第4話 彼女の真意

 線路は左右に延びている。右手に踏み出せば都心へと近づくのだが、ケイゴたちは敢えて逆方向へと進んだ。下りに1区間も進めば、近隣で最も大きな駅があるからだ。駅が大きいという事はそれだけ出口も多く、売店も設置されている。もちろん、それらが期待通りかは不透明だ。それでも今は、より希望を見いだせる方を目指す事にしたのである。


「トンネルの中は、やっぱり真っ暗だな」


「ほんとだね」


 進路は構内よりも更に暗い、無明の世界だった。ここで温存し続けたスマホの出番である。ライトアプリを起動し、ヒナタが前方を照らし出す。足元までクリアに視認できるが、奥の方は塗りつぶしたように黒一色。彼らの前途は文字通り明るくはない。せめて気持ちでは負けないよう、覚悟を決めて踏み込む。


(怪我は思ったより悪く無さそうだな)


 ヒナタが重症でないことを足取りから察した。肩を貸す必要はあるものの、移動自体には問題が無い。休憩を多く挟めば、無事に辿り着けると感じられた。しかし彼女は弱音を吐くどころか、歩みを止めようとはしない。


「辛くなったら言えよ。休み入れるからさ」


「うん。ありがと」


 ヒナタの口数が今やめっきりと減っていた。声のトーンも暗く、やや沈んだ印象を与える。足がそれだけ痛むのか、それとも別な理由があるのか、ケイゴには判別がつかなかった。彼女の為に出来ることは少ない。こうして肩を貸し、小まめに声をかける事くらいだが、ヒナタの足はひたむきに前を目指した。


「なぁ、そろそろ休んでおくか?」


「アタシは平気。ケイゴ君はどう? 支えるのも疲れるでしょ?」 


「オレは別に。まだ歩ける」


「じゃあ、もうちょっとだけ進もうよ」


 鈍足ながらも着実に進んでいく。しかし辺りは変化の薄い一本道だ。迷わずに進める反面、歩んだという実感が乏しく、時間の感覚が曖昧になっていく。そのくせ徒労感だけは重たくのし掛かり、口による荒い呼吸を必要とした。


(いつまで続くんだ、これ)


 胸の中で同じ言葉を繰り返す。重たすぎる闇が、相対するにはささやか過ぎる光が、心の弱さを浮き彫りにしてしまう。これは最早暴力のようなものだ。無音の、無明の、無表情な精神攻撃だ。今となっては、ついさっきまで訝しんだヒナタの軽口が恋しく感じられてしまう。それほどに向き合う敵は強大であり、そして捉えどころのない怪物なのであった。


(オレも勝手なヤツだよな、クソッ!)


 疲労と単調な動きに慣れきった頃だ。湾曲した道の先に巨大な物陰を見た。待ち伏せでもされたかのような遭遇に、2人は驚きのあまり仰け反り、思わず尻餅を付きそうになってしまう。


「これは、電車か?」


「そうだと思う。たぶん」


「オレたちが乗る予定だったやつ、なのかもな」


 半径の短い灯りで照らすには、余りにも大きすぎる物体。それを時間をかけてじっくりと眺めてみれば、ごく平凡な車両である事が分かった。しかし、その佇まいは異常そのものと言える。


 本来なら線路と噛み合うべき両輪の片方は外れ、宙に浮いた状態だ。そして車体は大きく傾いており、目測で4・50度はあるように見える。もし乗車していたとしたら立っている事は不可能だろう。それでも車両が地面に倒れずに済んでいるのは、天井部分が壁にもたれ掛かっているおかげであり、片輪と車体上部の2点でどうにかバランスを保っている状態だった。


「何だよこれ。倒れかけてんじゃん」


「どうやったらこんな事になるんだろ。スピードの出しすぎとか?」


「違う気がする。昨日の異変が起きる前にブレーキ音がしたよな。こいつが発信源なら、むしろ速度を落としてるハズだ」


「そう言えばそうだね。地震警報も出てたから、そういう時って止まろうとするよね」


  


