第2話「生活力と異世界」


 三人が辛うじて魚達の追撃をかわし切り辿り着いたのは家が二十軒程と幾つかの大きな商業店舗らしきものがある一角だった。


 もう夜になるという事で急いで最も近い民家へと彼らが押し入った時点でとっぷりと陽が暮れて宵が過ぎ、夜がやって来た。


 民家内にアンデッドがいないかどうかを二人が確認した後。


 地下室を見付けた三人は鋼鉄製の扉が民家裏の階段に繋がっており、外に逃げ出せる事を確認した後。


 灯りが漏れないように目張りして何とか心休まる寝床を得ていた。


 生憎と堅い石材らしき建材であるコンクリートは彼らの世界では超高層建築にしか使われない代物であった為、まったく心当たりが無く。


 寝床は冷たく固かったが、さりとて外套を敷けば、疲れからか然程気になるものでも無かった。


「全員、何とか生き残ったようだな」

「隊長のおかげです」

「サンクレット隊長がいなかったら、僕らどうなってたか」


「いや、二人の協力が無ければ、私も生き残ってはいなかっただろう。お互い様だ。死線の中で背中を預け合った仲だ。これからはフィーと呼んでくれ」


「そ、そんな隊長を呼び捨てなんて!?」


 思わずブンブンと首を横に振るヒューリであったが、宥められておずおずと言った感じで呼び始めて、やっぱり慣れませんと苦笑する。


「君の事はベルでいいかな?」

「は、はい!! サンクレット隊長」


「まぁ、その内に慣れたらでいい。とにかく君のおかげで我々は助かった。その礼は言わせて欲しい」


「そ、そうですね。ベルさんがいなければ、私達の筏もあそこまで持たなかったでしょうし」


「い、いえ……全ては魔導技術ハイ・クラフトのおかげで……僕は持っていた物を使ったに過ぎませんから」


「それでも、ですよ。ベルさん」


 その謙遜とも自嘲とも付かない言葉にしかしヒシッと少年の両手を握って、ヒューリは感謝する。


(ぁ、や、柔らか―――)


 頬を朱くして何とか感謝を受け取る少年を少女は再びカワイイと思うのだった。


「では、現状を整理しよう。街には何とか付いたが、方角からして恐らくは幹線道路がこの街のすぐ傍を通っているはずだ」


「隊ちょ―――ふぃ、フィーが言っていた街が此処なのですか」


 少し顔を赤らめたヒューリがそう訊ねる。


「ああ、恐らくは。しかし、あの化け物魚の群れがいる以上、もう水路は使用不能。此処からは完全に陸路を征くしかない。食料を何とか確保しながら、一先ず安定して生存出来る環境がある場所を見付けねばならない。此処で幾らか食料が補給出来れば、それを元手にして遠くまで遠征する事も出来るだろう。幸いにして此処まで大きな街なら地図が手に入るはずだ。現在位置の確認も出来れば、大都市圏や農業地帯までの陸路が分かる可能性もある」


「では、明日からはその探索を?」

「ああ、まずは食料が最優先だが」

「分かりました。缶詰は残り幾らほどですか?」


「全ては持って来れなかったが、9割は持って来た。三人で丁度1週間は持つだろう」


「問題は此処に食料がどれくらいあるか、ですね」


「幸いにして荒野とはいえ、水分補給にはあの植物があれば、何とかなる。川縁に伝っていけば、魚にさえ気を付けるだけで水は確保可能だろう。それを魔力転化の熱量で熱して煮沸するのも容―――」


「ックシュ」


 そこまで会話してから二人の視線がベルに向けられた。


「そう言えば、まだ外套の下は裸だったな」

「は、はい。すみません……」


「謝る必要はない。食料と一緒に衣料品も探そう。動物がアンデッドになっているとすれば、防備に我々程ではなくても着込む必要があるだろう」


「そ、その、それでなんですけど」

「何か意見か?」


「は、はい。サンクレット隊長。魔導は一応、空間拡張と生活に必要な大抵の事が出来るようになっていて、汎用式を用いれば、波動錬金学並みに色々な事が出来ます。水の確保や他の食料に付いても加工は可能……複雑な構造物や素材以外は大抵作れるかと」


「それは本当か?」


「は、はい。魔導の本領は薄く広く叡智を網羅する事で合理性を高めて、誰にでも汎用性のある魔術を……というものですから」


「話には聞いていたが、随分と便利なのだな」


「僕の階梯くらいになれば、建築もある程度は熟せます。もし、必要になったらお話を。短時間で簡易の塹壕や建造物の補修くらいは可能ですから」


「では、頼りにさせて貰おう」

「は、はい!!」


「ちなみに今言っていた空間拡張は物を大量に重量に関係なく持ち運べる魔術具などと同等に見ていいのか?」


「はい。容量には限界こそありますが、家一つ分の体積程度までなら入口の限界はあっても、入れる事は可能です」


「……常時使う可能性のある武具や鎧は論外としても、もしもの時の携行食料以外の使えそうな道具や食料は入れておけそうだな」


「食料なんかの生ものは最初から食材に付いている菌類以外は影響が無くて酸化もしないで長持ちすると思います」


「では、これからベル。君には荷物持ちをしてもらう。いいか?」

「はい。ま、任せて下さい」


 ベルが頷いて後。

 ふぅとフィクシーが息を吐いた。


「……さすがに疲れが出て来たな。夜間の見張りは……」


 何時間交代にしようかと言う前に少年が手を上げる。


「見張りなら家のセキュリティー関係の魔導が使えるかと思います。数時間程度なら魔力の消耗は火でお湯を沸騰させるより安く済むので大丈夫ですよ? 感知する方式次第ですけど」


