第1話「明日への道程」
―――この世界はッ、僕らの星じゃッ、無かったんだよ!!!
―――な、何だってぇえええええええ!!!?
劇画チックに固まった顔を元に戻すのに一時間半。
少年は荒野の最中。
自身の上司であるフィクシー・サンクレットに担がれて移動し疲れていた。
それというのも全ては少年の装束に問題があったからだ。
裸マント。
そう、彼は外套の下に靴すらも身に着けていなかった。
気付いた時には全裸で丘に倒れており、何とか熱い荒野の中、見えていた一軒家に逃げ込んで、そこで騎士団の外套を見付けた。
そう、告げられた上司たる女傑はこの未知の惑星で感染症なんて以ての外だと脚をこれ以上傷つけさせない為に彼を担いだ。
生憎と少年は他二人の少女達よりも背が低かった為、幼年の団員見習い達。
要は次期団員として時折、騎士団に親と共に来るような子達をそうするように丁重に扱われた。
「うぅぅ……サンクレット隊長。何か男として大切なものを失った気がします」
「そう思うなら、まずは衣服を何とかしなければな。あの死体共の衣服はさすがに感染症が怖い。この拠点を整備するのに二か月。それから周辺の調査に一か月。ヒューリアと何とか生き延びたはいいが……まだ街も見付かっていない。早めに物資の集積地に行かねば、飢える事になるな」
現在位置は元の廃屋から東に4km地点。
幾つかある丘を越えた辺りだった。
低木と雑草と
それがベルの見た全てだった。
ただ、荒野にはポツリポツリと大陸中央諸国でも一般的になっているアスファルト製の道路が存在しており、何処かに道が繋がっている事を示唆していた。
三人が歩く間も微妙に蛇行した道を歩いた事は少年にとっては疑問だった。
しかし、それはすぐに氷解する事となる。
理由が彼の目にも見えた体。
あの犬と同じ。
何処かしらにブヨブヨとした斑色の肌を出して、擦り切れて黒く汚れた衣服で出歩く人型の者達。
アンデッドと大陸でならば呼ぶだろうソレが遠目にも絶対数が少ないとは思えない程にウロウロとしていた。
歯や髪が抜け落ちたり、逆に長大になったりする見慣れぬ衣服を来た人々。
ガリオスや周辺でならば、やっと定着しつつあるという新時代の衣装にも似たソレらを着込んだ彼らが時に集団で、時にパラパラと散らばって、あちこちに点在していた。
観察すれば、彼らが何かを追い掛けているのではないかと推測が付いた。
目に付く動くモノや植物らしきものに齧り付いて“死んでいる死体”も幾らかいた為だ。
仙人掌の棘に顔面から後頭部までビッシリと刺され切った剣山のようなものがウロウロしているところすら見てしまった彼の顔は今も優れない。
それでも何とか二人の拠点へと戻って来たのだ。
其処は道路沿いにある黒い染料で塗りたくられた住処だった。
一軒家だが、全ての出入り口が木の板などを釘で打ち付けられており、内部に入れるのは裏側の一見しては扉の位置も分からない勝手口からのみ。
内部は物凄く熱いに違いないと思った少年の想像は良い意味で裏切られ、彼は何処かホッと安堵した。
内部はどうやら魔術で一定温度に保たれているようだったからだ。
外から光が入って来ないのは仕方なかったが、二人とも魔術は修めているようで光源を出す事は容易だったらしい。
扉を潜って鍵を掛けてという事を繰り返して3回。
ようやく辿り着いたのは二階まで吹き抜けのある一階のリビング。
そこにはソファーと食料が積まれたテーブルとすぐ横にキッチンが有った。
「サンクレット隊長達は此処で生活を?」
キョロキョロと当たりを見回せば、鋸らしきものやら手斧やら中欧諸国ならば、そう珍しくない缶詰の空き缶が集められたごみ箱らしきものもあった。
