第24話 収容所は今

 実家と聞いてケイゴが真っ先に思い起こすのは、父の背中だ。こちらを一瞥すらせず、「2度と敷居を跨ぐな」と吐き捨てた姿は、今でも鮮明に思い出される。あれから1年。高校の卒業を待たずに追い出され、1人で安アパートに下宿させられて以来、初めての帰宅であった。


 視界に背の低い塀が映る。比較的新しいそれは、在りし日の形をほぼ保っており、心の古傷を抉られるような気にさせた。古巣の懐かしさよりも、憎悪と吐き気の方がよっぽど勝っているのだ。


 機嫌次第で殴る父。それを止めるどころか手伝うばかりの兄と継母。信愛の情を抱くにはほど遠い、機能不全の家族。これから顔を合わせたとして、一体何と声をかければ良いものか。ケイゴの語彙には適切な物が見当たらない。


「ここがケイゴ君の実家なの?」


「そうだよ」


「アタシ初めて来たけど、こんなおっきなお家だなんて知らなかったなぁ」


 しっくいの壁と瓦屋根は長々と続いており、車を走らせても中々途切れなかった。入り口へ辿り着くまでには時間を必要とする。田舎であることを勘定しても、かなり広大な敷地であり、同乗者の誰もが豪邸と認めた。


「随分とデケェんだなぁ。アンちゃんは良いとこの坊っちゃんなのかい?」


 裏を感じさせない称賛も、ケイゴにとっては棘でしかない。返す言葉も雑になる。


「知らねぇよ。ちょっとばかし金持ってるだけだろ」


「ちょっと、とは思えない程の家構えだが、不躾な質問はその辺りにするべきだろう」


 ようやく塀が途切れて曲がり角に達した。右折とともにケイゴの心はいよいよ荒くなり、それが胃液の逆流となって現れる。唾を飲もうとしても喉が緊張に凍りつき、もはや嚥下(えんか)すら怪しい。先ほどまでの太々しさや虚勢を張るだけの余裕も無い。今更ながら後悔の念がよぎる。しかし車はちょうど門の入り口付近に停まった所であり、引き返すには遅すぎる頃合いであった。


ーーもういい、腹はくくった!


 ケイゴが一番に下車し、他のメンバーも順に続いた。車内にはタイゾウが1人、不測の事態に備えて待機する。停車位置を微調整し、ハイビームが屋敷の方を眩しく照らすと、いよいよ現状が明るみとなった。


 まずは両開き式の門扉。重厚で威圧感ただよう木製のものだが、片側が蝶番(ちょうつがい)から壊れており、そのせいで閉じきる事が出来ていない。表札も外れており、地面に打ち捨てられたかのように転がされている。


ーー小さい頃、これにボールを当てたら親父に死ぬほど怒られたっけな。


 先祖代々伝わるものと耳にした通り、色味や修復痕が深い歴史を感じさせる逸品だが、こうして見ると形無し。もはや残骸の一部としか思えなかった。ケイゴは何となく溜飲が下がったように思え、人知れずに頬を歪ませる。


「じゃあ中に入ろうか」


「お邪魔しまぁす……」


 門の隙間から潜り込むと石畳があり、正面の母屋と、左手の離れへと続いている。そして母屋の逆隣には手入れの行き届いた庭園が広がり、訪問者の度肝を抜く……はずであった。今や一帯は逆の意味で衝撃的である。その惨状は、ライトが映す小円だけでも、すぐに明らかとなった。


 母屋はその旧さが災いし、1階部分は全て潰れてしまい、辺りは無数の建材や家具で溢れ返っていた。廃棄物処理場に何ら見劣りはしない光景。在りし日の威厳や荘厳さは、ガラクタの散らばり具合から察せられる、屋敷の敷地面積に残すのみだ。


ーー随分と派手に壊れたもんだな。


 ケイゴの心は又もや暗く弾む。かつて自分を虐げた『収容所』の惨状に、哀しみなど抱きようもない。ただただ喝采を挙げたくなる気持ちを抑えるばかりだ。折檻の主舞台であった父の書斎、幼年期に散々閉じ込められた押し入れも今や見る影もなく、それはご自慢の庭園も同様だ。


 事あるごとに投げ込まれた池には、巨大な景石によって完全に潰されていた。能書きが煩いだけで物の役に立たなかった岩が、ようやく今になってケイゴのトラウマを駆逐するという功績を残してくれた。


 使用人が毎日手入れした枯れ山水も酷いものだ。地震で落下しただろう屋根瓦がいくつも突き立っており、さながら水面に飛び込むかのようだ。仮にそんな悪戯をしたならば、どれほど殴られるか想像もつかない。


 これが、悪夢にまで現れた生家の今である。でかいだけで温もりの無い、おぞましき牢獄は、もはや廃墟よりもみすぼらしい。そう断ずるだけの『成果』が、眼前の至る所に広がっているのだ。


