第36話 甚大すぎた誤解

 外から建物を見回す限り、確かに危ういとロジーは感じた。敷地をグルリと塀で囲んでるのは良いとしても、門の入り口を開け放っていては意味がない。それは外敵の侵入を簡単に許した事からも明らかだった。


(次も上手く撃退出来るとは限らん。早急な対策を考えねばな)


 ケイゴが死闘を繰り広げる最中にロジーは何をしていたか。彼は当時、騒動の一端すら気付くこと無く、上層階で農場開発にかかりきりとなっていたのだ。


 異変を察知できたのは全てが終わった後。顔面蒼白となったケイゴと寝床で対面し、忸怩(じくじ)たる想いに胸が痛んだ。もし自分が加勢できたとしたら結果は違ったかもしれない。大した戦力にならなくとも、逃げる切っ掛けを見いだす事も出来た筈だ。まだあどけなさを残す青年の双肩に、一切合切を乗せる結果となってしまった事実が、しきりに心を苛み続けた。


 幾度となくケイゴのもとへ見舞いには訪れた。しかし、大抵は深く眠っており、中々顔を合わせるに至っていない。つい先刻に身体を起こす姿を見たので、一言くらい喋ろうと思ったのだが、今度はロマンスの壁に阻まれた為に引き返さざるを得なかった。その結果、無理に訪う事を諦めた。そして罪滅ぼし代わりに防衛計画を練る事にしたのだ。


(やはり有効なのは罠だ。落とし穴が定番であるが、それは住民にも不都合が生じる。慌て者などは引っ掛かりかねない)


 門を通りすぎて敷地内に戻ると、駐車場でナタを振るう姿を見た。それは一心不乱という様子で、汗を拭う暇すら惜しむようだ。ゲンシチである。彼も慚愧(ざんき)に堪えない程に、恥に苦しむ一人だった。ケイゴが死地に飛び込む姿を目の当たりにしつつも、あまりの恐怖に腰が抜けてしまい、身動きひとつ出来ずにいた。つまりは見捨てる形となったのだ。


 不本意かつ、悪意無き結果である。しかし口賢しく持論を展開させる事無く、ただ黙々と作業に励む姿にはロジーも好感を覚えた。出来ることしか出来ない。自分も含めて、誰だってそうなのだ。


 ゲンシチにはわざわざ声をかけなかった。邪魔にならないよう気配を殺し、今度は発電機付近まで足を運んだ。潤沢な湯は絶え間なく流れ、今も温かな湯気が昇り続けている。


(罠よりも先に、武器防具を作るべきだろうか)


 崖から下を覗き込めば、惨状が視界に広がった。赤い、そこかしこが赤い。まるで処刑場かと見紛う程で、今にも死の気配が這い登ってきそうである。ここでケイゴは孤軍奮闘を強いられたのだ。戦場の跡を眺めるだけでも、その戦闘の激しさが容易に理解できた。


(例えばボウガン。安全圏から攻撃が可能な上に、訓練も少なくて済む。作り方次第では女性でも扱える)


 崖の淵に足をかけ、下に向けて身構えた。手には透明な武器があり、トリガーに指をかけ、引く。イメージの中に限れば、今の一手で撃退に成功している。発想としては悪くないと感じられた。


「何をやってるんだ、貴様は」


 ロジーが声の方へ振り向くと、そこには飽きれ顔のルイーズが居た。口にタバコを咥え、時おり白濁の息を吐く。食後の一服であった。


「放念してくれて構わない。少し思うところがあっただけだ」


「それはそうと昼時だぞ。飯は食ったのか?」


「既に済ませてある。コハル氏の手料理は相変わらず絶品であった」


 ロジーは嘘をついた。ここ最近は食事を摂る気になれず、今も何ひとつ口にしないままで彷徨いているのだ。


「今日の当番は別の者だ。新参者の女では無かったぞ」


「そうか。だが些細な誤りである」


「顔と名前を一致させられないのは相変わらずのようだな」


 咎めるような眼差しが揺らめく紫煙から垣間見え、ロジーの苦い記憶を呼び覚ました。批判めいた姿勢にではない。彼女のタバコを吸う仕草がそうさせるのだ。自然と視線が脇へ逸れる。