「ああ、三か月前からだ」
ソファーが一つしかなく。
三人で並んで一息吐いた彼らだったが、さっそくの疑問にフィクシーが頷く。
「あの日の事を覚えているか?」
「は、はい。ええと、こちらにとってはその……数時間前ですけど。急に騎士団本部周辺が慌ただしくなって、僕は非戦闘員だったので大人しくシェルターに入ってたんですが、外ではどうなっていたんですか?」
その問いに僅か瞳が細められ、フィクシーの両手がテーブルの上で組まれる。
「……あの日、いきなり街中にアンデッドが出たという通報があり、七教会の防衛部隊が出動した後、騎士団本部内部に同じようにアンデッドが出現した」
「え、だ、団内部にですか?!」
「そうだ。何らかの転移によるハラスメント攻撃を疑った我々だが、そもそも今や風前の灯に過ぎない団に追い打ちを掛けて来る連中など見当が付かなかった。我々は即座に対応し、騎士団の第1から第8までの大隊が出撃。第9から第12までが本部の各所の警護として防衛線に当たったのだ。アンデッドの駆除は順調かに思えた」
「私はその時の防衛戦でサンクレット隊長に拾われたんです。大量のアンデッドの相手で疲弊していたところに続けて強力な瘴気と魔力が流れ込んできて、殺したはずの死体が……起き上がって……ご遺体を灰にするしかなかったのですが、力及ばず……」
何処か己を責めるかのような顔でレイハウト見習い、ヒューリアと呼ばれていた少女が顔を俯ける。
「何処の組織が揃えたのか数だけはいた。敵の数が我々騎士団の手に余る数だった事は間違いない。それで七教会の防衛部隊が来るまで重要区画への立て籠もりで耐える事とした。団長の決断だったが、今も正しかったと思っている……だが、それが引き金。いや、狙ったいたとしか思えないタイミングで空間転移が大規模に実行された。魔術災害だ……」
「魔術災害……都市一つ分の大魔術ですか!?」
思わずベルが横のフィクシーを見つめた。
「そうだ。街中で使うような代物ではないソレが展開された。対抗しようにも団長も私もその他の術師は皆消耗していた。被害が大きい隊では治癒の為に多くの本職ではない団員も魔力を消費していた。そして、成す統べ無く……騎士団本部は転移に呑まれた」
「まさか、騎士団の周囲の市街地も?」
「恐らく、だがな。しかし、建物と我々は一緒に跳ばされなかった。突如として荒野に放り出されたのだ。其処には見覚えのある動く死体……我々は偶然二人で飛ばされたが、他の者達がどうなったのかは未だ分かっていない」
「連絡は……連絡は取れなかったんですか? 魔術でもそれなりの範囲に通信が飛ばせたはずですよね? それにその機械の方でも積層魔力式で動く通信機が配備されてたような」
「装備の大半が失われていた。我々の魔力形質による通信は純粋波動魔力に近い為、通信関連の魔術には対応しているのだが……応答は無かった。定期的に一応は試みているがこの三か月で一度も応答が無かったところを見るに周囲の地域に同郷の者がいるとは考えられないな」
フィクシーが目を閉じる。
それは最悪の可能性を示唆するものだった。
「じゃ、じゃあ、此処に辿り着いたのは僕ら三人だけ……?」
「分からない。だが、その可能性は高いと見ている」
「そんな……」
またフラッと倒れそうになった少年を横から今まで少年を慮っていた少女。
ヒューリが支える。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……でも、本当に今の話が事実だとしたら、僕らは……動く死体だけがいる世界に放り出されたって事、ですか?」