「これはまた酷い。無事なのは離れだけだろうか」


 ロジーが独りごちる。それをケイゴが同じトーンで返す。


「あれは剣道場だ。割と新しいから崩れずに済んだんだな」


「ケイゴ君。大丈夫? ショックじゃない?」


 ヒナタがケイゴの肩に優しく触れた。ここで満面の笑みを見せるわけにもいかず、小さく苦笑を漏らすに留めた。


「せめて母さんの遺影くらいは欲しかったけど、もう無理だろうな」


 ケイゴは残骸の隅を見つめたまま呟いた。仏壇は仏間もろとも埋もれてしまい、その端すらも飛び出してはいなかった。


「それは残念だったね……、でも写真の一枚くらいは持ってるでしょ?」


「無いよ。親父が写す事を許さなかった」


「許さないって、同じ家族なんでしょ?」


「世の中にはそんな家庭もあるんだよ。女が写真に写るなとか、訳分かんねぇ事言ってたっけ」


「随分と時代錯誤なのねぇ。人様の親御さんを悪く言うのは気が引けるけども」


 母を亡くした頃、ケイゴは生前の写真を求めてアルバムを漁った事がある。しかし、父の言いつけは徹底しており、全くと言って良いほど見当たらなかった。


 出てきたのは父とのハネムーンで撮影した1枚のみ。それは遺影にも流用されたので、仏壇で見かける母は妙に若々しかったものだ。記憶に残る姿とかけ離れた写り加減に、多少の虚しさと、父の非情さに対する憤りを覚えた事は、10年近く経った今でも鮮明に思い出される。


ーーさてと、そろそろ頃合いかな。


 荒れた果てた実家を眺めても、これ以上は無駄であった。遺影も本当は欲しかったが、記憶を手繰れば本当の母に会うことも出来る。夫婦格差を色濃く残すものではなく、多彩な表情を見せる母に。


 ケイゴはそう考えるなり踵を返した。仲間たちに異議など無く、石畳を辿って戻ろうとした。


 しかしその時だ。締め切られた道場の桧戸が横にスライドし、激しい衝突音が鳴り響く。唐突すぎる出来事に、皆は口々に言葉にならない叫びをあげた。真っ先に自我を取り戻したのはケイゴ。手元のライトを向けた先には、剣呑な気配を湛えた男が独り。利き手に白刃を煌めかせながら、腰を深く落としていた。


「我が屋敷を汚す下民どもめ。命が惜しくないのか!」


 声と背格好から、ケイゴは相手に当たりをつけた。


「お前、シンイチロウか?」 


 その言葉に構えが緩む。男の額に括り付けられたライトがケイゴに向けられ、光が体のあちこちに這いずり回った。


「そういう貴様は、ケイゴか」


「そうだよ……」


「ケイゴ君、もしかして?」


「兄貴だよ。戸籍上の」


「お兄さんなの……?」


 ヒナタの言葉は消え入るように萎み、最後は闇に飲まれた。とまどうのも当然だ。肉親との再会にも関わらず、両者ともに睨みあったままだからだ。どう見積もっても、これから肩を抱き合っての包容など起こりそうにもなかった。


 それでも、とケイゴは思う。気を抜いたら迫りかねない殺気を向けられて、更なる失望を覚えてしまう。確かに兄とは険悪な間柄だった。それでも、ここまでとは考えて居らず、積年の恨みが怒りに変わり行く。自然と握り拳も固くなった。


 武装度は雲泥の差。しかし、漲る気迫はどちらも遜色がない。ケイゴたちには多勢という利があり、それが一方的な展開を許さなかった。実際、ロジーは武器となりそうな物を探し始めている。


 覇気のぶつかり合いは続く。するとシンイチロウは半歩だけ退き、構えを解いた。そして口の端を小狡そうに歪めつつ、相手を見下ろすような姿勢で言い放った。


「まさか生きていたとはな。そのしぶとさはゴキブリ並みじゃないか」


「うるせぇ。テメェこそ死んでくれたら良かったのによ」


 ケイゴの悪態は響いた風では無い。変わらぬ笑みを浮かべたままでアゴをしゃくり、中へ入るように促した。ケイゴも意地である。逃げたと思われないよう、道場の中へと足を踏み入れた。ヒナタたちも、面食らったような顔のままで後に続く。


 しかし、ケイゴが1歩踏み込んだ瞬間に体が凍りついた。野生の勘ともいうべき何かが警告を発したのである。それは鼻から火急を告げるものだった。


ーーもしかして、血の臭いか!?


 入り口でたじろぐケイゴ。その姿に呆れたような声が投げ掛けられる。


「何をしている。父に挨拶をしないか」


「親父がここにいるのか!?」


 ライトを辺りに振る。しかし父親どころか、人影らしきものといえばシンイチロウだけである。室内は寝具や食器などの雑多な物で散らかってはいるが、人が隠れられるような場所は見当たらない。言葉の意図が見えず、ただ困惑した。


「どこを見ている。上だ、上」


 シンイチロウが白刃の切っ先を上に突き上げ、視線をそちらに向けさせた。ライトを壁伝いに走らせる。すると、そこには歴代当主の肖像画が並んでいた。名前すら知らぬ祖先から始まり、何枚も通りすぎると祖父に行き着く。そして、その隣には父の顔があった。


「良い顔してるだろ? 存分に眺めていけ」


 ただし、肖像画ではない。胴から離れた首が1つ、壁に打ち付けられていたのだ。苦悶に歪んだ顔がライトに照らされ、深い深い陰影を生み出した。

 

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