第4話:水面下の不和-2




それから、さらに一ヶ月の月日が流れた。

自室で休んでいた春見の耳に、端末の振動音が届く。それが『ハウンドドッグ』支給のものと気づき、小さく溜息をつきながらも手を伸ばした。

届いたのは一通のメール。

それに目を通していくうち、春見の顔は徐々に険しいものへと変わっていった。


件名「対人戦参加要請のお知らせ」

本文

六月二十四日開催の対人戦にて、北区担当のB隊が諸事情により参加延期となりました。

代理として、C隊に北区対人戦の参加を要請します。




「思ったより早かったな、参加できるの」

『ハウンドドッグ』の宿泊施設、その一室。

マヨネーズがたっぷりかかったたこ焼きを食べながら、イヴェルは端末に表示されたメッセージに目を落とす。そんなイヴェルの頭を、春見は遠慮なく叩いた。

「代理として指名されただけだから!それぜっっったいよそで言うなよ?」

「……わかった」

戦果の指名権があるため、対人戦の選抜時はピリピリしている者が多いのだ。迂闊な発言で軋轢を作られてはたまったものではない。

しっかりと言い含めるように言えば、こくりと首が縦に振られた。

それに小さく息をついてから、イヴェルと同じものをつまむ。

電子レンジで作れる冷凍たこ焼きは、春見が買ってきたものだ。買い物の許可が下りていなかったころに買い与えたものの一つで、マヨネーズにすっかりはまっているイヴェルのお気に入りでもある。その横で、同じく買ってきたたい焼きをナツキが遠慮がちに頬張っていた。

今では許可も下りており、数度のトラブルを経て春見が付き添わなくても問題なく買い物ができるようになっている。それでも、二人を訪ねる時はつい手土産として食べ物を持ってきてしまう春見であった。

口についたソースを指でぬぐってから、改めて口を開く。

「まあ、代理って形ではあるが対人戦は対人戦だ。心してかからないとな」

「えっと、二回戦うんでした…よね?」

「そうだ。おさらいとしてもう一度説明しとくぞ」

おずおずと問いかけてくるナツキに首肯する。

「一つの隊と、異世界の兵士一人が戦闘フィールドで戦うのが対人戦。俺達の勝利条件は一回でも異世界の兵士に勝つか、二回戦目を引き分けに持ち込むこと。相手の勝利条件は二回戦目でこっちを全滅させることだ」

ルールを羅列しただけだと、異世界側が圧倒的に不利なように思える。

だが、異世界の兵士が扱う武器はその不利を補って余りある性能を持ち、初見では対処しづらい特性を持っている。

そのため一回戦目で勝つことはほとんどなく、それどころか二回戦目で引き分けに持ち込むことすら容易ではないのが現状だ。相手側の不利というよりは、こちら側へのハンデと呼ぶ方が適切だろう。

「そっちではディーユって呼ばれてんだっけ?異世界人の武器」

「ああ、まひがいない」

「イヴェル、ちゃんと飲み込んでから喋ろ?」

イヴェルに話を振れば、口をもごもごさせながら頷く。ナツキが行儀の悪さを注意すれば、ちゃんと口の中のものを飲み込んでから話を続けた。

「ん、神装(ディーユ)というのは、遥か昔に神々が使っていたとされてる武具や防具のことだ。それぞれがオンリーワンの性能を持っていて、代用不可の内蔵エネルギーで動いてる。戦闘フィールドで使えば半永久的に運用できるという考えから、そこ以外での使用は固く禁じられている。このあたりは古世界(ヴィユ)でのオドの使い方と似てるな」

「代用不可なのに普通に使ってんのか……」

「似たようなことを命でやってる古世界にはさすがに言われたくない。神装のレプリカを造ってオドで動かす試みがあるにはあったが、非人道だからって破棄されたんだぞ」

話の合間に新たなたこ焼きを口に運び、今度はちゃんと咀嚼して続きを話す。

「神装は国が所持してるものから一家相伝のものまで色々あるが、あっちの世界では兵士全員が持ってるわけじゃない。いわゆる一般兵が持つ武器は『模造兵装』と大差なくて、一家相伝以外で神装が持てるのは上級兵以上だ」

「はあ、選りすぐりのエリート様ってわけか」

「国所有の神装を持つ奴は概ねそんな感じだ。他国に分析されても困るからどこも切り札クラスは出さないが、古世界での戦争ゲームじゃ戦闘時間も入れて勝者を決めるからな。自然と強い兵が選ばれてる。古世界側が苦戦してるのはそのせいだろう」

