第10話「おやすみの時間」


「………?」


 ゆっくりと瞼を開けた少年が見たのは良かったと涙を目の端に溜めて、キュッと手を握ってくれているヒューリの姿だった。


(やわら……か……)


 体が思うように動かず。

 顔を横に向ければ、フィクシーと目が合った。


「どうやらお互い無事なようだな」


「何処が無事ですか!! まだ、腕の骨折、治ってないんですよ!?」


 ヒューリの怒った声に失敬と呟いて、何処か悪戯を見付かった子供のような顔で少年に軽くウィンクが飛ぶ。


「あれから、どうなったん、ですか?」


 何とかベルがそう訊ねる。


「さ、さっきまで物凄く混乱した様子でした。けれど、守備隊がフロッカー……ゾンビを撃退したと宣伝して、今から壁の修復作業だって話が都市中に流れてました……もぅ、あんな無茶しないで下さい……もう五時間も治癒してるのにまだ治らないんですから」


 ベルがヒューリの額に浮かぶ汗に気付いた。


 どうやらずっと治癒用の魔術を使い続けてくれていたらしいと理解すれば、さすがに罰の悪い顔となる。


「ごめんなさい……」


「ベル。君が謝る必要はない。私の不徳の致すところだ……私の魔力が足りていれば、此処まで傷付く事も無かったのだからな」


「フィーもベルさんもどっちもです。反省して下さい!!」

「「はい……」」


 まるで叱られる生徒のようだ。

 だが、泣く子には勝てないのが世の道理だ。


「あのお二人の協力して創った方陣、見ていました……最初のはベルさんのですよね?」


「……はい」


「もし、もしよろしければ……いえ、私が信用出来ると思うなら、どうか教えて下さい。アレは……一体何だったんですか?」


 ヒューリの瞳は真剣で横の女傑もまた聞きたがっている事は分かっていて。


 少年は静かにフィクシーに語ったところまでを簡易に説明する。


「あれが、魔力? 光の柱になるまで異質な感触しかしなかったので、他の魔力形質かどうかも分からなかったんですけど……そうですか、アレが……」


 ベルが息を整えてから語り始める。


「地元の結社では魔導への吸収をさける為に口伝以外では僕が継いでいる魔力形質の話は残していませんでした。だから、大陸で確認されている魔力形質に僕のソレは存在しません。ただ、お爺ちゃん……祖父はこの魔力形質を永劫の死を操る魔力……【死葬魔力ファネラティオ・マギシス】と呼んでいました」


「死そのものを概念域から魔力化するのならば、それこそ莫大な……」


 大魔術師の称号を得ているからこそ分かる脅威。


 その小さな少年の躰はそれこそ一つの国家、大陸に名を馳せてもおかしくない程の力を秘めていた。


「いえ、僕が認識する死の重さによって概念域と繋がるチャンネルの太さと持続時間が変化するので事実上は無限にあるだろう力と言っても、取り出せる量にはかなりの制約と限界が……」


「だとしても恒常的に魔力が枯渇する事は無い。違うか?」


 フィクシーの問いに少年が頷く。


「……はぃ。小さい頃からこの魔力形質のせいで死に対して敏感であれ、死を悼めと言われて育てられてきました……その為に僕の頭には死に対する過剰反応用の術式が恒常的に奔ってます。だから、蟲一匹の死からでも出力が小さくていいなら、魔力は数時間以上、引き出し続ける事は可能だと」


 そこまで聞いて、ようやくフィクシーは今の今まで少年の戦えない姿がしっくりと来た気がした。


 そして、だからこそ、魔術師ではなく。

 魔導師となったのだろうという事もまた理解する。

 何から魔力を得ているのか。


 それを知られない為に最も良いのは魔力そのもの出所が勘繰られないようにすればいいという単純な方法だ。


 そして、魔導の省力化はどのような魔力だろうとも基本的に殆ど最小限で最大の効率を引き出す性質上、お前はどれくらい魔力を持っているのか、なんて聞かれる心配は通常の魔術師とは違ってかなり低い。


