第9話「護るべき後方」


 海辺での心温まる一時を過ごした後。


 三人が街中を歩きながら遠巻きにされつつ、情報を収集しているといつの間にか貧民街らしき場所に出ていた。


 周囲は埃っぽい建物が多く。


 日当たりも悪い為か、黴た臭いがしており、道行く者はポツリポツリ。


 中には酒瓶を片手に倒れ込んでいる酔っ払いやら、道端に座り込んでいる浮浪者と思われる者もいた。


 喧騒から離れてしまうと情報が得られない為、再び人気のある方向へと向かおうとした彼らだが、都市部ではあちこちで道には戸板や視線や行動を遮る壁が立てられていて、もしもの時を想定しての防備の為か。


 かなり大通りなどへのアクセスが悪かった。


 逆に言えば、大通りなどから路地裏などにも到達するには時間が掛かるという事であり、時間稼ぎが主体である事が誰の目にも分かった。


 時間を掛けて路地からの出口を探す一行だったが、不意にサイレンが鳴った為、空を見上げる。


『西部防壁付近の住民の方は急いで避難して下さい。防壁にが近付いています。近隣の住民の方は最寄りのシェルターに非難して下さい』


 水夫達との会話。


 更に複数の住民達の会話を収拾した事により、ある程度の言語はリアルタイムで翻訳した状態でベルは聞けるようになっている。


 そのサイレンが非難を呼び掛けるものだと知れば、その近付いてくるものがアンデッドである事は殆ど確定的だろう。


「ベル。奴らが来たのか?」


「は、はい。フロッカーとか呼ばれているゾンビが近付いてきているから、サイレンが鳴っているみたいです」


「ならば、我々も現場に向かうべきだな。街の外を探索するのに相手の事を知らな過ぎるのも困りものだ。勿論、もしもの時の為に備えておく必要もある」


 自分が何か言い出そうとしていた気配を察して、危なそうなら助けようと提示した事に元お姫様が頭を下げた。


「我々は騎士団だ。人々は護るのは当然の行為。それが恩を受けた者達ならば、尚更だろう」


 そう言って、ベルをフィクシーが担ぐ。


「あ、あの、走っていくのは?」

「却下だ。跳んだ方が早い」

「うぅ、分かりました」

「前衛は任せていいか? ヒューリ」

「は、はい!!」


 先行するように言われた少女がフィクシーと同時に跳び上がり、そのまま家々の屋根を蹴り付けるようにして加速し、先に騒がしく人が逃げて来る方角へと向かっていく。


「ベル。この後方だから尋ねるが、君の魔力形質はどのタイプだ?」


「え、え、あの、フィー隊長?」


「君は魔導師としては未熟だというが、私にもそれなりに人を見る目があると自負している。今まで君がやってきた様々な魔導による省力化しての術の行使……しかし、多数の魔術を複数同時に永続して起動し続けるのは幾ら省力化したとしても限度がある……違うか?」


「それは……」

「君は魔導による翻訳をずっとしているだろう?」

「………」


「大陸にある魔力形質四百数十余種。君のタイプによっては魔導を用いて純粋波動魔力で支援してもらう事もあり得る。術師としてのタイプによっては秘匿したいものかもしれないが、教えてくれないか?」


「分かりました。フィー隊長やヒューリさんになら……」


 一息吐いてから風を切って空を跳躍する彼女に担がれた少年は瞳を閉じる。


「僕の脳が魔力を見出せるのは普通のエネルギーじゃなく概念事象からです」


「やはり、【概念魔力】の類か……」


「はい。ただ、かなり限られた事象からじゃないと概念域からの魔力を引き出せないんです」


 魔力形質。

 そう大陸の人間が用いる魔力は一つではない。


 今現在、公に魔導が明らかにした四百種類以上の魔力と呼ばれる力が大陸には存在し、その中でも特に通常空間とは別の次元より特定の概念事象を認識する事で比例して捻出される魔力は概念魔力と呼ばれている。


