第35話「逆巻く塔」

「デビット。デビット・カーターだ」


 瞼を腫らした男。


 タワーの最上階で転がされていた都市のハンターの元締めがいたのは牢屋ではないにしても嵌め殺しの窓があるオフィスだった。


 まだ解任されていないという事だったが、明らかに荷物整理をするようにと言われているのは確定的であり、そのデスクの横には小さな段ボール箱が置かれている。


「先程は助けられず、申し訳ありません。カーターさん」


 フィクシーの言葉に男が苦笑する。


「彼女が言っていた通りの人間なのだな。フィクシー・サンクレット殿」


「バージニア女史ですか?」


「ああ、彼女とはこの10年、ずっと仕事をしてきた。直接会う事は無くても確かに彼女のおかげで色々と死人が出ずに済んだ事もある」


「そうですか……我々の件でこのような事になって残念です」


「いや、そうとも言えない。君達がこの都市に来た。たった、それだけの事がこの世界には希望となるかもしれない」


「希望、と呼ばれるような事をこの都市でするかどうかは未知数ですよ」


 そう言いながらも音を立てずにサラサラと万年筆で白紙に男が何かを書き連ねていく。


「ただ、残念な事に私は監獄行きだ。力にはなれそうもない」


「そんな事は無い。貴方のような心ある方がいるという事だけでも我々のような異邦人は救われます」


「そうか……同じ人間として君達に頼みたい。どうか、後を頼む」


「分かりました。その仕事、引き受けましょう」


「バージニアとの間にあった事は結局、彼に聞き出された。薬をチラ付かせられてはさすがにな。重ね重ね申し訳ないが、彼と今後の事は話して欲しい」


「そういう事もあるでしょう。今後、我々の力が必要になったのならば、その時は頼って下さい。ただで力をお貸しますよ。バージニア女史の同胞ならば、尚更でしょう」


 男が提示した情報に万年筆を受け取ったフィクシーがその上から諸々の状況を書き連ねていく。


「ありがとう……君達のような若者が今後もハンターとして戦い続けてくれる事を祈る。では、これで……そろそろ話せるのも限界のようだ」


「こちらこそ、ありがとうございました。どうかお体に気を付けて」


 フィクシーが当たり障りの無い挨拶をしながら、しっかりと今日あったばかりの男の手を握った。


 その思っていたよりも力強い握手に男が少しだけ驚いたような顔をした後、一瞬ウィンクしてから、段ボール箱に書類を入れるついでにその紙を丸めて、自分の口に放り込んで飲み下す。


 思わず声を出しそうになったヒューリの口をクローディオがそっと手で制した。


 そうして、男が出て行った後。

 彼らもまた出ていき。


 通路で待っていた男達に今日は帰ると伝えて外へ向かう道を聴く。


 その途中、ベルとクローディオがトイレと言い出し、途中の階層で寄った。


 2人が同じ個室に入った後、クローディオが魔術方陣を展開して扉から室内に何か怪しげな収音装置や撮影装置が無いかを確認してから頷く。


 それと同時に2人が個室から出て、ベルが懐からズリョッと人の子供程のデフォルメされた自身の形をするゴーレムを生成して、魔導で不可視化する。


 そのままトイレを済ませた体で二人が少し置いてから外に出て女性陣と合流し、青年達に見送られながら、キャンピングカーへと向かった。


 道すがら、フィクシーが男と筆談した内容を全員に教える。


「どうやら、あの自意識過剰な独裁者殿には何か秘密があるらしい。タワーの地下に秘匿された区画が幾つかあるそうだ」


「秘密ですか?」


「ああ、それと親衛隊の多くは13年前から生き残る手練れと近頃は新人の隊員が入っているそうだが、何処かしら手足を1本か2本失っており、近頃は大きめの義手偽足姿なのだそうだ」


「……義手偽足ねぇ。そんな奴らが畏れられる程の力を持ってるものなのか?」


 クローディオが微妙な思案顔となる。


「後、協力者の回収を頼まれた。どうやら、騎士団の人員がこの都市に彼の伝手で潜入していると」


「わ、私が」


 ヒューリが自分も何か役に立ちたいと立候補しようとしたが、フィクシーが首を横に振る。


「ディオ。今日中に協力者を確保してキャンピングカーに連れ込んでくれ」


「あいよ」


「ヒューリはスイートホームとの連絡要員として車両待機だ。ベル、イケるか?」


「は、はい。一応、街を回る時に不可視化した魔導の延伸用ビーコンをあちこちの用水路や下水に落して来ましたし、タワーの壁にもこっそり数本入れたので大丈夫だと思います。車両内で一緒に見られますよ」


