第7話:C隊-2




「えっ、お前ら見えてなかったの!?」

驚く春見に、イヴェルとナツキはこくりと首肯した。

「避けろって言われても何を…?って感じだった」

「それで攻撃が来ることはわかったんですけど、点か面か判別できなくて……。面だった時のことを考えて、イヴェルの前に立ったんです」

そんな二人の言葉に、脱色した頭をがしがしと掻く。

人型異界兵コワフズ。

その打倒策を考えるべく場所を隊室に移して作戦会議をしていたのだが、いきなり暗礁に乗り上げた気がする。まさか攻撃をどうしのぐかと話し出した時に、攻撃自体が見えなかったと二人して言うとは思わなかった。

しかし、その言葉で合点がいったのもまた事実ではあった。

「ああいうの、俺の心臓に悪いからやめてほしい」

「だってイヴェルが危なかったし……。それにあの時は決定打を与えられそうなのが“天羽々斬”だけだったからイヴェルを無傷で残すのが一番だと思って」

「……ナツキさん結構合理的ね」

「え、そうですか?」

「一番実戦経験があるのはナツキだからな。何せ五年以上は戦場に出てる」

「五年前って推定十二才じゃねえか!戦場に出られるの十六才じゃないのかよ!」

「正規の兵士は十六才だ」

「ああ、はい……」

そんなやりとりをかわす傍ら、あの時のことを思い返す。

春見が回避できる攻撃を、イヴェルはともかくナツキが被弾したのは――イヴェルを庇うためとはいえ――少々腑に落ちなかったのだ。

ナツキ自身も暗に言っているが、光の矢による点攻撃ならそもそも前に立たず、初陣で春見にしたように横からかっさらう方が理に適っている。あの時は意識していなかったが、とっさに出たのが叱責だったのは頭の片隅に初陣の記憶があったからだろう。

二人の視点では、いきなりナツキの腕が爆ぜたように見えたのだ。

(……ん?爆ぜた?)

そこではたと、引っかかるものを感じた。

これは気づきの糸口だ。そう確信し、手放さないようにしっかりと握りしめる。

「……カスミ?」

「春見さん、どうしたんです?」

急に押し黙った春見に気づき、二人が声をかける。

春見の方は二人の声に気づかず、思考に没頭していた。

(爆発……熱……光……俺にしか見えない……移動方法は……急に現れて……そうだ、あいつは何の上に座っていた?)

一回戦目を振り返りながら、ピースを埋めていく。

脳裏によぎるのはこちらを見下ろす余裕ぶった顔。何の気配もなく現れた異世界の男がカーブミラーに腰かけていたのを思い出したその瞬間、強い閃きを得た。

「――――そうか、鏡か!」

「うおっ」

「わっ」

急に大声を上げた春見に、様子を伺っていたイヴェルとナツキは軽くのけぞる。

その反応にもやはり気づかず、それどころか興奮した面持ちで二人に詰め寄った。

「わかったぞ、あいつの武器は鏡だ!多分、他の鏡にも干渉ができるんだ。それで俺達の姿を見つけたり、鏡のあるところに移動できたりするんだと思う」

最初こそその剣幕に呆気にとられていた二人だったが、話を聞いているうちに春見が敵の攻撃を看破したのだと気づく。呆けていた顔を引き締め、春見に向き直った。

「なら、あの障壁やカスミが見たっていう光の矢は?」

「俺に見えて、お前らには見えてないってのがヒントになった。あれは鏡に集まった太陽光を障壁や矢に変換させて反射させてるんだと思う。ちょっと浮いてたのは、鏡に乗ってたんだ。そうすればまんべんなく障壁で自分を守ることができる」

「……ああ!確かに傷口が炭化しましたし、高温度の熱と考えるとそうですね」

「感覚ほとんどなかったけど、思い返すと熱さも感じてたしな」

即死級の損傷だけを与えられたイヴェルと異なり、ナツキと春見が最初に被弾したのは四肢の部分。痛みの時間は長引いたが、その時間があればこそこうして考察することもできる。

「光はよほど質量がないと、肉眼で確認できない。腕や足を吹っ飛ばすくらいなんだから熱自体は相当なもんなんだろうけど、そこは武器の効果で見えづらくしてるんだろう。俺は人より可視範囲が広いから、その範囲に引っかかって視認できたんだと思う」

――――君はなぜ回避できるのかな?

