第23話 心の明暗

 コハルという女は、逆説的に言うとヒナタの生き写しであり、娘同様に前向きな気質を持っている。柔和な微笑みを絶やさぬ姿からは、麗らかな春の梢にも似た温もりが感じられる。齢は40半ばでありながら、比較的若々しい容貌で、傍目から老いを感じさせることは少ない。


 その彼女だが、全く事情を飲み込みきらぬうちに避難所から飛び出してしまった。愛娘の傍に居たが為に巻き込まれ、あれよあれよという間に流浪の身となったのである。不服では無くとも不安を覚えるのが当然だ。よって、移動中の車内では自己紹介から始まり、旅の目的についての説明がなされた。


「なるほどねぇ。つまりアナタたちは、ずっと暮らせるお家を造ろうとしているのね」


「そうなの。これからもっともっと地球は大変な事になっちゃうんだってさ。だから、ママも付いてきてくれるよね?」


「ええ勿論よ。それにね、あの避難所は何だか怖かったし、連れ出して貰えて助かっちゃった」


「なんつうか独特な雰囲気だったよな。マジで耳を疑ったんだけど」


「我々はケイゴ君のビビッドな発言にこそ耳を疑ったがね」


「うっ。次からは気を付けるっての」


 痛い所を突かれたケイゴは、苦虫を潰したような顔で答えた。それに対してフォローをするかの様に、コハルが会話を繋げた。


「ケイゴ君の言う通り、あそこはちょっと異様だったかしら。最初のうちはそうでも無かったのだけど」


「ご母堂、それは大変興味深い。差し支えなければお話いただいても?」


「別に構わないわ。面白い保証が無くても良いのなら」


 ロジーの了承が得られる前に説明は始まった。コハルの話を要約すると次のようになる。


 初日の夜、彼女の夫と避難所へ逃げ込むと、そこは通夜よりも沈鬱な空気に包まれていた。ボンヤリと呆ける老人、ただ静かに泣き通す女、中には正気を失った人の姿も見えたという。


 市職員や責任者が現れなかった事もあり、避難所としての機能は脆弱であった。水や食料は備蓄から野放図に浪費され、計画も分配も無いという有様。更には2日目すら待たずに喧嘩まで頻発するという始末で、この寄り合い所帯は早くも崩壊の危機に瀕していた。


 そこへ突如として現れたのが、司祭の男とその主である。彼らは避難所にやって来るなり壇上に登り、耳目を集めると演説を始めた。内容は先刻耳にした物と大差は無い。私を信じよ、私だけが窮地から救ってやれると繰り返したのだ。すると、それまで悲嘆に暮れていた人々は眼の色を変え、あの男に追随するようになったと言う。


「随分とまぁ簡単に信用するんだな。アイツら、胡散臭いなんてレベルじゃなかったのに」


「全員が信じた訳では無いわ。反発して出て行く人も半分くらいは居たかしら。例えばお隣さんとか」


「隣のお婆ちゃんならウチの近くで会ったよ」


「何か荷物でも取りに戻ったのかしらね。つい先日、石岡の息子さんが迎えに来てね、そちらに行くと言っていたのだけど」


「そっか。だからあの婆さん、オレの車に乗りたがらなかったのか。あの流れで同乗しちまえば、避難所に戻る羽目になっちまうもんな」


「司祭の男は不法侵入がどうのと言っていた。我々を引きこもうとする動きも極めて不自然であった。もしかすると、避難民の流出を止められずに焦っていたのかもしれない」


「私たち夫婦は行く当てが無かったから留まったけど、外に身寄りのある人は大体出て行ったかしら。今も残ってるのは最初の半分くらいだと思うわ」


 コハルが粗方話終えると、ロジーは深く頷いて感謝の意を述べた。仏頂面の男が久々に見せる満面の笑み。それをケイゴは不気味だと素直に感じた。もちろん、先ほどの失敗に懲りているので、実際に口から出したりはしない。第一答を腹の中へ押し込む代わりに、第二の言葉を吐き出す事にした。


「なぁロジー。随分と愉快そうだけど、何がそんなに面白いんだ?」


「いやね、この目で直接スタンフォード監獄実験と同質の場面に出くわしたかと思うとね、貴重な体験をしたと感じ入ってしまうのだよ。まさにルシファー効果そのものであったなと」


「なんだその、ルシファー効果ってのは」


「有り体に言えば、同調圧力の事だ。人は集団になれば個が埋没し、思慮が浅くなる。ゆえに暗示にもかかりやすくなる。通信や情報が遮断され、外界から孤立していた事も大きく作用した事だろう」


「うん。何を言いたいんだか分かんねぇ」


「結論を急がないように。あの男はこのような趣旨の事を言った。『信じなければ助からない』と。冷静に考えれば根拠の無い戯言だと分かるのだが、追い詰められた人々からすればどうだろうか。藁にも縋る思いで従う事だろう。相手に救世の力が有る無し関わらずに、だ。避難民が求めたのは根拠や物証ではなく、名分だったと見なせよう」


「言われてみれば、避難所の人たちは盲信していたかしら。ちょっとでも疑問を持つと怒り出すくらいに」


「それがルシファー効果、同調圧力の作用だ。あの集団に個々の信条など無く、一様に救世主を信じるグループとなり、異分子を弾くように設定されてしまった。それも無理はない。彼らにとって『楽園』とやらは無くては困るのであり、自分たちが助かる唯一の道筋なのだから。否定的意見は恐怖や憤りに直結するものだ。なので、ケイゴ君の直言は深く突き刺さったのだろうな。全員が仇敵を睨みつけるようであったぞ」