今度はヒューリがその問いに答えた。
「サンクレット隊長と共に周辺の探索を行いました」
次々に報告される情報は周辺にある建物とアンデッド達の情報だった。
今のところ、周辺の民家は9つ。
アンデッドは夜目を持っていて音に敏感で同族は襲わない。
群れて襲ってくる習性が見られ、隊長と慎重に跡を付けられないよう気を使って何とか食料や情報を集めた云々。
その諸々の報告は短いものではあったが、情報を得るのは命懸けのものだった事が伺える。
「その結果として僕らがいるのは大陸じゃない、と?」
「はい。似ていますが、見知らぬ言語。更に魔力を使わずに電気と触媒、機械の内部構造のみで様々な道具を動かしていたように見受けられました。書籍のようなものも見付けたのですが、絵柄があるものは意味が何となく解りますが、文章はさすがに……」
ヒューリが視線を俯ける。
「とにかく、此処から脱出せねばならない。食料は二人で残り2週間分。三人なら節約しても1週間と少し程度だろう。水はあの所々に生えている植物でどうにかなるが、塩も無い。民家の食料は基本的に調理済みの保存食しかなかった」
それがどれだけ危機的な状況であるか。
さすがのベルにも分かった。
「当てはあるんですか?」
「先日、2日の長距離偵察で街ではないが、幹線道路らしき場所を見付けた。どうやら此処はかなりの田舎らしい。だが、今日明日から進んで1週間後までに道の先に街を発見出来れば、あるいは……」
フィクシーの言葉は確実ではない事を暗に伝えていた。
「魔術による高速移動や空からは?」
「残念ながら、私も彼女も陸戦戦闘向きだ」
内陸部で活躍する魔術師は嘗て大陸では軍の華だった。
しかしながら、長距離行軍には向かない性質でもある。
魔力で空気中から水分を溜めたりという基本的な遠征用の魔術は出来るが……移動用の術式となれば、短距離を巨大な推力で高速移動する程度が関の山。
無論のように魔力が街に付く前に底を付くだろう。
空戦が出来る魔術師などは特別に強力だが、それとて長時間の航行には幾つも魔術具や特別な術式、飛行時の工夫が必要となる。
それが無い魔術師が空なんて飛ぼうとすれば、数kmで魔力が尽き。
アンデッド相手に立ち向かう方法は生身のみ。
それとて数に圧倒されては長く持たない。
そもそも軽装と言えど、金属製の装甲を纏っているのだ。
それで身軽にアンデッド達に悟られぬよう動いていられるのは魔力と魔術の恩恵あればこそなのは未熟でも魔導師たるベルには自明であった。
「この世界に馬車や車両を用いる技術は無いんですか? そういう乗り物や生き物は?」
「生憎とあの死体や動物の死体以外には見掛けなかった。恐らく車両は存在する。しかし、付近の民家にはソレのガラクタや部品らしきものしか残っていなかった。とても実用には耐えないだろう」
見知らぬ危険一杯の世界で三人のみ。
どうすればいいのかは分かり切っている。
「サンクレット隊長とええと」
今更に名前を聞いていない事に気が付いて少年が相手の顔を見やる。
「あ、申し遅れました。私はヒューリ。ヒューリア・レイハウト・イスコルピオ・ガリオスと申します」
「ヒューリ、さん? ええと、ガリオスって苗字はあの国だと一般的なものなんですか?」
その問いに田舎出で何も知らない少年に上司が祖国での常識を教える。
「我が国では国名を姓名に持つ家は一家しかない」
「一家……まさか?」
「ぁ……その……こんな時です。此処はお互いの身分などはお気になさらないで下さい。それにもうガリオスは議会制民主主義になって半世紀は過ぎていますから」