怪訝そうに零されたコワフズの言葉の意味が、今ならばわかる。

あの男にとっては「攻撃を回避される」ということ自体、ありえないことなのだ。

「本当に良く見える目だな……」

「見えたところで、大事なことを見落としてちゃ世話ないさ」

感嘆混じりのイヴェルの言葉に、肩をすくめてみせる。

それはイヴェルやナツキのことでもあり、コワフズとの戦いのことでもあった。

本来は見えないという情報を二人から得ていなければ、春見が答えに辿り着くことはなかっただろう。人より良く見える目も、主観だけでは有用性を十全に発揮できない。

(そんなことすらすっかり忘れてたんだな、俺は)

自分の馬鹿さ加減を再認識し、胸中でそっと自嘲を零す。

だが、すぐに意識を切り替えて口を開いた。

「移動方法に見当がつけば、誘導も奇襲も簡単だ。俺が囮になるから、あいつが鏡から出てきたところで、二人で後ろから仕留めてくれ」

「また矢面に立とうと……」

「いや俺が適任だろ!?攻撃が飛んできても回避できるし、この頭で目立つし!」

半眼を向けてくるイヴェルに対しては、ぱさついた髪を持ち上げて反論する。

二人のやりとりをナツキは思わず微笑ましそうに見ていたが、ふと何かに気づいたように目を瞬かせた。しかし、口をわずかに動かした後、何も言わずに顔を伏せてしまう。

「ナツキ」

そんなナツキを、春見はきちんと捉えた。

今まで見逃してきたサインを、今度こそは見落とさないとばかりに。

「あっ、は、はい」

「何か思いついたら言ってくれ」

「……」

そう促され、逡巡するように視線をさまよわせる。

作戦会議が始まる前、春見の口から彼の過去が語られた。

断片的で、友人だったという二人の死に様をはじめ、触れられなかったところは多い。けれど、その過去がとても大事なものであり、それを構成していた二人を失ったことは春見にとって大きな疵であり深い穴であることは十分に理解できた。

その話をした上で、春見はイヴェルとナツキに願いを伝えた。

『死なないでくれ』

『言いたいことは遠慮せず言ってくれ、我慢するな』

言ってほしいものの中には、不平や不満以外にも意見が含まれているのだろう。少なくともナツキはそう感じ、そしてその言葉はナツキに強く向けられたものだとも察した。

従順たる強き兵士たれ。

異世界に誘拐されたその時から、そう望まれてきた。

口ごたえは論外、意見を言うことすら分不相応。その時上官としてあてがわれた者の命令を聞き、それを忠実に遂行せよ。七年間続いたその扱いは、自分の考えを述べるという機能を衰えさせるには十分だった。

世話係になったイヴェルやその姉ブラーシュは、ナツキを兵士ではなく人として接した。そんな二人でも――兵士として扱われるナツキの立場を悪くしないためだとわかってはいたが――ナツキに自分の考えを口に出すよう積極的に促すことはなかった。

しかし、春見は違う。

否、最初は彼もイヴェル達と同じではあった。根本的な理由は違えども、ナツキに自分の意見を言うように促しはしなかった。だからこそ、彼が優しい人間だとわかっていても、ふとした拍子に今までの上官達のように扱われるのではという恐怖は消えなかった。異世界での最後の上官とて、ナツキに優しい時期があったのだから。

そんな恐怖心は今、他ならぬ春見からの歩み寄りで拭われようとしていた。

ナツキを一人の人間として尊重したい。そんな考えが、表情から、言葉から、声音から伝わってくる。それは今まで物のようにばかり扱われてきたナツキにとって身を震わせるほど嬉しいことであり、同時に本当にそれに委ねていいのか恐ろしくもあった。

言ってもいいのだろうか。

信じていいのだろうか。

そのためらいが言葉を詰まらせる。

(……ぁ)

そんなナツキの手を、そっと握りしめる手があった。

(……イヴェル)