「本当に便利だな……」


 さすがにサバイバル中にまともな睡眠が取れると思っていなかった二人が驚いた顔になる。


「凄いです。ベルさん」


「い、いえ、全部、魔導を生み出した聖女様のお力ですから……」


 フィクシーが感知する方式を伝えて、ベルがコンクリート壁内に手を付いて汎用式を展開する。


 魔導方陣。

 それは言わば、何の魔術にでもなる象形の集合体だ。


 用いられる集積回路染みたソレは毎年毎年密度が高くなり、威力や汎用性も更新され続けている。


 起動出来る能力は多岐に渡り、それ一つで近年は一部の人々から万能の道具と呼ばれて久しい。


「では、方式を指定後は纏まって寝よう」

「何だか幼い頃の野外教育を思い出します」


 魔導による外敵の感知方法を確定後。


 川の字になった三人がフィクシー、ベル、ヒューリの順で横になる。


 少年はさすがに恥ずかしいと外套に包まった状態だった。


 灯りを消せば、地下室はひんやりとしていて、今にも闇の奥からアンデッドが湧きそうな静寂に支配される。


 まだ何一つ見ていない彼らにはしかし其処が高級なホテルの部屋よりも上等に思えたのは状況から見ても正しいだろう。


 外敵に怯えずに過ごせるという人社会の基本的な利益を彼らはマジマジと自分達で確保してようやく実感したのだ。


「………ヒューリ。起きているか?」

「………」

「ベル」


 それから一刻程してから訊ねたフィクシーだったが、完全に寝ている事を確認して、少年にひっそりと話し掛けた。


「は、はぃ」


 少年もまたひっそりと声を潜めて返す。


「あの時の話の続きだが……君の魔導の力を見て、少し考えが変わった。確かに魔導は我々にも必要な力だろう。それは認める……だが、君である必然性はやはりまだ見当たらない。団長が本当に単なる善意で君を招いたとするには私にはやはり違和感があるのだ」


「………」

「君には君が選ばれる理由が何か想像出来るだろうか?」

「僕は……祖国では一応、魔術大家の家柄でした」

「ッ……そうか、鞍替えした術師だったか」


「は、はい。魔術師の内輪ではあまり表立って言える事ではありませんから」


「七教会の魔術結社への締め付けや違法行為を行った組織の廃滅活動は私のような魔術師には自明なのだが、君の家はどうだったのか尋ねても良いか?」


「……家は大家とは言っても田舎で誰も使わないし、誰の役にも立たないようなものを研究してた一族で……あの災害でも殆ど魔術師らしい防御も出来ずに全員が家の下敷きになってしまったので……僕も家の秘奥なんかは知らないんです」


「悪い事を聞いた。だが、そうか……大家だったならば、一応の理由にはなる。団長は人を見る目がある。君が大家の家系だった事も私とは違って見抜いていた可能性は高い」


「………魔導師としてお二人のお役に立てて嬉しいです。戦う事は出来ませんが、これから精一杯頑張りますから……」


「ああ、よろしく頼む。明日は夜明けと共に行動開始だ。幸いにして簡易のトイレも清める紙も此処にはある。ゆっくり眠ってくれ」


「ぁ、それなんですが……その……」

「?」


 少し言い難そうに少年が頬を掻く。


「汎用式と水さえあれば、排泄時に体を清めるのは紙などを使わずに出来るので水場で目一杯水を濾過して組み上げれば、しばらくはそういう面でも困らないと……思います。その排泄したモノの方も殆ど肥料として土に返せるので……」


「………」


「ご、ごごご、ごめんなさい……よ、余計な事でしたよね……」


 その無言に消え入りそうなになった少年だったが、ガシッと手が握られた。


 まだバイザーを付けているフィクシーの瞳が少年を捕らえた。


「君は神か? 毎回毎回、埋めるのも清めるのも困っていたのだッ(小声) 奴らは臭いもある程度は追ってくるからな。あの苦労が無くなるだけでも随分と違うだろう……」


「か、神じゃありません。魔導師です、から……」

「そうだったな。これから世話になる」

「は、はぃ……」


 夜が更けていく。


 眠るには社会の中で暮らすならまだ早い時間帯だったが、少年も女性陣も着の身着のままにも関わらず、何とか生き延びられた実感からか。


 すぐに夢の中へと迷い込んでいく。

 少年が目覚めたのは夜明け直前の尿意から。


 そして……簡易トイレに腰を下ろしている少女と目が合って思わず悲鳴を押し殺して顔を隠し、傍で起きていた上司に口を塞がれた少女もまた出掛けた悲鳴を喉奥に呑み込む事になるのだった。

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