そう、少女はニコリとした。
と言ってもそれは大陸中央での話。
少なくとも地方で王侯貴族に会うというのはこれから死刑になるかもしれないという意味と然して変わらない。
無論のように無知や無礼を働けば、その権力でグシャリと潰される事が有り得る。
「それに自分より小さな子を護るのは見習いとはいえ、騎士にとっては誉です」
「ぁ、いえ、その……」
さすがにベルも自分が相手にどう思われているのかは分かっていたが、麺と向かって言われて何とも言えない顔となる。
「フッ。レイハウト見習い……その子供は君よりも年上だ」
苦笑したフィクシーがそう事実を告げる。
「え!? あ、よ、四歳くらい年下かと思って、あ、ご、御免なさい?!」
思わず口を覆った少女がペコペコする。
「い、いいですか!? あ、頭を上げて下さい。僕謝られるような身分じゃないですから!?」
「さ、さすがに失礼をしましたから!! これからはレイハウト、ヒューリとどうぞ呼び捨てにして下さい」
「そんな?! お、畏れ多いですよ!?」
互いにイヤイヤ済みません御免なさいの応酬を見て、フィクシーが二人の頭をポンと軽く掴んだ。
「あ、あのサンクレット隊長?」
「サンクレット隊長。あう、は、恥ずかしいです」
「お前達はどちらも私の部下だ。揉め事はこの環境でしている暇もないだろう。まずは体力を回復しよう。それからこいつの衣服をどうにかする。何か適当に布を切り貼りして着せなければならん。さすがにずっと持っているわけにもいかないだろう」
「は、はぃ」
年上の女性に完全無欠の変態として担がれてしまった羞恥に少年は頬を朱くして小さくなった。
「(カワイイ……)」
「さて、この家に布が幾らあったか……集めて来てくれ。ヒューリ」
「わ、分かりました!! 今生で初めての裁縫仕事ですが、針と糸なら刺繍で学びましたから!! すぐに!!」
ヒューリが上階へと昇っていく。
「うぅ……まさか、王族の方だったなんて」
頭を離されたベルが頭を抱える。
「団長から君は地方諸国出だとは聞いていたが、中央諸国は初めてか?」
「は、はい。恥ずかしながら……色々とご無礼を……」
「構わん。この状況だ。そもそも君に対しても殆ど数日ほったらかしにして団員に案内と仕事内容を教えていただけで肝心な事は教えていなかったからな。そもそも彼女の隊は団長の直轄である第12大隊だ。本来なら会う事も稀だったのだ。そう肩肘を張らず、少し高貴な出くらいの感覚で付き合うといい」
「は、はぁ……解りました」
ざっくばらんな上で何よりも今は合理性を重んじるというフィクシーにさすが中央でもトップな実力の人は違うなぁという感想をベルが抱く。
「さて。彼女もいない事だし、本題に入ろう」
「え?」
初めて少年が横の女傑の瞳に剣呑な光が奔るのを見た。
中央のテーブルの缶詰が底光りするように虚空に掲げられた光球の下、その女の顔を映し出す。
「私は君があの事件に関わっているのではないかと睨んでいる」
「え、あの!? ど、どうして、でしょうか?」
「私は何もかもを知っているわけではない。だが、あの事件が起こるまでの数日で団に異変があったとすれば、それは君の事に他ならないからだ。ベルディクト・バーン」
「僕が異変?」
「ああ、そうだ。騎士団が無用になりつつあるご時世に何とか存在を保っていたのはあの大災害で中央の各地が混乱し、南部での魔王の建国が影響している。本来なら全て大陸中央諸国を統べる七つの剣……七聖女率いる七教会が何もかもを解決してくれるのだから、騎士団など過去の遺物に過ぎない……」