「だが、君はそれをずっと行い続けている……この世界にありふれた事象、という事になるな……」


「……僕の概念魔力は通常の空間にある純粋波動魔力みたいな世界に満ちているエネルギーではなくて……存在の“死”によって概念域側に積層した力を引き出す代物です」


「―――聞いた事がある。死霊や魂魄を扱う系統には時折、死に関連して魔力を増大させる術師が複数いると。北部三国の1つでは魔術とは別系統の魂魄を用いた呪いが体系を為しているというが……」


「僕のは大陸南部の呪い師の一族……僕の家が受け継いでるもので……形質の特徴としては【神話性概念魔力ファブローサ・マギシス】に近しいとされていました」


「ッ、一国の主にすら成れる形質なのか?!」


 さすがのフィクシーも驚く。


 少年が語った魔力は正しく神話の時代から続く血統などが己の持つ神話に比例して魔力を概念側の世界から引き出し、力とする神にすら届く魔力の源泉であり、一国の王や王族、皇室などが発現者を時代の支配者にと望む程のものだった。


「いえ、そんな大そうなものじゃ……本来、忌むべき概念である死より魔力を引き出すものです……大陸南部の皇帝陛下みたいな己の血統に連なる神話への帰依と信仰から、なんて神聖なものでもありません……」


「済まないな……だが、戦力の把握は指揮官の務めだ。続けてく―――」


 そうフィクシーが言おうとした時。


 近付いて来ていた都市部外縁の壁の付近で莫大な土埃が上がった。


 その途端、少年の目にも見えた。


 土埃の上がった空からパラパラと人の形をした何かが大量に墜ちて来るのが。


 その中にゾンビが多数混じっており、グシャグシャグシャと周囲でトマトが潰れるような音と共に腐肉と赤黒い血の染みが地面や建物の屋上に華を咲かせる。


 だが、地表では更にその一部を受けたらしき住民の悲鳴が上がっていた。


「敵は―――」


 跳ぶ速度を上げて先行するヒューリに追い付こうという程に風を切るフィクシーだったが、目に見えて、壁が破られている光景を目撃し、土埃が流れて広がる被害地点の惨状に目を細める。


 丸太やコンクリート壁が一部抉れていた。


 まるで巨大な爆発が起こったかのようにクレーターが出来ている。


 その小さな湖染みた場所に大量のアンデッドが水のように注がれていた。


 そして、背後には小山のような化け物が複数。

 彼らを追い回していた大型化個体が群れを成している。


「こ、こんな!?」


「あの状況では壁際の部隊は半壊か全滅だな。吹き飛んだ時に恐らく巻き込まれたはずだ。だが、此処はせっかく得た後方だ。騎士団の者達の情報を得る為にも落とされるわけにはいかない。ベル……」


 その名前を呼ぶ声に覚悟を決めて、少年が横にある自分の隊長の顔を見つめる。


「今から大儀式術を編む。辛いだろうが君の力を借りねばならない」


「……分かりました。詳しい話は後で……魔力をお渡しすればいいんですよね?」


「ああ、魔導にはロス無しで他の魔力形質の魔力を転換して純粋波動魔力にする力があったはずだ」


「よくご存じですね?」


「昔、大魔術師になるか。家を捨てて、魔導師になるか悩んだ事があるからな」

 サラリと彼女はそう肩を竦める。


「え……それって……」


 さすがにベルが固まった。


 それは……その選択肢は少年が嘗て突き付けられたものに違いなかったからだ。


「君は後者を選んだ。そして、私は前者を選んだ。だが、今この状況での志は同じはずだ。あの気の良い人々を死なせぬ程度の恩は共に返そう」


「ッ―――はい!!」


 少年が己が今まで魔力源としてきた事象。

 前方の“死に続ける死体”達に手を翳す。

 その瞬間。


 常の魔導とは違う耀きが、青白い光、紫紺色の光、二つの転化光が混じり合う炎にも似た揺らめくものが少年の右手に方陣を描き出す。


 それは広がって腕を浸食し、頭部に至ると瞳に到達して真白く混合する。


「ぅ……大気より外在魔力を抽出……認識力を一次切り替え……」


 まるでその白は汚濁のように混沌としている。


 それが溢れ出して―――少年をまるで消去るかのように虚ろな白い空虚の絵の具の如く具現化していく。


「通常空間への固定化を開始、概念域と接触後、チャンネル全開固定30秒ッ!!」


 空へ焼き付き。


 移動した痕跡からジワジワと広がって周辺の空を、空間を白が染めていく。


「我らが死よ。我らが頚城よ。営みに連なる悲劇よ。永久に追うものよ……我がに応えよ……我らがに答えよ……この身はより果てに尽きぬ死源しげんを求めし生ける屍者ししゃ……」


