第10話 希望はどこに
晩餐は終わった。ケイゴたちはすっかり完食し、果ては容器の底で微睡む汁の一滴すらも飲み干してしまった。仮にカップを床に落としたとしても、辺りを汚す恐れは無い。
ロジーはそんな2人を嘲るでもなく、ただ平坦な表情で見守った。お気に入りのマグカップから昇る湯気で、指先を温めながら。
「どうだ、堪能したかね」
「いやぁご馳走さま! ほんと生き返る気分だったよ」
「ありがとうございました。こんなにも親切にしてくれて」
「礼には及ばない。それで、落ち着いたのであれば話に移りたいのだが」
「あぁすまん、いつでも良いぞ」
「では始めるとしようか。少し長くなる」
その言葉を合図に、室内の空気は張りつめだす。暖色の灯りに照らされたロジーの瞳も鋭いものになっている。まるで『遊びは終わりだ』と言外に伝えるかのように。ケイゴは微かな舌の渇きを覚え、唾液を集めて湿らせた。
「君たちは地下に居たそうだな。ここ数日発生した災害について、どれだけ把握している?」
「そうだな。たしか、最初は凄い力でホームドアに押し付けられたんだよ。何の脈絡もなく突然に」
「ふむ。他には?」
「気絶している間に地震が起きてたみたいです。最初の駅から脱出した時も、途中で大きな揺れがありました」
「そうか。続けて」
「太陽が消えた。月もだ。地上に出てから一回も見てない」
「それに雪も降ったよね。8月なのにスゴく寒いし、なんだか真冬みたい」
「なるほど、分かった。おおよその事は把握済みのようだな」
ロジーはそう言うと、紅茶を一口だけ含んだ。そして鼻から小さく息を吐くと、こう切り出した。
「最初に断っておくが、私は物理学も天文学についても門外漢であり、素人だ。これから述べる持論は報道も何も無い中で導き出した推測なので、誤りである可能性を孕んでいる事は承知して欲しい」
ケイゴたちには否は無い。無言で頷き、話の続きを促した。
「では。時系列順に述べていこう。私は当時、部屋で眠っていたのだが、寝具とともに西方向へ強く引っ張られた。深く寝入っていた最中での異変だ。何が起きているのか全く理解が及ばなかったよ」
「西方向……」
「相当に強い力だった。危うく気を失いかけたのだが、幸いにも作用はじきに消失し、辛くも意識を保ったままでいられた」
「すげぇな。オレたちはすぐ気絶しちまったよ」
「前代未聞の出来事だ。珍しく困惑した私は、何の気無しに窓の外に目を向けたのだが、そこで目撃してしまった。東の空を巨大な星が通り過ぎていくのを。月などとは比較にもならない、空を覆いきるほどの赤い星が。いや、褐色と評するが妥当か」
「あ! それ、ヌイグルミおじさんが言ってたヤツだ!」
「ヌイグルミ?」
「あぁ悪い。ひとまず続けてくれ」
「全ての元凶はその赤い星。自由浮遊惑星と思しきものが、地球に甚大な影響を与えたのだ。私はそう考えている。通過した直後に発生した痛烈な地震よりも、遥かに致命的な影響を」
「自由浮遊惑星!?」
「ちょっと待って、アタシ分かんない。ケイゴ君知ってるの?」
2人の反応は正反対だった。あからさまに困惑の表情を浮かべるケイゴと、彼とロジーの顔を交互に見比べるヒナタ。推論による反響の大きさに満足したロジーは、柔らかな笑みをたたえながら話を続けた。
「根拠はある。何も天体ゴシップを披露している訳ではないのだ。ヒナタ君にも理解できるよう、順を追って説明しよう」
「スミマセン……お手数かけます」
「まずは自由浮遊惑星について。これは決まった軌道や主星を持たず、銀河系をさ迷う天体の事を指す」
「それって、水星とか火星なんかとどう違うんですか?」
「太陽系の全惑星は、ご存じの通り特定の恒星を中心に周回している。しかし、そんなルールが通じない星もある。ちなみに件の自由浮遊惑星は、銀河系に数千億個あると見積もられている」
「数千億!?」
「そうだ。地球が46億年の長きに渡ってそれらと遭遇せずに済んだのは、ひとえに宇宙の広大さのお陰だ。無数の惑星が飛び交っていようとも、滅多な事で影響を受ける事はない……はずだった」
「じゃあ何か? アンタの考えでは、その惑星とやらが自転周期に影響を与えたから災害が起きた、と言いたいのか?」
その言葉にロジーは目を丸くし、ホウと声を漏らした。それから両肘を机に乗せ、手を口の前で組んだ。どちらかというと話を聞く姿勢になったのである。
「まだそこまで言及していなかったのに、勘が鋭いのだな」
「アンタさっき、わざわざ西に引っ張られたって言ったろ。そして惑星が通り過ぎたとも。恐らく、その瞬間には凄まじい引力が働いたはずだ。その結果自転が急速に早まり、西の方向に叩きつけられた。違うか?」
「ふむ。着眼点は悪くない。だがそれでは及第点には届かないな」
「何か間違えてるって言うのかよ?」
「自転については私の考えと一致している。だが、災害の全容を示す解としてはお粗末だね」
ロジーの瞳が三日月のような形に歪んだ。ケイゴはまるで試されている気分になり、不快に感じた。しかし、推理を誘導された事が良い刺激となり、彼の思考は急速に回転を始める。
(何かを取りこぼしているみたいだな。それは一体……)
これまでに目にした物が脳裏を駆け巡る。崩れた家屋、明けない夜に消えた月。そして真夏の雪。断片的な記憶が2巡ほど通り過ぎると、彼の背筋に悪寒が走った。頭は痺れたようになり、辿りついた仮説を受け入れようとしない。
(まさか、本当にそうなのか?)