「リアルタイムアタックかよ……」

舌打ち混じりに言いながら、つまようじをたこ焼きに突き立てる。

勝つのは当然。そんな異世界側の侮りを感じるのは、気分が良いものではない。だが、春見の不機嫌を感じ取ったイヴェルが申し訳なさそうに眉をひそめ、ナツキが肩を縮めたのに気づくと、脱色した頭をがしがしと掻いて苛立ちを引っ込めた。

謝罪のつもりで、ナツキには自分の分のたい焼きを、イヴェルにはつまようじで刺したたこ焼きを差し出す。二人にえっという顔をされたところで後者に何をしたのか気づき、慌ててつまようじを引っ込めてたこやきが乗った皿を押しやる。

やや間があってから、二人は差し出されたものを食べ始めた。

気を取り直すようにつまようじに刺した分は自分の口に放り込み、咀嚼してから口を開く。

「一家相伝もあるって話だけど、そういうの持ってる奴はどんな扱いなんだ?」

「基本は一階級特進だな。一般兵からじゃなく上級兵からになる。成果主義だから、それより上に行きたいならきっちり戦争(ゲーム)で戦果を上げる必要があるが」

「イヴェルも、十六になって戦場に出られるようになったら上級兵からだったよね」

「そうだな」

「へえ。……ん?」

話の流れでそのまま納得しそうになったが、疑問点に気づいて首を傾げる。

「えっ、お前持ってるの?ディーユを?」

「持ってる。というかこれだ」

言いながら、片時も首から外したことがない十字架のペンダントをかざした。

「“イスカリオテ”。うちに代々伝わってる神装だ」

蟷螂型の頭を潰した巨大な十字架を思い出しながら、春見は思わず半眼になった。

「……お前、“天羽々斬”じゃなくそれで戦えばいいんじゃ」

「仮解放で鈍器として使うならまだしも、がっつり使ったら一発で俺の所在がばれる」

もっともな疑問には、まっとうな正論が返された。

「それなら研究職に渡して解析に協力するとか……」

「神装は向こうの世界でも研究が進んでないロストテクノロジーだからちょっと……。父さんから引き継いだ家宝だから壊されても困る」

マエゾノには言ってあるという言葉を信じ、頭が痛くなる事案は脇に置く。今話題にすべきは当の異世界人も解析できていない武器ではなく、一週間後に迫る対人戦についてだ。

「先に言っとくけど、俺の方針は引き分け狙いだ。無理して倒しに行くつもりはない。なるべく会敵も避ける方向で行きたいんだが、対人戦はレーダー使用禁止だからな……。イヴェルの「来た!」がレーダー代わりになったらいいんだが」

「触覚が良い……と言われてもいまいちピンとこない」

話を振られたイヴェルは、困ったように頬を掻いた。

レーダーも見ずに接近を感じ取るイヴェルを怪訝に思い秋津に調べてもらったところ、どうやら彼は人よりも触覚が良いらしい。とはいえ本人に自覚がなく、実戦で本格的に頼るには精度が甘いことは今の発言でわかる通りだ。

なるべく考慮に入れないことを決め、言うべき言葉を二人に告げることにする。

「いいか?絶対に無茶はするなよ?」

「は、はい」

「……。わかった」

念を押すようにイヴェルに目線を向けて言えば、ナツキは少しだけ肩をびくつかせ、イヴェルは何か言いたげな沈黙を返してから肯定の返事を返した。

それを――おどおどしているナツキを特に見つめて、内心首を傾げる。

(……なんか最近硬いんだよな、ナツキ)

最初にあった人懐っこさが薄れている。そんな印象を、ここ最近ナツキから感じた。

春見にしてみれば最初懐かれていたのが不思議だったので今が自然と言えば自然なのだが、軟化していた態度が硬化していくのは、従来の人間関係の変化を考えれば逆向きである。とはいえ全くないとは言い切れず、ましてそれが年下の異性ともなれば成人男性の尺度に当てはめるのも難しい。

無茶をするイヴェルに対し時折厳しく当たっていたことは否定しないが、従順なナツキに対してそういった態度を向けたことはないのでなおさら突破口がなかった。

これ以上情を移したくない。そんな思いも枷となる。

「北区は東北……ここから結構離れた場所にあるから、三日前には現地入りする予定だ。当日迎えに行くから、それまでに準備すませておいてくれ」

ゆえに今回も、疑問はひとまず脇に置いた。支部についた時のことや荷物のまとめ方について話を移し、説明を続けていく。そうして話をしていくうちに、喉から小骨が抜けるように疑問はいつの間にか忘れ去られた。






