一人で何とかする

「ごめんねメガネちゃん、急に呼び出したりして」

「いいえ、ゆきりんさんこそどうしたんですか? こんな突然」


 佑紀乃は翌日、メガネちゃんの通う大学、関東経済大学のキャンパスに赴いた。集合場所は学食と呼ばれているスペース。ちょうど昼休みの時間のせいか、たくさんの学生で賑わっていた。

 この大学のキャンパスは郊外のため敷地が大きく、窓からはだだっ広い芝生公園が見える。その緑の上でバレーボールを楽しむ学生達。その光景をちらっと見やってから、佑紀乃は申し訳なさそうな顔をした。


「だってほら、借りたお金……」

「あ! 弟さんのですか? それなら今度の講義の時でよかったのに」


 ユウジという黒い影はメガネちゃんに迫っていた。

 佑紀乃の名を出してお金を貸してほしいと依頼していたのだった。人のいいメガネちゃんは言う通りお金を貸していた。


「ダメよ、こういうのはきちんとしなくっちゃ」


 そうですかぁ、とメガネちゃんは腑に落ちない表情を浮かべた。ユウジが借りていた金額を机の上に置くと、佑紀乃は立ち上がった。


「じゃ、私行くわ。ありがとね」

「あの、ゆきりんさん」


 立ち上がった佑紀乃をメガネちゃんが止めた。


「え?」

「あの、講義も残すところ後一回じゃないですか。あの……その……」


 ?


 もじもじするメガネちゃんを佑紀乃は見つめた。


「あの……ゆきりんさん、いなくならないですよね? これからも時々会ってくれますか?」


 え? と呟いてから佑紀乃は、


「そ、そうね。もちろんよ、なんか変な出会いだったけど楽しかったよね。これからもまたパーマン家にみんなで押しかけようか!」


 それを聞いてメガネちゃんはにこっと笑顔を浮かべた。


「そうですね! それを聞いて安心しました。それじゃあまた金曜に!」


 佑紀乃は頷いて、背中を向けた。

 歩き出す佑紀乃の心中はそれどころではなかった。ユウジという生臭い液体が、自分の生活の至るところに染み渡り始めている。早く止めなくちゃ大変なことになる。

 次に向かったのはカンナの元だった。


「えー? 今度でよかったのに。それにしても弟ちゃん、よっぽど金欠なんだね、あたしになんかお金貸して欲しいなんて」


 ユウジはカンナにも同様に金をせびっていた。どうやって見つけたのかと驚くほどだ。きっと待ち伏せして後でもつけたのだろう。


「そうなのよ、財布落としちゃったらしくてさ。ごめんね迷惑かけて、はいこれお金」

「そんな、気にしなくてもよかったのに。そんじゃーね」


 そう言って、横断歩道を渡ると、そのまま見えなくなった。

 ふう、と大きなため息をつくと、佑紀乃は腕時計を見た。そして約束の時間を確認する。


——後は、パーマンか。


 重たい空気を背負いながら佑紀乃は、高羽根駅に向かった。


 パーマンの通う予備校は、都内のいわゆるマンモス予備校だった。

 生徒が様々な目的で使えるロビーに着くと、遠くからパーマンが手を挙げた。それに合わせて佑紀乃も手を振る。


「お疲れ、ゆきりん。仕事はいいのか?」

「今日休みだから。ほんとにごめんね、突然」


 そう言いながら、佑紀乃は着ていたコートを脱ぎ、丸椅子に腰掛けた。


「弟がお金貸して欲しいって言いに来たでしょ? いくら?」

「何だよいきなり、その事か。お金の事は気にすんな、どうせ放っといてもパチンコに消える金だったから」

「そうはいかないって。借りたものは返さないと」


 パーマンは首を大きく振った。


「いやいやいやいや、いーんだってほんとに。代わりっちゃなんだけど……」

「は? 何? 代わりって」


 佑紀乃は嫌な予感がした。


「質問に答えてくれ。いいか?」


 佑紀乃は首をかしげた。


「内容にもよるけど」


 パーマンがぐっと顔を佑紀乃に近づけた。


「な、何よ?」


 パーマンはたっぷり時間を取ってから口を開いた。


「あいつ、本当にゆきりんの弟か? それが一つ。それから……」


 佑紀乃は一つ、唾をごくりと飲み込んだ。


「もし困っていることがあるなら、正直に言って欲しい」


 佑紀乃は目を合わせられなかった。

 手に汗をかき始めているのを気づかれないようにするのがやっとだった。

 深呼吸を一つおいてから、パーマンの目をみつめた。


「弟かもしれないけど、そうじゃないかもしれない。でもそんなことあなたには関係ないでしょ? 言う義理も無いし。それに困ってなんかいないし」


 それを聞きながらパーマンが目を2、3回パチクリさせた。それから椅子の背もたれに大きくもたれかかった。


「だーよーなー! ま、俺には関係のない事だし、そもそもそんな興味も無い事なんだけれども! ちょっと聞いてみただけよ」


 佑紀乃も笑みをこぼした。


「でしょ? じゃ、私行くわ。ありがとね、今回はお言葉に甘えることにします。でももう次来ても貸さないでね? ちゃんと叱っとくから」


 パーマンがゆっくり手を振った。

 それを見てから佑紀乃は、そそくさとその場を去った。


「…………」


 それをしばらくパーマンはぼーっと見つめていた。

 それからスマホを取り出すと、とある番号にかけた。数回のコールで相手が出る。


「あ、もしもし。勅使河原てしがわらさん? お久しぶり。今大丈夫? ちょっとお願いしたいことがあって。うん、そう、それが……ちょっと急いが方がいいかもしれない案件で、うん……」


 その頃佑紀乃は重い足取りで、代々木駅に向かっていた。

 自分の事は百歩譲ってもまだいい。ただ周りの人にまで被害が及ぶなんて。もう、どうしたらいいのか……。

 佑紀乃という小さな船は、目的地の定まらない黒い大海原に放り出されてしまったのだった。

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