さすがに自分の騎士団の状況をそう語る相手にベルも驚く。
「そんな場所だから、私のような中央諸国では廃れていく魔術師が大きな顔をしていられる。騎士団内では依然として旧態然とした魔術師の雇用という意見が大勢を占めていた」
「それって……僕を団長が騎士団に入れた事そのものが実は物凄く大事件、だったり?」
その言葉に僅かフィクシーの瞳が細められる。
「自覚が無かったのか?」
「はい。僕はただ職を求めてガリオスまで来ただけで……」
「地方だとまだ魔術師が多いと聞くが、魔導師として出稼ぎ……その歳でか?」
「その、実は実家があの災害で消失して家族も……」
「悪い事を聞いた。だが、それにしてもオカシイと私は思っている」
「オカシイ?」
「団長こそが魔術師の庇護者勢力だった。だが、君を騎士団にスカウトした。それも破格の条件で」
「え……そ、その団長さんには騎士じゃない一番下っ端から頑張ってくれって言われたんですけど」
「確かに君の騎士団内での地位は最下位だ。だが、個室を与えられるのは基本的に騎士団内でも騎士とそれに準じる重要な働きをする者だけなのだ」
「そ、そうなんですか……」
「ああ、君は善導騎士団にどのような利を齎すはずだったのだ? 私はそれを団長から聞いていない」
「だ、団長さんからは魔導師のいろはを魔術師や団員の方に御教えするようにとしか」
「君は魔導師としてどれくらいの階梯にあるのか教えてくれるか?」
「えっと、お恥ずかしながら……下から4番目です」
「それはどれくらいの修練を積めば、慣れるものか分からないのだが……」
「魔導は七聖女ハティア・ウェスティアリア様が説いた総合魔術体系ですけど、基本的に才能が無い人間がある程度までは出来るようになる事が前提で組まれていますから……僕の階梯は普通の人間が数年掛ければ届く程度のものでしかありません」
「……それなら我が国の魔導師でも良かったはずだ。何故、君を?」
「実は……」
大都会に出て来た田舎者が出て来た当日に置き引きに合って、警察に届けを出した後に途方に暮れていたという何処にでもありそうな仄々した都会怖い話が展開される。
「団長がそれで君を?」
「は、はい」
「……それは―――」
二階で悲鳴が上がった。
2人が同時に顔を上げる。
それと時を同じくして、黒く塗られた家のあちこちで木材が軋み破壊されるバリバリという音が連続し始めた。
「―――食料を持てるだけ持て!! 私の後ろに付いて来い」
「は、はい!!」
2人がテーブルの上の缶詰をザラザラと袋や外套の
すると、その二階部分に数人の人だった者達の腕と顔が壁面から突き出していた。
「何だッ―――こいつらは何処から?!!」
室内では大剣が振るえない為、魔術で撃ち落とそうとしたフィクシーが思わず腰を抜かして後ろに下がっていたヒューリの肩を揺さぶった。
「オイ!! 噛み傷や引っ掻き傷は!!」
「あ、ありません!!」
「なら、構わん。此処はもうダメだ。脱出するぞ。持っていくモノはあるか?!」
「い、いえ!? しょ、食料は!?」
「持てるだけ持った。下も連中に恐らくすぐに突破される。だが、どうしてだ……こんな襲撃今まで一度も無かった事だぞ……」
チラッと横のベルを見たフィクシーであったが、考えるのは後だと二階の反対側の壁を内部から蹴った。
すると、どうやら偽装していた天窓があったらしく。
弾け飛んだ外への道が出来上がる。
「跳ぶぞ!! ベルディクト・バーン!! 一人でも跳べるか?!」
「す、済みません!! か、担いで頂ければッ」
「分かった」
妙な事をしたら、分かっているな?