「分かった。もしもの時はこちらの魔力も貸そう。これよりあのタワーの解析と内情の諜報任務だ。今夜中に相手を丸裸にするぞ」


「はい!!」

「ああ、任せておけ」

「が、頑張りますッ!!」

「よろしい。では、クローディオ。もしもの時は手筈通りに」


 頷いたクローディオが都市の路地裏へと入っていった。


 三人がキャンピングカー内部に入り、ベルによる解析で何も仕掛けられていない事を確認してから、外部からの観測を遮断する防音、防撮用の魔術をフィクシーが展開し、車両後方スペースでさっそくベルのゴーレムを遠隔操作してのタワー探索が始まった。


 *


 ベルが用いるゴーレムは要塞で使用して以降、色々と多彩な機能を搭載するようになった。


 カスタマイズ性が高い為、必要な機能を積んで魔力さえ与えれば、便利な偵察用の道具にもなるし、色々な物を回収して自立して戻ってくる事も出来る。


 だが、今回のミッションは魔力を使わない相手なので、あちらの大陸でならば、即座にバレるような遠隔操縦でも問題なく行えるという利点の為、能力が積みに積まれ、フィクシーとヒューリの魔力も充填して、一種の戦闘用ドローンのようになっていた。


 まず、不可視化。

 感圧式のセンサーを掻い潜る浮遊能力。


 完全密封されていない限りは針の太さくらいの大きささえあれば、どのような場所にも潜入出来る無形化能力。


 更に暗視及び殆どの波を感知し、同時に相手からの波を吸収するステルス能力。

 このようにベルは初めて操縦する能力マシマシなソレに少し男の子らしくワクワクしながらタワーの探索を始めたのだった。


 このゴーレムの凄いところはとにかく魔導が延伸出来るところにある。


 つまり、現地でベルが解析するのと同じように方陣を使えるのである。


「まずは最上階のあの独裁者の部屋から」


 フィクシーの言葉にベルが頷く。


 空調の配管をグンニョリとスライムのように通り抜けたゴーレムは普通の人間なら絶対通れない小さな場所を次々に抜けて空調から不可視モードのままオフィスへと入り込み、デスクの下に潜り込んでオフィス全体を魔導で解析する。


「……紙の資料が数点。一応、翻訳してくれ」

「はい」


 もしもが無いようにフィクシーが依頼し、すぐにベルの目の前の虚空に広がるゴーレムの視界を映す映像の上に資料が数点広がった。


「ふむ。経理の書類か。ヒューリ。不可解な点が無いか洗い出しておいてくれ」


「分かりました」


 ヒューリの横にその資料の画像がスライドした。


「ぁ、隠し金庫ありました」

「でかした。ベル」


 ゴーレムの一部が壁の本棚の隙間に入り込み、埋め込み式の金庫がある壁の後ろ側へと僅かな穴を掘削して金庫側面まで辿り着き、魔導による金属元素の変質を行い、グンニャリと歪めて穴を開け、内部へと入り込む。


「これは……鍵ですね」

「鍵か。他には?」

「いえ、他には紙切れ一つも」

「では、完全に復元は可能か?」


「はい。ちょっと待ってて下さい。あ、良かったです。回路みたいなものは使われてませんね。複雑な形状ですけど、銃器のパーツをちょっと組み合わせたようなのですから、再現可能ですよ」


「……怪盗になっても食べていけそうだな」

「そ、そうですか?」

「褒めてるぞ。一応」

「は、はい」


 微妙な顔になった二人が今度は金庫を表面上元に戻してから、そのままゴーレムを戻して階層毎に人がいない場所や人がいる場所から魔導による解析で情報を引き抜いていく。


 PCで管理されている情報までは抜けなかったが、そもそも人が少なく、基本的に最終的な情報のみ機械で管理する方針らしく。


 多くの情報はすぐに取り出せる紙媒体に記載されていた。


 関係無さそうな資料は全てヒューリに任せつつ、タワーを上から下へと次々に攻略していくとそれだけで1時間2時間と経ち、凡そ半分程の高さまでゴーレムが降りて来た時、そろそろだろうかとフィクシーがもう夜になりつつある空を内側から見上げた。


