第6話 神降ろし

 暗闇に輝く星々が空を埋め尽くすかの様だ。都心ではまず見かけない光景で、片田舎のそれをも優に上回る。夏の第三角形が、天の川がどうのというレベルではない。大小様々な星が、それこそ隙間なく敷き詰められているようだった。


「綺麗……。でも、そんな事言ってる場合じゃないよね」


「一体何が起こってんだよ……」


 時刻は午後4時半。暦から考えれば、夕暮れを迎えるどころか、まだまだ陽の高い頃である。それが今はどうか。太陽はどの方角にも見えず、ただ星の海が広がるばかりだ。


 強烈な喪失感が2人を飲み込む。あるはずの物が、いつも変わらず見守ってくれた存在が消失したのだから、その衝撃は計り知れない。地上の惨状を予見したケイゴでさえ、この異変には思考が追い付かないでいる。


 呆気にとられ、ただ無言のままで立ち尽くす。そんな彼らを再び覚醒させたのは、自身の理性ではない。一迅の冷たい風だった。


「ねぇ、寒い。どこかに移動しない?」


「あぁ賛成だ。いったん駅へ戻ろう」


 もと来た道を少し戻る。しかし改札前まで来たものの、締め切られている訳ではない。風はケイゴたちを猛追、辺りに寒々しい音を響かせる。これには2人とも両腕の肌を激しく擦り、さも鏡合わせにでもしたように同じ仕草を見せ合った。 


「なぁヒナタ。コスプレ衣装を出せるか?」


「えっ。今あれを使うの!?」


「頼むよ。このままじゃ病気になっちまいそうだ」


「いや、その、こんな感じだよ?」


 渋るヒナタがバッグから引きずり出したのは、1枚の細い布だ。無地で薄桃色。着物の帯にしては地味であるし、質感も安っぽい。その用途に迷う布だけを手にして、ヒナタはケイゴの方を見た。自身の瞳を潤ませながら。


「お前……よりによってエルイーザかよ!」


「ごめんなさい! 次はこれ着るって約束しちゃって!」


 エルイーザとは、とあるゲームで女神として登場するキャラクターだ。元ネタの知名度は今一つだが、キャラ人気だけは異常なまでに加熱しており、イベント会場で姿を現せばたちまち人だかりが出来上がる。その需要の源は言わずもがな。一枚の布で胸元や腰周りを覆うだけの、痴女としか思えない扇情度である。肌色の下着を着込む事で惨事は防げるのだが、称賛に擬態した劣情からは守ってくれない。


 ケイゴは落胆と、いくらかの私情を交えた溜め息を吐いた。まさに地を這うようであり、ヒナタも思わず身を震わせ、無意識に片足を引いてしまう。


「その衣装はさておき。向こうにデパートがあるから、そこで使えそうなもん探そうか」


「あの、ごめんね? 次から衣装はケイゴ君と相談して決めるから」


「別に。ヒナタの趣味だろ。好きなの着たら良いよ」


「でも。怒ってるもん」


「怒ってねぇし!」


 そんな定型文を叫びつつ訪れたのは駅前デパートだ。中に入る事は容易い。施錠されていただろうシャッターや自動ドアは、跡形もなく吹き飛んでいるのだから。残骸が傍に落ちていないことから、『何らかの力』により、どこか離れた所まで散ってしまったと見て良い。


 季節を彩るディスプレイも荒れ放題だ。正面のガラスは割れて半壊状態、華やかな水着を着せられたマネキンもその四肢をバラバラに、店先で無造作に転がされている。さらに胴から上が仰向けなので、すれ違うケイゴたちと視線が重なりそうである。2人とも顔を背けつつの入店となった。