イヴェル・ミランダ。

兵士(もの)になったナツキを初めて人として扱った少年に背を押され、意を決して口を開いた。

「コワフズって人、攻撃が見えないのにわざわざイヴェルを狙うって口に出してたじゃないですか。ああいうのは、あっちでは実戦の経験が少ない人にありがちなんです」

「……確かに、黙って攻撃すればよかったことだよな」

「そういう人が身を守る術を持ってると、例え相手を格下だと認識しててもできるだけ使います。傷を負うこと自体に抵抗があるから」

現れたところを奇襲しても、それは障壁に弾かれる可能性が高い。

「なるほど……」

ナツキの考えに、春見は感心したように唸った。

人型異界兵との戦いは対人戦と銘打たれてはいるものの、敵の武器の性質上、どうしてもギミックを相手取っている感覚がある。そのため、ナツキのように使い手そのものを分析して行動を予測するというのは春見にはない着眼点だった。

住む世界は違えども、自分達と同じ人間。

その認識の欠如は、どちらの世界の住人にも等しく発生する。

両方の世界を知るナツキだからこそ、視点が最もフラットなのだろう。

「イヴェル、出てきた瞬間に“天羽々斬”で斬れそうか?」

「……正直に言えば、難しいと思う。出てきた時に体が下に落ちるだろうから、うまく攻撃の軌道とかみ合わせられるかは自信がない」

「そうなると、最初の奇襲以降もしっかり練らないといけないか……。煽り耐性はなさそうだから、誘導自体はしやすそうだけど」

ナツキに蹴り飛ばされて激昂した姿を思い出しながら、次なる案を考える。

「いいか?」

春見がアイデアを閃く前に、手を挙げたのはイヴェルだった。

「なんだ?」

「奴を相手取るに当たって、一番大事なことがあるんだが――――」






コワフズは苛立っていた。

(なぜっ、なぜだ!なぜたった一人のラム相手にこうも手こずる……!)

金髪の男――春見と交戦を始めてから十数分。

放つ攻撃は全て回避され、射線上の建物に穴が開くばかり。肝心の春見は回避行動の連続で疲れを見せてはいるものの、無傷のままコワフズと相対していた。

姿を見せない少年と少女を警戒し、攻勢のみに意識を割けないのも一因ではある。それでも、春見を一向に捉えられないことには苛立ちを隠せなかった。

コワフズの武器は、言うなれば太陽そのものだ。

神装の正体を看破されたが、あくまでそれだけ。攻撃が当たれば致命傷を負うこと、彼の武器では障壁を破れないことに変わりはない。

その事実に思い至った時、看破された動揺は収まった。しかしすぐに、動揺を上回る不可解さがコワフズの神経を逆撫でにし始めた。

(なぜそんなにも余裕なのだ、貴様は……!)

一回戦目に見せた過剰な保護。あれを見る限り、何を企んでいるにせよ作戦の要に他の二人を置くとは思えない。防がれたのを見るや身を隠すように指示をし、無謀な一対一に挑んでいるところからしても明らかだろう。

おそらく、背負った黒い袋が切り札だ。現に何度かそれに手を伸ばそうとしているが、その動作はことごとく光の矢によって阻まれている。

つまり、勝機はない。

だというのに春見から余裕が消えないことが、コワフズには理解しがたかった。

「……随分と余裕があるようですが、一人で私に勝てると思っているので?」

その余裕を崩したい。そんな思いで、口を開く。

「我が“テスカトリポカ”の攻撃をよけられるようですが、防ぐ術はない。同様に我が鉄壁の守りを突き崩せるほどの力も、その短剣にはない」

「……」

「背負ったものがジョーカーなのかもしれませんが、ははっ、そんな目立つものをわざわざ抜かせてあげるほど私は優しくありませんよ」

コワフズの言葉に、春見がちらりと黒い袋を一瞥する。

その仕草に余裕が崩れたのを感じ、気分を高揚させながらさらに言葉を続けた。

「つまり!貴方が今していることは無駄なあがき!私とて、いつまでも貴方がたにかかずらっているほど暇ではないのです。いい加減諦めた方が賢明では?」

そう言うと同時に右手をかざし、春見の足元を狙って光を放つ。

今までの攻撃同様に被弾前に回避されたが、今回は当てることが目的ではない。春見が回避行動をとるのに合わせて、障壁を展開させている“テスカトリポカ”に移動命令を出す。滑空の要領で距離を詰めると、移動の勢いを乗せて蹴りを放った。