 その動きにルイーズは不信感に似たものを感じ、先ほどよりもいくらか強い口調で問い詰めた。


「ところで、タバコは止めたのか?」


「なぜそのような事を」


「ここへ来て一度も吸っている所を見た事がない。ニコチン依存症の貴様がだ」


「禁煙してしばらく経つ。かれこれ2年になるか」


「ふん。病的な中毒者だった貴様は止めて、タバコの味を教え込まれた私は今も吸い続けている。随分と皮肉なもんだ」


 今語られた言葉は事実であり、ロジーは愛煙家という過去を持つ。当時は習慣的に、それこそ煙草とライターは常に携帯していた。部屋には愛してやまない銘柄のカートンが山と積まれ、灰皿はいつも吸い殻が溢れ落ちる程になったものである。


 ルイーズも恋人時代には強い影響を受け、いつしか共に吸うようになった。しかし、世間の目線は煙に冷たい。自然と週末のデートは喫茶店やドライブばかりとなり、誰にも気兼ねせずに吸い殻を量産し続けた。なので、2人の思い出には紫煙がつきまとっている。


 だがそんな彼も、ある日を境にパッタリと止めてしまった。


「君を思い出すからだ」


「……何だと?」


「君との日々とタバコは強く紐付いている。それが辛くなり、吸う事を止めた」  


 これも事実である。彼は一時期ばかり、何も手に付かないという日々を過ごした。無気力のあまりに、あわや職を失いかけるまでに追い詰められもした。やがて気紛れの一服さえも遠ざけ、日常からルイーズの陰を取り除く事でようやく社会復帰を果たしたのである。


「黙れ! 不快な口を今すぐ閉じろ!」


 ルイーズにとっては単なる昔話では済まなかった。心の傷は今もなお疼き、過去と割り切るまでに至っていないのである。2年という年月を長いと捉えるか否かは、人によって意見の分かれる所だ。特にロジーから受けた屈辱をバネに生きてきた身としては、受け入れ難い言葉であった。


「ふざけた男だ。隙あらば恋人時代を持ち出しおって」


「問われたから答えたまでだ。率先して話したのではない」


「くっ。口の減らないヤツめが!」


 ここでルイーズが頭痛でも覚えたように、指先をこめかみに押し当てた。動きが芝居がかったきた。それを一目見ただけで、彼女は今、追い詰められたような心境だろうと察しがつく。


「私が恋しくて止めただと? やたらと純情ぶるじゃないか。さも一途だと言わんばかりに」


「別に他意は無い。ただ事実を述べているだけだ」


「そこまで言うのなら、敢えて問う。なぜ私の名を呼び間違えた?」


「……やはり、その件は忘れ難いか」


「当たり前だ。よりにもよって初めての夜に、一糸纏わぬ姿でやられてみろ。これがどれほどの衝撃か、一度でも考えた事があるのか!」


 まるで別れ際の光景が甦るような思いだ。この場がもし、午後の陽射し降り注ぐ喫茶店であったなら、思わずタイムスリップを疑ってしまうだろう。それほどにルイーズの傷は、怒りは色褪せていなかったのだ。


「私のような女でもな、体を許すには度胸がいったんだぞ。それがなんだ、エルイーザなどと呼びおって。どうせ二股をかけるなら、もう少し上手く立ち回ってみせろ!」


 厳しく詰め寄る口調は湿り気を孕んでいた。怒鳴るというよりは叫ぶに近い。そして涙が滴るのに代えて、口許からほの赤い煙草が溢れ落ちた。ここまでは、話の展開までも一昨年と変わらない。


(可能であれば、今こそ誤解を解いてしまおう)


 ルイーズが落ちた煙草を拾い上げる最中、ロジーは自身の胸元をまさぐった。4つ折の紙片を取りだし、その中身を見せつける事を返答とした。


「なんだこれは。イラストのようだが」


「君にどことなく似ているだろう。このキャラクターについては、サブカルチャーの調査をした際に見つけたものだ」


「それがどうした。二次元趣味に目覚めた事を報告したいのか?」


「この紙に描かれた人物は、名をエルイーザという。かつて君が散々に糾弾した女性は、この世に実在しない存在なのだ」


「何……?」


 両眼を皿のようにしたルイーズが顔を寄せた。まばたきは少なく、凝視そのものだと言える。そうして見開き続けた瞳に副流煙がかかる事で、ようやく彼女は身を引いた。その機にすかさずロジーが会話を繋げる。


