第3話:初陣-2
夜の街を、軽トラックほどの大きさをした虎と鹿が駆けていた。
自然界ではありえない、肉食獣と草食獣の並走。それが成っているのはひとえに、その二頭が自然から生じたものではないためである。
自律兵器アルム。
あるいは、異界兵。
戦争ゲームのために造られた二頭の四足獣は、狩るべき獲物を求めて夜を疾走する。
その様子を、春見率いるC隊は少し離れた民家の屋根で見ていた。
「今回は虎型と鹿型か……。イヴェル、新型の情報はあるか?」
「角部分に毒を仕込んだサイの新型は聞いたことがあるが、虎と鹿にはないはずだ」
「オッケー。助かるぜイヴェル」
感謝と共に双眼鏡をイヴェルに渡し、イヤホンタイプの小型インカムをとんとんと叩く。
「もしもし、C隊隊長春見です。異界兵を二機発見しました、虎型と鹿型です」
『こちらI隊隊長徳島。俺達が補足したのも同じ型、同数だ。あとは北側に異界兵のマーカーが一つ、おそらくこいつが今回のボス格だ。あわせて五機ってところだな』
「ですかね。こっちはこれから戦闘に移行します、お気をつけて」
『ああ。そっちも気をつけてな』
最低限のやりとりを終えて、隊長同士の通信は終わる。
その間双眼鏡で異界兵の動向を見ていたイヴェルが、困ったように眉をひそめる。
「……駄目だな。分かれて行動する気配がない」
「ちっ。できれば二機同時に相手取りたくはないんだけどな」
「どうします、待ちますか?」
「いや、仕掛けに行く。掃討戦の制限時間は三時間。回収班のことも考えると、三時間なんてのはあっという間にすぎるからな」
戦闘フィールドの外で待機している異界兵の回収チームのことを考慮し、方針を決める。
イヴェルとナツキもそれに異論はなく、イヴェルは『模造兵装』に手をやり、ナツキはコツコツとブーツのつま先を鳴らした。
「打ち合わせ通り、先陣はナツキだ」
「了解です」
「念を押すが、俺達が追いつくまで絶対無茶はしないこと。もし俺達がつく前に不測の事態が起きて危ないと判断したらすぐこっちに逃げろ。いいな?」
「はい」
「イヴェルは俺と行動。ナツキをサポートしつつ削ってくぞ」
「わかった」
「鹿型は弱点の首が一番硬い角と直結してるのが難点なんだが、お前の『人造神器』なら問題なく斬れるはずだ。無理しない範囲で狙ってけ」
「ああ」
指示を出しながら、懐から球体をいくつか取り出す。
それは春見透也の『人造神器』“グレイプニル”。
伸縮自在のロープ、堅牢な拘束具としての機能を持つ、稀有な支援型の『人造神器』だ。
自らの武器を握りしめ、地上にいる敵を見据える。
「あとは臨機応変に。……それじゃあ、行くぞ!」
「おう」
「はい!」
呼号と共に屋根から飛び降り、イヴェルがそれに続く。
ナツキは続かず、屋根に残ったまま数歩後ろに下がった。
「『人造神器』“ヴィーザルの靴”起動」
厳かに、その言葉を口にする。
瞬間、淡い輝きが黒いブーツを包んだかと思えば、それは銀色の金属製に変じた。
変化を確認すると同時に屋根の上で助走をつけ、そのまま跳躍する。華奢な体は、何軒もの家を飛び越えて夜の空を跳んだ。
『ハウンドドッグ』の隊服は、着用者の身体能力を向上させる機能を持っている。先ほど春見達が難なく屋根から飛び降りたのは、その恩恵によるものだ。
しかし、その恩恵を持ってしても、ナツキのように跳ぶことはできない。
『人造神器』“ヴィーザルの靴”。
