ガラガラヘビがやってくる

「以上が調査報告になります」


 白髪の混じり始めた中年男性とその横に座る女性。

 二人はその書類の山をじっと見つめた。そして言葉を失う。


「これは……確かなんですよね」


 その質問に対し、男はネクタイと襟元を一つ正してから、真剣な眼差しで二人を見つめた。


「これが真実です、残念ながら」


 中年男性が唖然として口を開く、その横で女性がうっ、うっ、と泣き崩れ始めた、それをなだめる男性。そのまま一点を見つめ、しばらく何も口に出せないでいた。


「私も妻も最初はすごく喜んでいたんです、こんないい人が娘婿になってくれるなんて。人当たりも良かったし、家柄も申し分ない。それが……あなたの報告によると全部嘘って事ですよね、これ。勅使河原てしがわらさん?」


 勅使河原と呼ばれた男は姿勢を変えず、微動だにしなかった。そして口だけを動かす。


「ええ、そういうことになりますね。この事実を踏まえてどうするかは我聞さん、あなた達夫婦に委ねられています。例えば……」


 我聞慎介は首を振った。


「これでも私も経産省の端くれです。経歴を詐称するような男に娘をやるわけにはいきません。でもこれですっきりしました、やることが決まりましたから」


 そう言って再び涙に埋もれる夫人の肩を抱いた。

 これでまた悲劇が生まれるのだろう、場合によっては殺人事件へと発展することさえある。

 だが、勅使河原にとってこんなシーンは見飽きていた。自分はただやるべき仕事をこなすだけ、依頼相手の身辺調査、浮気調査、その他弱みとなりうる情報収集。それらを金と引き換えにためらうことなく引き渡す、自分は何も悪くない。

 たとえ真実がどのようなものであっても、それをどうするかは結局それに関わる人間次第。所詮人間なるようにしかなれないのだ。


 勅使河原はすっと、一枚の紙を差し出した。

「残念な結果となってしまい申し訳ありませんが、こちらにサインをいただけますか」


 その紙は今回の調査に対する報酬に同意する、という内容だった。金額は一般サラリーマンが一年かけてやっと手に入るかどうかの値段だったが、我聞慎介は金額も見ずにさらりと署名を終えた。


「支払いの手続きは秘書にさせますから、ご安心ください。それにしても勅使河原さんの仕事は本当にお見事だ、噂通りでしたよ」


 勅使河原は軽く会釈をした。


「いえいえ、これが仕事ですから」


 気づけば我聞夫人もようやく涙も出尽くし、顔を上げられるようになっていた。


「勅使河原さん、この後デジタル・バンク社主催のパーティがホテルオークラであるのですが、ご一緒にどうですか? 社長の王さんも来ますよ。あなたにとってもクライアントを見つける良い機会になるはずだ」


 勅使河原は鋭い目尻に、軽く口元をひいて笑みをこぼした。


「それは魅力的ですね、是非参加させていただきたいところです。ですが残念ながらこの後はアポイントがありまして、また後日ご縁がありましたら、是非」


 我聞慎介の眉に皺が寄った。


「そうですか、それは残念です。いい話と思ったんですがね、とりあえず今後もよろしく頼みますよ」


 そう言って固い握手を交わした。




 数分後、勅使河原はタクシーに乗り込んでいた。


「三田、シャノアールまで」


 運転手が黙って頷くと、車が滑り出した。

 夕方のこの時間は仕事帰りの車でごった返しているため、至る所に渋滞ができる。通常であれば時間の読めない車という交通手段を利用しない。しかし今回のアポイントはそこまで肩肘を張る必要がなく、たまには都内の景色でもゆっくり見てもいい、そう思える気分だった。


——何年ぶりだろうか、坊ちゃんと会うのは。それに依頼の内容も気になる。


 そんなことを考えながら勅使川原は止まったままの夕日と、忙しく走り去る都会の風景をぼんやりと眺めていた。

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