第28話 終着点での奇縁
北茨城市。東は太平洋に面し、西は美しき山々の連なるという風光明媚な土地である。陸海双方から与る豊かな恵みは、人々の心と体を存分に育み、輩出した著名人も数知れず。そして今現在は、人類存続の鍵となる地熱を有するという希望の地にまで昇華しようとしていた。
「タイゾウ君。その道を右に進んでくれ。海岸線に温泉宿が多いようだ」
ロジーがガイドブック片手に案内した。ここだけ切り取れば観光のワンシーンにも見えるが、生存競争の一貫でしかない。
車は海の傍を道なりに北上する。手を伸ばしたなら砂浜に届きそうな位置にいるが、無明の闇が広がるだけだ。気分は海水浴には程遠く、むしろ畏怖の念すら感じられてしまう。
「ここまで来たんだね。あんまり実感が湧かないけど」
ヒナタが辺りを見回しながら言う。その言葉通り、視覚には大きな変化がない。細やかなステアリングによって照らされる海辺から、波の打ち付ける様子が時折見えるくらいであった。
「月って、まだ地球の傍にあるんだな」
ケイゴがぽつりと漏らす。真っ先に反応を示したのは、忙しない様子のヒナタだ。
「急にどうしたの?」
「いやさ、月ってもう見えないじゃん。でもこうして波があるってことは、潮の満ち引きも在るんじゃないかなって」
「そういえば、月の引力が関わってるんだっけ。学校で習ったような」
感心したような声の返答には、ロジーがいつものトーンで会話を繋いだ。
「月なら今も見えている。あの辺りだ」
そこで海辺の方を指差しはしたけども、何が見えるでもない。下半分は漆黒、上半分には無数の綺羅星があるだけだ。
「分からないか。不自然に暗い部分があるだろう」
「あっ。言われてみれば……星が全然見えないところがあるよ!」
「それが今の月だ。円の軌道と半径から考えてもそうとしか思えない」
誰もが感嘆の息に似たようなものを吐く。何せ太陽の喪失とともに見かけなくなった物が、今もそこにあるというのだから。姿は見えなくとも、かつてと変わらず地球の傍に寄り添っていたのだ。背筋に心地よい痺れが走る。やがて心は感激で満たされ、言葉にならない呟きが方々から漏れた。
しかし、その呟きの尾を切り落とすような言葉が鋭く飛び出した。ケイゴが正面を指差しながら声をあげたからである。
「おい、あれを見ろ!」
視界のやや上の方に、いくつかの輝きが見えた。白色の光だ。それはさながら闇夜の灯台のように、ただ一所で照らし続けている。
「数は3つ。何者かが探索でもしているのだろうか。それにしては動きが無さすぎるが……」
「もし生存者だとしたらヤバイ奴らかもしれないな。警戒しといた方が良さそうだぞ」
「ではこのまま前進を続けるが、全てのドアにロックを。無闇やたらに開かぬよう気をつけて」
にわかに車内で空気が張り詰める。誰もが周囲を警戒し、正面は特に注視した。どんな悪党が飛び出すかと警戒する反面、善良な避難民に会えるかもしれないという期待をないまぜにしながら。
やがて、車は急な坂を登っていった。海辺にしては海抜の高いエリアへ向かおうとしているためである。ケイゴは思わず座席の首を掴み、背もたれに押し付けられそうになるのを堪えた。そうして進む事しばし。一行は光の発信源と思しき場所へと辿り着く。
「おい、これってマジかよ……?」
そこにあったのは大きな旅館だった。建物の入り口付近には電灯があり、今では見かけない白色灯の光によって闇を遠ざけていた。かといって、このエリアだけ電気が通っている訳では無い。街灯が機能していない事、そして辺りを見回しても灯りが見えない事から、ライフライン自体は損壊していると考えられる。であれば結論は1つしかない。
「ここで発電してるって事か」
