第3話「ゾンビって何ですか?」


 夜明けの一悶着後。


 結局、魔導のお世話になった三人はスッキリしたり、頬が朱かったりしながらも缶詰を一つずつ頂き。


 シャッキリした顔で今いる民家内を探索する事になっていた。


「あのそう言えば、今まで清めるのに紙はどうしてたんで―――」


 ペチンと口元に紙が一枚張り付けられた。


 ハラッと床に落ちたソレをリビング内で取り上げた少年はソレが答えだと知る。


 つまりはそういう事だ。


 その紙には彼らの大陸で使う大陸標準言語に似た文字が羅列されていた。


「ああ、読めないから……」


「情報を手に入れようにも絵があるモノ以外はどうにもならなかったのでな」


 フィクシーがシレッと叡智の集積体である大陸の地方なら高額であろう本をバラして使った旨を呟く。


 その間にも二人がテキパキと何か使えそうな道具や他の物が無いかとあちこちの棚などから色々と見つけ出していた。


 中には本も何冊か存在する。


 出て来たのは彼らにも使い方が分かるモノばかりだった。


 ペン。

 白紙の束。


 恐らく家々の扉などを補強する為に使った工具類一式。


 文字が書かれた透明な袋が入った白い粉が数kg分。


 そして―――。


「見付かったな。少し大きいが切り詰めるか縫えば、いいだろう」


 男物の下着とその上に穿くのだろう厚手のしっかりとした生地のズボンが一着。


「うぅ、良かった」


「昨日は出来ませんでしたが、今日は時間もありますから、糸と針は見付けてあるんです」


 ヒューリが懐から手のひらサイズの裁縫セットらしきものを取り出した。


「糸も針も太いのから細いのまでありますから、心配ありませんからね。ベルさん」


「あ、はい」


 喜々として更に懐から取り出した厚い生地も切れそうなハサミがジョキジョキと子供サイズに色々と切り詰め、太い針と細い針が糸で布地を縫い合わせていく。


「えっと、寸法は?」


「大丈夫です。見て大体は分かりましたから。御心配為さらずに」


「まぁ、任せておけ。レイハウト見習いは多才だ」


 その合間にも二階を見て来るとフィクシーがリビングから出ていき。


 それから三十分もする頃には二階から更に大量の品を持って来ていた。


 テーブルの上には更に革製と薄手の上着が一枚ずつ。

 また、物騒なモノも実包と共に出て来ていた。


 横で上着をまだ喜々として裁縫し始めたヒューリを横に2人がソレを見つめる。


「これは銃か? 君にも分かるだろうか?」


「あ、はい。地方でも規制は厳しいですけど、七教会関係者や軍人さんが持っているのは見た事あります」


「これは恐らく散弾用の携行銃だな。ショット・ガンとか言うのだ。弾の方も六十発分あるようだ」


「……どちらか持ちますか?」


「いや、我々には剣と魔術がある。もしもの時の為に君が持っているべきだろう」


「でも、使った事ありません……」


「これは弾が広がるタイプの銃で飛距離が然程でもない反面、近接しているなら威力はかなり強力だ。集団戦や混戦では仲間に気を遣う必要があるだろう。だが、大量の敵が出て来た場合には室内で一方向の敵に対してならかなり使えるはず。左右を我々が固めて君が撃って後退という使い方も考えられる」


「い、一応……魔導には武器の反動を抑えてくれるものがありますけど」


「なら、やはり君が持つべきだ。弾数も限られている以上、非常事態に使えばいい」


「分かりました」


 頷いたベルが自分の外套の内衣嚢の内部にその銃身が切り詰められた樹木と鉄の塊を実包の箱と共に沈める。


「さて、こちらの粉だが、魔導で判別出来るか?」


「はい。物質の分析なんかは基本用途ですから。ちょっと待っててください。袋の上から手を付いて魔導方陣が汎用式で立ち上がる。


 すると、すぐに手の甲の上に成分表が表示された。


「えっと、これ砂糖? こっちの袋は……塩? 調味料ですね」


「塩と砂糖か!? これは幸先が良い。この荒野だ。塩分は調理済みのものから取る方法しか無かったからな。今までの家では殆ど食料は缶詰しか手に入っていなかったから、これは有り難い」