注ぎ込んだオドの量に合わせて効果を発揮するタイプと異なり、ひとたび起動すればオドを消費し続ける常時型。豊富なオドを有していないと扱うことすらできないそれは、燃費の悪さを埋め合わせる高い機動力を装備する者に与える。
また、“ヴィーザルの靴”の機能はそれだけではない。
高い跳躍によって地上を走る春見達を追い抜き、ナツキは一気に異界兵との距離を詰める。道路を駆ける二頭の四足獣と並走する形になったところで建物を蹴りつけ、前方に向かってさらに大きく跳躍した。
重力に従って落下する先は、異界兵の頭上。数メートルまで迫ったところで体を捻り、回し蹴りの体勢をとる。そのまま虎型の脳天に足を叩き込んだ。
《Gyaooooo!!》
獣の咆哮が、夜闇を切り裂いて轟く。
虎型の額が割れて血に似せた体液が噴き出すのに対し、ブーツの方は傷一つない。着地した時も壊れることなく、衝撃がナツキの足を砕くこともなかった。
この堅固さと、それに似合わぬ衝撃の吸収性こそが“ヴィーザルの靴”のもう一つの側面。
機動力のブースターであると同時に、脚部用の武具でもあるのだ。
《Guooo……》
《Gaaaaa!!》
どうっという音と共に虎型が崩れ落ち、痙攣する。
それをかき消す咆哮を上げた鹿型が、現れた獲物を狩らんとナツキに飛びかかった。
「っ、と…!」
横に大きく跳び、振り下ろされる角をかわす。鹿の突撃を受けたコンクリートの地面は抉れ、破片が周囲に飛び散った。
鋭利な破片が体をかすめるが頓着せず、着地と同時に足裏に力を込めた。
「“アガートラムの腕”起動」
地面を蹴りつけ、言の葉を紡ぐ。応じるように長手袋が淡く光る。
変じるは、ブーツと同じく銀色の鋼。ガントレットを思わせるそれはどちらにも剣がついており、獰猛な獣の牙が如く鋭さで異界兵の胴体を斬りつけた。
《Gaa……!》
斬撃の痛みに吠え声を上げながら、鹿型は首を振ってナツキを追い払おうとする。
しかし、巨躯ゆえに大振りとなる攻撃では俊敏なナツキを捉えられない。“ヴィーザルの靴”の機動力も相まって、ナツキは蝶の如く蜂の如く鹿型にダメージを与えていく。
(うん、秋津さんの言う通りだ。こっちの方が、ずっとずっと戦いやすい…!)
鹿型の攻撃をかいくぐりながらの乱撃の最中、フードの下に隠れた顔が笑みを浮かべる。
『人造神器』“アガートラムの腕”。
身軽さに着目した秋津が、ナツキが得手としていた大型武器の代わりに進めた超接近戦用の攻撃型。大型武器が有するリーチと汎用的な破壊力を放棄し、機動力を最大限活かすことに主眼を置いた『人造神器』である。
大型武器を問題なく扱える膂力があっても、大きな武器というものはどうしても攻撃が大振りになりやすい。ナツキの体格が小柄な分それは顕著で、隙と言ってもいいものだ。
ナツキという兵士を活かしきれない枷であり、あえてつけられていた制限でもある。
さらに強くなれる駒を、強いだけの駒に留めておくための措置。
実戦経験がないイヴェルでは気づけなかった盲点。
だが今、その枷は新たな武器によって解き放たれている。訓練で試運転はしているが、それでも己の性能を十全に活かせる実戦はナツキを昂揚させていた。
《Gu、o、oo……》
ナツキと鹿型が交戦する中、虎型がゆっくりと体を起こす。
弱点の頭部に強い衝撃を受けたため、動きは緩慢だ。四肢がふらつくほどの威力は、野生動物なら戦意喪失していてもおかしくない。
《Gaaaaa!!》