「ぐ、ぅ…!」

急な体術に反応できず、まともに蹴りを食らった春見が吹き飛ぶ。

素手による攻撃など野蛮と断じているため、普段なら視野にも入らない。だが、春見の余裕を崩せるなら手段は選ばない。痛みで顰められた顔を見て、胸が空く心地だった。

「それに、貴方のお仲間。際立った能力はあるようですが、おそらくそれだけなのでしょう?でなければ、幼子のようにわざわざ庇い立てる必要もない」

距離を詰めながら、仲間について言及する。

一向に奇襲してくる気配はない。警戒していたことを馬鹿らしく思いつつ、言葉を回す。

「とはいえ、私を倒せたかもしれない絶好の機会をみすみす不意にされた貴方に偉ぶられてもあの少年少女には迷惑な話かもしれませんが」

「…っ」

一回戦目の愚行を指摘され、立ち上がった春見の肩が跳ねたのが愉快で仕方ない。

こちらを睨む表情に険が混じる。この程度で感情を見せるなど兵士としては未熟だと、己のことを棚上げにして嘲笑う。先ほどまでの余裕も虚勢だったのだろうと思えば、先ほどまで感じていた苛立ちも些末に感じられた。

「ですが、その愚行に恥じ入ることはありません。貴方がたと我々では、彼我の差がある。少年の攻撃が無意味に終わった可能性の方が遥かに高いのですから」

「……」

「……我が神装“テスカトリポカ”の仕掛けを看破したその慧眼はお認めしましょう。ですが、見世物(ラム)にできるのは所詮そこまで。仕掛けに気づいた程度で、たった一人で私を相手取ろうなどと思い上がったその愚かさこそを、恥じなさい」

そんな言葉とともに、再び右手を突き出す。

どれだけ相手が余裕ぶっていようと、こちらには勝てない。ならば焦らず、攻撃を続けて体力を削っていけばいいだけのこと。

コワフズが動揺や苛立ちから解き放たれたのは、傍から見てもわかっただろう。それはすなわち、春見の勝機が完全に断たれたことを意味する。少なくともコワフズはそう考えた。

だが、春見の顔に悲壮さが浮かぶことはなく。

「……ははっ」

それどころか、笑みが零された。

思わず片眉が跳ねるが、すぐに負けじと笑みを浮かべ返す。

「どうしました?勝ちの目のなさに気づいて、笑うしかなくなりましたか?」

「いやあ……。俺、ちゃんと人型の異界兵と対峙するの初めてでさ。あんたが特別お喋りなのかもしれないけど、よく喋るなと思って」

そう言うと、春見は険があった面立ちに余裕の色を戻した。

「あんたの言う通りだ。俺なんかが指揮をとってもあいつらには迷惑かもしれないし、変に守ろうとしたせいであいつらの強みを活かしてやれなかった」

でもな、と。

懐に手を差し込み、そこから取り出した球体を握りしめながらコワフズを見据える。

「あいつらはそんな俺と、もう一度戦いたいと言ってくれた。あんな一言で俺なんかを馬鹿みたいに信じてくれた二人に、俺は応えてやらないといけないんだ」

そして、ニィッと笑みを浮かべた。

浮かべられたそれは今までのものと違い、背筋に怖気が走るほどの獰猛さがあった。

「俺達は狗だ。いつまでも見世物(ラム)だと侮ってる羊どもに噛みつくために、ここにいる」

『――春見さんっ』

啖呵を切った直後、春見の小型インカムに通信が入る。

『仕込み、終わりました!』

「助かる。仕上げも任せたぞ」

『はいっ』

「? 何を……」

春見の声しか聞こえていないコワフズは、突然の呟きに怪訝な顔になる。

その疑問に答えが返るよりも早く、物陰から弾丸の速度で何かが飛び出してきた。

(奇襲……!?)

