間章:少女少年、かく語り-1

※第3話~第4話の時間軸です



「えーっと。それじゃあおさらいするぞ。欲しい商品をこのカゴの中に入れる。そのカゴを持って、レジって書かれた場所に並ぶ。そこで会計してもらう。オッケー?」

時刻は午前。

二階建てのショッピングセンターの入り口付近で、春見は買い物カゴを片手に言葉を紡ぐ。

揃いのシャツとスラックス――『ハウンドドッグ』が支給している部屋着を着たイヴェルとナツキは、それを真面目な顔で聞いていた。ナツキはキャスケットを被り、目立つ白髪をその中に押し込んでいる。

(なんか、はじめてのおつかいやってるみたいだな……)

シュールさを感じながら、手に持ったプラスチック製の買い物カゴをイヴェルに手渡す。もう反対の手には、春見が食料品を買う時に愛用しているがま口財布を握らせた。

「じゃあまず、イヴェルがこの中に入ってる金を使って材料の買い物をする。せっかくだし晩飯に使うものを買ってこい。お前料理できるんだろ、確か」

「ん、わかった」

「イヴェルの買い物が終わったら、次はナツキな。お前はそうだな……イヴェルと部屋で食べたいものを買ってこい。甘いものとか」

「組織のお金で、嗜好品を買ってもいいんですか?」

「今回はな。左近副司令も好きなもの買ってこいって言ってたし」

面倒事を押しつけてきた女副司令の顔を思い出し、一瞬だけ苦々しい顔になる。

だが、すぐに気を取り直すと、恐縮そうにしているナツキを安心させるように笑った。

「買い物なんだし、そう固くならなくてもいいんだって」

「は、はい」

すみませんという言葉とともに下げられたナツキの頭を、イヴェルの手がぽんぽんと叩く。それに安心したように頬をほころばせたのを見て、小さく肩をすくめた。

「それじゃあ、俺とナツキはひとまず外で待ってるから。何かわからないこととか困ったことがあったら、端末使ってすぐに連絡しろよ」

「わかった。……ああ、その前に」

「ん?」

「まよねーずはどこにあるんだ?」

「お前ほんとお気に入りな……」

仏頂面ながらもそわそわしているのが隠せないイヴェルに、思わず呆れ顔になる。

どうやら異世界には、マヨネーズはないらしい。こちらで覚えた新しい味わいはすっかりイヴェルを虜にしたようだ。十四才の味覚ということを考えると、わからなくもなかった。

「ナツキ、先に外で待っててもらっていいか?売り場教えてくるから」

一人置いていくのは忍びないが、三人で連れ立って歩くほどでもない。

少しの間だけで、目立つ白髪は帽子が隠しているから大丈夫。そう判断し、声をかけた。

「はい、わかりました」

それに対して、ナツキは従順に返事をする。

なるべく早く戻ってこようと思いつつ、イヴェルを連れてその場を離れた。

午前なので混雑時に比べればまだマシだが、それでも少なくない人が店内を歩いている。ショッピングセンターに来たことを後悔しつつ、春見は胸中で小さく溜息をついた。

(……しっかし、せっかくの休みに何してんだかなあ)




事の発端は、昨夜にまで遡る。

『ハウンドドッグ』の戦闘員の仕事は文字通り戦闘だが、掃討戦や対人戦は毎日あるわけではない。ではそれ以外では何をしているかというと、合同訓練や新入隊員の指導、研究職のテスト協力といった具合だ。高校生や大学生も中にはいるので全員が全員ではないが、正規隊員として就職していると出勤義務が発生する。

そのため、休日を心待ちにする気持ちは春見にもある。

しかし、休みにしかできない用事を考えていたところで、端末に着信が入った。誰からか確認しようと手を伸ばし、画面を見て片眉が跳ねる。

表示されているのは左近副司令の名前だった。

「……」

休日前に上官からの着信。しかも通話。

嫌な予感しかしなかったが、さすがに無視するわけにもいかない。着信をとった。

「はい、もしもし。春見ですが」

『どうもこんばんは、左近です』

穏やかな女性の声が、スピーカーから聞こえてきた。

『ごめんなさいね、夜に連絡してしまって』

上品な物腰は、異世界と戦う戦闘組織、その副司令というイメージとはかけ離れている。そのため、実態は前園司令の秘書だと認識している隊員も少なくなかった。

だが、政府と交渉し、様々な特権を『ハウンドドッグ』に与えさせたのは他ならぬ左近だ。確かに穏やかな人柄なのは間違いないが、その本性は女傑だと一部の人間はよく心得ている。

