第22話 異様な避難所

 グラウンドの片隅で、コハルとヒナタの母娘が寄り添い合いながら佇む。ケイゴは一歩退った所で、暗やみに溶け込みそうな2つの背中を眺めていた。部外者が横に並ぶのは図々しいと思えたからである。


 ヒナタがおもむろに膝をついた。眼前には父の墓標があるのだが、御影石などという立派なものではない。何処からか用意した柱の一部が突き立っているだけだ。お供え物として封の切られたタバコの箱と、水で満たされた赤茶の器があり、そこにはうっすらと雪が降り積もっていた。


 終焉の住処としては粗末すぎる設えではあるが、ヒナタにとって唯一無二の特別なものだ。愛おしそうに、どこか労わるように雪を丁寧に払い除け、そして深い哀しみに暮れた。


「ただいまパパ。今帰ってきたよ」


「あなた、ヒナタよ。最期の時まで案じていたヒナタは無事だったから。安心して眠ってね」


「ケイゴ君がね、アタシの事を助けてくれるんだ。頭良いし、優しいし、お世話になりっぱなしなの」


 ここでコハルは、ふと思い出したように顔を振り返らせると、ヒナタの隣を空けた。そしてケイゴに向かって力のない笑みを向ける。


 無言の催促を察したケイゴは、静かに墓前へと歩み寄った。ゆっくりと跪き手を合わせ、記憶の海にただよう生前の顔をたぐり寄せる。しかし、何か語りかけようにも言葉が見当たらない。無念の死を遂げた相手に対し、どのような言葉をかければ良いのか。とうとう確信を得られないままに、心に浮かんだものを包み隠す事なく、真正面から伝えた。


「ヒナタの笑顔はオレが守り抜いてみせます。だから、どうか安らかに」


 長い黙祷。言葉はなくとも、ただ無心に手を合わせた。ケイゴに父と子の情は理解できないが、ヒナタとの関係が良好であった事は知っている。気さくな人柄で、ケイゴとも親しげに接してくれた事は、今でも手に取るように思い出せた。その自分でさえ拭いようの無い喪失感に晒されているのだ。ヒナタの傷心を思えば、いくらでも祈っていられる気がした。


「ケイゴ君、ありがとうね。ヒナちゃんを守ってくれて。お父さんも今ごろ喜んでくれてると思うわ」


「いや、オレは大した事してないよ。むしろヒナタにはいつも元気付けられたし、助けられたのはコッチだと思う」


「相変わらず真面目だし謙虚よねぇ。お父さんが気に入る筈だわ。あなたがウチに来てると物凄く嬉しそうにしてたもの」


「パパったらさ、ケイゴ君にお酒やタバコをすすめちゃうんだもん。まだ未成年なのにさ」


「男の子が欲しかったらしくてね。息子と一緒に酒を飲むのがどうの……なんて言ってたもの」


「そういやオレ、野球は好きかなんて聞かれたっけ。それももしかして?」


「ああ、やっぱり聞いてたのね」


「キャッチボールをしたかったんだと思うよ。アタシは球技が全然ダメだから、そういうの夢だったんじゃないかなぁ」


「夢、か……」


 ケイゴの胸にツキリとした痛みが走る。自分にはささやかなものでも、夢と呼べるものがあっただろうか。強いて挙げれば、いかにして機能不全な家族から逃れるかという一点だけだ。それを生きる目的とするのは、ましてや夢と呼んでしまうには、あまりにも暗すぎはしないか。そんな自分が生き残ってしまった事は、何らかの皮肉のように感じられた。


 それからは言葉もなく、ただ静かに墓標と向き合っていると、校門の方からエンジン音が伝わってくる。ロジーたちが敷地内に乗り付けたのである。それを期にケイゴたちも車の方へと向かい、合流した。


「遅くなって済まない。通れそうな道を見つけるのに苦労してしまった」


「構わないさ。こっちは用事が済んだところだ。こうして再会も出来た訳だし」


「ヒナタの母でございます。ウチの娘が大変お世話になったようで」


「貴女がご母堂ですか。相互扶助は災害時の基本。お気になさいますな」


「こっちがママさんか。だとすると、向こうがパパさんかい?」


「ええ? アンタ何を言って……」


 タイゾウの視線の先を辿ると、車からほどなく離れた位置に一人の中年男性が立っていた。全身を純白のレインコートで包んでおり、恭しげな所作と微笑みを湛える顔から、どこか聖職者のようにも見える。その男が両手を合わせ、軽く頭を下げると、明瞭な語り口調で告げた。