『大隊長殿。連れて来たぞ』


 すると、不可視化して外に出ていたクローディオが扉を叩き、車両の横の扉をヒューリが開けに行く。


 入って来て扉を閉めると魔術を切った彼は肩で息をして、ドサリと何かを横に置いた。


「え? ひ、人!? もしかして!?」


 死んでたのかと思ったヒューリがビクッとしたが、息をしているようだと知って、ホッと安堵した。


「何処かお怪我でもしてたんですか?」


「いや、コイツ何も食ってねぇみたいでさ。途中、オレの非常食と飲料水を与えたら、全部食ってから爆睡しやがった」


「ああ、あっちは食料も不足して大変だったんですよね。しばらく寝かせてあげましょう。助手席でもリクライニングさせれば、多少は……」


「ああ、そうしとく。で、そっちは?」

「はい。順調です」


 クローディオが黒い外套姿の男らしい相手をそのまま助手席に寝かせ、後方スペースへと戻ってくる。


「聞いていた。ご苦労だったな。起きたら話を聞こう」

「で、そっちの首尾は順調って話だが……」


「今、ヒューリに関係あるか無いか分からない書類を精査してもらっている。お前もそちらに回ってくれ」


「あいよ……って、何百枚有るんだよ」


 ゲッソリしたクローディオが虚空に溜まる書類の画像に溜息を吐く。


 しかし、ヒューリはそんな横の男とは裏腹に軽やかに目を通しては悩む事無く仕分けて、いるものといらないものを選別していた。


 その姿は正しく案件を片付けている王家の王女というような風格があり、さすがお姫様と元英雄も関心するのだった。


 それから更に二時間。


 ようやく地表までの階層を解析し切った彼らは一端休憩を入れていた。


「ふぅ。ベル、大丈夫か?」

「あ、はい。まだまだイケます」


「そうか。それにしても鍵以外、何も出て来なかったな。ヒューリ。気になる資料はあったか?」


「あ、は、はい。この高層建築の年間の電力使用量がかなり高いのが気になりました。後、市内の業者に電源設備の増築を依頼した書類や水を大量に使っている事もちょっとおかしいです。後、この都市の予算書なんですけど、見積もりに出ていない裏予算が絶対あります。具体的にはさっき言った電力や水なんかの料金が全部、あのヒュークって人の個人資産から出されてます。ただ……」


「ただ?」


「あの人、あんなに贅沢な事してましたけど、かなり倹約家みたいで……権力で幾らでもお金や物は集められるはずなのに殆どそういう横暴な事をしてません。それに賃金も人より貰ってません」


「オイオイ。独裁者なんだろ? くっせぇなぁ……」


 クローディオが明らかに怪しいという顔をする。


「恐らく、帳簿に出て来ない数字を合わせる為に表向きの貰う額は抑えているのだろう。それで足が出ずに帳尻があってるとすれば、本拠地である地下にはかなり色々と有りそうだな……」


