第30話 揺さぶられる心
あれからケイゴたちは入所許可が降りた。名実ともに施設の一員となった事で、その晩には歓迎の意を込めた晩餐会がささやかに開かれた。
食卓を飾るのはドライカレーにミネストローネ。どちらもレトルト食品だが、今では懐かしさすら覚える味わいに、皆が皆大事そうに頬張った。希望者は酒も半合だけ飲めるとの事で、色めきたった何人かが手を挙げた。そして差し出されたコップを、初孫でも抱くかのように丁重に受け取った。それらの様子を、ケイゴはウーロン茶で口を湿らせながら眺めている。
(若い人が少ないな。お年寄りばかりだ)
顔ぶれを見渡してみると大半が60代と思しき老齢で、男女比はおおよそ五分。一番若くても三十路前後。ケイゴの同世代となる人物は、住民の口の端にすら影を見せなかった。
自分達は言うなれば孫世代。何かと可愛がるような気配が漂っている。実際ヒナタは周りの住民から『さぁ食え、これも食え』と、皿に珍味らしき物を乗せられて慌てていた。彼女の愛らしい容姿と、天真爛漫な気質が好まれた為である。
(やっぱ、人の多い所は苦手だ……)
ケイゴは食事を終えるなり早々に退席し、あてがわれた居住スペースへと戻った。場所は変わらず旧大食堂。すなわち、寝床の並ぶ大部屋の空きスペースにテーブルを寄せ、雑然とした中で宴は催されたのだ。布団に潜り込んでも、饗宴にも似た騒ぎからは逃れられない。
そんな最中であっても、ケイゴは瞳を閉じるうちに深い眠りへと落ちていく。これまでで最も上質な寝床が持つ力は、じつに抗い難いものであった。
明くる朝。気怠い体を起こしてテーブルへ向かうと、既に多数の住民が席に着いていた。各人の手元には一杯の米と半尾の干物がある。ケイゴも朝食を受けとると、ヒナタの隣に腰を落ち着けた。
「おはよう。よく眠れた?」
「おはよう。久々に深く眠ったかも、夢だって見てないし」
首に怠さを覚え、何の気なしに辺りを見回す。するも、足りない顔がある事に気づく。
「あれ。タイゾウさんは?」
「今日はまだ見てないね。寝てるのかなぁ」
「彼なら駐車場だ。朝食もそこそこにして、準備を始めたぞ」
正面のロジーが、手元から目を離さずに答えた。
「準備って、何のですか?」
「もちろん出立の為だ」
「あぁそうか……。福島に行くんだっけな」
ケイゴたちは終焉の地を得たが、タイゾウにとってはまだ道半ばである。別れた家族と再会し、暮らしを共にするのが彼の目的なのだ。ここに長居する理由など無きに等しい。
せめてお別れの言葉だけでもと思い、手早く食事を済ませると、ケイゴたちは外へと向かった。ヒナタだけでなく、ロジーとコハルも後に続く。
「タイゾウさん!」
ヒナタが声をあげると、愛車の側でタイゾウが返事をした。既に準備万端で、トランクの閉まる音が辺りに響く。あとは出発を待つばかりだ。
「やっぱり、行っちゃうんですよね?」
「まぁな。家族と会うまでは探し続けねぇと」
ヒナタが寂しさを圧し殺すようにして黙りこんだ。すると、ロジーが横から会話を引き継いだ。
「これからどう向かうつもりだ。このまま北上するのか?」
「いや、まずは郡山(こおりやま)に出て、内陸から北に行くよ」
「そうか。道が繋がってると良いのだが」
「もしダメだったら、日本海側に回ってでも行ってみせるさ。なんだかんだ言って、道ってのは繋がってるもんだよ。ローマほどじゃ無いけどな!」
快活な笑い声。これも見納めかと思うと、ケイゴの胸にも喪失感が生まれた。しかし、誰にも彼を引き留める権利など無い。
「大変世話になった。タイゾウ君の助力無しには、このような上首尾とはならなかった筈だ」
ロジーの口調は別れの場であっても平たい。だが、この時ばかりはいくらか様子が違った。右手がゆっくりと目の前に差し出され、相手の出方を待つ姿勢を取ったのだ。
それを見たタイゾウは満面の笑みを浮かべ、熱く、そして固く手を握りしめた。思わず、ギュムッというような空耳が聞こえそうだ。
「こちらこそ道中楽しかったぜ。夜も安心して眠れたし、オレの方こそ助けられたぞ!」
「元より願掛けを信じる性質(たち)ではないが、今回ばかりは無事を祈っている」
「おうよ、センセーもな!」
手を離したタイゾウは、次にコハルと向き合った。互いが口を開く前に、コハルは深々と頭を下げた。
「本当に娘共々お世話になりました。まだ何のお礼も出来ていないのに……」
「やめてくれよママさん。礼なら、いつぞや食わしてもらった旨ぇ飯で充分だっつの」
「ふふ。今度また会えたら、渾身の手料理をご馳走するわね」
「あっはっは! お手柔らかに頼むわ!」
2人が短く握手を交わし、離れた。それからケイゴと視線が重なる。流れから手を差し出してはみたものの、どこか遠慮気な様子で、フワリと宙に浮くようだった。
そして、手が握られはしなかった。代わりにタイゾウの脇下で首を絡め取られてしまう。
「痛い、痛い! 何すんだよ!」
「シケた面してっからだよ。今生の別れみてぇにすんな、生きてりゃまた会えるんだからよ!」
「そ、そりゃそうだけど!」
「おっと、嬢ちゃんもコッチ来てくれよ」