「あの晩は酷く疲れており、仕事に熱中し過ぎたことも手伝って、迂闊にも呼び間違えてしまった。その非礼については詫びよう。だが、君の考えるような不義などは無かった。断じて浮気などしていない」


「何をぬかすかと思えば、愚にもつかない自己弁護か」


「君に問い詰められた時も、答えについ逡巡してしまった。だが、それが良くなかった。君は疑念を確信に変えると、まるで火が着いたようになってしまい、その頃にはもう何を言っても無駄であった。誤解を解く事にも失敗し、大きな溝を生み出した事についても詫びておこう」


「随分とまぁ流暢に語るもんだ。弁論学までも修めていたか? 浮気の類をしていなかったなどと……どうせこの女の名前だって、全くのデタラメなんだろう」


「そう思うなら他の者に聞いてみると良い。ケイゴ君やヒナタ君であれば知っている」


「クッ。あくまでもシラを切るつもりか」


「唯一無二の真相だ。私は君だけを愛していた」


 その言葉の威力は強烈だった。ルイーズは鈍器で殴られたようになり、体を文字通りよろめかせた。すると両手で目元を覆い、何か細かな呟きを繰り返した。咥えた煙草は既に燃え尽きた後だ。


 黙って見守るロジーの顔に、やがて鋭く人差し指が向けられる。両者の身長差は頭2つ分。それだけの高低差があるにも関わらず、腕を上げ続けるのは苦労しそうだと、肩に不具合を抱える男は案ずるのだった。


「そもそもだ、アニメだか漫画の人物を、今も後生大事に持ち歩いているじゃないか。貴様にとって最愛の女だとみなせる。つまりはだ。あの晩には既に心変わりをしたと断じても過言ではあるまい! 私などは所詮、何かの代替え品でしかなかったのだ!」


 勇ましい鼻息が放たれる。気迫と自信に満ち満ちている様子が、あらゆる動作から感じ取れた。突きつける指先にも滾(たぎ)る程の覇気が籠められるが、次の瞬間には老木のように萎んでしまう。


「忘れたのか。君は別れを告げたその日に、全てのデータを消させたではないか。動画や写真だけでなく、連絡先やメール文に至るまで、それはもう徹底して消し去っただろう」


「そ、そうだったか……? いや、だとしても、何か写真のひとつくらい隠し持っているのが甲斐性というものだろうが!」


「その理屈は苦しすぎる。誠実な対応を責めようというのだからな」


「おのれ、おのれ……!」


「ルイーズ。そろそろ過去のすれ違いを水に流さないか。全ては理解の不足から起きた悲劇なのだから」


 手を差し伸べるようにかけられた言葉を、ルイーズは受け止めなかった。むしろその場で踵(きびす)を返し、捨て台詞を残しながら立ち去ろうとする。


「まだだ! 熊殺しに確認を取ってからだ!」


「待て。彼は病み上がりだ、あまり騒がしくしては……」


「どこ行った熊殺しぃーーッ!」 


 ルイーズは弾丸のように駆け出し、入り口のガラス戸でやや手間取りつつも、やがて屋内の方へと消えていった。


 その様子を、ロジーは眼を細めて見送った。あのビビッドで真っ直ぐな感情表現、火の点いた爆薬のような行動力。どちらも不思議なほどに眩しく見えてしまう。なぜ尊さに似たものを感じるのか、その理由についてはよく理解出来ていない。ただ有り体に言えば、自分の不足する要素であるため、と言えそうだ。


 もちろん、彼が心酔する長所は他にも数多くある。それこそ頭上で煌めく星々に引けを取らない程、ルイーズの美点を多数挙げることが出来る。


(おや、もう戻ってきたのか)


 ガラス戸の向こうに再びルイーズの姿を見た。だが、去り際に見せた堂々たる姿は無い。例えるなら、レポートを忘れた学生が気不味そうにする様子。失敗をどう挽回したものかと、思い悩む姿のように見えた。


 ロジーは深い息を吐き出すとともに微笑み、入り口の方へと足を向けた。次に何と話しかけるかは、既に決めていた。


「その煙草を、私にも一本貰えないか?」


 またもやガラス戸を開くのに苦労しているようだ。そんな彼女を救うべく、ロジーは大きな身体を駆使して歩み寄るのだった。

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