「それと子供達の事なんですけど」

「何かあったか?」


「子供達の殆どがこのタワー内にいるはずなんですけど……その……」


「タワーの地表部分にはいなかった。つまり」

「はい。子供達は地下にいるようです」


 ヒューリの顔が曇る。


「何してるんだろうな。オレはお嬢ちゃんはここら辺で散歩に行っててもいいと思うぞ?」


「ちゃ、ちゃんと最後まで見ます!!」


 暗にヤバい事になってるんじゃね、と忠告したクローディオだったが、元お姫様の意思が固いと見るや肩を竦めた。


「水と食料も摂ったし、休憩も挟んだ。本番はここからだな。ベル」


「は、はい。じゃあ、地下への配管を通って解析でマッピングしつつ」


 ゴーレムが地下一階のセキュリティーを配管から突破して鍵の掛かった扉の先へと向かう。


 地下一階はどうやらもしもの時の為の弾薬庫やら緊急時の食料やらの備蓄が大量に置かれていた。


 しかし、その先に進む道には隔壁が降りており、どうやら生体認証が必要と結論されたが、配管そのものは人間がそもそも入れない大きさという事で完全にスルーだった。


 各壁内の通路は行き止まりから階段になっており地下2階へと続いている。


 そちらにゴーレムが浮遊しながら降りていく。


 すると、2階の通路は30m程の長さで横に伸びており、端から端まで下に続く階段こそ無いが、幾つかの部屋に別れ、プレートが張られていた。


「ええと、調整室、仮眠室、学習室、訓練室、貯蔵室、実験室、廃棄室?」


 七つの部屋に続く扉。


 また、トイレとシャワー室が出入りが自由な様子で扉も無く置かれていた。


 彼らがゴーレムでどの部屋に入ろうという時、ガチャリと扉の1つ。


 学習室が開く。


 ゴーレムが素早く出て来た相手の後ろへと一部を子機として潜り込ませた時。


 ―――!!?


 全員の顔が凍り付いた。

 出て来たのは小さな少年だった。

 しかし、少年には顔と眼球が無かった。

 文字通りの意味だ。


 彼の顔はまるで個性を失ったかのように剥ぎ取られており、その表面には血管と筋肉のみが浮いていて、鼻もまた存在せず。


 スース―と吸気音だけを出す鼻が僅かに湿っている。


 だが、その顔という部位のみを顕す場所には樹脂製のカバーのようなものがマスクのようにして張り付けられており、眼球が本来埋まっていたはずの場所には円筒形のカメラのようなものが詰まっている。


 思わず悲鳴を抑えたヒューリだったが、あまりのショッキングな光景に思わず下を俯いていた。


「ディオ。我々が見ておく。ヒューリを通路の方で摩ってやっていてくれ」


「いつもなら喜んでやるんだけどなぁ。はぁ……」


 何も言えずにクローディオに連れられて通路で背中を摩られているヒューリを心配そうに見ていたベルだったが、その先を見なければと学習室内部で再び映像を受信……その光景を見た。


 顔の無い子供達が樹脂製のマスクを付けて、眼球の部分をコンソールらしきデスクから飛び出した線の先にある円筒形、それを覆うようなカバーで覆われ。


 何か恍惚とした表情になっていた。


「……精神麻薬の類か? 洗脳に近いのならば、この状況で騒がないのにも納得がいく。魔力を用いないのは初めて見るが……この異様な状況で恍惚としていられるような代物か……何を見ているやら」


 少年が開いているコンソールの1つの危機にゴーレムを接続し、映像を一応は色合いを変更、フィルタリングしてから映像を出力する。


「……微笑む母親と父親の図、か……子供相手に惨い事を……」


 フィクシーが溜息一つ。

 その映像を見続ける。


 映っている男女が明るい色合いの色で微笑みながら映像を見ている主に向かって赤子にするかのようにお世話をするというシーンが繰り返し繰り返し強調されながら垂れ流される。


 しかし、不意に場面が暗くなったかと思うと外から何かに襲われるようなシーンが挿入され、扉を押し開いてゾンビ達が押し寄せて来る。


 それに残酷にも父親と母親が食い殺されるが、視線の主の手には銃が一挺。


 子供達、青年がその光景に何やら叫びながら、バンバンと口で叫びつつ、実銃を構えるような仕草をした。


「フィー隊長。これって」


「あぁ、ゾンビに対する憎悪と自分に対する敬愛を刷り込む洗脳のようだ」


 父親の顔がエヴァにかなり似ていた事をフィクシーが指摘する。


「解析結果は?」


「あ、はい。その人間の視覚に働き掛けて、脳内の物質を分泌させるような効果……みたいなのだと思います。何か魔導の情報に洗脳対策用の術式とかあるんですけど、それの内部に似たようなサンプルが……」


「決まりだな。親衛隊がどうのこうのとスイートホームで聞いたが、子供達を自分の生きた肉壁として教練する場所、だったようだな」


「それにしてもどうして顔を……」

「恐らくだが、個性を剥奪しているのだ」

「個性?」


「ああ、個性の認識を極力薄めて、連帯した細胞のようにユニット化し、一つの戦力とする。軍事教練を先鋭化させれば、それは洗脳と変わらん」


「つ、つまり、子供達は……行き過ぎた軍事教練を受けさせられているってことですか?」


「顔のマスクが恐らく存在するな。今日案内していた者達の顔が同じなのかどうかは知らんが、中身に合致したようだったし、自分の顔を模したモノか。もしくは斬り落とした顔面そのものを加工したモノを使っていると考えるべきだ」