「あれを見てみると良い。小さな崖らしきものがあるだろう。どうやらあそこで電気を生み出しているようだ。発想は水力発電と同じものだな」
「おい。外に出たら危ないだろ!」
制止の声も聞かず、ロジーは興味の赴くままに車から降りてしまった。ほんの数分前には「ドアを開けるな」と警告した男がである。舌打ちをするとともに、ケイゴもその後を追った。遅れてヒナタたちも続く。
「なるほど。自転車の車輪を活用しているのか。これなら作成の手間が省ける上に、比較的頑丈であろう」
ロジーの目の前には5本もの配水管がある。それは崖の部分で垂直に降りる形をしているが、中腹辺りで車輪が備え付けられていた。充分な水量が途切れずに流れているため、水車に見立てた発電装置は静かに回り続ける。そして、管の隙間からモウモウと立ち込める煙から、排出されているのが唯の水で無い事が見て取れた。
「ロジー。何やってんだよ、一人でうろついたら危ないだろ」
「ああ済まない。つい興奮してしまってね」
「良いから戻るぞ。まずは辺りの様子を十分に確かめてから……」
ケイゴが促す事でロジーは我に帰り、車へと戻ろうとする。しかし、鋭くも線の細い声が彼らの足を縛りつけた。
「そこで何をしている!」
弾かれたようにして顔を向けた先には、一人の女性が白色灯を背にして立っていた。強気の声に反して小柄な人物だったが、全身から放つ気迫が侮る気持ちを萎れさせた。
歳は20代後半。茶褐色のショートボブの頭をした碧眼の瞳。顔の彫りも深く、どうみても西洋人にしか見えないのだが、発音は極めて正確だった。
「交易の者……ではないな。入所希望者か、まさか物盗りではないだろうな?」
眼が細められると同時に、口元が紅く明滅した。咥えタバコによる火が燃えたためだ。遅れて漂う白い煙が、女性に更なる威圧感を上乗せするようであった。
まずは謝ろう。そう思ってケイゴは向き直るが、謝罪よりも先に驚愕したような言葉が飛んだ。
「君はもしかして、ルイーズでは!?」
「そう言うお前は……ロジーか。あの災害を生き延びるとは、随分と悪運の強い奴だ」
「やはりそうか。このような偶然があるとは驚きだ」
「えっと、2人は知り合いなのか?」
「彼女は……」
紹介しようとする声は本人の言葉で遮られる。
「私はルイーズ。建築学博士で、先日までは大学で教鞭を振るっていた。今はここの管理を任されている。縁があったなら宜しく頼む」
彼女はそう捲し立てると、深く息を吸い込み、そして紫煙を盛大に吐き出した。会釈の交わされそうなタイミングである事から、そこまでを含めて彼女という人物像だと言えた。
自己紹介は終わり、となりそうであったが、最後にロジーが一言だけ付け加えた。その短さに比べ、抜群の破壊力を秘めた一言が。
「そして私の恋人でもある」
「ロジーの彼女!?」
一行にかつてない動揺が走った。ほぼ全員が眼と口を大きく開け広げ、その衝撃の凄まじさを物語る。瞬きどころか、呼吸まで忘れてしまったかのような静寂が、刹那の間だけ世界を支配した。
確かにロジーは美しい容貌をしているので、女性からの人気はありそうだ。しかし、人格はどこか偏屈でとっつきにくく、そして酷く無愛想である。そんな彼が恋に溺れる様子など想像すら難しく、これまでに女の影を感じさせた事も無い。
だから恋愛という概念が彼と結び付かないのだ。生身の男である事を加味しても、やはり遠いものは遠い。もし彼が愛を甘く囁こうものなら、周りも憚らずに吹き出してしまう自信がケイゴにはあった。
「元、を付け忘れるな。初対面の人間が無用な誤解をする」
「それは些細な問題だろう。わざわざ言い募る事ではない」
「相変わらず、口が減らない癖に言い繕うのが下手糞だな」
2人の会話は砕けているものの睦まじくはなかった。過去の恋人だとしても、醸し出す空気は妙に渇いており、相手からの言葉もどこか刺々しい。少ないやり取りからでも、よほどな別れ方をしたのだろうと勘ぐってしまう程度には。