とっさに警戒したのは、残りの仲間による奇襲。

けれどコワフズの予想に反して、飛び出してきた「それ」は彼の方に向かわず、向かいの建物の側面にぶつかる。――かと思いきや、壁を足場にしてさらに上へと跳躍した。

――――キンッ、キンッ

硬質な音が響くこと二回。その音が消えきる前に、「それ」はさらに近くの建物を蹴って上へと跳ぶ。それと同時にまた、同じ音が耳に届いた。

目を凝らしてなんとか捉えたものは、奇妙なものだった。

まず視認できたのは、最初の奇襲以降、姿を見せなかった少女。

彼女が壁を蹴り、上へ上へと向かっていく。

そんな少女と背中合わせになる形で、同じく姿を見せなかった男がいた。

空中にも関わらずぴたりと寄り添う姿は、おそらく何かで互いの体を固定しているのだろうと察せられる。しかし、なぜそんな状態で移動しているかの見当がつかない。

呆気にとられるコワフズの前で、気づけば二人は建物より高い場所まで跳んでいた。

その間、聞こえた音は九回。

――――キンッ

そして、十回目が空から落ちてきた。

(この音は、どこかで……)

記憶の琴線に触れる音の正体を、コワフズが思い出そうとしたその時。


「“グレイプニル”、解除!」


春見の声と同時に、少女が足場にした建物――コワフズ達の周囲にあった建物が倒壊した。

「っ、な…!?」

滑らかな断面を晒しながら、滑り落ちるように落ちてくる建物の残骸。さながら支柱をいきなり引き抜かれた積み木が崩れるように、建物を構築していたピースが降り注ぐ。

そんな光景を前に、コワフズの目が大きく見開かれる。

直後、複数の球体と短剣が、コワフズめがけて投擲された。

球体自体は障壁に弾かれたが、そこから射出された紐が障壁の上から絡みつき、楔を地面に打ち込んだ。短剣の方はそもそも障壁に当たらず、コワフズの横を通り抜けると、その奥にあった鏡――コワフズが移動に使ったバックミラーに命中する。

「あんたの障壁は鉄壁だ。そうそう突き崩せないだろうよ」

鏡が割れる音とともに、春見はコワフズに背を向ける。

「でも、障壁ごと生き埋めになったらどうなるんだろうな?」

そして、その場から離れるように駆け出した。

(この男、私との交戦は全て時間稼ぎだったのか……!)

離れていく背を睨みつけながら、ようやく理解が追いつく。

攻撃が見える自身が囮を引き受け、その間に残る二人を裏で動かしていたのだ

気づいてしまえば、この場所はやけに建物が多かった。偶然ではなく、瓦礫を少しでも多くするために選ばれた場所だというのは嫌というほど理解できる。

隠れ損ねている春見を見つけてやったと思っていたのがそもそもの間違い。

コワフズこそが、この場所に誘い込まれていた。

ようやく意図に気づくが、完全に手遅れだった。

(っ、他に鏡は……!)

攻撃に使っていた“テスカトリポカ”で探ってみるが、鏡面体は見つけられない。逃げ道を断たれたコワフズの頭上に、瓦礫の雨が降ってくる。

(おのれ…っ!)

あともう少しで押し潰される。

その直前、コワフズは乗っていた“テスカトリポカ”から下りた。

コワフズの体は障壁に影響されない。障壁に絡みつく紐をかいくぐれば、あとは自由だ。血眼になって、少しでも瓦礫が降ってこない場所へと滑り込む。

そんなコワフズの動作にわずか遅れて、倒壊の音が周囲に響き渡った。

むせ返るほどの土煙が巻き上がり、さながら濃霧のように視界を遮る。土埃を吸わないよう袖口を口に押し当てながら、コワフズは懸命に春見の姿を探した。

(背を向けたあいつは、私が逃げたことにまだ気づいていない!生き埋めにしたと油断している脳天気な頭を、吹き飛ばしてくれる……!)

そう息巻くコワフズは、肝心なことに気づいていなかった。

――――キンッ

「“天羽々斬”」

建物の破壊を担当した二人が、なぜわざわざ上に跳んだのかを。

「……っ!!」

響く音と聞こえた声。

弾かれるように振り返れば、刀を構えた男――イヴェルが土煙の中で立っていた。

(なぜ居場所が……!)