という類の視線を受けてから、ベルが物凄い勢いで首を縦に振った。
それに首を傾げたヒューリだったが、すぐに上司と共に屋根の外に飛び出す。
三人が二階の屋根から地表へと跳躍した時、ベルは背後から覆い被さるような影を目撃して、思わず軽く振り返った。
「―――ッ」
そこには巨大な屍の山が築かれていた。
まるで組体操。
あるいは単純に突撃した大量のアンデッドが折り重なって出来た山。
そのようなものがまるで家を押し潰すかのように大きな影となっていたのだ。
バキバキと家を喰らう魔物のようにその大群が小さいとはいえ、一戸建ての建造物を呑み込む音と光景は少年の瞳に焼き付いた。
「サンクレット隊長!! あ、あの!! 集まったアンデッドはあのように大きくなるものなのですか!!?」
「巨大な手!? 何だアレは!? く、逃げるぞ!!」
担がれながら、少年は逃げ出す。
倒すのならば、二人でも何とかなるかもしれない。
だが、その後に周囲の集まって来たアンデッドに囲まれてしまえば、逃げる事は敵わないだろう。
ゆっくりとだが、夕暮れ時に移り変わってゆく荒野の最中。
下がっていく気温に比例するかのように周囲には次々に人影が集まりつつあった。
犬型と違って動きは緩慢だが、確かな足音だけがまるで砂に音を吸われてすらも聞こえるかの如く耳に聞こえもしない残響となって残るような、そんな異様な空気が生まれていた。
ここが別の世界だとすれば、その禍々しくも映る沈みゆく陽も最初からそのようなものなのか。
判別は付かずとも、少年にとて一つだけは確かだった。
此処は少なからず、人の住まう領域ではないのだ。
100m。
500m。
1km。
走る二人と担がれる一人。
そんな構図で周囲の偵察くらいはしようとあちこちに視線を向けた彼は不意に徴候を掴んだ。
「な、何だアレ!? 他のアンデッドが増えてる場所でも同じように何か形を造って―――」
その言葉に周囲を見回した女性陣二人も驚きに走り続けられてはいても、身を固くしていた。
「隊長!! い、今までこんな事はありませんでした!!?」
「解っている!! これは―――周期的なものなのか。それとも……」
その先の予断はせず。
少年を掴む腕を僅かに力強くして、彼女は周囲の丘という丘、地表という地表で寄り集まって形成されていく形を見つめた。
腕、脚、胴体、頭。
そのような一部分が形成されてはゆっくりと下部のアンデッドをまるで車輪のように回転させ蠢きながら速度を増させ始めた。
彼女達に向かって。
「奴ら、ただの化け物では無かったか。やはり、何者かの手によるモノ……」
「隊長!! 此処から一番近い場所まで幻影で誘導しては如何でしょうか!!」
「無駄だ。アレは視覚を誤魔化せても臭いや振動などは誤魔化せない……いや、それも使えるか。途中の河川を利用する!! 我々の水場であるあそこからある程度遠ざけ、水辺で板切れか大きな樹木を用いれば―――レイハウト見習い」
「了解です!!」
ゆっくりと速度を上げて襲い掛かって来る化け物の集合体。
ソレの遠間の幾つかがヒューリの仕掛けた幻影に釣られてか。
少しずつ軌道が反対方向に離れていく。
だが、近い数体はその幻影には誤魔化されず。
次々に三人に向かって来ていた。
「他の大型化個体に伝わっていない。ならばッ」
逃げ切れる要素はある。
ベルが走る二人の道行きに二畳程の大きさの看板が据え付けられた建物を見た。
住宅は小さいが、見る限りは木製のようにも見受けられ。
「サンクレット隊長!!」
「アレかッ、感触を確かめる。重く無ければ、いけるだろう。レイハウト見習い!!」
「分かりました。そちらは私が!!」
2人が同時に道すがらの看板に向かう。
手触りだけで分かるものかどうか。
ベルには知り様も無かったが、騎士団と言えば、陸戦のプロである。
現地では部隊の完結性が高く無ければ、活動出来ない場所も多かった為、サバイバル技術はそう低いわけではない。