「しかし、何だ。まさか君とここで会えるとは考えもしなかった。いつだったか筑波に赴任して……」
「それはそうと私の質問に答えろ。お前たちの目的は何だ?」
この問いに素早い反応ができなかった。一体どこから説明をしたものか……と、つい返答に詰まってしまう。気軽に発言できない雰囲気も影響している。
そんなケイゴたちを差し置いて、かつて親交のあったロジーが、それはもう堂々と胸を張って役目を担った。
「我々は入所を希望する。どうか受け入れてもらいたい」
「えっ! いきなり過ぎないか? もっとアチコチ調べてからにした方が……」
「ここは既に一定の設備が整っている。ゼロから動き出すよりも遥かに効率的だ」
「そりゃそうだけどさ」
ケイゴたちがいきなり口論を始めると、割り込むように差し込まれたのはルイーズの咳払いだ。話し相手を取り違えるな、とでも言うかのように。ロジーは非礼について小さく詫びながら、交渉の場へと戻る。
「お前たちは入所する気なのか。しかし、ここには漫然と人を囲うだけの余裕はない。仲間入りしたければ、何か明確なメリットを示してもらおう」
「メリットならある。それも尋常では無いものが」
「随分と大口を叩くのだな。吐いた言葉は飲み込めんぞ」
「それだけの自信がある。決して大言壮語でない事は約束しよう」
「勿体ぶるな。そこまで言うのなら早く出せ」
「いや、その前に施設内を見学させて貰いたい。諸々を理解したなら、より魅力的な提案が出来る」
「何だと……?」
碧眼の瞳が細められ、鋭く光り、睨み合いが始まった。無言のままで視線だけが衝突する。その静かなる闘いを制したのは、仏頂面を崩さなかったロジーであった。
一方のルイーズは訝しむ顔を大きく歪めて、何か含みのある笑みを作ると、顎を背中の方へしゃくり上げた。
「良いだろう。存分に見せてやる。その間抜け面が驚愕一色に変わるのが楽しみだ」
挑発的な言葉を投げつけると、火の点いたタバコを小袋の中で揉み消し、颯爽と身を翻した。
「こっちだ。着いてこい」
ルイーズが勇ましい足取りで建物の入り口へと歩いていく。玄関は両開きのガラス戸で、往時は自動ドアとして活用されていたものだ。
それを今、彼女は独力で開けようとしている。しかし、戸が途中で突っかかり、押し広げる事には酷く苦戦していた。
「大丈夫か? 手伝おう」
ロジーがルイーズの頭上から腕を伸ばし、戸の上側を押した。すると、ガタガタと小気味の悪い音を響かせながら、ようやく通り抜けられるだけの隙間ができた。
「……この程度の事で貸しになると思うなよ」
恨みがましい口調も、この男には微塵も通用しない。
「もちろんだ。些細な手助けだった」
「クッ……。無駄口を叩くな、来いッ!」
純度の極めて高い八つ当たりを残し、ルイーズは身をよじらせた。続いてロジーも入り口を通り抜けていく。
残されたケイゴたちは困惑しきりである。それぞれ顔を合わせ、様子を見守りたい気分に陥るものの、中から催促する声がそれを許さない。観念したように重い足取りで全員が続いた。そうして恐る恐る足を踏み入れると、室内は別世界である事がすぐに分かる。
「何だ……暖かい」
玄関から既に快適な温度が保たれていた。所々で光る照明も、暗闇に慣れきった身体に不思議な安らぎを与えてくれるようだ。
「フフッ。こんなものはまだ序の口だ。驚くのはこれからだぞ」
満更でも無い様子のルイーズが通路を進んでいく。ケイゴたちは置いてきぼりを食らわぬよう、脱ぎ散らかした靴を片付けもせず、その小振りな背中を追いかけた。
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