第11話 唯一の手段
ヒナタは暗闇の中で独り佇んでいた。上下も左右もない世界で、ただ自意識だけが浮かぶ。
(ここ、どこなんだろ?)
手はあるか、足はあるか、確かめようにも身体は動かない。強烈な気怠さが邪魔をするのだ。時間などいくらでも過ぎてしまえばいいと、どこか捨て鉢になったような気分のまま、ただ漠然と浮遊を続けた。
ーーヒナタ。
ーーヒナちゃん。
不意に自分を呼ぶ声がした。とても懐かしい声。それを耳にした途端、心の底に沈んだ安堵感が激しく揺さぶられ、涙が頬を濡らした。
(パパ、ママ、どこにいるの!?)
呼べど叫べど姿は見えない。世界は一条の光すら差さぬ無常の闇だ。断続して聞こえる声だけを頼りに、手当たり次第に探し続けた。
ーー暗い、苦しい。
「待ってて! すぐに助けにいくから!」
今ひとつ自由にならない体に苛立ちつつも、暗闇を進んでいく。すると、前方にひとつの鉄扉を見つけた。と言っても建物がある訳ではない。何も無い空間に突然現れたのだ。
なぜ暗闇にあってそれが見えるのか、ヒナタは疑問を抱かない。その向こう側から響く家族の声が、彼女の理性を曇らせたのだ。
ーー寒い、苦しい。
「この中にいるのね? 開けてあげる!」
渾身の力をもってして開こうとするが、扉は容易には動かなかった。何か強い力を受けて、大きく歪んでいるからだ。めげずに今度は体重をかけて取っ手を引っ張る。すると手応えと共に、錆び付いたような不快な音が響く。二度、三度と繰り返し引く事で、ようやく扉は開け放たれた。
「パパ、マ……マ?」
扉の向こうには誰もいなかった。ただただ漆黒の空間が広がるだけだ。いや、むしろ自身の周囲よりも濃い闇のようにも思えて、思わず後ずさりした。本能がしきりに警告を鳴らす。この先は危険であると。
少し離れて様子を見よう。そう思って更に下がろうとしたが、その判断は遅すぎた。扉の向こう、何も無い空間から突如として褐色の霧が吹き出し、ヒナタの体を包み込んでしまった。ただの霧ではない。明らかに質量をもっており、まるで植物のツタが絡まるように、彼女を虜としてしまったのだ。
ーー助ケテクレテ、アリガトウ。
ーーコッチヘオイデ。君モ仲間ニ、シテアゲル。
ヒナタは声にならない悲鳴をあげた。両手足を駆使して全力で足掻き、束縛から逃れようとした。だが、一向に歯が立たない。囚われの身体は無情にも、扉の中へと引きずり込まれていく。
「嫌だ! 助けて、ケイゴ君!」
霧の濃度が増し、やがて自ら発光するかのような明るみすら帯び始めた。自分の顔が褐色に染め上げられていく。それが途方もなく恐ろしい事のように思えて、半狂乱になって暴れた。
ーーヒナタ。早ク。
「ケイゴ君! どこにいるの、ケイゴ君ってば!」
ーーヒナタ、早く起きろッ!
「……え?」
頬に数度の刺激。それを切っ掛けにヒナタは意識を取り戻し、緩やかに覚醒した。そしてボンヤリと霞む視界に暖色の光を見た。眺めているうちにルームランプであると気づき、そのすぐ向こう側でケイゴが様子を窺っている事も知る。彼は目尻を吊り上げており、機嫌の悪さを如実に表していた。
「おはよう……。もしかして、起こしてくれたの?」
「そうだよ。お前さ、めちゃくちゃ暴れてたんだぞ。どんだけ寝相が悪いんだよ」
「えと、その、悪い夢を見てたからかなーなんて」
「ケイゴ君助けて、とか寝言を言いながらオレを蹴飛ばすって、ちょっと酷くないか?」
「ハイ、スミマセン……」
「君たち。コントは程々にしたまえ。朝食の準備は既に整えてある」
テーブルには3人分のミートパスタが並べられており、肉汁の香りが空きっ腹を吸い寄せた。レトルト料理に粉チーズをかけただけの質素なものだが、吸引力は抜群だった。ヒナタは弾かれたように立ち上がり、寝起きとは思えないほどの機敏さで席に着く。遅れてケイゴも荒い鼻息とともに隣に座った。
「いただきまーす!」
「めちゃくちゃ元気だな、マジで。いただきます」
「さて、食べながらで構わないので聞いて貰えるか。昨晩の続きだ」
「生き残る為の唯一の方法について、だっけか?」
「まさしく。もう始めてしまっても?」
「ああ、頼むよ」
長閑な朝食風景からかけ離れた空気が充満する。緊張が舌を鈍化させ、折角の味わいに水を差す。それを惜しいとは思わず、ケイゴは食べ進める手を緩め、ヒナタは口に麺を含ませながら前のめりになって耳を傾けた。