要するに、他人に対して無茶振りができる人種ということだ。

『明日、イヴェルくん達の買い物に付き合ってもらいたいのだけど』

「……はい?」

案の定、前置きもそこそこに突拍子もないことを言い出した。

『二人に個人での外出許可が下りたじゃない?』

「はい。隊員の付き添いがなくても外を出歩いていいことになりましたよね」

協力者とはいえど、イヴェルとナツキは異世界からの来訪者。その行動はしばらく制限されていたのだが、つい先日、問題なしとみて外出の制限が解かれたのは記憶に新しい。

だが、それが先ほどの言葉と何の関係があるのだろう。

首を傾げていると、左近は言葉を続けた。

『それに合わせて二人にお金を渡して食料品や衣料品を自分で購入してもらおうと思っているのだけど、さすがに現金だけ渡してさあ買い物してねというわけにもいかないでしょう? 買い物の仕組みはこちらとさほど違いはないようだけど』

「あー、はい、そうですね」

使ったことがない海外の通貨を持って、円滑に買い物ができる人間は限られている。知識が全くないイヴェルは当然のこと、ナツキとてどれだけ感覚が残っているか怪しい。

言わんとしていることはわかったが、それでも反論の言葉が口から出る。

「でもそれ、俺じゃなくてもいいような」

『イヴェルくんとナツキちゃんの事情を知っていて、異世界から来た二人と問題なくコミュニケーションがとれるフリーの隊員が他にいるならそうするんだけど』

「はい。すいませんでした」

正論で殴り返され、思わず謝罪した。

春見としてはなぜ問題なく――特に敬意の判断基準がおかしいナツキと――コミュニケーションがとれているのかが謎なのだが、だからといって他の者に相手をさせるのは酷だろう。

(あいつほんと、なんで俺に敬意払ってるんだろ)

初対面の時に助けたといえば助けたので、好意を向けられるのは納得がいく。

しかし、敬われるとなると話が別だ。ナツキの言から推察する限り彼女が言う「強さ」の基準を春見が満たしているからのようだが、そんなものを満たすほど自身が強いという意識が春見には全くないので首を傾げるばかりだ。

(……イヴェルとも話しておきたいし、ちょうどいい機会か)

小さく溜息をついた後、わかりましたと答えた。

「でも俺、明日は休みなんですけど」

『はい。だからですよ?』

「休日手当とかは……」

『お金は多めに渡しておくので、三人でおいしいものでも食べてくださいね』

「はい……」

非情な言葉に、がっくりと肩を落とした。




そして、冒頭に戻る。

どうしようか一晩考えた結果、まずは二階にある雑貨店で小物を買いながら流れを教え、それを一階のスーパーマーケットで復習させるという方針をとることにした。

左近が言っていたように買い物の仕組み自体はこちらの世界と大差がないようで、細かい差異を修正する程度ですんだ。買った小物はロッカーに預けた時は思ったより苦労しないなと思っていたのだが、今はその感想を若干後悔していた。

(くそ、思ったより時間食ったな)

わずかに焦りながら、春見は早足でショッピングセンターの入り口に向かう。

売り場まで案内するだけですむかと思いきや、イヴェルに他の調味料について質問されたのでそれを答えるのに手間取った。ナツキに対して過保護なきらいがあるのに待たせる時間を増やすとはどういうことかと抗議したが、大丈夫だろうと解放してくれなかった。

(何が大丈夫なんだか)

秋津のように極端な美形ではないにしても、ナツキの容貌も十分可愛らしい。小柄な体格と相まって、庇護欲と嗜虐心をくすぐる少女だと思っている。

できることなら、あまり一人で放置したくはない。

そんな思いでショッピングセンターを出るが、入り口付近にナツキの姿はなかった。

「おいおいおい……」

普段のナツキを考えると、勝手にどこかへ行くとは思えない。慌てて辺りを探し回れば、隣接している駐車場の片隅にそれらしい後ろ姿を見つけた。

傍らに男が二人いるのを見て、盛大に舌打ちをしてしまう。

言わんこっちゃないと思いながら、三人の方に向かった。

「ねえねえ、そろそろこの帽子とってよ」

「可愛い顔もっとよく見たいなー?」

「相手してくれないと、俺達寂しいんだけどー」

聞こえてくる男達の軽薄な声色から、何が目的かは嫌でも伝わってくる。

「それにほら、こっちまで連れてきたのは君なんだしさ」

「そうそう。その気ありってことでいいっしょ?」

(……ん?)