 白い空白の“底”から何かが湧き上がってくる。

 単なる平面であるはずなのに何かが噴き出してくる。


 ソレが黒く黒く湯水の如く溢れ出し、少年の頭上へと追走し始めた。


「安寧の黒。虚無の白。我が手に宿りてを謀らん!!!」


 少年の手の方陣が握り締められる。


 途端、追走していた巨大な魔力とも事象とも付かぬ何かが吹き飛び。


 熱量を伴った柱がフィクシーを少年と共に包み込んだ。


「この量は―――行け、そうだな」


 僅かに口元を抑え、血を滴らせながら。


 彼女は同じように唇の端から赤いものを滴らせながらも少し悲しそうな顔で微笑む少年に頷く。


 担いだ手とは反対側の利き腕が剣を後ろ手で引き抜き、上空へ掲げられたと同時にほぼ化け物達の至近の建物に辿り着き跳躍。


「フィー!? ベルさん」


 驚いているヒューリを置き去りにして、大剣の腹に七つ程の魔導方陣が樹の幹のように連結して魔力にて刻印され、地面にそのまま叩き付けられた。


 しがみ付いた少年とフィクシーの姿白い輝きの内部に消え。


 その地点を中心として半径1km単位の方陣が地表に接するあらゆる物質の上を走り抜け、巨大な魔術方陣が発生、展開される。


 大陸標準言語とは違う。


 魔術に用いられる【秘儀文字アルカナ】の複雑極地の集合体だ。


 それが集積され、まるで本当の線にも見えて、円環と象形を刻んだのだ。


 途端、方陣中心から発生した少年とフィクシーを包み込んでいたような光の柱が数十本―――化け物達に向けてまるで猟犬のように襲い掛かった。


 絶叫とも悲鳴とも付かない響きが連鎖し、柱に触れたゾンビ達が次々に純粋熱量の輝きによって焼滅していく。


 まるで天から降り注ぐ裁きの光。


 対象を一匹も残さず分裂し、捕らえ、消去っていく大魔術が人間だけは避けている事からも制御下にある事が分かるだろう。


 そうして、たった十秒程の猛烈な耀く柱の乱舞の後。


 フッと全ての方陣と光が消失し、完全に灰となった化け物達以外は崩壊した壁が過大な熱量の直撃で融けているのみで……上空に積乱雲が発生していく。


 あまりの上昇気流にすぐ曇ったかと思えば、一分もせずに未だ湯気を上げる一帯は雨に包まれた。


「フィー!? ベルさん!!? 大丈夫ですか!!?」


 落下地点で倒れ込んでいる2人の傍に走り寄ったヒューリが叫ぶ。


 が、息はしていても反応が無い事に血の気を引かせ、その両手を二人の背中に当てて、瞳を閉じた。


 すると、二人の体内で僅かながらも変化が起き始める。

 少年と女傑。


 2人の衝撃と過大な魔力で傷付いていた肺の細胞が泡立ち、プツプツと音を立てながら、元の形に戻っていく。


 傷付いた二人の手や恐らくは砕けているだろうフィクシーの大剣を持っていた手もそれは同様だった。


「今、運びますから!!」


 2人を両肩に背負って、魔力を漲らせながら少女は治癒しつつ、己の魔術による手当も方陣を瞳に浮かべながら開始する。


 その速度は疾風の如く。

 一体、何が起きたのか。


 まるで把握していない守備隊が現場に新規の部隊を投入したのは二分後。


 そこには化け物達がいたのだろうクレーターと灰に泥濘む湖。


 そして……辛うじて生き残っていた守備隊の数人だけが存在していたのだった。

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