間章「美女と軍人」


『オミマイン』

『オーミマイニュ』

『あ、お見舞いね』


 ベルディクト・バーン様。


 そんなフルネームが掛かれたプレートが掛かる病室へと全員がやってくる。


「ぁ……」


 しかし、ハッとして朱かった顔を更に赤くする少年と嬉しそうな顔で屎尿瓶を使っている看護婦と拳をブルブルさせるヒューリと『ほう? これからは我々がやるか』という顔の大隊長を見て、大人しくクローディオは逃げ出した。


 トルニャ。

 トッティ。

 こりぇかりゃはわれりゃが云々。


 ドンガラガッシャーンという音と共に少年の切に痛そうな悲鳴が上がったような気もしたが、元英雄にして軍人はハーレムの醍醐味はハーレムの主が味わうべきという理屈の下。


 イソイソと受付で言われていた診療室へと向かった。


 そこでは医者が腰掛けており、同時にハンター達の統括者である女傑。


 バージニア・ウェスターも同席している。


「あら? あの子達はどうしたのかしら?」


「ああ、彼女達は今お見舞いに。それにウチのリーダーからもオレが対応するよう頼まれてる」


「あらそう。なら、あなたが聴くのね?」

「ああ、よろしく。医者の先生」

「では、単刀直入に申します。彼は……生きていません」


 クローディオが先を促すように静かな瞳となる。


「まず何から説明していいのか。彼の肉体を構成する細胞は死滅こそしていませんが、そもそもその働きを停止している。停止しているのに動いている……酵素や微生物、細胞の腐敗は確認されていないが、細胞の機能そのものは停止している。いや、停止しているはずなのに人間のように振る舞えている……まるで悪い冗談だ」


「冗談ねぇ……」


「白血球や赤血球がそもそも動いていない。血液中に酸素も供給されていない。細胞は綺麗なままだが、時が止まったかのようにどんな変化も行われていない。ミトコンドリアすら動いていない。だが、彼の細胞は停止しているのに彼の身体は動いている。酸素も使わず。内部の脂肪を燃やすでもなく」


「チャームポイントだな。太りも痩せもしないか」


「ははは、チャームポイントですか……それはいい。世の女性にとっては正しく理想の肉体かもしれませんね。成長することもなく、代謝すら行われていないのですから」


「だが、腕は治るし、飯も食うだろ」

「そこですよ……心臓すら動いている」

「やっぱ生きてんじゃねぇ?」


「……細胞が停止しているのに食物が消化されている。尿を腎臓が濾し取り、腸も栄養を吸収している。何故か分からないが、細胞も止まっているのにソレらの活動が見受けられる。だが、肉体に供給されていない。脂肪、アミノ酸、蛋白質、水分は何処へ消えているのか」


「アレだな。謎空間だな」


「ええ、そうとしか思えないッ!! 気が狂いそうだ。何なんだあの患者!! アレじゃあ、死体なのに動いているのと変わらない。まるでゾンビだッ!!」


「ゾンビじゃない。オレ達の大切な仲間だ」


 その言葉をクローディオが真正面から否定した。

 だが、医者の瞳には何か空怖ろしいものでも映っているのか。

 正気よりも狂気の方が多分に含まれている。


「仲間? 脳細胞が停止し、パルスも止まり、伝達物質すら検出されないのに? それなのに普通の人間と変わりなく動いているのに? あんなのゾンビですらない」


 まるで悪い夢だと滅入った声。


「それに……あの腕ですが、三日で生えて来るって言うのは本当に何なんでしょうね? 我々には理解不能だ。細胞が分裂しているのに細胞そのものが死んでいる。どのような作用なのか!!! 現代科学で説明出来ないッ!! あのゾンビですら腐っているのも動いているのもある程度は科学で説明出来るというのにだ!!」


