔で信者のおっさん連中に笑顔で言ってるの見て、どう見ても若くねぇだろ、とか思ってたよ? でもなぁ……」


「実際に言われると?」

「はい。とてもオモイデス」


「……心配されてるんですよね? ちょっと、お酒を控えるとかでいいのでは?」


「うん。オレそうしたの。そうしたんだよ。ええ、そうしたんですよ。ベル君」


「は、はぁ……それで健康になったんじゃないんですか?」


「分かってるよ? 健康になったよ? でも、今度は悪い女の人に引っ掛かって、寂しい老後を送る姿が見えるってあの子がね……(´;ω;`)ブワッ」


 アフィスが何やら涙の滝を流し始める。


「ええと、酒場に行くのを止めた方がいいとか言われたり?」


「しましたね!? ええ、しましたね!? しかも、他の連中どいつもこいつも完全無欠にあの子の味方なんだよマジで!?」


「で、でも、悪い女の人に引っ掛からなくなったと思えば……」


「あのなぁ!? 引っ掛かりたいの!!? ようやくチヤホヤされてきたの!? なのにぃ~~~ッ!!? もう店に入れないッ!! いつもグルグル回って外から眺めるだけになったんだぞ?!!」


「え、ええと……善導騎士団と陰陽自の婚活パーティーに出ます? 今、丁度そういう企画やってますし」


 ヒシッと少年が抱きしめられた。


「凄ベル!! これが噂のすごベルか!? お前は神か!? どうか黒髪ロングの大和なでしことか紹介してプリーズ!!?」


「うぇ!? は、はい!? わ、分かりました!! 分かりましたから!? その呼び方は無しの方向で!?」


 少年が思わず、そのアフィスの喰い付きようにグイグイと相手を両手で押し離す。


「じゃあ、そろそろ戻りま―――」


 そう言った瞬間。

 チャンネルに通信が入る。


 通常の通信とは違う空間を超えて特定の空間の極僅かな穴であるチャンネルに直接術式などを注入し、指定座標に現象を出力する事もある魔術師であるが、それを用いた通信技術は今現在、通常の電波を用いない方式の連絡方法として陰陽自にも普及している。


『はい。どちら様でしょうか?』


 少年の脳裏に受信した通信先の相手は陰陽自の総務からであった。


「え? 婚活パーティーが延期、ですか? 確かに今はそういう雰囲気じゃありませんから、仕方ありませんね。では、後日という事で」


 横でサラッと約束が破綻した事を悟ったアフィスは地蔵のように固まっていた。

 少年は少し不憫そうに横の青年を見ながら、そういう事だからm(__)mと頭を下げた。


「ノォオオオオオオオオオオオオオオオオ―――」


 そうして。


 その日の東京本部にはそんな米国式の叫びが響いたのであった。

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