第3話 生存ルート

 眼が覚めたら白色光。夢だと思いたくなる環境も、体に血が巡るのを待てば現実味を帯びてくる。遭難して2日目。思わず腹立たしくなる程に、辺りの様子には変化が見られなかった。


(今は何時だろう?)


 地下暮らしはとにかく時間の感覚が狂う。スマホを取りだし、今は明け方の6時である事を確認した。ついでに電池残量が7割を下回った事も頭に入れておく。


(トイレにでも行ってくるかな)


 小さな寝息をたてるヒナタを置いて、地下1階へと向かった。体の節々に僅かな痛みが走る。まともな寝床を欲しくなるが、工夫やら改良の余地は一切無かった。トイレに着くなり小用を足し、蛇口で手を洗うと、ひと掬いの水を飲んだ。薬品を思わせる臭いに閉口してしまうが、これにも慣れるしかない。唯一と言って良い資源なのだから。


 それからは地上口の方まで足を向けた。何か作業音でも聞こえればと思ったのだが、昨日と変わらず静かなものである。望み薄と承知の上でも、期待を裏切られるのは辛いものだ。心なしか肩を落としながら、元来た道を辿っていった。そうして地下2階に降り立とうとしたその時だ。突然絹を裂くような叫び声が辺り一帯に響き渡った。


「ケイゴ君! ケイゴ君!?」


 只事とは思えない真に迫った声だ。放たれた矢のように駆けて寝場所まで戻ると、通路に佇むヒナタとの合流を果たした。


「どうした、何かあったのか!?」


「あぁ、いや、その。起きたら居なくなってたから……」


「そんな事か。ちょっとトイレに行ってきただけだよ」


「ごめんね。つい怖くなっちゃって」


「それよりも腹減ったろ。飯にしようか」


 ケイゴはヒナタに朝食の用意を促した。取り出されたのはブレッドメイト1箱のみ、総計4本。これを分け合うとなると、1日2食に抑えた上で、1本の半分ずつを1食とするのが妥当である。実際に昨晩はそうやって切り抜けたのだ。空腹は耐えがたい程に苛んでくるが、無駄に多く食べる訳にはいかなかった。


(状況次第じゃ、更に減らすハメになるんだろうな)


 おあつらえ向きに目安となる点が打たれており、2等分をしくじる事もない。両側に手を添えて割ろうとすると、寸前でヒナタが待ったをかけた。


「どうした?」


「ケイゴ君。それ全部食べちゃって良いよ」


「はぁ? お前はどうするんだよ」


「アタシは要らないの。その、ダイエット中だからね!」


 ニコリとヒナタが微笑む。それは陰りの無いものだったが、ケイゴの目はごまかせない。見逃してしまうほど微かなサインを、彼は全て読み取ったのである。明らかに嘘をついているのだと。


 それからは何も聞かなかったように手の物を半分に割り、片方を頬張りながら残りを差し出した。ヒナタは目を丸めるばかりで受け取ろうとしない。


「冗談言ってないでちゃんと食えよ。体が保たないだろ」


「いや、今のは本気で……」


「良いから。怒るぞ」


「うん。わかった」


  そこまで言ってようやく観念し、少しずつ口に含み始めた。ヒナタはダイエットを気にする程ふくよかではなく、むしろ細作りの体型である。ましてや今は、まともな栄養の摂れない緊急時だ。軽口や冗談にしても、絶食を宣言するのは行き過ぎだった。


「ヒナタ。お前、大丈夫か?」


 ビクリと華奢な肩が揺れる。ゆっくりとケイゴに向けられる首の動きも、ややぎこちない。しかし彼女の口から放たれた言葉は、先程と大差のない性質のものだった。


「そんな事ないよ。いつもこんな感じでしょ」


「昨日からだけど、ちょいちょいおかしいぞ?」


「そりゃそうだって。地下に閉じ込められといて、丸っきり普段通りの人なんていないよ?」


「まぁ。そうだけどさ」


 ケイゴは不必要に食い下がる事なく、追求の構えを解いた。もちろん彼女の説明に納得したのではない。時期尚早、まだ真意を聞ける段階じゃないと判断しただけだ。


「ところでケイゴ君。ちょっと気になった事があるんだけど」


「奇遇だな。オレも1つ相談事がある」


「じゃあそっちから先にどうぞ」


「急ぐ話じゃないし、別に良いよ。ヒナタからどうぞ」


「じゃあ2人同時に言ってみようか」


「何でだよ!」


「いくよ、せーの……。何だか寒くない?」


「線路を辿って脱出しないか?」


 意見はまるで重ならず、ヒナタは大袈裟な動きで掌を額に当てる。さながらパーティーゲームで失敗した時のようだ。意味の薄いリアクションは脇に置き、ケイゴによって話の続きが促された。


