第29話 お似合いの2人
館内はロビーを中心に左右へと別れている。ルイーズは左手に当たる一号棟へ続く廊下を先導し、奥へと誘った。緩やかな傾斜は登り坂。通路沿いの窓は枠だけを残して全てが塞がれていた。木板にベニヤと建材はまちまちで、急ピッチな作業ぶりが目に浮かぶようだ。
「ここ、全然寒くないね。すきま風が吹いて無いからかな?」
ヒナタがフードを降ろしながら言う。コートを脱ぐほどでは無いにせよ、耳や指先は心地よい温もりを堪能していた。
「床下に水路を作った。そこに源泉を通しているので、その熱が館内下層を暖めてくれる」
ルイーズは先程までの警戒態勢を崩し、案内人としての顔に変えていた。和らぎのある対応が皆の口を滑らかにする。
「そうだったんですか。温泉を流してるのに臭くないんですね。ホラ、結構臭うじゃないですか」
「硫化水素の事か。ここの泉質は塩化物だ。所謂、卵の腐敗臭のようなものが出る事もない」
時おり住民たちとすれ違っては会釈を交わす。彼らは長袖の格好をしているが、比較的軽装な姿である。ここではケイゴたちの服装も、いくらか浮いてしまいそうだ。
そうして説明と軽めの挨拶を織り混ぜながら、いくつもの部屋を通り過ぎていく。やがて突き当たりにまでやって来ると、ルイーズは小洒落たドアを押し開けた。
「ここは以前まで大食堂だったのだが、今は住民の寝室として扱っている。プライバシーを守るのに苦労をするが、どうにかやっている」
「男女一緒に寝泊まりしてるんですか?」
「無論だ」
「旅館なら部屋数もあると思うけど。住民から要望が出たりしないのかしら?」
「建物の構造や各部屋の活用を考えたら、他にやりようは無かった。凍えず、手足を伸ばして眠れるだけでも良しとして貰っている」
「確かに……贅沢なんか言ってられないですよね」
その広々としたスペースは、衝立によって細かく区切られており、各々が自室のように活用されていた。と言っても、せいぜい寝具と私物の細々としたものがあるばかりで、固有の家具などはどこにも無かった。
客室を使えば良いのではという意見は、行きずりならではの発想だったようである。ヒナタたちは口を閉じ、ここで暮らす女性たちの苦労に想いを馳せた。
「これで全員か。見たところ20人も居ないようだが、避難民を集めたにしては少なすぎはしないか」
ロジーが辺りを見回しながら、別の観点からものを言った。
「大きな地震があったろう。本震合わせ余震が2度。それで大半の人々は内陸の方へと逃げた。ここに居残っているのは少数派ということになる」
「どうして一緒に逃げなかったんですか?」
「その理由については後でまとめて説明する。では次だ」
踵を返したルイーズは退室し、隣の部屋へと入っていった。中は十数畳ほどの広さで、フローリング仕様となっているが、山のように積まれた木材と枯葉がまず目を引いた。それらは塗料でも被せたかのように、一面を赤く染めている。色の正体は染料などではなく、煌々と燃える炎に照らされているからだった。
真っ赤な炎を宿す暖炉の機能は抜群だ。中の空気は存分に熱を帯びており、暑いと感じられる程だった。そして視覚的にも効果を発揮し、どこか幻想的な光景に映る。それは通路から流れ込む人工的な光と、揺らぐ炎から生じる明かりが混ざり合い、不思議な融和を醸し出す為である。これには一同も感じ入り、ため息混じりの唸り声を漏らした。
「ここは第1宴会室。今は暖炉を作り、燃料を作成している」
「切り出した木材を乾かしているのか」
「そうだ。燃料を作るために燃料を消費するという、本末転倒的に見えるかもしれんが、熱源が無くては思うように乾かせない。一定の成果を出せているので、当面はこの手法を続けるつもりだ」
「すげぇ。暖炉を使ってる所なんて初めて見たぞ……」
「資材の都合でコンクリートブロックを使用した。レンガの方が見映えは良いのだが、これはこれで悪くない。では次に行こう」
