第14話 友よさらば

 研究棟は三階層からなる建物だ。形状はコの字で、敷地内の中心はささやかな庭園となっており、屋外と繋がっている。大きな欅(けやき)の傍には1脚のベンチが設置され、昼は学生で賑わい、隙間時間には読書も嗜めるという憩いの場。ロジーも幾度となく利用しており、静けさの中で微かに響くキャンパスでの喧騒をいたく気に入っていた。


ーー協奏曲ならぬ、『狂騒』曲を聴いている気分だよ。


 などという冗談を口にしては、失笑を買う程度には所縁のある場所だった。しかし、今となっては見る影もない。災害によってではなく、人為的に破壊されたのだ。


「なんだよコレ。一体どうして……」


 ケイゴは中庭の方を照らしながら体を凍りつかせた。そこには何十もの死体が折り重なるようにして遺棄されている。打ち捨てられたとしか言い様がなく、死者に対する畏れや尊厳は微塵も感じられない。


 また、死人の容貌も様々だ。服を真っ赤に染めた老人、喉元を切り裂かれた男、長い髪で顔面を覆う女。特に一糸纏わぬ遺体は肌の質感が若く、落命前にどのような仕打ちを受けたのかは想像に難くない。


 ケイゴは胃からせり上がってくる物に堪えようとして、胸をそらしつつ口許に手を当てた。それが唾棄すべき嫌悪感から来るのか、もしくは言い知れぬ恐怖心からなのか、彼には判別がつかなかった。


「誰の仕業かについては考えるまでもあるまい。学生連中が手にかけたのだ。全員では無いかもしれんが」


「マジかよ。これで良心が痛まねぇのかよ」


「元々質が悪かったのか、それともゲーム感覚なのか。いずれにせよ、まともな精神状態ではあるまい」


「これはもう、会話でどうにかなる相手じゃないな」

 

「勿論だ。もし話が通じるのなら、わざわざ潜入したりは……!?」


「何か見つけたのか?」


「ケイゴ君、それを貸したまえ」


 ロジーは半ば引ったくる様にして、ケイゴの灯りを手にした。そして死体群の一画を照らしたかと思うと、その光は小刻みに打ち震えだす。


「サカザキ……!」


「もしかして、知り合いが居るのか?」


「知人だ。罵り合うだけの間柄で、特別な誼があった訳ではない」


「そうは言うけど、やっぱりショックだよな」


「まさか。心に響く程ではない」


 そう言ってケイゴにライトを手渡すと、移動を促した。目標は3階の生物学研究室だ。足音を殺して、息を潜めながら階段を昇る。


 建物内部は比較的状態が良く、大した労力も無しに目的地へと辿り着いた。壁に貼り出された紙には『単位取得者一覧』やら『地球温暖化シンポジウム』などと書かれており、それが酷く遠いものに感じられる。


 ケイゴが安穏とした日々を懐かしむ傍らで、ロジーは解錠してドアを開けた。錠の開く音が響かないよう、慎重に。


「生物の研究室に来たけどさ、役に立つものでもあんのか?」


「役立つどころでは無い。我々を、引いては人類の生存を左右しかねない研究成果が、ここに眠っているのだ」


「なんだそれ。太陽を作りますとでも言うつもりか?」


「あながち間違いではないな」


「えっ!? 冗談だろ?」


 驚愕に目を開け広げるケイゴだが、そんな彼を他所に、ロジーは机上の資料を読み漁るばかりで問いかけには答えない。それどころか言い募るケイゴを手で制し、手元の書面に没頭してしまう。一読し、やがて納得したように鼻息を吐くと、いくつかの紙束を自身のバッグにしまいこんだ。


「待たせた。それでは、我らが太陽の元へ行こうか」


「おい何だよ。説明してくれねぇのか?」


「論より証拠と言うだろう。こっちだ」


 ロジーは近くの扉を開けると、ケイゴを中へと招き入れた。訝しがるケイゴの瞳に手狭な実験室が映る。ただし、本来であれば机上に並んでいただろうプランターは、植えられた植物と共に床に散乱していた。