「寒いのか?」


「ええと、うん。ケイゴ君は平気?」


「少しだけ。気温が低いのは、朝早いからじゃないか? 1日で明け方が一番寒いって聞くし」


「それにしても冷えすぎてると思うよ。何だか、秋に薄着しちゃったような感じだもん」


「空調が作動し始めた、とは違うか。電源が復活した気配が無いしな」


 2人の服装はというと、夏に相応しい格好をしていた。ヒナタはノースリーブのワンピースに白ブラウス、足元は靴底の浅いパンプスを合わせている。ケイゴも半袖シャツにハーフパンツ姿、スニーカーを履いている。比較的軽装だが、冷えに悩まされるほどではない。


「ごめんね、先に話しちゃって。それでケイゴ君は?」


「あぁ、線路から脱出しようって言ったんだ。隣の駅から地上に出られるかもと思ってさ」


「線路を歩くの? もしも電車が走ってたら危ないんじゃない?」


「あり得るかもしれない。でも、一度だって電車が動いた様子は無いよな。上りも下りも」


「うん。音さえ聞いてないね」


「だから移動してみないか? ここに残っても助かる保証なんて無いんだから」


「うん、うん。そうだね。ケイゴ君を信じるよ!」


 プラン変更はすんなりと受け入れられたとなれば、長居は無用。それぞれがバッグを背負い、仮初めの宿を後にした。感傷など微塵も無く、あるのは期待と不安の入り混じった想いだけだ。


「さてと。線路に降りるには最初にコイツを乗り越えないとな」


「気をつけて。怪我しないでね」


「わかってるよ」


 ホームと線路を分かつホームドアが最初の関門となる。脚立や梯子も無いので、強引に乗り越えるしかない。ケイゴは両手足に力を込めてドアにへばりついたが、想定していたよりも手こずってしまう。満足な食事を摂れていない為に体の反応が鈍いのだ。それでもどうにか足をかけ、脚力も加える事で向こう側へと降り立った。


「次はヒナタだ。思ったより体力が落ちてるから注意しろよ」


「うん、わかった!」


「それから、バッグはオレが預かっておくよ。こっちに投げてくれ」


 ケイゴに荷物を投げ渡すと、ヒナタは身軽になった。しかしそれでも中々乗り越える事が出来ずにいる。消耗した華奢な体には、少し難度の高い障害物なのである。何度も何度もドアの上に足をかけようとして失敗し、振り出しに戻る事を繰り返す。


(何かサポートしてやらないと難しいか……?)


 不安を覚えたケイゴは辺りを探り始めた。脚立なんて贅沢は言わない、せめて足場になるものをと思う。しかし彼が何かを見つけるよりも早く、ヒナタが大きな声を響かせた。


「ケイゴ君、できたよ!」


 幅の細いドアの上で馬乗りになり、体を危なっかしく揺るがせながらも、ヒナタは勝利を宣言した。後は線路に向かって飛び降りるだけで合流ができる。


「でかした! そこから飛べるか?」


「う、うん。思ったより高いんだね」


「オレが受け止めてやるから。安心して降りてこいよ」


「じゃあ、行くね……!?」


「えっ?」


 ヒナタは飛び降りようとした刹那、スカートの裾を突起物に引っ掛けてしまう。その為にケイゴの立つところまで跳ぶ事ができず、地面へと墜落し、体を強く打ち付けた。


「いったぁ……」


「ヒナタ、大丈夫か!?」


「う、うん。平気だよ。心配かけてごめんね」


 そう口では返答したものの、やせ我慢である事は明らかだった。ヒナタは両足で立とうとはせず、右足をかばうようにしている。足首あたりを挫いたものだと判断したケイゴは、特に断りもせずに肩を貸した。


「これでどうだ。行けそうか?」


「行ける……と思う」


「じゃあ出発だ。それと、次からは怪我したら素直に言えよ」


「うん、ごめんね」


 それから線路沿いに進もうとしたケイゴの耳元に、あるか無きかの声が伝わった。「本当にごめん」と。それはこれまでに聞いた中で最も重く沈んだものだった。とりあえずは「気にするな」とだけ返して先を急ぐ事にする。話し合いは夜にじっくりとすれば良い。彼女の不自然な態度についての話は。


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