「白紙の束とペンは僕達の世界と然程変わらないみたいですね。まぁ、地方だと白紙そのものが高価ですけど」


「これは色々と使えるな。取っておこう。ちなみにだが、水と紙を一緒に入れたら、どうなる?」


「あ、大丈夫ですよ。混合されないように空間内の体積と座標だけで管理されてる仕組みらしいので」


「らしい、か」


「魔導は汎用性重視なので基本的に魔術と違って、もう完成された式の仕様を覚えたり、その使い方を学ぶのが主なんですよ。元々は錬金術系の技術や空間制御魔術の一部を使っているようですけど、魔導師は高位にならないと使えるのは一律同じ汎用式なので」


 詳しい仕組みが分からなくても道具は使う事が出来る。

 魔導はその類に近いという事をフィクシーは実感していた。

 次々に調味料やら筆記用具や用紙が入れられていく。


「完成しましたよ。ベルさん!!」


 ヒューリが得意満面で上下一式を少年の前に差し出して来た。


 下は短パンとGパン。

 上はシャツと黒の革ジャン。


 男前なチョイスであったが、生憎とひ弱な少年に似合うチョイスでは無かった。


「うぅ、ありがとうございます。これでようやく普通に……」


「後は靴だが、無かったからな。しばらくは担がせて貰おう」


「ぁ、はぃ」


 ガックリと肩を落とす少年だが、色々と収穫があったのは間違いない。


「この調子で街の民家と店舗を回ろう。食料が有れば、有るだけ保存持ち運びが出来るようになったのはかなり大きいからな」


「は、はい。その、出来れば一緒に本も収集してくれると」


「何に使う?」


「いえ、一応汎用式で翻訳用のプロトコルが組まれていて、夜の間に自動で文法や文字の意味をこちらの辞書と照らし合わせる作業さえ出来れば、覚えて読む事も可能になるかもしれません」