再び通路へと戻り、隣室のドアを開けた。中の様子はというと、先程の部屋よりもいくらか広く、暖炉も稼働中である。しかし皆の反応は天と地ほどの開きがあった。
「なんだ、すげぇ生臭い……」
「ここは第2宴会室。見て分かるだろうが、魚の干物を作成している。作成法については漁師一家が教えてくれた」
天井からは目の細かい網が、膨らみを保たせたままで吊るされていた。内側も同じような網を床がわりにし、いくつもの階層を織り成す。そして中には身の開かれた魚が、等間隔に何枚も敷き詰められていた。
そんな干物作成器がいくつも連なっている。ケイゴはザッと見渡しただけでも100枚以上になると見積もった。
「なるほど。海から離れなかったのは、コイツのためだったのか」
「すごい数だね。食べきれないぐらいあるよ」
「捌き方も綺麗ねぇ。よほど上手な人がやったのかしら」
数の多さに驚いていると、すぐに真っ向から訂正する言葉が返ってきた。
「海魚も当てにしているが、本命は別にある。それがコレだ」
ルイーズが暖炉の側まで行くと、見慣れぬ設備に手をやった。それは玩具の家にも見えなくもないが妙に無骨で、とても子どもが寄り付くとは思えなかった。
壁は暖炉と同じくコンクリートブロックで作られており、塗装やら装飾の類は一切無い。屋根代わりの部品も珍妙で、全開にした傘が先端で中を突き刺すようにして置かれ、それをさらに貼り合わせた大きなゴミ袋で外から包み込んでいる。そんな家具や芸術品にしてはお粗末な代物が、暖炉付近に集められていた。さながら物件ひしめく住宅街のように。
ーーこれが何だというのか。
ケイゴを含めて全員が首をひねるので、ルイーズが忙しない動きで手招きし、暖炉の側まで呼び寄せた。そこから改めて眺めると、『家』の様子はまた違う顔を見せてくれる。
それらは全て空洞で、中は溜池のように水で満たされていた。溜め込んだままで居られるのは、床が一段深く掘り下げられているからだ。さらに池の中央に背の高いコップがポツリと置かれている。そこまで見て、全員では無いにせよ、ようやく理解が及んだ。
「へぇー。海から離れない理由はこれか。確かに納得がいった」
「シンプルな構造だが、実によく出来ている。しかし、ありふれた物で造るには限界があるか。あまり効率は良くなさそうだ」
ケイゴとロジーが腑に落ちたと言わんばかりの反応を示す。しかし、満場一致という訳ではない。
「なぁ、センセーもアンちゃんもさ、頭良い連中だけで納得しねぇでくれよ。オレは全然ピンと来てねぇんだが?」
「アタシも。もうちょっとヒントが欲しいかなぁ」
「塩を作ってるんだろ。これは海水を暖炉で渇かして、残った結晶なりを回収するための設備だ」
「じゃあ真ん中のコップは?」
「水蒸気を集めて水滴にして、純水を溜め込んでる。そうだよな?」
ケイゴがルイーズに確信めいた視線を向けた。すると彼女は頬を大きく歪ませ、不敵とも思える笑みを投げかけた。
「少年の言う通り、これは塩と真水を生み出す設備だ。温められた海水は水分を蒸発させ、ゴミ袋に集まる。そして傘の形状によって水滴が一箇所に向かい、やがて滴り落ちる」
「それを続ける事で床には塩の結晶が残り、コップには綺麗な水が溜まる。そういう事だろ?」
「補足させてもらうが、干上がるまでは海水を放置しない。塩がある程度形になってきたら取り出し、ガーゼで強く絞る。それを更に乾燥させれば完成だ。真水はあくまでも副産物。捨ておくのも勿体ないので集めるようにしている」
「すごいよねぇ。塩だってさ、塩」
ヒナタが締まりの無い声で呟く。そして海水の様子を眺めては、あそこに塩の塊があると言い、喜びを露わにした。まるで工場見学のような反応だ。そんな真正直な称賛が心地良かったらしく、ルイーズの声はいくらか上滑りしたようにひっくり返る。