「あー、ついたついた……」

移動の疲れを零しながら駅を出ると、涼やかな風が肌を撫でた。

『ハウンドドッグ』本部がある関東から北に数百キロ離れた東北の地は、梅雨入りを迎えてなお湿気は少なく、過ごしやすい気候を保っている。そんな場所に電車や新幹線を乗り継いでやってきた春見達は、各々肩を回したり伸びをしたりと体をほぐしていた。

隊服を着て公共の乗り物を使うと目立つため、服装は三人とも私服である。

イヴェルとナツキが着ているのは副司令の左近が手配したもので、流行りを取り入れたオーソドックスな服はそれなりに似合っていた。目立つ白髪を隠す帽子は二ヶ月前に春見が買い与えた安売り衣料店のものなので、そこは服との調和がとれておらず違和感があるが。

隊服や『人造神器』、『模造兵装』は先に輸送されているため、持っているのは最低限の荷物だけ。私服と同様に副司令が手配したバッグを腕に抱えながら、イヴェルが欠伸をした。

「ねむ、い」

「車内で変にうたた寝するから……。寝癖もついたままだし」

呆れたように言いつつ、つま先立ちをしたナツキがうとうとしているイヴェルの頭に手を伸ばす。甲斐甲斐しく寝癖を直そうとしている姿に、二人の年齢を再認識する。

寝癖との格闘が終わったところで、ナツキが春見に顔を向けた。

「えっと、この後はどうするんでしたっけ?」

「東北支部所属の隊員……というかB隊の隊長だな。その人が迎えに来てくれる予定」

ナツキにそう返事をしながら、連絡がないか確認しようと端末を取り出そうとする。

「…ん」

その前にイヴェルが小さく呟きを零し、視線を動かす。

それにつられて同じ方向を向いてからほどなくして、車のエンジン音が聞こえてきた。

やってきたのは一台の乗用車。メタリックシルバーのそれは緩やかに速度を落としながら、春見達の前で停車する。そして、一人の少女が助手席の方から降りてきた。

ポニーテールを結った優しい顔つきの少女だ。背丈は小柄なナツキと変わらない。

少女は春見を見ると、ニッと、目つきの悪さを打ち消す快活な笑みを浮かべた。

「やっ、春見。直に顔を合わせるのは久しぶりかな?」

「お久しぶりです、黒岩さん」

男口調で気さくに話しかけてくる少女に、春見は丁寧に頭を下げる。見た目とちぐはぐなやりとりにイヴェルとナツキが首を傾げていると、少女は二人の方を向いた。

目力の強さに一瞬だけたじろぎ、しかしすぐに笑顔の快さで肩から力が抜ける。

「その二人が、君のとこの新しい隊員さん?」

「はい。こっちのでかい方がイヴェル、小さい方がナツキです」

「イヴェルだ」

「あ、ナツキです」

こうして紹介されるのもすっかり慣れたもので、二人はそれぞれ会釈を返す。

「イヴェルにナツキね。礼儀正しくて結構結構」

そんな二人を見て満足げに笑った後、少女は自分の胸に手を置いて名乗りを上げた。

「私はB隊の隊長、黒岩よ。よろしくね」

「ちなみに勘違いしてると思うから言っとくけど、俺より年上な」

「えっ」

「成人してるのか……」

横から入れられた補足に、揃って目を丸くする。

春見より年上と言われるだけあって、無礼ともとれる二人の反応に黒岩が気を悪くした様子はない。それどころか、若作りがうまいだろーと楽しそうに笑うほどだった。

「そしてこいつは十四才です」

「嘘!私と年齢入れ替えた方がしっくりきそうね」

イヴェルを見てさらにからからと笑った後、立ち話もなんだからと車のドアを開けた。

後部座席にイヴェルとナツキが、助手席に春見が乗り込む。三人が乗ったのを確認してから運転席に乗った黒岩は、アクセルを踏んで車を発進させた。

「春見、煙草はダメよ」

「……うっす」

無意識のうちに煙草の箱を取り出しかけた春見を、黒岩は顔を向けずに制止した。

しばらくは諦めきれないとばかりに煙草の箱を突いていたが、お許しが出る気配はなかったので大人しく手を戻す。代わりに別のポケットから棒付きの飴を取り出し、口寂しさをごまかすように咥えた。