「そんな事まで出来るのか!? 何でもアリだな。魔導は……」


 さすがのフィクシーも驚く。


「汎用性が売りですから。勿論、精度は元々の魔術からしてもかなり下がりますよ? 色々な魔術から要素を抽出して使っている分、簡略化されたりする部分も多いので」


「分かった。出来る限り、本も集めよう」


 三人が地下室を経由して裏口から出て街へと繰り出す。

 幸いにして周囲にはバラけた生ける死体しか存在しなかった。


 次々にアンデッドを剣と魔術による近接用の光刃で首を切裂き行動不能にしていく二人が数分通りで戦った後に残ったのは事切れた大量の死体のみ。


 それに軽く祈りを捧げた二人と共に少年は複数の民家へと押し入る事になった。


 三人にとって行幸だったのは缶詰が三人でも数か月余裕で喰えるだけ手に入った事と工具類が十人分近い量も手に入った事。


 そして、初めて缶詰以外にも開封されていない飲料水の瓶や缶を数十は見付けた事だろう。


 中身の消費期限を確認する魔導の判断は数年先まで大丈夫という事でこれもまた少年の外套の内側へと消える事になった。


 本も数冊手に入ったのだが、地図らしきものは見当たらず。

 それは昼過ぎからの店舗の探索においての目標となった。


 もう街中をアンデッドは歩いていないが、それにしても警戒し過ぎて悪いという事も無い。


 最初に入った民家に戻って缶詰を食してから店舗へと向かった三人はしかし店舗の前でまずその外観をよく見て戸惑っていた。


「……扉や窓を補強した跡があるのはいいが……全面黒いな」


「あ、あの……最初にいたお二人の拠点も黒く塗ってありましたけど、あれはお二人が?」


「いいえ、私達は拠点の内部から補強したり、鍵や鎖を見付けて来たりしただけで……」


 ヒューリがベルの問いにそう返す。


「この店舗、民家三軒分はありそうだが……裏も回ってみよう」


 フィクシーを先頭にしてベル、ヒューリの隊列で周囲を回ったが、やはり出入口になる場所は全て黒く塗られていた。


「ベル。魔導でこの黒いモノの材質は分かるか?」

「あ、はい」


 手を翳して方陣が展開され、表の扉の材質や他の部分も全て単なる板に黒い塗料が塗られているのが分かっただけだった。


「塗料は特別なものか?」


「いえ、マチマチで合成された物もありますが、何か燃やした灰を塗ったようなところもあるようです」


「つまりは何か黒く塗ればいいと考えていたのか? 此処の前の住民達は……」


 しかし、店舗以外に出入り口を黒く塗っているところはなく。


 疑問は深まるばかり。


 しかし、貴重な活動時間をそのままにしておく事は出来ないと裏口を壊して入る事になった。


 音をあまり立てないようベルが周囲に魔導方陣を展開し、吸音する空間を展開。


 そのままバスター・グレート・ソードによる一撃で鋼の扉は一撃で粉砕された。


 蝶番が外れた扉を蹴破って内部に入った後。


 ベルが周囲にあった空の梱包用の木箱を見付けて、それを入口前に持っていく。


 方陣が展開されると同時に箱がバラバラになり、床と壁を統べるようにして戸口を塞ぎ、釘がギュリギュリと扉横の壁に捻じ込まれた。


 これで入口にアンデッドが入ろうとすれば、破壊音で分かるだろうと2人の間にベルが戻る。


 素足はアレなので一応、薄い木製の板が足の下には紐で縛り付けられていた。


 その所業を見ていた二人は本当に便利だなぁという感心顔である。


「此処、何を売るお店なんでしょうか?」


 ベルが店舗内を見て首を傾げる。


 平屋の店舗内には幾つかも棚が並んでいたのだが、その中身は空っぽだったのだ。


「さて、外の看板は文字だけだったからな。分からんが……少なくとも人が殺到した、という様子は感じ取れるな」


 フィクシーが薄暗い店舗内の床を見て、そう言った。

 2人もまたその跡に気付く。

 結婚らしき赤黒い染みと靴跡。


 他にも何か台車のようなもの転がしたと思われる轍の跡まであった。


「何か残っているものがあるかもしれない。探索を続行しよう」


 三人で隊列を組みながら周囲を見て回るも残っているのは埃を被った空の木箱や空の棚ばかり。


 そして、商品を清算するのだろうレジの付近に差し掛かった辺りでフィクシーが後方の二人を止めた。


「人影を発見。レジの後ろだ。アンデッドかどうか確かめる」


 そうして、軽く自身の剣先で突いた瞬間。

 その死体が倒れ込んだ。


「完全に死体だな? もしもの可能性もある。私が調べる」


 フィクシーが干乾びた死体を手袋越しで確認し、幾つかの物品を手に入れる。


「どうやら身分証明書らしきものと……これは通信機か? こちらの世界だと我々よりも民間に情報機器が普及しているのかもしれんな。こちらはラジオがようやく普及し切ったような段階だが……」


 掌大の長方形の薄いスマホが上に掲げられて繁々と見つめられた。


「その端末なら動かせるかもしれません。七教会の情報端末に似てます。恐らく画面が付いてるので総合情報端末なのではないかと。魔導なら端末に関しては色々なチューニング出来る機能がありますから、言語が解読出来たら、どうにかなるかもしれません」