「最後の一言は要らないだろ」


「学者センセーよ。随分と小難しい話してっけど、つまりは『生きてくには希望が要る』って事かい?」


「まぁ、そう受け取って貰っても構わない」


 タイゾウの茶化したような発言が、ケイゴには奇妙な程に納得がいった。これまで出会った人物の多くが当てはまるからだ。


 最初に出会った男は、ゲームセンターで人形を吊るしていた。彼は自作の罠を張り巡らせ、何者かを出し抜く事を生きがいとしていた。大学の連中は暴力を振るう快感を拠り所にしていたし、タイゾウは家族と再会を夢見ている。廃人のようだったコハルも、ヒナタのおかげで生来の明るさを取り戻していた。


 人は何かに依存する事で自分を保っていられるのではないか。ケイゴはそこまで思い至ると、助手席の一画に目が止まった。ロジーの足元に突っ込まれている、筒状に丸められた紙。そこにプリントされているものがアニメ調である事が、ルームランプの明かりが明瞭に照らし出している。中身に察しがついたケイゴは、口元を僅かに歪めながら、ささやかな『反撃』を実行した。


「ロジーは自分の希望を雑に扱ってるんだな。もうちょっと大切にすべきなんじゃないのか?」


「このポスターのことか。これは、かつての希望と呼んだ方が正確だ。今となっては名残でしかない」


「名残ねぇ。強がってるだけじゃないのか?」


「虚言ではない。さすがの私も、被災当初は不安定だったのだよ。そのため、過剰なまでに例のアニメを崇拝してしまった。だがそれも過去の事。新たな目標が見つかった事と、足蹴にしてもらえたという一件により、執着は随分と弱いものとなった」


「蹴られたら落ち着いたの? なんだか可笑しな話ねぇ。ヒナちゃんもそう思うでしょ?」


「ええと、うん。そうだね。凄く変って言うか、よく分かんない世界って言うかね、エヘヘ」


 さすがのヒナタも実母を相手に、『半裸の姿で人様の顔を蹴り飛ばし、しかもその行為を説得と強弁した』などとは言えなかった。顔をやや背け、視線を黒一色の車窓へ飛ばした事も仕方のない話である。

 

 若干名の心に棘を刺した談笑も、減速した車が路肩に停車するのを期に途切れた。辺りには雑木林があるだけで、何か目ぼしい場所に着いたのでは無い。皆が怪訝そうに周囲を見渡す中で、タイゾウは少し演技がかった声をあげた。


「さてとお客さん。目的地が曖昧だったんだが、これはもう北に向かって良いのかい?」


「構わないでしょ。他に寄る所なんか無いし」


「えっ。ケイゴ君の家には行かないの? ここから遠くないじゃない」


「いや、寄らなくて良いよ」


「どうして? 家族に会いたくないの?」


「まぁ。アイツらとは色々あったしな」


 家族と絶縁してるから、とは言わずにおいた。ケイゴのお家事情について知る者は今この場に一人も居らず、最も親しくするヒナタでさえ、ほとんど伝わっていない。なので皆は返答に窮し、それきり車内では会話が途切れてしまった。


 しかし、目を白黒させているのはヒナタだけである。年配者達は自身の経験則から、おおよその事を察した。そして、この重たい沈黙を霧散させたのは、柔和な語り口調であった。


「そうね、確かに色々とあるものね。でも、全くの他人になってしまうというのも、少し寂しすぎるんじゃない?」


「そういうもんかな。オレは気にした事は無いよ」


「あらぁ……。これは根が深そうねぇ」


「ケイゴ君。私は君の意思を尊重すべきだと思う。家族という閉ざされたコミュニティでの事は、余人には窺い知れぬ部分が多い。当人の気が進まないと言うのであれば、我らに無理強いまでする権利など無かろう」


「それはそうだけど。ご両親は心配されてるんじゃないかしら? せめて元気な顔を見せるだけでも、心の内は変わるものよ」


 ケイゴはわざわざ否定しなかったが、有り得ない事だと確信していた。もし顔を合わせたなら、場合によっては暴力沙汰になりかねない。たとえ未曾有の災害が起ころうとも、あの機能不全家族が改善されるとは到底思えなかった。


 しかし、彼の結論は変わった。生死の確認くりいはしてやろうと思えたのである。それはもちろん、互いに生き延びた喜びを分かち合う為ではない。かつて恨みに恨んだ家が、あの家族が今どのように壊れたのか、俄然興味が湧いたのである。


「わかった。オレん家に行こう」


「良いのか? もし気を遣っているのなら無用なのだが」


「そんなんじゃ無いって。それよりも場所を教えるから、地図を貸してくれよ」


 ケイゴは受けとるなり赤丸でマーキングし、ロジーに位置を伝えた。分かりやすいルートであるため、車は迷うこと無く道を進んでいく。


 故郷は近い。周囲の景色が次第に見慣れた物となり、それらが視界に映るたび、胸は暗く弾んだ。心に巣食う苦い記憶の数々がそうさせるのだ。その一方で、冷静な部分が酷薄すぎると批判もする。


ーーヒナタに比べて、オレの根性はひん曲がってんだな。


 寄る辺無き視線が窓の向こうをさまよう。しかし、慰みになるような物は見つけられない。暗闇の支配する景色を眺めては、過去の心情に重ね合わせるだけであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る