「しかもここはカーブだろ。通常でも減速するから、やっぱりスピード超過とは思えないな」


「じゃあやっぱり……」


「まぁ、あの異常な力が原因だろ。そうでなけりゃ地震かな」


「ねぇ。倒れてきたら危ないから、離れて歩こうよ?」


「もちろん。そのつもりだよ」


 2人は車体の傾く方とは反対側を通り、移動を再開した。何か物資であったり、あるいは生存者を見つける為に、ヒナタは時おり車両内部へとライトを向けた。その車内はと言うと「がらんどう」であり、期待するものは何一つとして見当たらない。それどころか、暗闇に遺棄された車両というのは思いの外に不気味で、無視してしまえば良かったと後悔するほどである。


 内部の壁に貼り付けられた広告。それを保護するアクリル板がライトを反射させ、無機質に光る。そして光源の限られた空間では、手すりや吊り革の影は色濃く、異様な程に長く伸びる。何やら不条理な存在を想起させるが、ケイゴたちはオカルトを信じるタイプでは無い。物理法則に則った現象であるにも関わらず名状できない恐怖に駆られてしまうのは、心細さに起因していた。


(こんな事でビビッててどうすんだよ)


 ヒナタは特に言及していない。だったら自分も弱音を吐くわけにはいかないと、唇を引き結ぶ。どう考えても足を負傷しているヒナタの方が、動きに難があるだけ恐ろしいハズなのである。無言の激励と勝手に解釈し、動じない自分を演出しようと心に決めた。


 それからも探索と移動を同時進行させ、車列の後半部分が見えると光景にも変化が生じた。後方は車体が傾いておらず、両輪がしっかりと線路に噛み合い、本来あるべき姿で2人を出迎えたのだ。そして先を進むにしたがい、一部のドアが開け放たれている事にも遅れて気づく。


「こっちの方は、開いてるんだね」


「たぶん乗客がここから降りたんだろ。利用者がゼロって事は考え難いし」


「そうかもね。ちょっと中を調べてみる?」


「えっ、どうして!?」


「何か忘れ物とか落ちてないかなって思ったんだけど、止めといた方が良いかな?」


「あ、あぁ。なるほど。そういう事なら、中に入ってみるか」


「……気乗りしないなら、アタシだけで見てくるけど」


「いやいや、オレも行くよ。ヒナタの足じゃ、この段差を登るのも大変だろ」


 ケイゴはそう口に出しながら、腹の高さにある車両の床に両手を置き、一気によじ登った。続けてヒナタに手を貸そうとしたが、2人の耳に思いもよらない音が伝わってきた。遠くから押し寄せるそれは、例えるなら津波、あるいは群衆が一斉に駆け足をする姿を彷彿とさせた。


「これ、何の音?」


「急げヒナタ! きっとロクな事が起きない!」


「う、うん!」


 ヒナタを呼び寄せると、その両手を掴み、重心を後ろに倒す事で引き上げた。そして間髪を入れず、地を這う何かが側を駆け抜けていく。照らしたライトで浮かびあがったものは、浅黒く光を反射する体毛。ネズミの大群である。数え切れない程のネズミがまるで1匹の獣のように群れをなし、一直線に地下道を突っ走っているのだ。キュウキュウという鳴き声を幾重にも幾重にも撒き散らしながら。あまりの数の多さに、ケイゴとヒナタは眼を剥いて見送る事しか出来ずにいた。


 やがて群れが通りすぎると静けさが戻ってくるのだが、異変はそれだけに留まらず、むしろ予兆でしかなかった。地鳴りとともに押し寄せてきた振動が、呆気にとられた2人を襲う。揺れは生易しいものではなく、右に左にと床の上で転がされてしまう。


「今度は何! 地震!?」


「オレに掴まれ、ヒナタ!」


 どうにかしてポールを掴んだケイゴは、片手でヒナタを抱き寄せた。互いにしがみつき、渾身の力を込めて揺れに耐える。ガタガタと車内に鳴り響く振動音は延々と止まず、永遠の時を過ごしているような錯覚を覚える。心では祈りを捧げながら、すがるべき神も見つからないままで、とにかく強く祈った。そんな2人の真上で、吊り革が踊っているかのように激しく揺れる。どこか真剣な姿を嘲笑うかのようだ。しかしそれも次第に大人しくなり、振動も徐々に衰えていき、やがて完全に収まった。


「はぁ、はぁ、どうにかやり過ごせたな」


 ケイゴが荒く息をつく。そして強張りきった指を解そうかと思っていると、ヒナタの様子がおかしい事に気づく。顔を伏せ、両手はケイゴのシャツを掴んだままでブルブルと震え始めたのだ。