分業化が進んだ昨今の大陸の軍事体系はその殆どが超絶の超越者たる七人の聖女が率いた教会の為に半ば、七教会とそれ以外という括りになってしまっているが、だからと言って騎士団の出来る事が出来なくなったというわけではないのだ。
ならば、何とかなる。
いや、何とかしてもらわねば、三人仲良くあの世行きである以上、やる事など決まっている。
「協力を!! 重さは変えられませんが、樹液を変質させて撥水性の溶液で塗装出来ます!! これでどうにか!!」
2人が個人宅横の看板に触れて、同時に手刀で固定していた鉄棒を叩き切った。
すると、目に見えて軽かった事が判明する。
「行けるぞ!! 残り半里だ!!」
「はい!! 隊長!! この重さなら速度を落とさず行けます!!」
何とか水場まで走り抜いた二人だったが、その時にはもうどちらも汗をビッショリと掻いており、肉体の限界が近い事を知らせていた。
その僅か渓谷のように切り立った数m先の崖下の河川には十分な水量が流れている。
「このまま行くぞ。割れぬよう先に我らが着水し、受け止める!!」
「は、はい!!」
「え、あ、ちょ」
ベルが何かを言う前に数mとはいえ、それでも十分な高さからダイブが結構された。
「ひ、ひぎぃぃぃぃ!!?」
「情けない悲鳴を上げるな!! それでも騎士団の一員か!!」
一喝されて、口に手を当てたのも束の間。
衝撃と共に着水。
それに続いて看板を痛めぬように立てにしてヒューリが着水。
同時に下から突き上げるように板が浮力で反発してから倒れ込んだ。
その水飛沫の中。
ベルを先にベチャリと上げたフィクシーがヒューリと共に体を引き上げる。
「魔導を!!」
「は、はい!! 式を展開!! ランチャー起動!! か、家庭工作用を検索!! ええと、撥水性の塗布剤を樹木の樹脂から生成!! 動力はええと下方の水流からで!! 樹脂の抽出と変質は本人からの魔力供給で!!」
目まぐるしく絞られていくあらゆる情報を瞳のデバイスを通して見ながら、音声認識でガイドしつつ、条件を設定し、全ての条件に合致した事象を導く。
途端、看板に小さな魔力の転化した光が浮かび上がり、方陣を組んだ。
多くの魔術師が己の叡智と魔力の形質によって千差万別な術式を効率など殆ど考えずに瞬時に編み挙げるが、魔導はあらゆる魔術の叡智を合理化した結果として一定の事象を一定の速度で編み上げる事が出来る。
だが、その促成栽培甚だしい辞典だけ持った頭デッカチと呼ばれていた数十年前の勃興期と比べても合理化速度は極めて加速しており、魔術と魔導の発展速度は天地の差。
今や汎用式と呼ばれる術式が嘗て神の力を借りる事が多々であった魔術。
否、魔導には使われなくなって久しい。
省力化と合理化と叡智の探求が血統に選ばれたプロフェッショナルから単なる一企業の研究者が行うようになった結果としての魔導の莫大な叡智の編纂は加速し続け、その力はどのような分野にだろうと遍く広がっている。
「い、今は魔導が何にでも使われる時代とは知っていますが、まさか家庭用にまで……」
魔導が一般化した大陸中欧諸国の知識人ならば、驚かない。
だが、常識人な魔術師ならば、体感して驚くのも無理からぬ話だ。
嘗て、魔術で方陣を用いるような複雑なものは根本的に軍用か、研究用が主であった。
しかし、魔導と姿を変えた新たなる総合魔術体系は各家庭、各個人にまでも利便性の高い汎用での魔術、否……魔導の力を提供している。
それは価値の暴落であり、それに触れたくなかった魔術師の大半は魔導に敗れる運命だ。
正しくその例に漏れない錆びれた魔術の徒である2人にとって、新しいモノを扱う少年は驚きに値する事をしていた。
「とにかく、このスピードなら降り切れる。全員固まって互いと板を掴め!!」
「は、はい」
「はい。隊長!!」
その合間にも次々に殺到していた大型化したアンデッド達が数mの落下の衝撃で結合を解かれ、水面に落ちて沈んでいく。
通常、人体は浮くものだったが、腐肉が半数な上で水上でバランスが取れるわけでもない脂肪込みの人体は溺れるのが関の山だった。
「……上手く逃げ切れたようだな」
遠ざかり、やがて後方の夕闇の奥へと消えていった化け物達の姿に安堵した様子となったフィクシーがどうしたものかと左右を切り立った壁に囲まれた川面に思案顔となった。
「隊長。食料はまだ何とかなりますが、このまま先へ?」
「この世界でも川が大きな河川に合流するのは通用する条理だろう。川自体の傍に街がある事は不自然ではない。だが……」
「?」
ヒューリがその川面を険しい顔で見つめる上司に首を傾げた。
「この川……動物らしい生物が見えない?」
「え?」
ベルが透明度の高い川の水を手で掬う。
「魔導で簡易の水質検査をしてみたんですけど、水質は汚染されてないし、毒物も検出されませんでした。でも、藻はあるようですが、蟲や魚がいません。このプランクトンや藻の量なら居ても不思議はないはずですけど……」
その言葉に何処か不安そうにヒューリがフィクシーの顔を見やる。
「レイハウト見習い。我々が此処に来てから動くモノで死体では無かったものに出会ったか?」
「え……それはアンデッドとベルディクトさんを襲っていた狗以外には……ッ」
ようやく気付いた少女が僅かに顔を青くする。
「そういう事だ。アンデッドがどのような経路でああなっているのかは分からないが、魔術や呪いの類だけではなく物理的な接触も可能性がある。あれだけの数だ。水の中に入った個体もいるだろう」
「まさか、この川に水を手に入れる時以外近付かなかったのは……」
「そうだ。不用意に水場で襲われたならば、陸戦主体の我々では手に負えない可能性が高い。それに奴らの習性は群れて襲ってくる事……この水場で魚サイズのものが次々に襲い掛かってくれば……」
「で、でも、だ、大丈夫ですよね? 今も何ともないですし」
何とか少女が笑みを取り繕おうとしたのも束の間。
「あの……先程から汎用式で川底に何か無いかソナーを使ってるんですけど、何か後方から物凄い勢いで壁が迫って来てるみた―――」
看板が不意に背後からの水飛沫に揺れて、三人が恐る恐る見れば……川が無くなっていた。
いや、正確には川がビッシリと黒い何かに埋め尽くされていた。
それが背後からゆっくりと近付いてくる。
「直ちに後方を引き離す!! この看板を強化出来るか!?」
「は、はい!!」
「レイハウト見習い!! 操舵はそちらに任せるッ、私が魔力を運動エネルギーに転化して加速させる。頼んだぞ!!」
「わ、分かりました」
「生きて川岸まで行くぞ!!」
「は、はいぃぃい!!?」
「こんな事になるなんて、此処は本当に一体……ッ」
その言葉の途端、跳ねた魚の群れが背後で見えた。
乱杭歯が剥き出しになり、水の中だと言うのに歪な形に顔が歪んだソレがビチビチと仲間をその圧力と牙で砕きながらも猛烈な速度で追い縋って来ていた。
筏となったえ看板の後方に落ちぬよう手を付けたフィクシーの手が僅かに輝いたかと思えば、魔力の励起によって、他種類のエネルギーや事象への魔力の転化が始まる。
一気に加速し始めたボートから手を離さぬよう這い蹲るベルが顔を風圧で歪めた。
その上に被さるようにして看板の下に魔力式の即席の舵を生み出したヒューリがあちこちにある岩に激突せぬよう巧みに方向を小まめに変更していく。
時速で80kmは出ているだろう風防無しのスリリングな川下りに意識が遠のいていくのを感じたベルは思う。
―――ああ、これなら故郷で先祖代々の土地でも耕して、お隣さんからの差し入れで食べていた方が良かったかな、と。
こうしてカッ飛んでいく筏は大きな河川へと合流する事となる。
その先には小さな街並みが確かに見えていたのだった。
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