「分かった」


 端末を渡した後、レジ付近を見て回り、箱があったので持ち上げたフィクシーが内部を見つめてソレをそのままベルに渡した。


「あ、これ靴……」

「ああ、それも子供用だ。恐らく入るだろう」

「ぅ……」


 子供用の靴が入るというのも複雑だったが、今の状況よりはマシだと靴が履かれた。


「どうだ?」


「きつくはありません。紐で結ばなくていいのは楽ですね。コレ……」


「此処は靴屋だったのかもな。あのアンデッドの大群から逃げるのに走れなくなったら終わりだ」


 ヒューリが死体に祈りを捧げる。


「世界は違えど、人の死に祈る事は共通のはずですから、この方の魂がどうか安らかならんことを……」


 そのまま店舗内を漁るも見付かったのは靴紐や靴用の中敷きのようなものや靴ベラ、撥水性の塗料が入ったスプレー缶などだけだった。


「今後、靴が手に入るかも分からない。一応は拝借していこう」


 フィクシーの一声で今は使い道が無いものもある程度は持っていく事となった。


 更に何店舗か店舗型の建造物を回ってみるものの。

 出て来るのは殆どガラクタばかり。

 食料品はまず残っておらず。


 大工道具類が少々と内燃機関内蔵型や電源を用いるの工具類が複数。


 いつ使うかは分からないが、とにかくまずは持っていこうという事でベルの外套の中には次から次へと残っていた使えそうな道具は大雑把に入れられる事となった。


 そうこうしている間にも時は過ぎ、再び夕暮れ時。


 最後に彼らがやってきたのは何かの整備でもしている工場か。


 あるいは何かを補給する為の補給拠点にも見える場所。


 建物は少数だが、コンクリート製の床と雨を遮る平たい屋根。


 中央にあるスタンド型の何かと手に持って何かを注ぎ入れる形をした道具とホース。


 ソレの臭いをスンスンと嗅いだベルがすぐにピンと来た様子になる。


「これ恐らく液体燃料だと思います。この世界だと積層魔力を用いない内燃機関が発達している可能性もあります。工場関係なら使うところがあるかもしれませんね」


 ポンポンとスタンドが軽く叩かれる。

 その後ろから繁々とフィクシーがスタンドを見ていた。


「燃料という事は燃えるのか?」


「はい。恐らく地下にタンクがあるんじゃないかと。それを売る場所、なんだと思います」


「魔力が無くなった時の為に暖を取るのに欲しいな。なら、地下のタンクをこじ開けよう。場所は分かるか?」


「超音波で地面内部の検査をすれば、すぐです。少し待ってて下さい」


 スタンドの下の地面に手を付いて方陣が起動して輝く。


 そして、すぐに施設の端から返って来る音波の変動から場所が特定された。


「あそこの下ですね。出来れば、火花とかが散らないようにお願いします。後、気化すると燃えるのでチューブか何かええと……あ、さっきの場所で拾ったのに良さそうなのがありますから、それを使いますね」


「頼む」


 ガソリンスタンドの端で大剣が引き抜かれ、コンクリート製の地面に切っ先が付けられた。


「………フッ―――!!!」


 ギョリンと刃先が円形に一回転する。


 自分も回ったフィクシーがすぐにその場を蹴り付けて跳躍。


 刃先は僅かに魔力の転化光によって輝いており、光の糸のような伸びた刃がすぐ空気へ融けるようにして消え去る。


「積層魔力刃……お見事です。サンクレット隊長」

「フィーでいいと言ったろう?」

「ぁ、は、はい。フィー隊長!!」


 そんな遣り取りが終わった途端。


 ピシピシと刃先で丸く削られた地面が罅割れたかと思うとガゴォンと音を立てて、地面が崩落した。


 それからすぐにムワッと異臭が辺りに漂い始める。


「すぐに採取します!!」


 ポケットの内側から人の拳大の太さがあるチューブがニュルリと出てきて、そのまま下方に垂らされ、鼻を摘まんだベルがソレに触りながら方陣を展開すると。


 下の方で物音がしたかと思えば、すぐ真下へ垂らされたチューブから液体が吸い上げられていく。


「数分は掛かると思いますから。周囲の警戒をお願いします」

「ああ、分かった」


 そうしている間にも異臭に気付いたのか。

 建物内から探索していたヒューリが戻って来ていた。


「こ、この臭いなんでしょうか!? 鼻が曲がりそうな。ぅ……」


「ベルが液体燃料を見つけた。今、吸い上げているところだ。もしもの時に魔力ではない方法で暖が取れるようになった」


「そ、それは嬉しいですけど、この臭いはさすがに……」


「この世界の機械を動かす事も出来るかもしれない。取り敢えず、そちらの成果は?」


「あ、はい。ご報告します。建物内に自動で飲料を販売するものと思われる機械があったのですが、中は空っぽになっていました。恐らく、混乱の最中で略奪されたのではないかと。後、それ以外にはコレだけです」