ロジーの口許が歪む。そして心の底から愉快そうな声で、ケイゴに発言を促した。
「どうした。結論を見つけたようだが、披露しては貰えないのか?」
「まさかとは思うが……地球が公転軌道から外れた?」
「はっはっは、素晴らしい! これが講義であったのなら、君にはA評価をプレゼントしていた所だよ! ちなみに急激に力が働いた事により、地球内部も影響を受けて地震を誘発した、とまで言えてたなら満点だったな」
「地震はこの際、大きな問題じゃないだろ。街の壊れっぷりを見ると震災クラスだったみたいだが」
「相当に揺れた。免震建築の我が家ですら被害は大きいのだから。しかしだ、それ程の大地震であっても、公転軌道の話に比べたら霞んでしまう些事だな」
「ねぇ、それ本当なの? もしそうだとしたら、地球はどうなっちゃうの?」
「……途轍(とてつ)もなく寒くなる。南極なんか比較にならないくらい、寒くなる」
「ええーーッ! どうして、理由は!?」
「太陽系の外側にある海王星や冥王星でさえ、気温はマイナス220度なんてレベルだ。地球と全然違う天体だから条件は違うかもしれないけど、太陽から離れるっていうのはそういう事なんだ」
「それとは逆に、太陽に近すぎると一転して灼熱地獄を味わう事になる。水星などは最高で400度に迫る程だ。地球は実に良いポジションを得たものだと感心させられるな」
「え、え、その軌道から外れちゃったの? すっごくヤバいよね?」
ヒナタは涙混じりにケイゴに詰め寄った。別の理屈を期待した為である。何かの間違いであって欲しいのはケイゴも同じだ。そして再び思考を巡らせ、もうひとつの解を引きずり出す。
「自転が止まった、という可能性は? それなら太陽が見えなくても不思議じゃない、ずっと夜のままだ」
「おおーー! さすがケイゴ君、冴えてるね!」
「水を差すようで気が進まないが、それは誤りだ。空を見るに自転は続いているよ。更に言えば、人類がこれまで親しんできた星の配置はデタラメになってしまっている。その事からも、地球は戻らぬ旅に出てしまったと考えられるだろう」
「そうか、星が動いてたのか。じゃあ自転はしてるんだな」
「そもそも地球の自転が止まったとしたら、体にかかる負荷はあの程度では済まない。たしか40Gもの力が働いてしまうはずだ。体重60kgの人間に2400kgもの力。それに耐えうる人間など居やしないだろう」
「じゃあ、アタシたち、これからどうなっちゃうんですか?」
「もし仮に、この部屋から出ずに籠り続けたとする。地球は日々地表の温度を下げ、それがマイナス100度を下回るのもそう遠い先の話ではあるまい」
「マイナス100度……!」
「すなわち、何の対策もせず徒(いたず)らに時間を浪費すれば、確実な死が待っている。宇宙服でも調達できなければ、肺が凍りついて命を落とす事になるだろう」
「そんな……」
室内に重苦しい空気が充満した。推察であったにせよ、かなりの信ぴょう性が見られた為だ。少なくとも、論理を崩せない程度には筋が通っているのだ。
しかし、ケイゴはふと思う。ロジーは何故悲愴な表情を見せないのかと。そこまで考えると、先刻の会話が思い出された。温かい食事に浮かれきった為、危うく忘れかけていたのである。
「そんで、アンタはオレたちに何をさせたいんだ?」
「ケイゴ君。それどういう意味?」
「飯を食いだしたとき、こんな事を言ったよな。『まずは地球の異変について話そう』なんて意味の言葉を」
「そんな話してたっけ?」
「ヒナタは食い物に引っ張られすぎだろ」
「ご明察。私は何も、知性をひけらかす為に持論を述べたのではない。君たちに状況を理解してもらいたかったのだ。極めて逼迫したこの状況をね」
「理解したからって手の打ちようが無いだろ。オレたちに何が出来るっていうんだ」
「対抗手段はある。恐らく、唯一無二のものが」
「本当ですか? 助かる方法があるんですか!?」
「いや、今日の講義はこれまでにしておく。一度に話しても理解しきれないだろう?」
「大丈夫です。アタシが理解できなくても、ケイゴ君がきっちり把握してくれます!」
「おい、丸投げんなよ」
「続きは明日の朝、食事でもしながら話させてもらおう。これから来客用の寝具を用意するから、しばらく待っていてくれたまえ」
ロジーは多少強引に話を切り上げると、奥の階段へと消えた。部屋に取り残された2人は、何をするでもなく、雑談に終始した。楽しげではない、愚痴にも似た会話だ。
「助かる手段って、どんなのだろうね」
「さぁな。オレには何も思いつかない」
「簡単に出来る事なのかな。それとも、やり遂げるのにすんごい大変な事なのかな」
「考える必要は無いだろ。明日になれば教えてくれるんだから」
「ケイゴ君は気にならないの?」
「多少は。でも、見当もつかないし」
「部屋の中で毎日焚き火をするとかじゃない?」
「一酸化炭素中毒であの世行きだな」
「ものすごーく深い穴を掘ってみるとか?」
「地面を掘ったって寒さは一緒だろ、通風孔が必要なんだから。それを使わないとしたら酸欠で死んじまうだろうしな」
他愛の無い会話を繰り返していると、やがて足音と共に布の擦れる音が伝わってきた。ケイゴの体は疲れきっている。しかし、簡単には眠りにつけないだろうと、何となく思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます