キャンセルして、全ておしまい!

キャンセルは出来ないことはありません

「えっ? キャンセル出来ないってどういうことよ!?」


 佑紀乃は辺りの人が振り向くくらいの大声で叫んだ。

 カルチャーセンターの1階、受付にいたバーコード頭の男はうろたえながら答えた。


「ええ、ですから出来ないということではありません、はい。出来るには出来るんですが、出来るという中で言えば限りなく出来ないに近いだけでして、その……」

「じゃあ出来ないってこと?」

「いえいえいえいえ、出来ないことはありません、出来ます。ですが、そのためにはかなり手続きが煩雑でして、結局はキャンセルされない方の方が大多数となっておりまして……」

「じゃあ、私はキャンセルします」

「ええですから、出来るんです。ですが、一回でも講義を受けてしまうと、返金は半額だけになってしまいます。それならせめて半分受けられてから……」


 佑紀乃のイライラは最高潮に達していた。

 懇親会の翌日、講座のキャンセルをするために、再びカルチャーセンターを訪れたのだった。しかしそこでの二進にっち三進さっちも行かない状況に腹わたが煮えくり返りそうだった。


「はぁ〜? なんでよ、だって私は言われた通りの部屋に行ったのに、違う講座が始まってたんですよ? これって明らかにそっちのミスですよね?」


 バーコード頭の受付は、額に汗を滲ませながら、机の上の書類を何枚もめくった。めくりにめくり続けた、数枚は手の渇きのせいでめくれず、手に唾をつけてめくった。


「どうして……でしょうねえ、お客様のご希望講座は……ちょっとお持ちの紙を拝見させてもらえますか?」

「ええ、どうぞ。ほら、『粟原はるみ直伝、あなたもヘルシーな料理がおうちで簡単に作れちゃう!』です、H-376の」

「H-376、ですよねぇ。部屋も金曜の20時から204号室、合ってます……ええと、あれ、これって……」


 バーコード頭が何かに気づいてから椅子に脱力し、大きなため息を吐いた。


「お客さん、これ去年のですよ。年のところよく見てください」


——は? またそうやって訳のわからないこと言って……


 そう思いながら、もう一度確認すると、


「え、うそ。本当だ」

「ええ。道理でおかしいと思ったんですよ。だってこの講師の平松麗美さんは、昨年カナダ人と結婚して、今あっちに住んでいるはずですから。名前も平松・グレース・麗美になりました」


——そのミドルネーム情報要らんし。っていうかなんでそこまで知ってたのに、受付の時教えてくれなかったのよ……


「はあ、もういいです。とりあえずキャンセルでお願いします」

「はい、わかりました。確かにキャンセルは出来ます、出来るには出来るんですが……」

「もうだからなんなのよ……」

「まあその、あの講師の張本先生、ご存知でしょう?」

「ええ、まあ」


 バーコード頭は辺りをはばかってから、顔を佑紀乃に近づけ、小声で続けた。


「なんというか、あの先生。あの講義だけが生きがいというか」

「でしょうね」

「ええ、だからこれは私からのお願いなんですが、どうか付き合ってあげてくれませんか? ただでさえ生徒数が減って来て、これ以上減ったらもう依頼が来なくなるかもしれないんです」

「ふーん、なるほどね。事情はわかりました。ではあなたは私に人助けをしろと?」

「ええ、まあ捉え方によってはそうなりますね」

「お金は? 私が払うんですよね?」

「……ええ、まあそういうことになりますよね」


——ああ、もうどいつもこいつも意味がわからない! 自分の言っていることわかってるのかしら、全く……


 突如、他の若い男性スタッフが、バーコード頭の背後につき、肩をぽんぽんと叩いた。そして何やら深刻そうな顔でこそこそ話を始めた。それを聞いて、うんうん、頷く。

 それから佑紀乃に向き直り、てかった頭を掻いた。


「あの、お客様、大変申し訳ございません、少々お待ちいただけますでしょうか、すぐ戻ります」


——はあ、もうこっちだって暇じゃないのに!


 その時だった。


「あれ? ゆきりんさん?」


 振り返ると、メガネちゃんが立っていた。


「あら、どうしたの?」

「ちょっと忘れ物しちゃって。ゆきりんさんこそどうしたんですか?」


 メガネちゃんは今日も地味だった。

 黒縁メガネに、Tシャツ。黒いリュックは重たそうだった。


「いや、ちょっと……」


 そう言えばまだ誰にも言ってなかった。自分はあの講座に来たかったわけではないということを。ここでキャンセルをすればもうあのメンバーとは会うことはない、それでもう全て終わり、そう思っていた。


「そうだ、ゆきりんさんに聞きたかったことがあるんです」

「なあに?」

「あの、シリ先生ってゆきりんさん昨日言ってたじゃないですか、どの先生のことですか?」

「え? あのパーマンの由来を調べるときの話?」

「そーです。ネットで調べてもなんか『老検視官』? みたいなのが出て来てよくわからなくて……」


——まじか……本当にこの娘、Siri知らないんか……

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