「そんな……魔力の為に……それを強制するなんて……」


 大陸中央諸国。


 七教会による威光によって照らし出された大陸文化の中心地。


 多くの者達が明文化された社会と文明的な生活を営むようになった地は今や地方とはあらゆる面で格差が天地だ。


 それは人の道徳や倫理、魔術の面ですらそうだろう。


 中央から出た事が無い少女にしてみれば、そんな酷い事をしてまで力を得なければならないものなのか、という感想は至極当然のものだった。


「君は自分の魔術が嫌いなのだな……」


「僕の家系がずっと引き継いで来た技です。伝えていく事は本なんかでも出来る。でも、実践は必要ない……それに意味のない研究ばかりしていた血統です……表向きはよく思われていましたけど……死の研究……フィー隊長にも魔術師なら、それがどういう事なのか。お分かりですよね?」


「………」


 考え得る限り。


 それは非人道的なんて言葉では済まない闇を抱える事になるだろうことは想像出来る程度の話。


 純粋に毒にも薬にもならない。


 誰でも才気と努力と環境さえあれば到達し得るような、そういう“安易で健全な高み”にいる彼女には……理解は出来ても納得は出来ない代物に違いなかった。


「君の事情は分かった。だが、君はそんな家から出て、自分の修めた魔導で生計を立てようとしていた。ならば、君と家は別々のものだ」


「フィー隊長……」


「そ、そうですよ!! ベルさんは何も悪くありません!! それにベルさんのおかげでこの街が今まで見て来たような廃墟にならなかったんです!! 誇っていい事ですよ!! 絶対!!」


「ヒューリさん……」


 身を起して少年は頭を下げようとした。

 しかし、それが二つの手に阻まれる。


「前を向け。君は我ら騎士団の魔導師なのだ。下げなくていい頭を下げるな」


「何も悪い事は……してますけど、それは頭を下げるような事じゃありません。だから、胸を張って下さい。ベルさん」


「……はい……」


 俯きそうになった少年が片手で瞳を擦って頷く。


 隣の教会のシスターが去った後もそのままにされている看板は効果を発揮しており、誰も彼らの部屋に来る気配は無かった。


「ふぅ……もう夕暮れか……今日は疲れた……明日も出来れば休養に当てよう。しばらくは大人しく体力を回復する。いいか?」


 フィクシーの提案に2人が同意した。


「そう言えば、まともな寝台が無かったな……配給された毛布を敷いて暖を取ろうか」


 ロシェンジョロシェは荒野から離れているとはいえ、それでも夜が冷える事は変わっていなかった。


「夜は私が起きていますから、ゆっくり寝ていて下さい」


「いや、魔力過多で傷付いた体を通常の治癒用の術式で治すには限界がある。連続して使用しても傷の治りが不自然になるかもしれん。腕は自己治癒を主軸にして私が行う。ヒューリもベルも一緒に寝てくれ。先程の一件で魔力だけは溢れているからな。魔導で周囲に結界を張って見張れば、十分だろう」


 ベルがその言葉に床に手を付けて方陣を発生させ、二人がいつも使っていた結界に近いものを発生させた後、一息吐く。


「私から魔力を取って暖も取ろう。寝床は明日以降考えようか」


「は、はい」


 ヒューリが頷いてから、それでもまだ骨と腱が繋がり切っていないフィクシーの利き手を気遣う素振りをしてから、隣に毛布を敷いて上に寝そべる。


 もう宵闇に雨は上がっていた。


 夕虹。


 七色が空に宵へと解けていく最中。

 薄ら暈けた曇る窓は優し気な光を恵んで。

 川の字で三人が横になったまま微睡みへと落ちていく。


 明日、またタライにお世話となるくらいに汚れてはいたが、彼らの中には確かに輝くものが宿った。


 それはただ生き残る為だけではない。

 他者との関わりの中で確かに育まれる誇り。

 あるいはそう……希望という類の感情だったのかもしれない。


 しかし、そんな三人が護り切った市街地の端。


 灰の湖を見下ろす高空に影が生まれる。


『何だ……やれる奴もいるじゃないか……』


 その呟きはしかし眼下で復興作業に入る者達の耳には入らず。


 すぐに影もまた地表から消えたのだった。

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