「まぁあれだ。今回の避難が一時的なものであれば、このような設備も不要だ。しかし……」
「単なる災害ではない。太陽の喪失は、世界で誰一人として制御の不可能な、未曾有の大惨事である。となれば、生存に必須である塩の生成も不可欠であると言えよう」
「人のセリフを横から奪うな」
元カップルの間で小競り合いが生じてしまったが、これは重要な認識である。水や食料の確保も大事だが、人は塩分なしに生きていく事ができない。現代社会では安価かつ安定して手に入る必需品も、今となっては自らが生産者となる必要があるのだ。そうでなければ、倒壊寸前の小売店まで赴き、瓦礫に埋まる塩袋を探し当てるしかない。流通という名の大動脈を寸断されたが故の弊害である。
「さてと。面白がっている所を悪いが、残りの場所も案内させてもらうぞ」
ルイーズが少し呆れたような声をヒナタにかけた。彼女はビニルを滑る水滴に目を奪われ続けており、随分と夢中になっていたのだ。自我を取り戻すと照れた様子で謝り、集団の最後尾に顔を連ねた。
残りの案内は素っ気ないものだった。ロビーを挟んだ向かい側は大浴場で、そこは今もふんだんに湯が使われている。住民は毎日のように風呂を堪能しているとの事だ。実際に見せられはせず、いつも通りとの口頭説明を受けただけだ。
そして2階から3階の客室はというと、物置や食料庫として使用されていた。1階より上は温水の配管を伸ばす事ができず、発電装置もエアコンを稼働させる程の電力を生み出せてはいない。更には窓も塞がれていないので、上層階は外気温と大差なく、恐ろしく冷え冷えとしていた。その冷気を防ぐ為に、あらゆる階段の踊り場に壁とドアを作り、厳重に封鎖していた。断熱材までをも使用するという徹底ぶりを発揮して。
「さぁ。これが私の管理する避難所の全てだ。いかがかな?」
目ぼしい場所の見学を済ませ、最後に連れられたのはロビーの談話スペースだ。ルイーズは威風堂々としており、小さな身体を不自然なまでに大きく見せた。その自信の現れを、頭上から照らす白色光が更なる鮮明さを浮き彫りにする。
「凄いよね。なんかこう、秘密基地みたいでワクワクする!」
興奮を隠さないヒナタの言葉が、反り返る背中をより顕著にした。そうやって角度のついた視線がロジーに向けられる。彼の口からも称賛される事を期待しているのだ。自然と全員の視線が一ヶ所に集められ、固唾を飲んで見守る事になる。
「確かに、素晴らしいと言わざるを得ない。短い期間でこれほどまでに態勢を整えるとは、よほどの手腕と計画性が無ければ不可能だ」
ロジーは理路整然と褒め称えた。珍しいことに、大きな抑揚をつけてまでの称賛だ。普段の平たい、無味乾燥な口調からは想像もつかない口ぶりであった。
それはルイーズにも限りない喜びを与え、反り返った胸は最高点に到達しようとした。顔は天を仰ぎ見るように上を向き、引き結んだ口も小刻みに動き、何かを噛み締めるように見えた。
「ただし。万全には程遠い」
上げて落とす。ロジーから発せられた二言目は極めて鋭く、がら空きとなった相手の心に深々と突き刺した。まるで斬撃の後に投げつけられた匕首(ひしゅ)のようだ。ルイーズの頬はみるみるうちに真っ赤に染まり、緩んだ瞳もにわかに吊り上がる。
もっと他に言い様はないのかと、ケイゴはロジーを睨み付けた。ヒナタなどは露骨に慌て、両者の顔を頻繁に見比べた。しかし当のロジーは、身動ぎひとつもないままにルイーズの視線と向き合った。その涼しげな顔の真正面に、怒りを圧し殺したような言葉が矢継ぎ早に投げつけられる。
「不足するものとは何だ、水の精製なら後回しだぞ。水道が今もなお生きているし、雨雪を代用する事だって出来る。それでも窮すれば温泉を飲めばいい。ここの湯は経口摂取も……」
「違う。そうではない」
「では防衛設備か。それもまだ必要ない。さしたる脅威は見当たらないのだから、それこそ後手に……」
「違う。それでもない」
