第4話:水面下の不和-1
『ハウンドドッグ』本部のラウンジ。
片隅の席でフードを被った少女と話をする春見透也を見て、二人の隊員は眉をひそめた。
「あいつ、フリーじゃなくなったって聞いたけどほんとだったんだな」
「しかもあんな女の子と……。どの面下げてって感じだよなあ」
呆れと軽蔑が混ざった声で囁き合う。
そこには悪意の色もあったが、それ以上に蔑視が込められていた。
さながらそれは、罪深い咎人でも見るかのように。
「見殺しの臆病者のくせに」
一人がそう零した後、隊員達はその場を去っていく。
少し離れた場所で立ち尽くす少年の存在には、最後まで気づかなかった。
《Syaaaaa!》
威嚇の声と共に、蛇型の異界兵が鎌首をもたげながら口を開いた。
大きく開かれた顎の奥から、細い舌が槍のように突き出される。回避が間に合わない速度で迫ってくるそれを、春見は短剣の鞘で弾くことでしのいだ。
蛇の唾液が付着した鞘からは煙が上がり、一部が溶けていく。それに舌打ちをしながらイヤホン型の小型インカムを一叩きし、通信回線に向かって声を荒げる。
「やっぱ毒だな!直接斬りつけたら武器がダメになりそうだし、ナツキはそのまま離れた場所で建物壊して瓦礫を蹴りつけろ。イヴェルはちょっとナツキの近くで待機!」
『わかりましたっ』
『合流して俺が斬った方がよくないか?』
「よくない。蛇型は陽動と隠密のセットだから、レーダーで感知できてないのが近くに潜んでるはずだ。先に一匹倒すまでオドはできるだけ温存しろ」
『……了解』
沈黙を挟んでから、イヴェルからも了承が返る。あまり納得していなさそうなのは気づかなかったふりをして、通信をいったん切った。
《Syaa!》
通信の隙を突くように、再び蛇型が舌で攻撃してくる。
速度は変わらないが、攻撃のタイミングは予測していたので今度は横に跳んで回避した。鋭利な舌先が地面に突き刺さり、動きが一瞬止まった瞬間に蛇型の頭部に瓦礫が直撃する。
視線を向ければ、適当な建物を殴りつけては、その際にできた瓦礫を即座に蹴りつけているナツキの姿が目に留まった。
《Zyaaaaa!!》
「“グレイプニル”!」
怯んだところを狙って、球体を投擲。射出された紐が蛇の胴体に絡みつき、近くの塀に楔を打ってその動きを阻害する。
胴体は毒性のある粘液に覆われている。そのため、鞘のように瞬く間に溶けたりはしないものの、拘束する紐からも煙が上がり始めた。
しかし、それは想定の上。元より拘束し続けることが目的ではない。
動きが鈍った蛇型に瓦礫の球が浴びせられる中、春見は短剣で楔が打ち込まれている塀を斬っていく。本体から離れた箇所は拘束から逃れようと身をよじらせる動きに引き寄せられ、そのまま蛇型の体に何度もぶつかった。
紐が毒液で焼き切れれば、いったん解除して手元に戻す。そしてすぐに起動し、大きめの瓦礫と結びつけて再び瓦礫が体とぶつかり合うように仕向ける。紐自体は春見のオドを使って精製されるために可能な芸当だ。
武器で攻撃しづらいのであれば、それ以外のものを使う。
異界兵のボディに傷をつけるのは『模造兵装(レプリカ)』や『人造神器(オーダーメイド)』でないと不可能だが、それ以外のものから与えられる衝撃さえ無効なわけではない。蓄積していくダメージに耐え切れず、持ち上がっていた首が垂れ下がった。
その好機を、無論逃しはしない。
すかさず短剣を構え直すと、蛇型の弱点である頭部を攻撃せんと地面を蹴った。
『春見さんっ、後ろ!』
「…っ!?」
直後、ナツキから通信が入る。
それに反応して目線を背後に向ければ、もう一匹の蛇がそこにいた。その胴体は周囲の建物と同じ色をしていたが、徐々に今斬りかかろうとしている方と同じ色になっていく。
(くそっ、擬態か……!)