「どうどう。先生落ち着いて下さいよ」


 クローディオが完全に現地語で医者を内心はともかく宥める。


「この事は看護師達にも教えていません。情報もウェスター女史にしか公開しておらず、カルテには別の子供のを写しを使っています。私は守秘義務を守る医者として、この件には一切の沈黙を守りましょう。普通の治療も提供します。ですが、私をこれ以上は巻き込まないで頂きたい」


 燃え尽きた医者がそう言って、席を立ち。

 頭を下げてから診療室から出て行った。


「分かってますよ。先生」


 そう消えた背中に声を掛けて、クローディオがバージニアに向かい合う。


「いやぁ、あの先生は疲れてるんですかね?」


「もう茶番は結構。ある程度は見逃していたけれど、今回の一件はさすがにね」


「……で、どうします? 実験材料にでもしますか?」


「そちらの情報を教えて。この街の主電源たる動力炉は何とか無事だけれど、それ以外の施設が全損……色々と我々の間には協定が必要でしょう」


 事実のみを述べるなら。

 あの一件から4日。


 調査隊が入った施設は完全に崩落しており、動力炉にアクセスする方法こそまだ残っていたが、ソレ以外の施設は完全に破壊され、跡形もなくなっていた。


 北部都市と大陸の通信の要は回復しなかったのである。


「……アンタはオレ達をどう扱いたいんだ?」


 クローディオが外向きの顔を止めて訊ねる。


「あなた達次第よ」


 バージニアが瞳を細めた。


「報告書は見たわ。もう特秘指定して封印したけれどね」

「お手が早い」


「ウチの技術者の不始末。事情聴取にも応じてるし、あの言葉も殆ど真実でしょう。でも、その後の事について我々は見逃せないわ……」


「あいつの妄想かもしれませんよ?」

「そうであったら、どれだけいいか……」

「その口調だと知っていると?」


「ええ、あの小さい彼が出会った存在。アレは青褪めた馬に乗った鎧の騎士。黙示録の四騎士よ」


「黙示録の四騎士……オレらが合流した時には彗星みたいにお空の彼方に飛んでったが、そんなご大層な名前が付いてたのか」


「アレはね。元々が軍の管轄だったの」

「この国の?」


「いえ、この国を盟主とする対ゾンビで結束した西側諸国の多国籍軍よ」


「……連合軍みたいなもんか?」

「そう、あなた達の世界にもそういう概念はあるのね」

「ええ」


「我々は13年前も今も殆ど何も知らないわ。だけれど、あの化け物達に対して軍が緘口令を敷いていた事は知ってる。そして、あいつらのせいで数千万の人間が死に絶えた事も……」


「……戦線都市とやらの蒸発後の戦闘か?」


「ええ、戦場の御伽噺。ソレが到着したら死の合図と言われていたわ。志願兵となった息子もあいつらに殺された……この世界の世界宗教が用いる聖典にある騎士達に準えて、その馬に跨った者達を我々は【黙示録の四騎士アルマゲスター】のコードで呼んで来た」


「アルマゲスター……」


「あの化け物達は軍と関係があったはずよ。15年前から軍は彼らと何らかの交渉を行っていた。当時の資料はもう無いけれど、事情を知っている人間が死ぬ前に教えてくれたの。戦線都市の崩壊後のゾンビ達との消耗戦に向かう前の夜に……」


「ほう?」


「アレは戦線都市に置かれていたゾンビ対策の研究施設において“頚城”と呼ばれていたのだと」


「頚城?」


「意味は判らないわ。でも、あの虚構染みた強さ。自在に空を飛び、あらゆる銃弾を退け、戦車砲の直撃にすら怯まず、コミックめいた特殊能力まで持ってる……正しく戦場に打ち込まれる頚城そのものだった……奴らはゾンビ達を率いて戦っていた。ゾンビ共は正しく聖典のレギオンのように人々を飲み込んでいった。でも、8年前。ゾンビと生き残った都市の最終防衛戦の直前から顕れなくなっていたの」