苛立ちを覚えながら歩調を早めようとしたところで、次いで聞こえた言葉に頸を傾げた。

思わず足を止めて、動向を窺う。ナツキはこちらに背を向けているため、男達はナツキの方に意識を割いているため、近くにいる春見には気づかない。

春見もまた、背を向けるナツキの様子を窺うことはできなかったが。

「うん。だってここなら、人目がないから」

聞いたこともない冷淡な声を聞いた瞬間、彼女が無表情だということは理解できた。

(あ、やば)

瞬時に状況を察し、止めていた足を動かす。

そして、ナツキの腕が浮く寸前、それを抑え込むように肩を掴んだ。

「っ」

びくりとその肩が跳ねると同時に、ナツキが振り返る。

「……あ、春見さん」

後ろに立つのが春見だと気づくと、足払いを仕掛けようとしていた動きが寸前で止まった。

一瞬だけ垣間見た眼光の無機質さにゾッとしながら、そのままナツキの体を引き寄せる。そして、闖入者を見て怪訝な顔をする男二人に早口でまくし立てた。

「やー、悪いけどこいつは俺の連れなので! 返してもらってもいいかな?」

「は?」

「急に出てきてなんだよお前」

「返してもらっても、いいかな?」

納得がいっていない様子を見せる男達に、今度はゆっくりと同じ言葉を投げかける。

春見がくぐってきた修羅場の数は、常人の比ではない。低い声で言い聞かせるように睨みつければ、相応の威圧感が漂う。脱色した髪も、それに拍車をかけていた。

「…っ」

一般人でしかない男達は気圧され、後ずさりをしながら去っていく。

その背が見えなくなったのを確認してから、掴んだ肩を支点にナツキの体を反転させた。

「さっき、殴って黙らせようとしてただろ」

「あ、はい。言葉で追い払おうとしてもきかなかったので。……駄目でしたか?」

(イヴェル――!)

きょとんとした後おずおずと是非を問うてくるナツキに、思わず心の中で叫んだ。

道理で心配していなかったはずだと、遅まきながら理解する。『ハウンドドッグ』の隊服のように二人が着ていた異世界人の軍服にも身体強化能力はあるらしいが、それを差し引いても標識を引っこ抜いて振るい、異界兵を蹴り飛ばすだけの膂力の下地があるのだ。絡まれても武力行使でいくらでもしのげるだろう。

正当防衛に当たるので、問題行動はとっていないという認識になっているのだろう。

しかし、過剰防衛という言葉もこの世界にはある。あとで認識のすり合わせをしようと誓いながら、溜息とともにナツキの肩を解放した。

「っ、ぁ、ご、ごめんなさい……っ!」

その反応を見て是非のうち非の方だったと察したナツキが、怯えた声で謝罪する。

怯えられるほどの反応をしたつもりがなかったので、戸惑うように頭をがしがしと掻く。初陣の時といい、たまに過剰なほど恐縮するきらいがある。平時で見てしまうと、その反応の向こうに今までどう扱われてきたかが透けて見えるようだった。

「怒ってない怒ってない」

苦々しく思いながら、ひとまず自分の反応をフォローする。

「でも、殴っちゃ駄目……ってことでもまあないけど、話を聞かないので人気のないところでさあ殴るぞはまずい。言葉が通じないなら無理やりにでも離れてイヴェルか俺のところまで来い。わかったな?」

暴力は駄目だと教えたら本当に正当防衛すべき場面で無抵抗になる予感がしたので、慌てて軌道修正をしながら先ほどやろうとしていたことを嗜める。

従順なナツキは、素直にこくりと頷いた。

「しっかしお前、一対二なのによくもまあ迷わず武力行使に出ようとしたな……」

それに安堵の息をつきながら、思ったことを口にする。

徒手空拳での喧嘩はどうしても数が多い方が有利だ。先ほどの男達は鍛えているようには見えなかったが、それでも春見なら数で負けている時に暴力で撃退しようとは考えない。

そんな春見の疑問に、ナツキは再びきょとんとした。

「だってあの人達、強くなかったですよ?」

「蛮族みたいな発想やめろ。っていうか」

頭をがしがしと掻いてから、口を開きかけてつぐむ。

話を続けるにしても、駐車場の片隅というのは場所が悪い。ナンパ中だと誤解されて、悪気がない善意の第三者に声をかけられても困る。

視線をさまよわせてクレープの店を見つけると、これ幸いとばかりにナツキを手招きしてそちらの方へと足を向けた。首を傾げながらも、ナツキは素直にその後に続いた。

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