「魔力も無いはずなのに……こんな儀式や魔術めいた事をしてるなんて……」


「人間の本質は変わらん。何処だろうと」

「酷過ぎます……ッ」


 ヒューリが呟くように涙を堪えて床を見つめていた。


「だが、恐らく。あのエヴァにしてみても、まだ人道的な政策なのかもしれんな」


「これの何処が人道的なんですか!?」


 思わずフィクシーを睨んだヒューリだったが、彼女は真正面から少女に世界の知らなくていい奴が絶対知らなくていい真実を告げる事にする。


「この子達は恐らくとても大事に扱われている。あの男なりの倫理と道徳に従ってな。自分の最後の盾だ。食料を十全に与え、十全に教育し、自らの手足として欠損せぬよう教導し、兵器や装備を与え、本当に使えなくなるまでは捨てない」


「………ッ」


「ヒューリ。我々の世界とて、そうあの男と変わらない連中はいたし、それを七教会は駆逐してきた。だが、人の本質は変えられない」


「本質って、何ですか? どうしてフィーはそんな冷静に……」


「どんなシステムも決して全能でも万能でもない。我らが大陸で魔王の国家や反七教会派が跳梁し、大陸中央以外の地方では彼らの方が受け入れられている現状を見ても、それは真実だろう」


「それは、知ってます。けどッ、でもッ!?」


「私はこれより酷い洗脳の仕方を知っているし、これよりも残酷な事を子供にする事が認めらていた国家も知っている。もう七教会にそういう国体とそれを強制する人間は滅ぼされるか、強制的に変わる事を強いられた。国民は教化され、その国の現在の国民の多くが、その過去を悔いているとしても……それは厳然たる事実だった」


「………ッ」


 ヒューリは唇を噛む。


「この世界は滅び掛けている。我々の世界よりも……だから、言える。あの子達は親を強制的に失わせられ、人間としての尊厳を踏み躙られ、洗脳されて見知らぬ男の弾除けにされたが、この世界において生き残る確率は極めて高い。それは一面においては幸福ではなくても幸運ではあるかもしれないのだ」


「そんなの……そんな事……」


「覚えておけ。ヒューリ……嘗て騎士達はそんな残酷など見飽きる程に見て来たし、それを変えたいと願いながら、戦ってきた。それを為せなかった彼らは七教会と比べれば無能と謗られるべきだが、彼らの志は決してただ批判されるだけのものではない」


「フィー……」


 もしかしたらお姫様だったかもしれない少女は初めて目の前の少女が大魔術師なのだと実感した気がした。


 その歳に見合わぬ達観。

 人を導くだけの意思と広い視野。

 彼女の言う事はただ事実ばかりだった。


「その気持ちは忘れるな。だが、その気持ちを利用もされるな。七教会の手練手管に近い事をしているあの男は裏の顔がコレだというだけなのだ」


「―――そう、だったんですね。あのエヴァって人の造った監獄からずっと何か考え込んでいたのは……」


「見透かされていたか。だが、あの男のやり口はかなり近いぞ。人間を諦めさせ、納得させ、変えさせる方法は突き詰めれば、暴力などよりも甘言と正論こそが正しい。お前の考えを否定する気は無いが、正しさの危険性だけは知っておけ……時に正論程、恐ろしいものはなく……人は容易に正しさの前に屈するのだという事を……」