「昨日の話から伝わったと思うが、我々は太陽という光源と熱源を同時に喪った。特に熱源の喪失は致命的だ。地表の温度は下がる一方であり、それは地球上の生物を絶滅させる迄に達するだろう。ここまでは良いか?」
「もちろん。昨日出した結論じゃないか」
「人類に科学ありと言えど、降伏せざるを得まい。もし仮に電力が戻ったとしても、エアコンごときで回避出来る程度のものではない。ましてや文明は壊滅的な打撃を受けており、インフラの復旧すら望み薄という状況だ。このままでは座して死を待つのみ、となるだろう」
「手遅れになる前に、言い換えれば地球が冷え切るまでに、十分な対策をしろって事だろ?」
「ご明察。熱源の喪失が問題ならば、それを別の形で得れば良い。太陽に代わる新たな熱源を」
「理屈としちゃそうかも知れないけどさ、そんな都合良く見つかるもんかよ?」
「ある。特に日本は他国と比べて豊富に保有している。この地で被災した事は不幸中の幸いと言えよう」
ここでロジーは結論を提示せず、一度口を噤んだ。そして対面する2人に向かって、ゆっくりと視線を巡らせた。さも『ヒントは出し尽くした、答えに辿りついてみせろ』とでも言わんばかりだ。この如何にも試されているような感覚に、ケイゴは昨晩と変わらぬ不快感を覚えた。
「日本がたくさん持ってるって、何かあったっけ? 海資源が多いっていうのは知ってるけど」
「度々話題となっていたものだ。それをロクに活用しようとしないので、宝の持ち腐れなどと揶揄される事もしばしばだった」
「そうか、地熱か! 地熱なら太陽の影響なんか関係なく、しかも延々とエネルギーを受け取れる!」
「ケイゴ君。君はなかなか鋭いね。昨日の解答はまぐれ当たりでは無かったという事だな。もしかすると、学業優秀なタイプかね?」
「……ちょっと本で読んだだけだ。優秀からは程遠い頭をしてるよ」
ケイゴは賛辞の言葉を受け入れなかった。手元に反らした視線は暗い色を帯び、他者の追求を拒絶する。その変化を敏感に察知したロジーは無駄口を避け、手早く本筋へと戻した。
「まぁ良いか。それはさて置き、結論は地熱だ。絶えず地球が吐き出し続ける膨大な熱量に縋る。それ以外に乗り切る術はないと確信している」
「地熱って、どうやって利用するんですか?」
「そこまでは私にも分からない」
「ちょっと待て! 散々もったいぶって言う台詞じゃないだろ!」
「焦らずに最後まで聞きたまえ。知らないのなら調べれば良い、その活用法を」
「調べるたって、どこで?」
「私の赴任していた大学が適切だ。理工学部の研究室や図書館を調査すれば、有用な資料が数多く手に入る事だろう。地学科も設置されているので、期待して良い筈だ」
「大学か……確かに、文献だの探すには丁度良いかもな」
「どうだろう。私の考えに賛同してくれるのなら、協力しては貰えないか?」
ケイゴは考える素振りを見せた。だが、どれほど熟考しようと答えは決まっている。その間ヒナタは、隣でその様子を見守るばかりだ。彼の判断に従おうという姿勢の表れだった。
「分かった。他に良い手が無いんだ。アンタに協力するよ」
「じゃあ、アタシも! ご飯を食べさせてもらった分、頑張って働きます」
「快諾に感謝する。早速だが時間が惜しい。車の用意をするので、君達も出立の準備を済ませておいてくれ」
ロジーはそう言い終えるなり席を立ち、扉の向こうへと消えた。ケイゴたちの準備はせいぜいバッグを背負うくらいだ。それを済ませてしまうと、早くも手持ち無沙汰となってしまう。
「地熱だって、ケイゴ君。これで何とかなるのかな?」
「どうだろ。そんなトントン拍子にいくとは思えない」
「でもでも、小さくても希望が持てたよね。ロジーさんに知り合えて、ラッキーだったね!」
「まぁ、そうかもしれないな」
ケイゴは今ひとつスッキリしない物を、胸の中に抱えていた。消化不良の何か。明かされていない疑問点。それが漠然とした不安を誘発し、行先の苦境を想像させた。
結論から言うと、その直感は正しい。大学での探索は単なる物探しでは済まず、過酷な生存競争の幕開けとなるのだった。法による支配と秩序の崩壊した世界において。
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