ぼんちゃん 終わりの場所

 大きな提灯ちょうちんに、筆書きでぼんちゃん。そんな店構えの居酒屋に、最初集まった、あのいつものメンバーが集った。それぞれ思い出を語ったり、蔑みあったり、最初に出会った頃とは全く違う時間がそこには流れていた。


「やっぱね、ひよこ豆ちゃんってほんっとにカッコいい! こんな人初めて見たわ」


 カンナは赤ら顔で、すでに少し呂律が回らなくなっていた。


「あの、すみません」


 不死川が突然、隣に座った佑紀乃に問いかけた。


「はい、何でしょう?」

「ちょっとここ、暖房効きすぎてませんか?」

「そう? 私はそんなに思わないけど、ちょっと温度下げてもらおうか?」


 いえいえいいんです。そう言いながら、不死川が着ていた白のパーカーを脱いだその時だった。パーカーにつられて下着の白シャツも一緒にめくられ始めた。


——あ、まずい! こんなところであれを晒しては……!


「あー! ちょっと待って」


 佑紀乃が叫んだ時は、時すでに遅し。

 不死川は上半身裸になっていた。思わず目を背ける佑紀乃。それからゆっくりと不死川に目を向けると、


「あれ……なんで? どういうこと?」


 背中にあった龍は影も形も無くなっていた。


「え? ああ、背中のあれですか」

「そう、だって刺青って簡単には消えないでしょ?」


 不死川は一瞬、意味がわからない、という表情で首をかしげた。


「刺青、ですか?」

「そう、確かにあったよね、この前」


 少し考えを巡らせてから、不死川は、はははは、と笑い出した。


「ああ、あれですか。あれは刺青ではありません。偽物です、フェイクタトゥーです」

「ふぇいく・たとぅー?」

「そーなんですぅー」


 頬が真っ赤でべろんべろんになったメガネちゃんが、佑紀乃にもたれかかった。それを必死で支える佑紀乃。


「どういうこと、メガネちゃん。何か知ってるの?」

「知ってるもなんも、わたしが書いたんですから」

「えーっ? メガネちゃんが書いた?」

「そーですぅー」


 佑紀乃は真偽を見定めるために不死川の顔を伺ったが、どうやら嘘ではなさそうだった。


「わたし、小さいころ親戚のお姉ちゃんに教えてもらったんです。それであの日、ひよこ豆さんの背中に書いちゃいました、お龍さん」

「お龍さんって。あれかなりリアルだったけど、っていうかあれ見て最初に驚いてたのメガネちゃんじゃなかった? 自分で書いたのに?」


 メガネちゃんは佑紀乃の膝を枕にして気持ちよさそうに目を閉じた。


「そうなんです、わたし虎さん書いた気がしてたんですけど、お龍さんだったみたいですね、だからあれ? ってびっくりしちゃったんですぅ」


 佑紀乃はもう一度不死川の背中を確認した。そこに龍の影はひとかけらも残っていなかった。しかし、一部だけ丸い模様があるのが確認できた。


「あの、これは?」

「ああ、この『眼』ですか。これだけは本当の刺青です。若いころ頼りにしていた兄貴の『眼』です」


 本当の刺青。通常であれば小さいものであっても刺青彫ることはしない。その話はそれなりの世界の話になるだろう、佑紀乃はそう思って聞いていた。


「その兄貴はもちろん血の繋がった兄ではありません。近所に住む昔からよく知っていた人で、正直あっち系の人ともつるんでいました。自分が持っているチャカとかその他の知識は全部その兄貴から教えてもらいました」


 そこからどうやってそっちの世界に入り込んだのか、佑紀乃はじっと耳を傾けた。


「その兄貴が突然死んだんです、バイク事故でした。いつも近くにいた大きな存在が一瞬で消える、当時の自分にとってそれはそれは大きな衝撃でした。だからこの『眼』を彫ってもらうことにしたんです」

「眼?」

「ええ。兄貴が教えてくれた沢山の事、自分がどこか歪んでしまいそうなとき、兄貴が見てる、そう思えるようにです。これは兄貴の魂を刻み込まれた証なんです」


 佑紀乃にかけてくれたあの言葉。あれを不死川に伝えたのもひょっとしたらその兄貴なのかもしれない、するとあの眼は自分のこともみているんだ、そんな気がふとした。


「それでその兄貴の代わりにそっち系の世界に足を踏み込んだってわけね」


 気づくとパーマンが背中を向けながら、こちらの話をチラチラと伺っていた。そして唾をごくりと全身で飲み込んだ。

 しかし佑紀乃の言葉に、不死川は首をかしげる。


「踏み込んだ、というと?」

「え? だって、小さいころ少年院に入って、でてからはヤクザ関係の仕事をしてたんじゃ……」


 不死川が少し苦笑いをしてから、首を左右に揺らした。目には「?」マークが浮かんでいた。


「ちがう……の?」

「ああ、施設に入ってたって自己紹介で言ったことですか?」


 不死川は、ははは、と笑い声をあげた。


「みなさんそんなことを考えていたんですか、違いますよ、少年院ではありません。自分、親が病気で育児困難だったんで、児童養護施設で育ったんです。それからも一度もヤクザの仕事に関わったことはありません」

「え? そーなの? 私てっきりヤクザ関係の人かと」


 メガネちゃんは佑紀乃の膝ですやすやと眠り始めた。

 パーマンが背中を向けながら、びくびく、っと小さい子がおもらしをした後のように震えていた。


「まあまあ、何でもいいじゃないですか」


 張本先生が赤らめた頬のまま寄って来た。


「みんな違ってみんないい。にんげんだもの」


——いや、それ金子みすゞと相田みつをがごっちゃになってるなー。でも幸せそうな顔してるから、まあいっか。


 その後、各々が楽しい時間を過ごし、その空間は3ヶ月間の思い出で満たされた。ちょうどその頃外では、4月上旬並みの暖かい風が高羽根駅前を撫で始める、そんな一夜のことだった。


 こうして葛城 佑紀乃が出会った少し、いやかなり変な人たちとの、愛と笑いとあれやこれやの3ヶ月は終わりと告げたのだった。

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