「なぁ、これのどこが太陽なんだ?」


「ここでは、単色光による栽培実験が行われていた。天候に左右される事のない安定生産を目的としている。我らの新たな太陽と評しても過言ではあるまい」


「そんな事が本当に出来んのかよ」


「可能だ。その種が欲する波長を照射し続ければ、問題なく育成できる。といった趣旨の事が研究結果に書かれていたよ」


「そうか。それは良いけど、地熱はどうした? てっきり、それ絡みの物を探しに来たもんだと思ってたんだが」 


「残念ながら、我が大学では研究されていない。ここでの用件は食料生産に向けての収集となる。地熱知識は、体を暖めてくれても飢餓には意味を為さない」


「まぁそうだけど。でも、電気がなきゃ使えねぇだろ」


「安心したまえ。地熱の利用と発電方法については図書館で拝借する。理解したなら手伝って貰おうか」


 ロジーは戸棚を開け、中から段ボール箱を引きずり出した。実験の備品である。そこには電球の封入された箱が未開封のまま鮨詰めとなっている。その重量から全てを持ち去る訳にはいかず、選別した上でリュックに詰め込んでいった。


 ケイゴはひとつ不思議に思う。どうして備品をアッサリと探し当てたのか。社会心理学の講師として在籍していたロジーが、縁遠そうな生物研究室の内実について詳しいのか。


 その疑問を問いただそうとしたのだが、ロジーの言葉に遮られてしまう。


「よし。これで研究棟での用事は済んだ。すぐに図書館へと向かおう」


 移動と聞いて、ケイゴの気持ちは切り替わった。ヒナタの安否が気にかかったのである。別れてから大した時間は過ぎていないが、場所が場所だけに不安で仕方無いのだ。


 ロジーの不自然な動きについては忘れる事にした。探索がスムーズに進む分には良いと、強引に飲み込んだのである。

 

「いや、一度駐車場へ戻ろう。様子を窺うついでに荷物を置きたい」


「いささか非効率的だが、良いだろう。そうしなければ君は納得するまい」


「じゃあ決まりだな」


 ケイゴは待ちかねたように、足早で退室した。その後ろにロジーも続くが、ドアの手前で一度立ち止まり、そして振り返る。


 窓の外から降り注ぐか細い光が、荒涼とした室内を淡く照らす。今となっては変わり果ててしまったが、平時の頃を忘れてしまうほど記憶は古くない。目を細め、意識の奥深くまで潜りこんだなら、ありふれた光景がまざまざと浮かび上がるようだ。


ーー見てみろロジー、研究が学術誌に掲載されたぞ。お前がテレビだ出版だとうつつを抜かしている間に、オレは研究者として大きく飛躍したんだ!


ーーわざわざ呼び出して何を言うかと思えば、そんな自慢をするためだったのか? 私にコメンテイターとして出演依頼が来たことに、よほど嫉妬したようだな。


ーーうるせぇ! 口先で稼ぐお前より、オレの方がよっぽど有益な事してんだよ! 今にみてろよ。食料問題解決に多大な功績を残した、アジアの頭脳ことシンヤ・サカザキの名が世界中に知れ渡るからな。


ーーそれは立派な事だ。せいぜい失態を演じないよう注意したまえ。


ーー言われるまでもねぇ。オレはな、この研究に命かけてんだ。何があっても成功に導いてみせるからな!


ーー話はそれで終わりか。では失礼する。


ーーまぁ待て。折角だから中を覗いていけ。偉大なる研究成果をお前にも見せてやるよ。


 威勢の良すぎる言葉。粗野な上に粘着質で尊大な所はあるが、誰よりも研究熱心だった男。もう2度と逢うことも無いと思うと、胸に寒々しい風が吹き流れた。


「本当に命を懸けてしまってどうするのだ、馬鹿者め」


 その言葉は無情にも、暗闇に飲み込まれて消えた。耳に突き刺さるような静けさ。いつもの悪態も、今となっては独り言でしかなかった。


「おい、何してんだ。グズグズするなよ」


 立ち止まったままのロジーに業を煮やしたような声が飛ぶ。それを機にロジーも部屋から抜け出し、階段へ向かって通路を進んでいく。しかし、心は未だ研究室の中に留まっていた。


ーーお前の研究は有効に活用する。みごと、人類の希望の光となってみせよ。


 今度は声に出さなかった。

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