「さてと。何階へ行こうか」


「案内板ってまだあるのかな? それともケイゴ君、どこに何があるか覚えてる?」


「いや流石に。このビルは女性寄りの店が多かったし」


「じゃあ、フロアマップを見てから行き先を決めようよ。エレベーターの所にあると思う」


 ヒナタの言葉で目標が決まる。だが、移動は容易ではなかった。足元はショウケースの骨組みとガラス片、様々なメイク道具や香水が無造作に転がされているのだ。足の運びは慎重に成らざるを得ない中で、人工的な臭いが鼻を激しく攻め立てる。こういったモノが苦手なケイゴは、早くも頭痛を覚えてしまう。


 苦痛やもどかしさに耐えつつ、エレベーターまで辿り着いた。案内板も壁から外れて床に落下しているだけであり、簡単ながら店舗情報を得ることが出来た。


「服は2階、メンズとレディース両方あるね。靴屋さんは3階みたい」


「靴?」


「パンプスだと寒いから、ごっついブーツなんか欲しくてさ。ガラスも踏むのが怖いし」


「あぁ確かに。それならオレも欲しい」


「じゃあまずは2階で!」


 話が決まるなり、エレベーター脇の階段を昇っていく。建材の破片と販促用の紙を踏み潰しながらの行軍だ。カキリと響く寂しげな音が、2人の心を微かに締め付けるようだった。やってきたフロアには、いくつもの店舗が並ぶ。婦人服と紳士服エリアに分かれており、この階層でお互いの防寒着が手に入る……と思われたのだが。


「やっぱり夏物ばかりだな」


「ケイゴ君。レディースも薄着しかないよ」


 暑さの厳しい8月だ。コートや厚手のジャケットなど見つかるはずもなく、それどころか長袖の服にすら事欠く有り様だ。更には品が散乱しきっている上に、ライトを片手にしての捜索には難航を極めた。お互いの成果と言えば、せいぜいデニムジーンズに履き替えたくらいである。


「参ったな。こんな格好じゃ寝てるうちに凍死しちまうぞ」


「在庫とか無いのかな? 奥の通路にさ」


「そっちも探そうと思ったけど、ドアがひしゃげて開きそうに無い。重たそうな棚まで邪魔してるし」


「そっか。じゃあ3階に行こうよ。たしかホビー雑貨店があったから」


「そんな所に何の用事があるんだ?」


「いいからいいから。それと、何着かシャツを持ってきて貰える?」


「まぁ、構わないけどさ」


 たいした説明もないまま、更に1フロア昇る。3階は趣味要素の強い店舗ばかりで、手前が靴量販店にレジャー用品店で、奥が雑貨屋となる。ケイゴは釈然としないながらも、足元に散らばる大小の雑貨を踏み越えながら奥の方へと進む。


「ケイゴ君。そこの大きい袋を拾っておいて」


「分かった……。何だこれ、重たッ」


 ヒナタが言うのは、ウサギの毛束が詰め込まれたビニル袋である。陳列品ではなく在庫として管理されたものであるため、数は多く、扱いも顧客目線に立っていない。


「ええと、他にはコレとコレ。あ、コレも使えそう」


 ヒナタは不自由な足を厭わず、ケイゴから離れて物品を漁り始めた。目が爛々としているだろう事は顔を見ずとも分かる。背中のバッグも次第に膨らみを増し、大きな荷物は小脇に抱え、奥深くへと向かっていく。


 そうして辿り着いたのは手芸ゾーンだ。ヒナタはいそいそと作業机に座ると、バッグの中身を手早く展開した。針と糸にボタン、ロールに巻かれたビニール、そこへ2階で調達した衣類や先程の毛束も並べられる。他には大ぶりなハサミ、定規やメジャーなども机に乗った。


「さてと、始めますか!」


「ヒナタ。まさかとは思うが……」


「うん。これから防寒具を作っちゃいまーす!」


「マジで!?」


「スゴい? これスゴいかな?」


「メチャクチャすげぇよ!」 


 趣味が高じて自作の衣装まで作るようになったヒナタにとって、特に難しい作業ではない。大振りのハサミを巧みに操り、慣れた手つきで素材を切り裂いていく。物が無ければ創れば良い。指先が不器用なケイゴには異次元の発想としか思えなかった。


