エピローグ おかえりなさい

「ねえ、今日も穴掘りのお仕事なの?」


 朝の支度を始めたケイゴにヒナタの声がかかる。どこか案じるような気配があるのは、凶暴化したカラスの襲来を懸念したためだ。


「そうだな。切り開いた雑木林の跡地で地下室の建設だ。寒さが酷くなる前に造っておきたいんだとさ」


 筋肉で引き締まった背に、不恰好なツルハシとボウガンが担がれる。その逞しさからは、細腕だった頃を思い出す事が難しい。


「危険があったらすぐ逃げてね。頑張ろうとしちゃダメだよ?」


「今日はそれほど危なくは無いよ。4人体制だから」


「でもさ、ケイゴ君ってなんだかんだ言って頼りにされちゃってるから」


「熊殺しの異名が強すぎんだよな。まぁ、無茶な依頼さえ受けなきゃ平気っしょ」


「だと良いんだけどね」


 ヒナタの心配は尽きない。その気遣いを、ケイゴも疎ましく思う事はなく、むしろ心地よさすら感じていた。


 鳩時計が定刻を告げる。そろそろ出発しようかと思っていると、彼らの元に来訪者が訪れた。眠気の残る身体にフワリと優しげな声が届く。


「ヒナちゃんにケイちゃん、おはよう」


「おはようママ。朝早くからどうしたの?」


「ううん、そろそろかなーと思ってね」


「そろそろって何が?」


「決まってるじゃないの、孫の顔よ」


 朝一で何を言い出すのかと思えば、割と突っ込んだテーマであった。苦笑するケイゴとは違い、ヒナタは顔を真っ赤に染めて声を荒げた。


「だから、そういう事はまだしないの! 気が早すぎるってば!」


「照れなくても良いじゃない。もう夫婦になったんだから、『そういう事』をして当たり前なのよ?」


 ケイゴとヒナタは半月ほど前に婚姻関係となり、ささやかながら式も挙げた。今は誰もが認めるおしどり夫婦である。


 ちなみに晴れ着はヒナタの手作りだ。ウェディングドレスやタキシードの用意など無い中で、手元にあるレースカーテンや布の切れ端を巧みに活用し、本物と遜色無い物を作り出してしまった。もちろん住民からは大絶賛。式を終えた後は、ヒナタの役割も漁師補助から外され、新たに服の製作と修繕を任される事となった。これは天職に就いたようなもので、彼女も心から喜んでいた。


 そんなヒナタだが、ひとつだけ大いに不満を抱えていた。それは前述の披露宴での事。いつも以上に頑張ってしまったコハルが、見るも鮮やかな余興を晒してしまったのである。彼女の得意分野である調理のお披露目も、もはや剣舞と称すべき域に達しており、技の冴えは参列者に強烈なインパクトを残した。結果、ヒナタの晴れ姿は覚えられても、ケイゴの影は薄くなるという大惨事。皆が皆、結婚式の話題になるとヒナタ親子の話で持ちきりになってしまう。これが不満でならなかった。娘の幸せを一心に願うだけの真っ当な親心も、超人が抱いてしまえば予期せぬ結末を導いてしまうのである。


「お義母さん。あんまりヒナタをからかわないでよ」


 今もなお続く攻防に助け船を出した。しかし、コハルの猛攻は尚も続く。


「ケイちゃん。あなたも獣にならないと。確かに初めては緊張するけど、すぐに慣れるわ」


「うんうん。別にアドバイスが欲しい訳じゃないから。ともかく落ち着いて欲しいんだよ」


「とりあえず、そうねぇ。今日のお昼休みにでも1回経験しちゃえば? 農園だったら暖かいし、人もあまり来ないから存分に……」


「ママ! ケイゴ君はこれからお仕事に出るの、だからもう帰ってよね!」


 コハルは背中を押される形で退場を余儀なくされた。弱々しく抵抗するも、娘の意思が遥かに勝っている。


「ヒナちゃん、いじわるしないで。老い先短い身としては、孫に会うだけが楽しみなのよ」


「まだ老け込むような年齢じゃないでしょ!」


 2人の姿が遠ざかっていく。ケイゴはぼんやりと成り行きを眺めてしまったが、時間が差し迫っている事に気付き、仕事場へと急いだ。


 一号間の通路を足早に歩いていく。すると、向こうからやって来る人物に声をかけられた。


「おはようケイゴ君。仕事かね?」


「おっすロジー。これから穴掘りだ。んで、それは何だ?」


 ケイゴの指差す先には、満杯に膨らむポリ袋があった。ロジーが軽く揺すると、カタカタと乾いた音が鳴る。


「これはヒマワリの種だ。開花は大成功でね、次に植える種を差し引いて、残りを食用にすべく食堂へ向かおうと思っていた」


「へえ、それは良いニュースだ。前回のネモフィラも上手くいってたし。野菜も順調だって言うじゃないか」


「ネモフィラはヒナタ君に一輪あげたんだったな。今もまだ咲いているかね?」


「いや、散らせるのは寂しいっつうんで、押し花にした。結構良い感じに出来てたぞ」


「なるほど、押し花か。ちなみに何の本を使ったのかな?」


 ロジーにしては珍しく一歩突っ込んだ質問を投げかけた。人のテリトリーに踏み込むタイプでは無いのだが、と不思議に思う。


「ちょうど良いのが無かったからな。親父の日記帳でやったよ」


「なるほど、なるほど。そういう結論も良いと思う」


「何がだよ。一人で勝手に納得すんな」


「解説するのは一向に構わんのだが、急いでいるのでは?」


「やべっ。お前のいう通りだ!」


「ではごきげんよう」


 ロジーの脇を通り抜け、玄関から飛び出した。向かうは道路向かいの雑木林。敷地の半分は拓かれており、今度はそこに深い穴が掘られようとしている。既に1人2人と集まっており、作業は開始寸前であった。ケイゴは駆け足で現場へと向かった。


 しかしその時、瞳に強烈な光が過ぎった。続けて聞こえるエンジン音。暗闇を切り裂いて現れたのは1台の乗用車だった。こちらの存在には気づいているらしく、クラクションが短く2回鳴らされた。


(あの車は、間違いない……!)


 ケイゴは一直線にそちらへと駆けて行った。「おかえり」と「はじめまして」を来訪者に告げる為に。



ー完ー



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地球氷結 おもちさん @Omotty

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