「ようこそ、だいちの家に。貴殿方は流浪の民とお見受けしましたが、いかがですかな?」


「るろうの……?」


「定義の怪しい言葉だが、我々が拠点を持たぬ集団である事は確かだ」


「なるほど、そうですか。辛く不安な日々を過ごされたでしょうが、もう心配はいりません。貴殿方をだいちの民として歓迎致します。車を所有しているので、一級市民の資格を差し上げましょう」


「ちょっと、勝手に決めないでくれよ。オレたちには目的ってもんがあるんだ。なぁロジー?」


「その通りだ。先ほどから話が見えない。順を追って説明していただきたい」


「おや、入国希望者ではないのですか? では貴殿方を侵入者として処罰せねばなりませんが……」


 男は微笑みを僅かに曇らせ、自分のアゴを撫で始めた。細められた眼がゆっくりと一行を見渡す。その仕草に寒気を覚えたケイゴは1歩足を踏み出して、ヒナタの前に立ちはだかった。しかし、それよりも前にコハルが歩み出て、頭を深々と下げた。


「ご無礼申し訳ございません、司祭様。私めの娘を送り届けていただいただけにございます。どうか、何卒穏便に……」


「ふむ。そのような経緯があったのですか。まぁ良いでしょう。非礼については目を瞑ります」


「ありがとうございます、ご慈悲に感謝致します」


「さて来訪者よ。良い時にいらっしゃいました。間もなく我が主よりご神託を賜わる事ができますので、どうぞこちらへ」


 男が身ぶりで促すが、誰一人として動こうとはしない。素直に従うには、話の雲行きが怪しすぎるのである。特にケイゴなどは露骨に警戒し、出方次第では争いかねないほどに剣呑であった。


「断る、と言ったらどうする気だ?」


「ほう。私の好意を無下にするつもりですか? そのような無法が通るとお思いか」


 司祭と呼ばれた男が語気を強める。比較的小柄な中年であるのだが、身にまとう威圧感は強烈だった。これ以上の長居は危険だと判断したケイゴは、ヒナタ親子を車に乗せようとする。だが、その時には既に手遅れであった。


「司祭様! ただいま巡回より戻りました!」


「ご苦労。この者たちは侵入者です。逃がさぬようになさい」


「畏まりました!」


 いつの間にか校門より現れた集団が、ケイゴたちの逃げ道を塞いだ。数はおよそ30。その全員が、長柄の先に包丁を括り着けた槍のようなもので武装しており、簡単に突破を許さない。にらみ合うも多勢が有利。得物の切っ先が侵入者を囲むのに、それほどの時間はかからなかった。


 思いがけない窮地も、車を発車させれば容易く脱せるだろう。しかし、車外の者を乗せるだけの猶予はなく、敵中に取り残してしまう事は確実だ。ロジーはそこまで読み切るとエンジンを切り、何気ない仕草でドアから降りた。タイゾウもすぐに倣う。


「観念しましたか。大変宜しい。犬畜生ですら相手の強弱を計るのですから、智を有する人間が劣ってはなりません」


「我らに争う意思は無い。なので、周囲の者の武装を解いていただきたい」


「そうは参りません。貴殿方はあろうことか、反逆の意を示すという大罪を犯しました。ゆえに罪人であり囚われの身なのです。以後、自由があると思わぬ事ですな」


「オレたちをどうする気だ!」


「まずはウワベ様とのご挨拶といきたい所ですが、ご神託の刻限が迫っています。お目通りは事後と致しましょう。ではこちらへ」


 司祭の男が背を向けると、体育館に向かって歩き始める。ケイゴたちは逃げようにも、周囲を完全に取り囲まれており、ただの1人も這い出る事は不可能だ。要求通りに従う他に選択肢は無く、5人でまとまりながら後を追った。