 フィクシーとヒューリの今まで明らかにならなかった溝が今なら少年にも分かる気がした。


「あ、あの、続きを、いいですか?」

「そうだな。他の場所も見て回ろう」


 覚悟を決めたのか。

 ヒューリもまた後部スペースに戻った。


 クローディオがモノ好きだなぁという顔をした後、口直しだと言わんばかりに備え付けの冷蔵庫に入っている缶飲料を取り出して飲みながら、戻ってくる。


 再びの四人での視聴。

 その先には確かに異様な生活スペースが存在した。

 男女の区別なく使われているトイレやシャワー。

 カプセルのような寝台が並ぶ仮眠室。


 大量の重火器と射撃場や近接格闘用なのだろう広場がある訓練室。


 子供達が移動する合間に入り込んだ子機は次々に内部の情報を赤裸々に暴いていくが、貯蔵室に入った時。


 再び異様な光景が彼らの前に現れた。


「何だと? まさか、コレは―――」


 さすがにフィクシーも驚いていた。


 貯蔵室の中には雑多な缶詰の入った袋や缶飲料の並ぶ棚がズラリとあったが、その奥の冷凍室という扉の先に異様な代物が並んでいた。


「培養ゾンビの、死体? まさか、この子供達が仕留めたとでも言うのか? もし、そうだとするなら、連中の戦闘力はかなりのものだな」


 冷凍室の霜が降りた内部を覗き込む窓の先には青白い輝きに照らされたゾンビの標本らしきものが多数奥行きのある部屋の左右の培養糟のようなものに凍結させられていた。


 その中のゾンビ達はもう生きていない事が一目瞭然な損傷を受けており、その傷痕は銃弾や爆破などと見受けられたのだ。


「それを回収して貯蔵? 一体、何の為に……研究……ゾンビを研究しているとあの監獄の主の老人は言っていたな」


「ああ、そういや言ってたな」


「死んだ人間とゾンビの比較研究……ヒューリ。研究の責任者の名前は?」


 すぐに選り分けていた資料の中から一枚の書類が浮上する。


「エヴァ・ヒューク、とあります」


「あのナルシスト。どうやら、軽い表の顔とは裏腹にどうやら黒いとか真っ黒以上の事をしているようだな」


 子機の1つがようやく調整室へと入る事が出来た時。

 再び、彼らは驚く。

 顔の無い子供達が白衣姿で何かを製造していた。


 それが人間の顔の加工品やその他の武器などだと知って、再び顔を青褪めさせたヒューリだったが、今度は取り乱さず。


 しっかりとその光景を目に焼き付けていた。

 だが、その品の中に再び培養ゾンビの一部があった。


「死体を加工……死体を加工か!! 分かって来たぞ。あの男のやろうとしている事が……」


 そこでクローディオがボリボリと頭を掻いた。


「どういう事ですか? フィー」


「この世界でのゾンビの語源を調べた時にとある呪いが起源だと知った。その呪いでは生きた人間をゾンビにする方法や死んだ人間をゾンビにする方法のようなものが研究実践されていたらしいが、魔力も無いのだ。単なる呪いに過ぎず。ゾンビそのものはこの世界では虚構の物語、フィクションだったらしい」


「そ、そうだったんですか」


「ああ、そうなんだ。分かるか? この符合が何を意味するか……」


「まさか、それって……」


「ベル。お前の目から見て、あの培養ゾンビの腕はどう見える?」


「かなり、本物っぽいと思います。というか、元々培養されてたものだから、もしソレを再培養出来たら……」


 四人が次の部屋。

 実験室へと入った子機から映像を受信する。


「……もう驚かん。だが、やはりか」


 フィーの言葉は全員の言葉を代弁していた。

 黄色い金属の化け物は存在しなかった。


 しかし、培養ゾンビらしいモノが数体、広い研究施設の壁際の培養糟に入れられており、その大半が四肢と頭をもぎ取られていた。


 しかし、銃傷は見当たらない。

 見事に腑分けされている、としか言えないだろう。


「あの男、あのゾンビを培養し、培養したゾンビを兵器化出来ないか試行錯誤している。それもかなり完成に近い」


「でも、あの腕をどうするって言うんですか!?」


「腕なのだろう? ならば、考え付くだろう……この世界の医療水準では四肢の再生は出来ないようだが、くっ付けるのならば出来るそうだ。親衛隊の話を思い出せ」


「―――」


「そこまで魂が腐っているのならば、殺すに躊躇は要らんが……手足が切れた子供達に手足を与えようというなら、それは奴にとって善意なのか悪意なのか研究の一実験なのか……まったく度し難い」


 フィクシーの言葉の先から白衣を着た青年らしき者がカチャカチャと異様に大きな腕でキーボードをタイプしていた。


「ベル。情報は?」


「はい。解析はしてます。してますけど……初めてかもしれません。あの培養ゾンビの詳しいデータに触れるのは……」


「そうか。やはり、生きているのだな?」


「はい。いや、生きているというのは語弊があるかもしれません。ただ、細胞は完全に……前に紅蓮の騎士の人と戦った後、途中で解析した死体の方の情報とも色々と一致しました」