「ん? あのアンデッドの顔か? アンデッドの注意情報が書かれているのかもしれないな……」


 ヒューリが持って来た張り紙にはアンデッドの顔とその下にビッシリと文字が連ねられていた。


 何かの注意情報である事は想像に難くない。


「ベル!! 終わったら、こちらに来てくれ」

「は、はい!! ただいま!! もう終わりますから!!」


 そう言って実際にすぐタンク内の全てのガソリンを吸い上げたチューブが再び外套の奥へと麺が啜られるかのように戻っていく。


「何でしょうか。フィー隊長」


「この張り紙なのだが、真っ先にこの文言を訳してみてくれないか」


「さすがにすぐには……ええと、一応語句の発音だけなら分かりますけど」


「ふむ。では、アンデッドの名前らしきものだけでも」

「分かりました。数分掛かるので移動しながら……」


 三人がその場を後にしようとした時だった。

 夕暮れ時の街並みの奥からポツポツと人影が見え始めた。


「ッ、もういないと思っていたが、どうやらまだ何処かに残っていたようだな。臭いに釣られているなら、すぐに逃げる必要があるか」


「す、すぐに消臭します!!」


 ガソリン臭い自分に気付いてベルが外套そのものに手を付けて方陣を展開する。


「離れるぞ。脚に自信はあるか?」


「え、ええと、歩いているアンデッドよりは早いと思いますけど、たぶん全力で走るお二人には追い付けないと思います」


「……やっぱり担ぐか」

「ぁあ、はい……」


 此処で意地を張っても死ぬだけだと分かるからこそ、泣く泣くベルの男のプライドはポイされた。


「あの、フィー!!? アンデッド達の様子が!!」

「何?」


 ヒューリの言葉に2人がもう夜に差し掛かる紅の雲の下。

 近付いてくる人影の速度に顔を引き攣らせた。


「奴ら前よりも……走っているのか!? やはり担ぐぞ!! ベル」


「は、はぃ~~~ッッ!!?」


 担がれたベルが二人が走る最中、追走し始めたアンデッド達の速度を見て、顔を青褪めさせる。


 100mを恐らく14秒台。

 少なからず遅いとは言えなかった。

 そして、ゾロゾロと追走する者達が増え始める。


「ど、何処に逃げますか!?」


「相手の動きを制限出来る屋内では私が使い物にならん。ヒューリ。何か良い案はあるか!?」


「ええと、ええと……あ、あの今採取した燃料で道を炎の海にしてみては如何でしょうか!! あちらがもしも追い掛けてくれば、脚に火傷を負って動きが鈍くなるでしょうし、避けてくれれば、時間が稼げます!!」