「じゃあオレは今のうちに、別の店を回ってみるよ。なにかあったら呼んでくれ」


「わかった。気を付けて……いや、ちょっと待って!」


「えっ、何!?」


 ヒナタは素早く身を翻し、ケイゴの体をメジャーで計り始めた。両手を伸ばせ下ろせと的確に指示を出しては細かく計測し、結果を口でうわ言の様に繰り返す。瞳は獰猛な色味だ。ケイゴは逆らう事など考えずに、言われるがままに従うばかりだった。


 直に身柄は解放され、再び探索に乗り出した。隣のレジャー用品店には大いに期待を寄せている。テントに固形燃料、飯ごうなどの品は、災害時の今でこそ有用な物だからだ。喜び勇んで店内を物色するのだが。


「クッソ。一手遅かったみたいだな……」

 

 悔しさに塗れた言葉が零れ落ちる。というのもこの店舗は、他のエリアに比べて整然としていたのだ。それは乱れていないという意味ではなく、物が少ないからである。


 テントや燃料の類いは既に持ち去られた後だ。棚も床も、一区画だけが不自然に空いている。燃料があれば暖を取れるし、暖かい食事も用意出来るが、無いものは無い。その望みは溜め息と共に置きざりにした。


 そんな失意を慰めるかのような収穫はあった。まずは多機能の大型バッグだ。大容量の上に、工夫を凝らしたベルトによって使用者の負担を軽減する上等品だ。背負ってみても邪魔にはならない。これまで共にしたボディバッグと交代させたのも当然の選択だった。


「さてと。次は靴屋を見るかな……」


 去り行こうとするケイゴだが、視界に飛び込んできた一足の靴に引き止められた。紐一本で棚にぶらさがるトレッキングシューズである。おもむろに手を伸ばして掴んでみると、頼もしさを覚える程の重量感が感じられた。


「たしか、登山靴って防水機能があったよな。靴底も厚いし、スニーカーより良いんじゃないか?」


 試しに履いてみた所、多少の歩きにくさはあるものの、物の散乱する悪路には打って付けだと言えた。これでガラス片も脅威では無くなるだろう。その上、踝(くるぶし)まで覆うタイプなので、防寒性も期待が持てる。まさに至れり尽くせりというアイテムだった。


 それからはヒナタに問いかけて足のサイズを確認し、同タイプの靴を探し出すと拠点に戻った。帰還が早すぎたせいか、まだまだ作業の途中である。その大きな瞳に溢れんばかりの情熱を宿し、一心不乱に取り組む様は、ある種の神降ろしとも言えそうだ。


「あのさ、靴持ってきたから。手が空いたら履いてみて」


「うん」


「えーっと。オレはもう少し周りを調べてくるよ」


「うん」


 生返事の極み。熟年夫婦よりも冷ややかな会話は長続きせず、ケイゴは手持ち無沙汰の面持ちでその場を後にした。


 しかし、このフロアの捜索は概ね終えてしまっていた。新たに得られたものと言えばLEDフラッシュライトくらいだ。こちらも品質に優れており、明るさの強弱や照射面積の切り替えを可能とする。照明をスマホ頼りとしていたケイゴにとって、これはこれで必要なアイテムなのである。


 だがツイていたのもこの瞬間まで。本体がいかに素晴らしくとも、電池が無ければ唯の置物である。ひとまずライトをバッグに入れ、今後は単三電池も探しだす事にした。


 それからは店舗外の探索だ。トイレは男性側のみ利用でき、水源が生きている事も確認した。飲料水の確保が出来た事に気を良くし、別フロアまで足を伸ばそうとした。


「最上階は……行き止まりか」


 4階の様子を覗きこんで見た所、その先は障害物と崩落で進めそうにない。すぐに引き返し、踊り場にある窓の側を通った時だ。何か大きな音が遠ざかっていくのを耳にした。


「この音は、バイクか!?」


 しかも一台ではない。複数の車両が同時に走行しているように聞こえたのだ。ケイゴは思わず窓を開け放ち、身を乗り出して辺りを見回すが、目的の物は見つけられなかった。空と地面の境目すら判別つかない、闇夜があるだけである。