頭上から見られていたとはまだ気づかず、焦燥が頭を満たした。

障壁は間に合わない。障壁を反射するには、鏡面を空に向ける必要がある。だが、間に合ったところでおそらく意味はない。理性の奥底にある本能が、この攻撃だけは障壁で防ぐことができないと警鐘を鳴らす。

「出力――伍!」

対するイヴェルが口にするのは、今出せる最大出力。

建物を斬るために出力の壱を五連した後、残る全てをこの一撃に注ぐと決めていた。

その圧がコワフズの体を硬直させるが――次の瞬間、口元には笑みが浮かぶ。

(愚かな!先の戦いを忘れたか!)

“テスカトリポカ”を一つ背に回し、もう一つはイヴェルの方をめがけて飛ばす。

それは、コワフズの奥の手。

攻撃及び防御と引き換えに、実像と鏡像を入れ替える。実像と入れ替わった鏡像は残像として残るため、“テスカトリポカ”の不可視性と相まって初見で対処することは不可能。

一回戦目に見せてしまったことを痛手に思っていたが、相手は愚かにも同じ状況で攻撃を仕掛けてきた。その浅はかさを嘲笑いながら、入れ替えを行おうとした時。


――――斬(ざん)!

放たれた斬撃が、“テスカトリポカ”を両断した。


「…………は?」

放心するコワフズの前で、真っ二つになった鏡が地面に落ちる。

パリンという音の後、不可視の術が解けた“テスカトリポカ”が姿を現す。黄色い縞模様が意匠として施された黒曜石の鏡を呆然と見下ろすコワフズの前で、オドを激しく消耗したイヴェルがゆっくりと倒れていく。

「一つは壊した。後は、任せた……」

「うんっ!」

そんなイヴェルの後ろから、少女――ナツキが弾丸のように飛び出した。

背の高いイヴェルに隠されていた小さな体が、まっすぐコワフズの方へと駆けていく。思考をほとんど硬直させながらも、とっさに攻撃態勢に移れたのは奇跡に近い。

太陽光を収束させ、光の矢に変換して反射する。

だがそれを、ナツキは紙一重でかわした。

「――――」

ありえない回避に、思考の大半が驚愕に染まる。残ったわずかな部分が、気づいた。

周囲を舞い続けている土埃によって、攻撃の軌跡が描かれていることに。

――――春見達は、一回戦目の最後に見せた回避を忘れてなどいなかった。

目に見える鏡面体を使った移動とは異なる瞬間移動。イヴェルが負傷状態でなくても対処できたかは危うく、はっきりしているのは神装の能力ということ。

しかしそれは、言い換えてしまえば「武器さえ壊してしまえばいい」ということにもなる。

力押しだが真理でもある結論に至った時、作戦の方針は決まった。

確実に位置がわかるのは攻撃時と障壁を展開している時だが、そこを執拗に狙えば目論見はすぐに看破されてしまう。ゆえに、確実にその回避を使う瞬間――イヴェルの攻撃を避ける瞬間に焦点を当てた。

コワフズは一回戦目のように、イヴェルを確実に仕留めるため背後をとろうとするだろう。

つまり、自分に向かって飛んでくるものだ。おぼろげにでも姿を捉えられれば、触覚が優れているイヴェルなら当てることはそこまで難しくはない。

そこを起点に三人は作戦を組み立て、現在に至る。

「――、っ、ふ」

コワフズに肉薄しながら、ナツキの目は鏡らしきものを捉える。

姿見をそのまま丸くしたような、大きな円盤。その中心めがけて、拳を振り抜いた。

「らぁ!!」

――――バリンッ!