状況を察し、歯噛みする。
陽動の蛇の近くで、獲物が隙を見せる瞬間を待っていたのだろう。俯瞰で見ていたら見破る自信があっただけに、奥歯を噛む力もいっそう強くなった。
一方、企みに成功した隠密の蛇は、空中で身動きがとれない獲物を見て舌なめずりをする。そして、そのまま獲物の体を噛み砕かんと顎を大きく開けて襲いかかってきた。
迂闊に回避行動をとれば、もう一匹を仕留めそこなう。
しかし噛み砕かれれば、戦闘続行は不可能となるだろう。
敵を仕留めそこなうことと、敵を残して先に離脱してしまうこと。とっさに天秤にかけてしまったことで、短剣を握りしめる手の力が緩む。
最悪の三択目に向かいかけている自身に気づき、柄を握り直した直後。
「っぅ、らぁ!!」
横合いから弾丸のように飛んできたイヴェルが、背後の蛇を長刀の鞘で殴りつけた。
そのまま殴りつけた蛇と共に、地面に叩きつけられて転がる。それに少し遅れる形で、一つの瓦礫が落ちた。
「イヴェル!?」
間に合う距離ではなかった。だというのに支援が入ったことに驚き、思考が止まる。
それが致命的となり、正面の蛇に攻撃できず地面に着地してしまう。もう一度攻撃しようとするも、その時には正面の蛇型も鎌首をもたげ直していた。
(や、ば――)
「“天羽々斬”出力、伍」
焦燥が込み上げると同時に、鯉口を切る音が響く。
瞬間、斬撃が放たれ、一拍遅れて蛇型の頭が二つ落ちた。
長い胴体はしばらく生き物のようにびくびくとのたうった後、やがて動かなくなる。完全に事切れたのを確認してから、春見は盛大な溜息をついた。
「イーヴェールー?」
「……カスミが危なかったし、まとめて斬れるタイミングだった」
低い声で呼びかければ、視線を逸らしながらイヴェルが言い分を述べる。がしがしと乱暴に脱色した頭を掻いた後、諦めたように肩を落とした。
「しかしどうやって飛んできたんだ、お前」
「ナツキに瓦礫ごと蹴ってもらった」
「危ねえなおい!」
『っ』
想像以上の力技に声を荒げれば、通信が繋がったままのイヤホンから息を呑む音がした。
「俺がやれって言ったんだ。ナツキは怒らないでくれ」
「……怒らねえよ」
その反応とイヴェルの言葉に、思わず顔を顰めながら答える。
気持ちのやり場を求めるように煙草を咥えてから、溜息混じりに口を開いた。
「俺のせいで手間かけさせたな。悪かった」
「しんどい」
弱々しい声でそう言いながら、春見は飲みかけのカクテルが入ったコップを乱暴に置いた。
目尻は赤く色づき、アルコールが回っていることを示唆している。そんな春見を向かいの席で眺める秋津は、自分の手元にある酒をぐびりと呷った。
『ハウンドドッグ』が本部を構える酒士町。
駅から少し離れた路地裏の一角に店を構えるのが、居酒屋飲兵衛だ。身も蓋もない屋号を掲げる店内は間取りが広く、一階で四十席、二階の喫煙席が半個室で三部屋となっている。
それは居酒屋特有の喧騒を味わいながら酒を呷りたい酒飲みと、それなりに落ち着いた中で酒を嗜みたい酒飲み、両方の層に適度に受けた。平日にも関わらず一階の席はほとんど埋まっており、二階は言わずもがな。春見と秋津の二人はそんな居酒屋の半個室で向かい合い、アルコールとつまみを摂取しているところだった。
話の続きをいったん保留にし、春見はメニューを手元に寄せて呼び出しアラームを押す。しばらくすると階段を上ってくる音が聞こえ、店員が顔を見せた。
「お呼びでしょうか?」
「スクリュードライバーと焼鳥盛り合わせのおかわりを。それと合鴨スモーク」
「あと麦焼酎の水割りに豆腐の味噌漬けも」
「かしこまりました」
注文を受けた店員は食べ終わった皿を片付けてから、席を離れる。階段を下りる音が聞こえなくなったところで、改めて春見は喋りだした。
「……C隊の再結成から、早いもんでもう一ヶ月。その間にまあイヴェルやナツキと掃討戦を何回かこなしてきたわけなんですが」
「そうだな」
「イヴェルが微妙に言うこと聞かねえ……」
「あらら」
座卓に突っ伏す春見を見て、軽く返しながら秋津はコップに口をつける。
春見も大げさなリアクションは求めていなかったので、気にせず話を続けた。
「指示に真っ向から逆らうとか、そういうんじゃないんだ。あいつ自身、実戦経験の少なさを自覚してるからな。……でもたまに、無茶するなって言ってるのに無茶するんだよな」
「具体的には?」
「動けなくなるまで“天羽々斬”まで使ったり、待機してろって言ったのに無茶して敵に突っ込んでいったり……」
春見の言い分をある程度聞いたところで、はて、と首を傾げる。
そして少し考えた後、胡乱げな表情になる。
「……それ、言うこと聞かないんじゃなくてその場の状況見て最善を尽くしてるだけだろ」
「……」
問いかけに対して春見は返事せず、突っ伏したままで押し黙った。
春見とて、イヴェルが隊のために尽力しているのはわかっているのだろう。だが、その結果無茶な行動をとるのは許容できないのだろう。子供のような反応をする春見を見て、気取られないように溜息をつく。
もっとも、その溜息には安堵の色も込められていたが。