「避難所って聞いて、ちょっとヤベェかなと思ったんだよな」


 タイゾウが声を潜めて言った。周りを固める敵に聞き取られた様子は見られない。


「ヤベェってどういう事?」


「いやさ、オレはこれまでに何度となく訪ねてんだよ。あちこちの避難所にさ。そしたらもうヒデェもんさ。聞いた事もない謎宗教が生まれてたり、暴力だけで支配する恐怖体制が敷かれてたりさ。ともかくロクなもんじゃ無かった」


「私の知る避難所も大概だった。避難民のほとんどが死人のように生気が無く、こちらの話を聞こうとすらしない。構うだけ時間の無駄だと思い、関わる事を止めたという経緯がある」 


「何だってそんな事に……」


「国家がその体を成していない事、通信が遮断されている事、そして何より太陽を喪失した事が挙げられる。あらゆる拠り所を失ったが故に、人々は半ば狂乱状態に陥っているのだろう」


「そんで、よりによって一番ヤバそうな所に来ちまったって訳か。罪人がどうのと、ふざけた事ぬかしやがって」


「それは方便だろう。どの道、我らを仲間に引き入れるつもりのようだ」


 案内された体育館は、既に数え切れない人で埋まっていた。ざっと見積もっても数百人が詰めかけている。ブルーシートで作られた境界すら無視され、無造作に踏み荒らされている。前を行く司祭が短く声をかけると、人垣は恐れ慄いたように割れ、ケイゴたちを容易く最前列まで誘った。


 目の前には壇上だけがある。要領を得ないままに待つことしばし。ただでさえ薄暗い館内の明かりが前触れ無く消えた。すると、それまで無言で居た聴衆が、辺りを震わせるほどの大きな歓声をあげ始める。そして、その声に応えるようにして、壇上に小太りの男が姿を現した。懐中電灯の光もそこに目掛けて集約され、眩しさを覚える程に明るく照らし出される。


「よくぞ今日を生き延びた、我が愛しき子たちよ。大地の使者たる私は、いつでもその身を案じているぞ」


 芝居がかった身振りで男が叫ぶ。耳にまとわりつく不快な口調だ。にも関わらず、聴衆は感じ入った様に声を漏らし、思い思いに祈りの姿勢をとった。


「私が母なる大地、地球より使命を授かった事は先日告げた通りだ。その使命とはもちろん、人類の再生。奢り昂ぶった人間を全て駆逐し、従順なる者のみが生き残る新しき世を創りあげること。今の苦痛は産みの苦しみであり、解放される日は必ず来る。それはこの私が固く約束しよう!」


「ああ、ウワベ様。我らをお救いください……」


「ただ私を信じよ、微塵も疑ってはならぬ。そうすれば、やがて訪れる楽園へ皆を連れていってやろう。ただし、不届き者はその限りではない。誰もが甘露を味わえるとは思わぬ事だ!」


「我が命、我が魂、全てはウワベ様の為に」


「男どもよ、良く働け。大地に捧げる富をかき集めるのだ。女どもよ、限りなき献身にて尽くせ。楽園へ至るには、この私と交わる事で、俗世の穢(けが)れを祓(はら)わねばならない!」


 ケイゴは耳が腐る想いで戯言を聞いていた。無価値同然の演説と、その合間に囁かれる聴衆の独り言が、どうにも不愉快に感じて仕方ない。そのせいか、彼の口からは率直な感想が溢れでてしまった。


ーー気持ち悪ィな。


 その言葉は想定以上に響いてしまい、真っ向から批判する言葉が端々にまで伝わってしまうのである。


 これにはヒナタ親子は目を大きく剥いて驚いた。タイゾウは今にも笑い出しそうに身を屈め、ロジーは感心したような声をあげた。


「ケイゴ君。その天井知らずな度胸は素晴らしいな。胸のすく思いだ」


「いや、今のは計算違いだって。うっかり口をついちまった」


「そうか。ならば次からは、周囲の状況と相談しながら行動してもらおうか」


 暢気な会話とは打って変わって、辺りは凄まじい殺気で満ち満ちていた。聴衆の睨む様は尋常ではなく、まるで親の仇でも見るかのようだ。そして事態はそれだけでは済まない。周囲の武装兵が再びケイゴたちに刃物を向け、切っ先は憎悪が宿ったかのように小刻みに震える。そこへ壇上の男が、更なる動機を注ぎ込もうと声を荒立てた。