地面に落ちた時よりなお、激しい破砕音が響き渡る。

ゆっくりと姿を現していく黒曜石の破片が、空中で儚く煌めく。鏡として見る影もなくなったそれを見つめるコワフズの中で、ぶつりと理性の糸が切れた。

「こ、の、クソガキィ……!!」

口汚く罵りながら、煮えたぎる怒りをぶつけるべくナツキに手を伸ばす。

しかしその手は、ナツキに届く前に宙を舞った。

「……、は?」

呆気にとられた声に続いて、どさりと二の腕が地面に落ちる。

激痛はある。だが、それが脳まで届かない。距離をとるナツキを呆然と見過ごした後、錆びついたブリキ人形のような緩慢さである方向――腕を吹き飛ばした攻撃が飛来してきた方に顔を向けた。

濃霧のようだった土煙が落ち着き始め、視界が晴れていく。

土煙の向こう側に春見がいるのを視認すると同時に、コワフズの頭が吹き飛んだ。



「……よし、終わったか」

痙攣していた体がぴくりともしなくなったことを確認してから、春見は構えを解いた。

その手にあるのは、樹木を思わせる意匠が施された狙撃銃。久方ぶりに触ったにも関わらず手に馴染む重さに苦笑しながら、背負っていた黒い袋に収納する。

名を『人造神器(オーダーメイド)』“イチイバル”。

春見透也が最初に手にし、一年前まで苦楽をともにしてきた武器である。

武器破壊に重点を置いた作戦を組むにあたって、最後の問題となったのが神装以外の武器を持っていたらという想定だ。その場合、最も危険なのはその武器を使う局面で近接距離にいるナツキになる。ゆえに春見は、もう二度と使うまいと思いつつも、未練がましく持ち続けていた“イチイバル”の封を解いた。

「イヴェル、ナツキ!」

“イチイバル”をしまってから、呼び声を上げつつ二人の方へと駆け寄る。

オドを消耗して倒れ伏したままのイヴェルと、その傍らに座り込んでいるナツキの姿が近づく。大きな怪我をしている様子はなく、それに安堵の息をつきながらさらに歩を進めた。

「何してんだよ、お前ら」

「あ、春見さん。その、イヴェルが運ぶなら春見さんがいいってわがままを」

「後生だから……」

「あー」

体格差があるが運搬自体は可能なナツキが運ぶとなると、以前春見がされたように横抱きが候補に上る。それが嫌だという気持ちは同じ男として痛いほどわかったので、がしがしと頭を掻いてからイヴェルを抱え起こそうとした。

「……ああ、そうだ」

その途中、思い出したように伸ばしかけた手を止める。そして、そんな春見を見て怪訝そうにしているナツキに手招きをし、近くに寄らせた。

二人して、きょとんとした顔で春見を見つめる。

そんな二人に笑いかけながら、頭に手を伸ばした。

「おつかれさん、二人とも。よくやったぞ」

がしがしと雑に、しかし自分の頭にするよりは優しい手つきで、二人の頭を撫でる。

「……」

「……」

大人の手の感触が、優しいぬくもりが、頭皮に伝わる。

春見に撫でられること自体は、これが初めてではない。だが、この世界での戦争(ゲーム)が終わった後にこうして労られることは――自分達を認めてもらうのは、この時が初めてだった。

気づいた時には、子供達の眦は熱く濡れていた。

「……は!?え、ちょっ、なんで泣いてんのお前ら!」

そんな二人を見て、春見は盛大にうろたえながら手を離そうとする。

だが、手が完全に離れるよりも早く、イヴェルとナツキが手首を掴んだ。そのまま手のひらを頭の上に戻されたので、困惑しつつも撫でるのを再開した。

「カスミ」

「な、なんだよ」

心地よさそうに細められたイヴェルの目が、まっすぐ春見の方へと向けられる。

「やっぱり、お前を信じてよかったって思うよ。……なあ、ナツキ」

「……うん」

同じように心地よさそうに目を閉じたまま、ナツキがその言葉に同意した。

「……」

手を止めないまま、そんな二人を黙って見下ろす。

少年少女から向けられる全幅の信頼。自分がそれに相応しいかは、未だにわかっていない。それでも、幼さゆえに危なっかしく、何よりもまっすぐな信頼を向けてくれる二人を、色々なものから守ってやりたいと強く思った。