片手で自分にもと要求されたので、包装を剥いでから黒岩に棒のところを握らせた。

ついでに甘いものが好きなナツキにも渡したところで、黒岩が話し始める。

「わざわざ悪いわね、うちの代わりに出てもらって」

「本部(こっち)の穴を黒岩さん達に埋めてもらうこともあるんで、お互い様ですよ」

「赤銅がねえ。あの子の補習がなければねえ」

所属する隊員のものと思しき名前を口にしながら、唇を尖らせる。

そこには対人戦に参加できないことを残念がる気持ちと、迷惑をかけたという申し訳なさが滲んでいる。だが、悔しいさや焦燥はなかった。

イヴェルはそれに、自身が抱くイメージとの相違を感じた。

「クロイワは、戦果の権利を得る場が消えたのに焦ったりはしないんだな」

しばらく考えた後、食い違いを補正するために質問を投げかける。

ストレートな物言いを咎めるようにバックミラー越しに春見が睨んできたが、気にせずどうなんだと黒岩の返事を促す。同じくバックミラーに映る目つきの悪い眼はしばらく丸くなっていたが、やがて愉快そうに細くなった。

「だいぶストレートに聞くわね君。春見の胃が悪くなるわよ?」

「これくらいでもクロイワなら怒らないと思った」

「ほー、初対面なのに随分と評価してくれるじゃない?」

「評価、というか……」

少しだけ口ごもるが、素直に続きを話す。

「雰囲気が姉さんにちょっと似てる。だから、姉さんなら怒らないことはクロイワも怒らないんじゃないかと思った」

「へえ」

「……気分を害したなら、誠心誠意謝る」

「ぷはっ」

強気の姿勢を維持できなくなったイヴェルが目を逸らしながらそう言うと、思わずといった風に黒岩は噴き出した。しばらく、小さな笑い声が車内に響く。

(イヴェルの姉、黒岩さんに似てるのか)

一方、思わぬことを知った春見は内心目を丸くしていた。

ブラーシュ・ミランダ。

彼女が現況の大元ではあるのだが、実際に春見を巻き込んだのはイヴェルのため、あまり意識の端に上らなかった存在だ。イヴェルのもう一つの目的を知っていることもあり、積極的に知ろうという意識がなかった。

イヴェルも話題には出さなかったので、彼の姉について触れたのはこれが初めてである。

それがわずかとはいえ知人に似ているというのは、多少気にはなる。

面識があるだろうナツキに耳打ちして確認してみたいと思ったが、助手席と後部座席ではそれも叶わない。そんなことを考えているうちに、黒岩がようやく笑うのを止めた。

悪い悪いと軽く謝った後、質問に答えるべく口を開く。

「AからEの番号振られてる隊が、精鋭部隊って呼ばれてるのは知ってる?」

「ああ」

「よろしい。で、その中でもAとBとCは上層部直属っていうか、ようは個人の家族とかじゃなく各国の要人を指名権で取り返すのが仕事なのよ。あとは避難しそびれて巻き込まれた一般人とか、殺されて戦果対象になった隊員とか」

そこまで説明してから、黒岩は目線だけを春見に向ける。

「君、自分んとこの隊員にこれ説明してなかったの?」

「こいつらはちょっと事情があって……」

呆れたような声と視線から逃げるように、わざとらしく窓の方に顔を向ける。

しばらく春見の後頭部に半眼を向けてから、溜息と共に視線を逸らす。そして、改めてイヴェルへの質問に答えを返していく。

「そういうわけだから、その三隊の隊員はそもそも戦果に興味がないわけ。戦うことが好きとか、異世界人が憎くて仕方ないとかね。例外なのはA隊の前隊長くらいじゃない?」

「なるほど。……クロイワはどうして?」

「内緒。それを答えるには、好感度が足りてないかな」

からからと笑いながらはぐらかし、ハンドルを切る。

冗談めかした言い方ではあったが、言い分自体は正論だ。イヴェルも言及しようとはせず、黒岩に謝礼の言葉を伝えて話を終わらせた。

そして視線は、自然と春見の方に向く。

視界の片隅に映るナツキも同じ方向を向いたので、考えたことは同じだろう。

すなわち、春見透也の入隊動機である。

「……」

二人分の視線を浴びていることには気づいているだろうに、春見が何かを言う気配はない。その沈黙は隔たりとなり、問いを投げかけることを拒むようだった。

それを感じ取ってしまうと、安易に声をかけることができない。

黒岩も三人の空気に気づいてはいるが、どちらにも助け船を出すことはなかった。

「対人戦は、適当にやって勝てるもんじゃないわよ」

それだけを告げ、ハンドルを握り直す。

車は水面下のぎくしゃくした空気を載せて、東北支部を目指した。

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