「で、あの腕どういうものなのだ?」

「……その……人間の細胞です」

「何?」


 ベルが少しだけ躊躇った後、呟く様にして解析結果を告げる。


「普通の人間の細胞です」

「―――普通? あの腕の大きさや腕力でか?」


「はい。遺伝情報まで一応解析出来るんですけど、普通の人間のものです。ただ、特異な事が一つだけ」


「一つだけ?」

「細胞が停止してます」

「動いているのにか?」


「死んだ培養ゾンビの死体は腐敗が進行してました。でも、生きている培養ゾンビの腕なんかは細胞が停止してる……そして、あの腑分けされた培養ゾンビの遺伝子は同一ですが、あっちの移植されて人が動かしている方はどうやら当人の遺伝子と同じように変質して動いてます」


「訳が分からんなぁ」


 クローディオが思い当たる節がある事も感じさせず。


 そう肩を竦める。


 フィクシーもまたソレがどういうものなのか理解していた。


 少年が神妙な顔というか。


 説明を何処か躊躇している様子からもそれは明らかだろう。


 その培養ゾンビの特徴は極めてベル当人の肉体に近かった。


「細胞内で生産されている蛋白質も異常無し。物理法則以外の法則があの腕を歪めて増大させてあの形にしているんじゃないかと」


「……魔力か。魔術か。または別の方法か。だが、物理以外だと? 奴はそれを使える? マズイ!?」


 フィクシーがベルに即座にこの場所から車両を逃がせと言うより先にカカカカッと外から音が響き。


 大きなサーチライトが彼らのいる場所を照らし出した。


『いやぁ、初日からやってくれる』


 その拡声器を使ったらしい声はエヴァのものに違いなかった。


「ディオ。これからは魔力の隠蔽も怠るな。あの男、魔術か魔力の存在を掴み、実用の段階にあるぞ。二人を頼む」


「了解。大隊長殿」

「あの!? フィー隊長!?」

「フィー!?」


 一人で出ていこうとする相手を止めようとした二人を後ろからクローディオが両腕で捕まえて止める。


「今は逃げるのが最優先だ。全周包囲で街を敵に回して戦うのは厳しい。連中を皆殺しにしていいのなら、オレが片付けてやるが、そういうのじゃ何も解決せんだろ? 今は大隊長の指示に従え。全力で逃げる……スイートホームに連絡も入れなきゃならんしな」


 それでも尚、心配そうな二人の気配に振り向く事なく。

 少女は扉を開けて外に出て、後ろ手で閉める。

 すると、サーチライトの向こうからは無数の銃口。


 更に四肢が何処か肥大化した軍人らしい男や女達が数十人車両に向けてRPGやミニガンまで向けていた。


 その最中を拡声器を横に預けて出て来たのはエヴァだ。


「フィクシー・サンクレット殿。貴女は随分と手が早いようだ」


「あの牢獄の主からお前が悪魔だと聞いてな。ようやく意味が分かった」


「ほう?」


「いつからあの化け物を培養している。その魔力と魔術を何処から得た? エヴァ・ヒューク」


「ははは、バレバレですか」


 フィクシーが自身の魔力波動を周囲へと拡散し、レーダーのように反応する目の前の男の体を見て、目を細める。


「ああ」

「一つ昔話をしましょうか」

「昔話?」


「嘗て、僕は親友と共に戦線都市へ協力する研究機関にいたんですよ。このシスコのね」


「戦線都市……ゾンビの研究か?」


「いえ、お門違いなものです。最先端の量子コンピューターの技術開発主任と副主任。それが僕と彼の関係だった」


「この世界の機械か?」


「ええ、本来は画期的な代物になるはずでした。その研究成果の一部は戦線都市の社会掌握プログラムの為に応用されていたと言われてますが、まぁ……昔の話ですよ」


「それがどうして邪悪な魔術師崩れの研究を続けている」


「くくく、邪悪な魔術師、か。貴女はあの戦争を知らない……」


「戦線都市崩壊後の防衛戦か?」


「僕と彼は一緒に転戦してたんです。自分達の力であるシステムをこの地に隠し置いて戦域の予測しながらね。何とか人々を救いたいと……だが、全部無駄だった。人々を脱出させる時間は稼げるが、殆どの兵士達は救う事が出来なかった」