「不信心者は殺してしまえ。疑念を抱く者を生かしておけば、楽園への道が閉ざされてしまうぞ!」


「畏まりました、殺します!」


「ただし、若い女だけは傷ひとつつけず捕えよ! 入念に穢れを祓う必要があるからな!」


「畏まりました、若い女は捕らえます!」


 ジリジリと包囲網が狭まっていく。いくつもの刃が迫る一方で、ケイゴたちに対抗する武器は無い。追い詰められ、後ずさりを続ける最中、タイゾウだけが足を止めた。そして口元に不敵な笑みを浮かべると、自分のコートの中に手を突っ込み、何かを取り出した。それは両手で抱える程に大きく、洗練された形をしたもの。自動小銃である。


「オラオラ! 死にたくなきゃ道を開けやがれ!」


 腹に響くような怒号とともに銃が乱射された。けたたましくも乾いた音が響くなり、辺りは悲鳴で騒然となる。腕を、胸を撃たれたと叫んでは転げ回り、中には屋外へ逃げ出すものまで出始めた。騒ぎを沈めようとして、司祭の男が収拾に乗り出す。


「お前たち、試練から逃げてはなりません! ウワベ様に見捨てられても良いのですか!?」


「だったらテメェも食らいやがれ! こんな茶番に付き合わせやがって!」


「ギャアアッ痛い痛いぃーーッ!」


 執拗に弾を撃ち込まれると、司祭は倒れこんだ。薄闇の中であっても、肌が赤く腫れ上がるのがよく見えた。


「よし、今のうちに逃げるぞ!」


「それは良いけど、それって本物なのか?」


「んな訳ねぇだろ。エアガンみてぇなモンだよ。ただし電動式の、当たったらメッチャクチャ痛ぇやつな」


「しかし効果は絶大だ。視界の暗さから真贋の判別は難しい上に、被弾の痛みが強ければ風穴でも空いたかと誤認しかねない。場をよく使ったものだ」


「いや、センセーよ。解説は良いから早く逃げようぜ」


「まさしくその通りだ。急ぎ撤退しよう」


 タイゾウが天井に向けて引き金を引くと、その音だけで聴衆は酷く狼狽した。天井に当たったプラスチック製の弾が床に落ちて軽い音をたてるが、恐慌状態に陥った人間に冷静な分析など不可能だ。誰も彼もがその場で頭を抱え、嵐が過ぎ去るのを待とうとした。そうして生じた人垣の隙間を、ケイゴたちは素早く通り過ぎていく。


 そして校門の前まで駆けると車に飛び乗り、わき目も振らずに虎口から脱出した。追いかける者の姿は無く、やがて避難所すらも見えなくなると、車内は安堵の息で満ちた。


「はぁぁ、酷い目にあったけど、何とか助かったな!」


「タイゾウ君の準備の良さに助けられたな。こうして事なきを得たが、あの状況はいくらか危険であった」


「モデルガンが好きでねぇ。人に向ける趣味は無かったんだが、護身用に肌身離さず持ち歩いてたんだ。それがこうも見事にハマるとは思わなかったぜ」


 勝利という美酒に皆が酔いしれている所、一人だけ浮かない顔を浮かべる者がいた。ヒナタである。彼女は窓からひたすら背後を眺めており、後悔を隠さない声色で言った。


「パパをあんな所に置いてきちゃった……」


「言われてみれば、そうか。でも戻る訳にはいかないしなぁ」


「ヒナちゃん。何も危険を冒してまで傍に居る必要は無いわ。それに遺品だってあるんだから」


「遺品って、いつの間に!?」


 コハルの手には2つの小振りなリュックサックがある。うち1つをヒナタの膝に乗せた。


「だって、皆が頭を抱えて動かなくなったでしょ? その間に私とお父さんの荷物を持ってきたのよ」


「凄ぇな。全然気づかなかったぞ」


「だからねヒナちゃん。我儘を言って困らせてはダメよ」


「うん、そうだよね。ごめんね」


 ヒナタは父親の遺品が詰まったリュックを受け取ると、胸に抱きかかえ、それから顔を埋めた。真新しく、特に臭いは無い。それでも彼女は深く息を吸い込み、記憶の中の父と戯れようとした。


 

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