春見が隊を再結成してから約一ヶ月。そのことは組織内に知れ渡りつつあり、それに伴って春見に厳しい目を向け始める者は一定数いた。それを気に病んでいるのではないかと心配していただけに、話題がその方向に転換しないと安心する。
(気づいてても、それはそれで甘んじそうではあるけど)
そんなことを思いながら、なかなか減らない先付けの塩昆布キャベツをつまむ。そして、話の接ぎ穂を用意すべく口を開いた。
「イヴェル少年はそんな感じとして、ナツキ少女の方は?」
「ナツキは言うこと聞くっていうか……聞きすぎて困る」
「いいことじゃん」
「いや、こう、なんつーか、昔いた場所でどういう扱いされてたのか見えるっつーか……」
「あの子虐待でもされてたの?」
「言い方!」
身も蓋もない言葉に、顔を上げて抗議する。
「で、実際どうなの」
「……」
促せば、心底嫌そうな顔をした後、再び突っ伏しながら呟く。
「……似たようなもんです」
「なるほどな」
そういうことなら、従順すぎると不安になるだろう。一度懐に入れてしまったものを大事にしたがる春見のような人間にはなおさらだ。
春見透也はお人好しだ。
本人は否定するが、それが出会った時から揺るがない秋津イチカの評である。
「すっかり情が移っちゃって、まあ」
「十四の男の子と十七の女の子だぞ……移らないわけないだろ……」
「十四。えっ、十四なの!?」
イヴェルの年齢を知った者がおしなべてとるリアクションをしたところで、おまたせしましたぁと店員が注文の品を運んできた。
そこでまた、突っ伏していた春見が顔を上げる。
先ほどよりも、目尻の赤みが広がっている。酔っているなあと思いながら、持っていたコップの中身を飲み干して店員に渡した。
「隊員に情を移しすぎると辛いぞー」
「しんどいって言ってるでしょ」
店員が去ってからそう言えば、力ない声で返ってくる。
オレンジ味のカクテルを一口飲んでから、春見は虚空に視線を泳がせた。座卓の上で、手がつけられないままの料理の味がどんどん劣化していく。
「あいつらに何も失ってほしくない。無茶してほしくないし、もっと年相応でいてほしい」
「……失わないだろ。戦争ゲームに負けない限り、私達は何も失わない」
「失ったでしょう」
戦争ゲームの当たり前(ルール)を口にして、しかしそれはピシャリと反論される。
コップを下ろす音が、やけに大きく響いた。
「お前も、あんたも。負けなかったのに、大事なものをなくした」
「……」
「……すんません。酔ってます」
「構わんよ」
気まずそうに顔を背けた春見に、へらりと笑ってみせる。
「秋津イチカはできた先輩なので、酔っ払った後輩の弱音に付き合うくらい朝飯前だ」
そう言って胸を張れば、ふは、と小さな笑い声が零れる。緩んだ顔にホッとしながら、手つかずだった料理に箸を伸ばした。
春見もそれに倣い、のろのろと焼鳥を手に取る。
だが、三本目になったところで手が止まり、再び目が虚空に向いた。
「……似てないのに、似てるんだ。あの二人。だから、余計にしんどい」
ゆき、ひゆ、と。
酒精と共に零れ落ちた音が、座卓の上に転がる。
「…っ」
自分では決して埋められないと知っている傷を不意に見せられ、秋津は静かに歯噛みした。
酔いが回って足取りがおぼつかなくなった春見をタクシーで送った後、秋津は帰路――ではなく、『ハウンドドッグ』の本部に足を向けていた。
特に理由はない。一年の半分は本部で寝泊まりしているため、完全に気分だった。
時刻はまもなく日付を跨ぐ。この時間帯になると省エネで照明の明かりが絞られるため、通路は若干薄暗い。
それでも勝手知ったる道。まっすぐ自分にあてがわれた第五技術室を目指す。
しかし、薄暗さは足取りをためらわせることこそなかったが、代わりに第五技術室の前にいる人影を知覚するのが遅れた。もう少し離れた場所で気づいていれば踵を返すこともできただろうが、生憎とそれは叶わなかった。
秋津が気づくのと、人影が秋津に顔を向けるのはほぼ同時。
内心苦々しく思いつつ、笑みを浮かべてみせた。
「こんな時間にどうしたんだい、イヴェル少年」
「……話がある」
人影――イヴェル・ミランダはそう言うと、扉の前から立ち上がる。
改めて前に立たれると、上背があるのがわかる。これで十四才なのかと思いながら見上げていたが、ためらうように震えた唇が紡いだ言葉で一気に我に返らされた。
「見殺しの臆病者って、どういうことなんだ」
「……」
「教えてくれ。……頼む、アキツ」
言葉と同時に、イヴェルは深く頭を下げる。
なんてタイミングだと心の中で毒づくも、居酒屋でのできごとを思い出すとこのまま帰すこともできなかった。
それに、そろそろ彼らは知るべきだろう。
春見透也の疵を。
「立ち話もあれだし、とりあえず中に入るかね。お茶くらいは出そう」
言いながら、ロックを外して扉を開ける。
助かるという言葉は、聞こえなかったふりをした。
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