「どうしたヒナタ。どこか怪我でも……」


「違うの、そうじゃないの! ケイゴ君ごめんなさい!」


「ごめんなさいって、何が?」


「アタシのせいでこんな目に遭っちゃった事! 遊びになんか誘わなかったら、地上に居られたでしょ?」


「そんな事を考えていたのか……」


「取り返しのつかない事しちゃったなって、だからちょっとでも楽しんで貰おうかなって思ったの。でもアタシってドジだから、怪我しちゃうし、足手まといになっちゃうし。それが悔しくて、悔しくて……!」


 ようやくケイゴは合点がいった。たびたび見かけたヒナタの浮いた言動について。彼女は遭難に巻き込んでしまった事を悔やみ、罪の意識に苛まれ続けたのだ。妙に明るく振る舞ったり食事を譲ろうとした事は、いわゆる罪滅ぼしのようなものである。怪我を押して頑なな態度をみせたのは、それに不甲斐なさを足したゆえの自罰だった。


 ケイゴの胸を涙で濡らしながら、懺悔を繰り返すヒナタ。その言葉もやがて不明瞭になり、泣きわめく声に塗りつぶされていく。ケイゴは待った。溜まりに溜まった感情が、罪の意識が涙とともに押し流されていくのを。そして収まりをみせたころ、ヒナタの頭をポンと叩いてから、優しく囁いた。


「あんまり背負い込むなよ。少なくともオレは恨んじゃいないさ」


「本当? でも……」


「恨むどころか、むしろヒナタには感謝してるよ」


「どうして、感謝なんか?」


「確かに遊びに付き添った事で、地下に閉じ込められたよ。じゃあもし誘いには乗らず、家で寝てたとしたらどうだ。無事でいられたか?」


「それは、分かんない」


「そうだな。オレだって分からない。ていう事はだ、場合によっては死んでたかもしれないって事なんだよ」


「そんなの。乱暴な考え方じゃない」


 ケイゴの言葉を、ヒナタはやや強い口調で否定した。彼女に宿る罪悪感が、簡単な贖罪を許さないのである。赤く腫らした両目に頑強な意思の力が見える。ケイゴは多少気後れに近いものを感じるが、自論を引っ込めるような真似はしなかった。決してでまかせの言葉ではなく、地上で命を落としていた可能性については、ある程度の現実味を感じているのだ。


「それにな、十分じゃないが水と食料はある。体も少し怪我はしてるけど、まだ生きてる。これだけ危険な事が次々と起こってんのに、しっかり余力があるじゃん」


「うん。それがどうかした?」


「つまりはさ、オレたちはツイてるって事だよ。ラッキーなんだよ!」


「本当? 本当にそう思ってくれてる?」


「もちろんだって。オレたちはツイてる。ほら、ヒナタも言ってみろ」


「アタシたちは、ツイてる……」


「オレたちはラッキーだ、だから生き残れる!」


「アタシたちは、生き残れる……!」


「そうだ。だから、こんなところで死んでたまるか! そうだろ?」


「うん! 一緒に地上に出ようね!」


 ここでやっとヒナタに笑顔が戻った。元来彼女が持っていた、柔らかく、眩しい笑顔だ。それを見て取ったケイゴは勢いをそのままに出発を告げ、車両を後にした。先刻と同じ体勢で歩いていく。だがなぜか、足取りが随分と軽くなったように感じられた。


「なあヒナタ、移動中が暇だから、TRPGでもしながら歩こうぜ」


「えぇ!? ちょっと今は、頭が真っ白だからねぇ……」


「そっか。じゃあいいや。代打でしりとりだ」


「何で急にしりとり!?」


「良いから良いから。じゃあ『り』から始めて、リンドバーグ!」


「しかも何でリンドバーグ!?」


「別に意味は無いって。ほら、グだよグ」


「ええと、ぐ、ぐーりんだい」


「ヒナタだって全然脈絡ないじゃん!」


「良いの! ケイゴ君の番だよ、次は『い』だからね!」 


 無明の重厚な闇、静寂を切り裂くようにして2人の声が響き渡る。途上の道は相変わらず暗い。しかし彼らの心には既に、暗闇を恐れない程の灯りが、確かな信頼とともに眩く輝くのだった。

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