「勝ったと思った?」


「ええ、超常の存在を我々は倒したのだ。そう思っている者も多かった。無論、そうではないという意見もあり、我々は彼らを独自に調査してきた。その為に幾度か南部の戦線都市跡へ調査隊も送ったわ。けれど、殆どの遠征で調査はゾンビの襲撃で頓挫し、計画は凍結」


「……つまり、この都市にとっちゃ、そのアルマゲ何たらは過去の亡霊なのか」


「そうよ。悪い夢……今、この都市を守る元陸軍の士官達の多くは運が良かっただけなの。辛うじてゾンビだけが相手だったから、生き残れた」


「次に戦ったら……いや、不可能なのか?」


 元軍人として気付いた男が訊ねる。


「ええ、今も薬とカウンセリングで騙し騙しやっているだけ。まともに彼らを前にして戦える兵士はこの国には残っていないでしょう」


 そこまで語って、バージニアが心底疲れたような顔でクローディオを睨む。


「我々の事情は話したわ……」

「……分かった。腹を割って話そうか。お姉さん」

「よろしくお願いするわね。オジサン」


 その辛辣な女傑にシニカルな笑みを浮かべて、男が医者が残していたカルテの裏に転がっていた鉛筆で何かを書き出していく。


「何から話したもんか。まぁ、あいつらが帰るまで二、三時間はあるだろ。ゆっくり話そうか。オレ達の世界の事を……」


 その黒い線が描き出したのは彼らの世界にたった一つの大陸。


「大隊長殿からの許しも貰ってる。ただ、前提として一ついいか?」


「何かしら?」


「あいつにはもう何も聞かないでやってくれ。報告書にも書いたが、あの直前の記憶が所々欠落してる。恐らくは過剰な能力を使用したからだ」


「能力?」


「詳しくは言えないが、あの坊主は少なくとも扱い方を間違えれば、この大陸すらも消し飛ばす爆弾だって事だ。冗談でも何でもなく。物理的な意味でな」


「……分かったわ。留意しましょう」


 バージニアがまた要らぬ事を知ったと言いたげに溜息を吐く。


「ならいい。まぁ、そんな大した話でもない。アンタらの世界にも昔は騎士とやらがいたんだろ?」


「ええ、まぁ、随分と昔の話だけれど。今は位として残ってるくらいね」


「これはな? とある世界のとある大陸にある、そろそろ滅びそうだった騎士連中の話だ。まったく、どうしてこんな事になったのか……銃と魔導と超常の力を模倣する機械に剣と騎士と魔術師と旧き世界が駆逐される時代。そいつらは同じ騎士団に所属してたんだ。もうそろそろ潰れそうな時代遅れの騎士団に、な」


 男が語り出す。

 永い永い話か。

 あるいは数分で済んでしまうような話か。


 どちらにしても、バージニアの瞳にあるのは全てを受け止めようという光のみだった。


 数時間後。


 話せるところを掻い摘んで話した男を前にして、女傑が目の当りを指で揉み解していた。


「色々、整理しなければならないみたいね」

「ああ、そうしてくれ」


「旧き時代の剣と魔術。新しき時代の銃と魔導。そして、超常の力とそれを使う機械……ファンタジーな種族や信じられないような規模の事件、災害、戦争……ふふ、出版社に持ち込んで一山当てようかしら?」


 その笑みに男が肩を竦める。


「まぁ、いいでしょう。聞きたい事は聞けたわ。その上で言わせて貰えるなら、私は……あなた達を信じてもいい」


「それでアンタにどんなメリットがある?」


「あなた達が駆け付けた時、あの我々には絶対倒せないと確信出来た騎士は手傷を負っていたそうね」


「ああ、かなり重症に見えた」


「つまり、あなた達の技術体系や魔力を用いた魔術体系。いえ、魔導体系ならば、あの化け物達と対等に渡り合う事が出来る」


「……まぁ、恐らくは……」


「何もただで死にに行けと言ったりしないわよ。私だって、今のあなた達の現状であの化け物達を駆逐出来るとは思わない。けれど……あなた達が仲間を再び集め、奴らを殺せる武器や道具を生産し、それを十全に使えたならば、結果は分からないわ」