この時ようやく。

本当の意味で、イヴェルとナツキは春見の大事なものになったのだ。

「どういたしまして」

つられるように、春見の眦からも雫が零れ落ちた。







「うん、メンタル値良好だね」

白を基調とした清潔感ある一室で、白衣を着た年配のえびす顔の男は朗らかに言った。

なお、場所は東北支部ではなく本部のカウンセリング室である。東北支部のカウンセラーは本部カウンセラーの弟なのだ。

「久しぶりに対人戦に出るって聞いたから心配していたけど、ここ最近で一番安定したメンタル値になっているよ、春見くん」

「そうですか……」

「新しい隊員の子達は、どちらも良い子みたいだね」

「それはもう」

一言目は怪訝がっていた春見だが、二言目にははっきりと首肯を返した。

「俺なんかにはもったいないくらいです」

「そうかい。それは何よりだ」

えびす顔の男はにこりと笑いながら、カルテに了の文字を入れた。

「イヴェルくんもナツキちゃんも安定しているから大丈夫だろうけど、もし何かあったらまたおいで。もちろん春見くんも、不調を感じたらいつでも来るといい」

「はい。ありがとうございます」

「ま、カウンセリングなんて受けないのが一番なんだけどね!」

朗らかな笑いを背に受けて、春見は部屋を後にした。

そのまま、足は迷いない足取りでC隊の隊室を目指す。

と、その道中。

「やあやあ春見、勝ったんだってな」

「……秋津先輩」

煙草を吸いながら壁に寄りかかっている秋津と出くわした。

二回戦目が終わった後、端末に連絡はなかった。音沙汰がないことを怪訝に思っていたが、直接声をかけるつもりだったのだろうと、その姿を見て納得する。

「通路で吸ってたら怒られますよ」

「見つからなきゃへーきへーき」

諌める言葉を笑って受け流しながら、近づいてきた秋津が春見の肩を引き寄せた。

「さて、聞きたいことが色々とあるわけなんだが。イヴェル少年が言ってた、異世界から来た云々については特に詳しく」

「……」

一番聞かれてはまずいやりとりもばっちり聞かれていたことを察し、口元がひきつる。

どう説明するか。冷や汗をかきつつ言葉を選んでいる春見の横顔をしばらく眺めた後、至近距離にある秋津の顔がニッと笑った。

それに首を傾げていると、そのまま秋津は肩を解放した。

「ま、それは今度にしてやろう。どうせ待たせてるんだろ、二人とも」

顔を見られただけで今日は良い。

そう口にする秋津に、つられるようにして笑みが零れた。

「今度奢ります」

「楽しみにしてるよ」

そう言葉をかわしてから、秋津の脇を通って歩を進める。

「春見」

そんな春見の背に、言葉が放られた。

「……今のお前、ほんといい顔してるよ」

「……」

それに言葉で返事はせず、背を向けたまま片手をひらひらと振った。



パネルを操作し、隊室のドアを開ける。

入ってきた春見を出迎える声はない。首を傾げながら奥に進むと、すぐに理由はわかった。

「気持ちよさそうに寝ちゃってまあ」

仮眠用のベッドを見れば、イヴェルとナツキの二人が横になっていた。

兄妹のように姉弟のように、寄り添いながら寝息を立てている。そんな二人を見下ろして脱色した頭をがしがし掻いてから、ベッドの縁に腰を下ろした。

幼い寝顔は、二人がまだ十四才の少年であり、十七才の少女であることを表している。思わず手を伸ばしてそれぞれの頭を撫でれば、ふにゃりと心地よさそうに唇がほころんだ。

「……まずは一勝、か」

前園が提示した、対人戦の十勝。

残るは九勝。先行きは長く、今でも道のりに不安は残る。

(それでも)

眠るイヴェルとナツキを見下ろして、春見もまた顔をほころばせた。

「がんばるよ。俺を信じてくれる、お前らのためにもな」

微笑んだまま、煙草の箱に手を伸ばす。

だが、取り出した一本を口に咥えようとしたところでその動きを止めた。

「……」

考え込むように、手の中の煙草と傍らで眠る二人を交互に見つめる。しばらくそうした後、隙間にねじ込むようにして煙草を箱の中へと戻した。

「煙草、控えるかな」

一年前に手を出した嗜好品のパッケージに目を落としたまま、苦笑交じりにそう言った。


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