手招きでヒナタが引き寄せられ、タイゾウの前に3つの顔が集まる。そして、まるで悪巧みでもするかのように声は低く落とされた。
「お前らの間にガキが出来たとしたらよ、オレに名付けさせてくれねぇか」
「なっ!?」
ケイゴが色をなして驚き、ヒナタは両手を代わる代わるタイゾウの肩に叩きつけた。提案者は、してやったりと高く高く笑い声をあげる。
「どうよ。こんな約束のひとつもあると、何つうか、ロマンがあるだろ? それがオレの置き土産だよ」
「ま、ま、まだそういう事しないもん!」
「別に焦らす気はねぇって。上手くやってくれりゃオッケーよ!」
タイゾウは愉快そうな顔を崩さずに車に乗り込むと、エンジンをかけた。それから運転席の窓を空け、再び口を開く。声はいくらか神妙なものに変わっていた。
「そんじゃ、そろそろ行くわ」
「タイゾウ君。家族と無事合流が出来たのなら、ここへ戻ってくると良い。ルイーズには私から伝えておく」
「そうかい。そいつは助かるね。感動の再会を果たせても、野垂れ死じゃあ面白くねぇからな」
やや独り言(ご)つ響き。あらぬ方を見つめる瞳に何を写しているのか、ケイゴには分からなかった。
「さてと! 名残惜しいが、今度こそ行くぞ!」
車は微速のままで進み、敷地内からにじり出た。その先は無明の闇が無限に広がる別世界。後はヘッドライトだけが頼りとなる。
「元気でねー、タイゾウさーん!」
「下手打つんじゃねぇぞー!」
走り去る背に最後の言葉を投げ掛けた。ブレーキランプが短く2回明滅する。それが彼の返事なのだと、少し間を置いてから理解した。
「行っちゃったね……」
「そうだな。面白いおっちゃんだったよ」
タイゾウとの別れは終わった。心に生じた喪失感は小さくなく、重たい空気だけが残された。しかし、ケイゴを揺さぶる変化はこれだけでは済まない。感傷の冷めやらぬうち、身を焦がすような嫉妬に悩まされる事になる。
時計の針は進み同日午後。ケイゴたちのゲスト待遇は終わりを告げ、彼らにも仕事が割り振られるようになった。ケイゴは燃料作成、ヒナタは浜辺で漁の補助というように、それぞれ役割も分かたれた。
つまりは、作業中に慣れ親しんだ顔を見ることも無くなったという訳だ。
「そんじゃアンちゃんよ。このナタ使って枝を払い落としてくれっけ?」
施設の入り口付近にある駐車場には、何本もの生木が横たえられていた。外で切り倒されたものは一度ここに集められ、裁断してから中に運ぶのである。
ケイゴの役目は、幹から生える枝を切り落とす事。その間、相棒とも言うべき男は幹本体をチェーンソーで切り分ける。彼は名をゲンシチというのだが、かなりの老体であるにも関わらず器具の扱いは巧みだった。
「それにしてもよぉ、めんこい娘が来たもんだなぁ。若ぇ男どもは年中ソワソワしてんべよ」
「そうですか」
「うちの倅なんかよ、30にもなってまだ相手も居ねぇんだ。歳は離れてっけどよ、上手いこと夫婦になってくれりゃ安心だわな。随分と気立ても良さそうだしよぉ」
「はぁ、そうなんですね」
ケイゴは曖昧な返事に終始した。ナタの扱いに不馴れな事もあるが、そもそも答えに窮したためだ。心の何かを踏みにじられたような想いが、一層口数を減らしていく。自然に、会話から独り言へと形が変わる。
「おう。噂をすれば倅が戻ってくんぞ」
ゲンシチが浜の方で動く光を指差した。やがて、活気に満ちた声がこちらへと近づいてくる。
男女入り交じった声は、避難所と浜辺を繋ぐ坂を登り、発電機を通りすぎると、やがて駐車場の間近までやって来た。
「あっ。ケイゴ君だ! おつかれさまー!」
ヒナタが、海草を満載したバケツを手にしながら駆け寄ろうとした。しかし、足元の小石につまずき、盛大にバランスを崩す。両手の塞がっている状態では、受け身を取ることもままならないだろう。
(あのバカ、危ないだろ!)
ケイゴはナタを放り投げ、ヒナタを助けようとした。これまでに何度も、それこそ被災前から窮地を救ってきた。それが彼の役目であったのだ。
しかし、この瞬間ばかりは別の展開を迎える事となる。
「ヒナタちゃん、大丈夫かい?」
今にも倒れそうな背中を支えたのは、逞しい2本の腕だった。その然り気無いサポートにより、ヒナタはすぐに体勢を建て直す。
「あの、ありがとうございます」
謝ろうとして振り返る肩を、同じ腕が制した。そして労るように軽く2度叩かれる。
「気にしないで。でも、次からは気を付けるんだよ」
「あぁ、はい。すみません」
男は足元に置いた自分のバケツを両手に持ち、颯爽とケイゴの前を通りすぎた。一際大きく、海水で満たされたそれを物ともしない顔で。漁師見習いユウジ。つい先刻に噂された人物である。
新たな出会いに、ケイゴは心穏やかでいられなかった。遠退く背中をただジッと見送るばかりだ。脳裏には先程のワンシーンが延々と繰り返され、話しかけるヒナタの言葉すら耳に届かない。その代わり、タイゾウの「誰かが貰っちまうよ」という声が、どこからともなく聞こえるような思いだった。
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