「では何だと言うのだ! それとも苦し紛れの戯れ言か!」
掌で激しく叩きつけられるテーブル。唐突な物音に驚かなかったのは、諍(いさか)いに慣れたケイゴと、不感症の疑いがあるロジーだけであった。その平静さは見かけ倒しではなく、いつもと変わらぬ口調で反論がなされた。
「言わずもがな。食料に難がある」
「それは既に見せたろう! 豊富な水産資源と生成される保存食。備蓄庫には米袋を積み上げ、缶詰やナッツ類も膨大だ! これのどこに問題があるという!」
「どれだけ数を揃え、いかに節約を極めようとも有限である。いつしか底をつくのは明白だ」
「し、しかし。海からの恵みが……」
「海水の温度も下がる一方だ。やがて生態系は崩され、多くの種族が死滅するであろう。仮にそうでなくても、魚介類のみで暮らす日々が必ず来る。その片寄りきった栄養、何らかの重大な疾患に悩まされる事は想像に難くない」
「それは百も承知だ。だが、現状で一体何が出来るという?」
「農作物を育てれば良い。豊富な食品が有りさえすれば、健康状態を良好のまま維持する事も可能だ」
「何を宣(のたま)うかと思えば……農耕だと!? 机上の空論を並べたところで絵に描いた餅にすらならんぞ!」
ロジーは人知れずほくそ笑んだ。十分な関心を惹けたと確信したからである。なおも言い募ろうとする怒り顔に突きつけられたのは、唯一にして最大の交渉材料だ。
「何だこの紙束は!?」
「私の友……もとい、知人の遺した研究結果だ。果たして机上の空論かどうか、その目で確かめてみると良い」
沈黙の後、引ったくるようにしてルイーズの手に収まる。しかめ面で読み始めると、やがて目を大きく剥き、握りしめた手元からクシャリと音が鳴った。
「これは、本当にこのような事が可能なのか!?」
驚愕一色の声が辺りに響き渡る。それに答える声は、この期に及んでも平たいものだった。
「約束は出来かねる。何せ私とは関わりあいの無かった実験だ、深い部分まで知りようもない。ただ……」
「なんだ。勿体振るな」
「成功させる他に無い。しくじれば、待っているのは滅びだ。病による衰弱か、それとも餓死か」
「むぅ……。確かに」
唸り声と共に押し黙ったルイーズ。視線を脇に逸らし、あるか無きかの声で独り言が繰り返される。言葉の端々から、具体案が練られている事がわかる。
「問題はどこで展開するか、だ。第1宴会場は暑すぎるし、第2は空きスペースが足りない。他に使えそうな場所と言えば……」
たとえ長考中であっても、ロジーに遠慮など無い。思考の深みに鎮座する彼女の元へ、何ら憚ることなく割り込んでいった。
「2階の空いている客室を使えば良い。壁を取り壊せば、充分な広さを確保出来よう」
「熱源はどうする。湯を押し上げるだけの設備は無いし、今後も同様だ」
「暖炉の熱を利用するのだ。煙突を拡張し、2階まで暖められるようにすれば……」
「待て! 口先ではなく、図に表して存分に検討すべきだ。すぐに紙とペンを用意する」
「ペンならある。紙も葉書大で良ければここに」
「随分と準備が良いな!?」
ルイーズは差し出されたペンを受けとると、手早く館内の間取りを書き記していった。しかしその最中ですら、互いに意見を出し合っては激しく戦わせた。こうなっては2人だけの世界である。蚊帳の外へ追い出された同席者は、その様子を眺めるばかりだ。
「なんだか楽しそうだね」
「そうだな。お似合いの2人じゃん」
ロジーとルイーズの繰り出す言葉は、時に鋭く、或いは無作法とも取れる態度の応酬だった。だが忌憚(きたん)の無い意見により、図面には新たな言葉と数字が追記されていく。
やがて葉書は走り書きの文字で埋め尽くされた。それは生存へ向けた草案であると同時に、責任者直筆の入所許可証に代わる書面でもあった。
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