「その案で行こう!! ベル!!」

「は、はい!! そ、それッ!!?」


 ベロンと外套の内側から先程のチューブが顔を出し、ジャーッとガソリンを走るフィクシーの後ろに垂れ流していく。


「着火する!! 引っ込めろ!!」


 チューブがチュルンと外套内に戻された後、後ろ手でパチンとフィクシーの指が弾かれた。


 その先端に走った魔力が転化し、一瞬で小さな火花が後方へと弾ける。


 途端。


 ボァアアアアアアアアアア―――。


 一瞬で燃え上がった炎の道がデスロードを化し、20mに渡って広がった。


 しかし、それを意に介さずアンデッド達がその最中を突き抜けていく。


 次々に襤褸切れのような衣服に着火し、更に足にガソリンが纏わり付いた為にそのまま燃え上がる動く屍達が数十mを疾走後に少しずつ脱落していく。


 あるモノは筋肉の萎縮で骨折し、そのまま地面に叩き付けられて這い。


 あるモノは炎の中で変な踊りでも行うかのように直進出来ずに捻子くれ。


 あるモノは速度を落として倒れた。


「や、やりましたよ!! フィー隊長!! ヒューリさん!!」


「そのようだな……あれ以上はいないようだ。直線の道があって良かった……」


「た、助かりました。さすがに一度に数十のアンデッドは私達二人でも無理ですから」


 三人は街外れまで来ていた。


 家々は最後の一件を機に遠ざかった位置だが、軽い坂道になっていた為、周囲の店舗と街並みを見渡す位置になっている。


「この街にはもう居られないな。先程は何処から来たのか分からない以上、安全とは言い難いだろう。幸い幹線道路が近い。あちらから隠形を使って夜間行軍とするか」


 周囲には低木と仙人掌の藪が多い。

 此処で夜を明かすにしても極めて危険だろう。


 しかし、そう話し合う三人がふと街の端を見やると。


 今にもとっぷりと暮れて夜だろう地平線に黒いものがヌッと体積を増やしている事に気付いた。


「まさか……川に落ちたというのにまだ追ってきたのか?! それとも別個体か!? く、あまり長くは走れんぞ……」


「乗り物……乗り物があれば、燃料はあるんだ。燃料はッ……」


 ベルがフィクシーの言葉にそう呟く。


 先程のガソリンスタンドで車両らしき絵は三人とも見ていた。


 それが液体燃料で走ると分かっていれば、それさえあったなら、使おうというのは道理である。


 だが、生憎と街中にソレは無かった。

 恐らくは避難する為に使われたのだ。

 どうにもならない。


 戦うという選択肢も無くは無かったが、相手の物量が分からない以上何処かで潰されるのは目に見えている。


「わ、私が時間を稼ぎ―――」

「却下だ!! 10秒の足しが何になる!!」


 ヒューリを窘めたフィクシーが額に汗を浮かべた。

 このままでは確実に追い付かれて死ぬ。

 かと言って、隠れようにも相手の数は多く。


 少しでも見つかれば、その瞬間に死亡は確定したようなものだ。


 ならば、どうする。


 どうするのだと聞かれても自分の中に答えが無ければ、どうしようもあるわけがない。


 三人の間に重いものが立ち込めようとした時。


 チリンと鈴の音色が冷え始めた稜線からの光も途切れそうな荒野に響いた。


「何者だ!?」


 一瞬で周囲の気配を探ったフィクシーが位置を見定め、その大剣をそちらに向けて、ヒューリが背後にベルを庇う。


「怖いわぁ」

「人!? 名を名乗れ!!」


 その相手は仙人掌の棘棘しい頂点に靴の爪先をチョコンと乗せて、しゃがんでいた。


 それがベルには常人ならざるバランス感覚とそれ以上の何らかの重量を誤魔化す魔術の結果であると分かったが、問題はそうではなく。


 彼らが使う大陸標準言語を相手が話したというところにある。


「おたくら、あの“ぞんび”から逃げたいんやない? さっきの見とったよ。燃料も手に入ったんやったら、そこの“さぼてん”の後ろ」


「ヒューリ!!」

「は、はい!!」


 即座に剣で仙人掌の林が斬り飛ばされ、その奥に大型の四角い箱があるのを誰も見付ける。


「これは―――貴様一体!?」


 もう暮れ終わる夕景にその人影は滲み。

 まるで姿も輪郭しか分からない。


 しかし、銀色の瞳から発せられる光だけは僅かに誰の目にも見えた。


 流麗な切れ長の瞳が薄らと細まる。


「ウチはシュピナーゼ・ガンガリオ」


「あの事件に巻き込まれた者か!? ならば、騎士団が責任を以て―――」


「はよ逃げんと追い付かれてまうよ?」


「く……今は問答している時間は無いか!? ベル!! あの車両どうにか出来るか!?」


「は、はい!! 燃料さえ入れれば、発進させる事は恐らく可能だと思います。機能の解析は魔導の本領ですから」


「分かった。すぐに燃料を!! おい、おま―――消えたか」


 完全に闇に融けて見えなくなったシュピナーゼと名乗った女性らしき声の主の事は放っておいて、三人が即座に背後にあった横長の胴体を持つ車両に近寄った。


 即座に方陣が車両側面に手を付けて展開され、機能を把握したベルがすぐに運転席を開いてから後方のタンクを開放。


 チューブを丸い穴に突っ込んでガソリンを流し込み、ハッチを閉めた。


 そのまま急いで座席に乗れば、脳裏に先程の解析結果が浮かんでくる。


 必然か偶然か。


 車の鍵自体は刺さっており、捻った瞬間から僅かに短い音が連続し、最後にはグォンとエンジンが唸りを上げる。


「乗って下さい!!」


 それを聞いた二人が中型のトレーラー。

 いや、キャンピングカーの屋根上に飛び上がる。


 それと同時にギアがチェンジされ、アクセルが踏み込まれた。


 緩い坂の炎を道標に加速していたアンデットの集合体が途中で燃えて朽ちつつあった同胞を取り込みながら、転がるようにして近付いてくる。


 それを置き去りに車両が加速、幹線道路方面へと飛び出した。


 その音を追って複数の大型化が負い始めるも時速60kmを皮切りにして遠ざかり、後方の彼方へと消えていく。


「もう見えないか……何とか危機は脱したようだな」


 屋根上でそう抜け目なく夜目を聞かせて全周を見回していたフィクシーが道路上にもアンデッドがいないかと確認しつつ、息を吐いた。


「……一体、彼女は何だったのでしょうか」


 ヒューリアがそう呟く。


「シュピナーゼ・ガンガリオ……そして、ゾンビ、か……情報を早めに集めねばならないな」


 しかし、その声も風音に融けて。

 車両が止まったのはそれから十分後の事だった。

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