「生存者、いたんだな……」


 被災して初めて感じた人の気配だ。それがたとえ駆動音だけだったとしても、言い表しようの無い喜びが込み上げてくる。その感動を相方に伝えてあげようと帰還したのだが、それを上回る激情によって報告は遮られてしまう。


「ヒナタ、さっきの音を聞いたか? どこかに生き残りがいる……」


「よぉし出来た出来た! ケイゴ君これ着てみて、寸法合ってると思うけどちょっとアレだったら直すから、と言うか何してんの早くしてグズグズしないで!」 


「お、おうよ!」


 ヒナタは半ば強引にケイゴの服を剥ぎ取り、お手製のものに着替えさせた。半袖のシャツは袖口に別の布を縫い付ける事で、長袖に生まれ変わっていた。その上にはやはりお手製のコートを羽織らされたのだが、間に合わせとは思えないほどに精巧な創りをしている。外側は雨対策の観点からビニル素材を採用、中は厚手の遮光カーテンで、さらにその内側には毛皮が縫い付けられている。前面を止めるボタンも備わっているので機能性も問題無い。そして何よりも暖かいのだ。


「どう、着心地は? 悪い悪くないはハッキリ言って、気なんか使わないで良いからねアタシそういうのすっごく敏感だから。この前だってミカちゃんが……」


「うん。凄く良く出来てる。悪いとこなんか見つからないよ」


「本当に?」


「もちろん。本当だ」


「良かったぁ……」


 ここでヒナタから神が帰宅する。ケイゴの眼前に残るのは、いつもの愛らしい笑みを浮かべる友人だけである。今もコートに袖を通しては、色違いのペアルックだのと喜ぶ有様で、先ほどまでの殺伐とした空気を微塵も感じさせない。入り込みやすい気質なのである。奇癖とも言えそうな彼女の変貌を、ケイゴも初めて目にした時は面食らったものだった。最近は驚きまではしないものの、決して慣れたとも言えない按配だった。


「さてと。今日はここで一泊しようか。ヒナタも疲れたろ」


「そうだねぇ。ご飯食べて寝ちゃおうか。お腹も空いたし」


「ここでも水は使えるみたいだ。喉が渇いたら手洗い場に行けば良い」


「へぇ、もしかしたら、水道だけは止められてないのかもね」


 いつも通りの夕餉(ゆうげ)を済ませると、辺りを少し整頓させ、寝床の用意をした。雑貨店が側にあるおかげで寝具には困らない。ありったけのクッションを床に敷き詰める事で即席のベッドが出来上がった。上には布地を何重にも折り畳んだものをかければ良い。


 体を横たえるだけで、ケイゴの胸には夢のような心地がこみ上げてくる。これまでは堅い椅子の上で眠っていたせいか、まともな寝床に感激すら覚えてしまうのだ。そして、感情の波が退くと同時に、抗いようの無い睡魔が押し寄せる。物の数分で深い眠りへと落ちそうである。


「ねぇケイゴ君。家は無事だと思う?」


「家って、借りてるマンションの事?」


「そっちもだけど、実家の方。茨城の」


「そうだなぁ。何の情報も無いからな。東京より被害が少ない事を祈るしか……」


「あと、バイクの音を聞いたんだって? やっぱりアタシたち以外にも生存者がいたんだね。正直ホッとしたよ」


 ヒナタがどれほど待っても返事は返ってこない。繋がれた手からも徐々に力が抜ける。ヒナタは小さな溜息を吐くと、微かな声で『おやすみなさい』と告げた。しかし、その挨拶も相手の耳には残らなかった。

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