「………」


「そして、僕は逃げ出さず、戦う道を選んだ。彼は多くを救い逃げ出す道を選んだ。彼は僕と袂を別った。だが、システムは残酷だ。予測結果は二つの道を明示していた」


「二つの道?」


「この都市から最後の脱出船を見逃せば、マンパワーが足りず、最後に残る守備隊は全滅し、また残る決断をしていた市民も皆殺しだった。だが、此処に残って戦わせれば、辛うじて多くが生き残り、都市を維持する事が出来た」


「それでか……この都市の連中が貴様にどうも逆らえんような顔でいるのは……半数近くが負い目を感じているのだな」


「ふふ、そうですよ。逃げようとした連中は我々が示した事実を前にしても逃げようとした。だから、あの船を壊したのです。戦わねば生き残れないように」


「なら、生き残った後。お前達も逃げ出せば良かっただろう」


「ははははははは、当時我々に残されていた移民先はもう消え去った国しかありませんでした。移民先がどうなるかもシステムは予測していた」


 フィクシーが溜息を吐く。


「それで貴様は悪魔で英雄となったわけか」


「そして、近年……袂を別った我々を貴方達という存在が再び激突させる事になった……ええ、一人あなた達の世界から来た人物を確保しましてね。彼に色々と聞いたのですよ。そうして、ようやくあのゾンビの研究が進んだ……」


「どうかしている。何故、あのゾンビの手足を移植する必要がある」


「危険性の無い高性能の義肢をローコストで培養出来るのです。それ以外に理由がありますか? あの戦いで同志達はボロボロになった。それを補う術があるなら、そりゃ使うでしょう」


「支援があるのだろう? そちらに頼もうとは思わなったのか?」


「……最安全国は技術の流出は嫌ってまして、この都市に支援はしても、技術の導入はしない。医薬品などのプラントをと陳情は何度かしましたが、保留という名の拒否が返ってくるだけでしたよ。遠くの国にいる祖国の人間達すらもね」


 そこまで言うと男が指を弾く。

 すると、フィクシーの横に青年達が付く。


 瞳の部分は普通に見えるが、どうやらそれも偽装なのだと横目に見れば、ようやく彼女にも分かった。


「これ程に高精度な義眼を造れるのに四肢は作れなかった。おかしな話だな」


「その義眼は戦線都市製の代物を復元してるだけに過ぎません。もうロストテクノロジーでして。内部構造は復元出来ますが、どうしてそうなるのかがよく解っていないんですよ。手元に解析出来る大規模な処理能力を持つマシンでもあれば、話は別なのかもしれないが、そっちは親友に持っていかれましてね」


「いいだろう。お茶の招待を受けよう」

「それは嬉しい誤算だ」


 男の横から守備隊の一人が耳打ちする。


「止めておけ。もう逃げられてる。ほら」


 男が小石を拾い上げて、キャンピングカーに投擲したが、スカッと擦り抜けて、同時に幻が掻き消えた。


「お仲間はスイートホームと合流。ですが、我々にも貴女という手札が入った。これであいつとは五角というところかな」


「私が途中で逃げ出さないと思うのか?」


「構いませんよ。逃げ出したければ逃げ出しても。ですが、その場合は余裕が無いのでスイートホームの拠点を自走砲で粉々にする事になりますが」


「……ゲーム気取りか」


「親友を殺したい程に憎んでるわけじゃない。あくまで対等な力関係で小康状態を保っているのが今は一番都市の存続には良い選択だというだけの事。力関係が崩れれば、我々とて容赦は出来ない」


「連れて行け」

「この方を丁重に持て成して差し上げろ」


 エヴァが守備隊を引き上げさせ、車両と共に去っていく。


 それを遠方から不可視化した車両内から見ていたベルとヒューリは唇を噛み締め、その後ろでクローディオが行動を開始しようとして。


「あ、あの~~~クローディオさん。トイレ何処っすか?」

「あ、忘れてた。コイツどうしよう」


 起き上がったらしい協力者の男。


 どうやら二十代の騎士団員は深刻な雰囲気に何か物凄く場違いな自分の事を感じてか恐縮したように半笑いとなるのだった。

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