「………」


 肯定するにしても否定するにしても、その言葉は安易に語ってよいものではなかった。


 それはクローディオのみならず。

 全員で考えるべきものだったのだから。

 立ち上がったバージニアが肩を回してから、男を見つめる。

 その瞳には確固たる意思と確かに理知の光が宿っていた。


「ハンターの元締めとして、この一件を全て預かる都市の管理者として、あなた達に要請するわ」


 キッと襟を正して女は胸に片手を当てた。


「善導騎士団……善きを導く騎士達よ……もしも、あなた達がこの染みったれた滅び掛けている国を、世界を憐れだと思うなら、力を貸して……その代わり、我々はあなた達に出来る限りの支援を約束しましょう。これはまだ私だけの意見だけれど、市長も守備隊も賛同することでしょう」


 クローディオが女の最大級の譲歩を前にボリボリと頭を掻く。


「ぁ~~~どうしてオレって、こう美人に弱いかなぁ」

「あら、お世辞が上手いのね?」


「オレはエルフだ。人間の美的感覚とは違って世辞のつもりはない」


「……お上手ね。ふふ」


 クローディオがソッと片膝を付いて、バージニアの手の甲を取り、その額を付ける。


「我が剣は他が為に。我が盾は親しき者に。ならば、我らはその誇りと叡智を以て、善なるを為し、導きし標とならん。貴女の勇気と友情に敬意を。バージニア・ウェスター」


 スッと再び立ち上がった色男が小さく微笑む。


「詳しい金と物と人に関するあれこれは明日、大隊長殿と一緒に取り決めを。オレは報告してくる。しがない雇われなもので」


「ならば、彼女に言っておいて。北部と連絡する手段があると」


「ッ、いいのか? そんな隠し球を教えちまって?」


 思わず真顔となる男がバージニアを見た。


「別に隠してたわけじゃないのよ。民間に解放出来る程、情報をやり取り出来る量の回線が無いの。防衛戦時にこの周囲がゾンビで埋め尽くされた時、半径100km圏内の全ての光回線、電話回線が都市外部とは寸断された。今は都市単位のイントラ……って言っても分からないわよね」


「ああ」


「つまり、外部の都市と情報をやり取り出来るのは衛星経由で情報をやり取り出来る軍のPCくらい。精々が個人一人か二人分って事よ。民間が使えるような代物じゃないの」


「軍が解放してくれるのか?」


「掛け合ってみるわ。内容は全て記録されるだろうけど、あなた達の言語を専門解析出来る言語学者みたいな人材がピンポイントで残っていると思う?」


「そりゃそうか。まぁ、残っていたとしても秘密なんぞ今の状況じゃ殆ど持ちようも無いしなぁ」


「あなた達の車両。ラジオの機器は切っておきなさい。私から言えるのはそれだけよ」


「分かったよ。ありがとさん」


 男が一礼してから出て行った後。


 揺れるドアを見ながら、彼女は己の懐から懐中時計を取り出した。


 それは今にも止まってしまいそうな程に旧い代物で実際にもう真実の時間を告げるような正確さは持ち合わせていない。


 しかし、その裏を見れば、誰に送ったものかだけは分かるだろう。


「ヨシュア。どうやらまだ私はそちらに行けそうもないわ……お母さん、頑張ってみるわね。長生き出来るかどうか分からないけれど、禁煙の約束も守るから……」


 小さな呟きはようやくこの15年で掴んだ希望なのかもしれず。


 人知れず落ちた雫は銀に彫られたイニシャルに染みて、僅かに輝かせていた。

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