けれど、ここにいるのは四足獣の形をした兵器。全身に刷り込まれている戦場の敵を殲滅せよという存在意義(めいれい)に従い、動き回る小さな獲物を爪で引き裂かんと飛びかかろうとする。
「――――“グレイプニル”、起動!」
そんな虎型の四肢を、背後から細い糸が絡め取った。
《Guo…!?》
「イヴェル、右!」
「ああ」
突然の拘束に虎型の体が強張った直後、振り上げていた右前脚から赤い液体が噴き出す。遅れて、地面についていた左前脚が切断された。
死角からの攻撃に対応できず、虎型は痛苦の咆哮を上げる。
一方、背後から虎型を斬りつけたイヴェルは自身の成果を見て顔を顰めた。
「悪い、落とし損ねた」
「気にすんな!初めてならよくある!」
言いながら、春見は短剣を持っていない方の手を動かす。“グレイプニル”による拘束がさらに強まり、虎型は苦悶の吠え声を上げた。
《Gaaaaa!》
「うおっ!」
「っ!」
苛立たしげに唸ると同時に、長い尾が鞭のようにしなる。
鞭と言っても太さは棍棒に近い。尾が当たった地面がひび割れるのを見て、紙一重でかわした春見とイヴェルは顔を引き攣らせた。
「す、すみません!行動不能にできるダメージを与えられてなくて…っ」
尾に翻弄される二人を見て、鹿型の攻撃をさばきながらナツキが謝罪の言葉を上げた。
ひどく焦った声に、春見は思わず眉をひそめる。
確かにナツキの落ち度と言えなくもないが、それは意地の悪い見方をした場合だ。しばらく行動不能にできただけでも上出来と思っていただけに、赦しを乞う罪人を思わせる悲壮さには違和感を覚えてしまう。
「ナツキ!今は戦いに集中しろ!」
「……ぁ、う、うん!」
困惑で反応が遅れた春見に代わり、イヴェルが声を荒げる。
叱咤を受けたナツキは弾かれたように返事をしながら、鹿型の角を剣で逸らした。
「……さーてと」
調子を取り戻した姿に春見は安堵し、すぐに思考を切り替えて二機の異界兵を見据える。
(尻尾の動きが前にやり合った時に比べて早いな。新型ってほどじゃないが、微調整されたのが出てきた感じか)
縦横無尽にしなる尾は、動きが予測しづらい。
時間をかければ拘束できないこともないだろう。だが、四足獣型には必ずいるボス格が控えていることを考えると悠長に時間を使ってはいられない。
(鹿型の相手をイヴェルにさせて、俺とナツキで虎型をやるか……?)
最適解はそれだろう。
ナツキは鹿型を翻弄こそできるが、彼女の武器では決定打を与えられない。ならば破壊力が高い長刀型の『模造兵装』を使うイヴェルに相手をさせ、弱っている虎型を二人がかりで迅速に倒す方が得策だ。
実戦でのイヴェルの動きは想像以上に良い。
援護なしに単独で異界兵を倒すのは厳しくとも、少しの間任せることはできるだろう。
「……」
そこまで思考し、けれどその案を棄却するように春見は首を振った。
「イヴェル、まとめて斬れ!誘導は俺がする。ナツキは援護を頼むぞ!」
「はいっ」
「……了解だ」
指示と同時に、懐から取り出した“グレイプニル”を鹿型の方に投げる。
球体から射出された紐はナツキを狙って空振りした鹿型の角に絡みつき、反対側から出た紐が地面に突き刺さる。顔を上げようとすれば紐がそれを阻害し、鹿型の体が転倒しかけた。
そこへすかざす短剣を振るい、手の届く位置まで来た片目を斬りつける。
「おらっ!」
《Gu、Gaaaaa!》
赤い液体が飛び散り、咆哮が上がった。残った目で春見の姿を捉えた鹿型は、夜の中でも目立つ脱色した髪を目印に、殺意の矛先をナツキから春見へと向ける。
首を縦ではなく横に振り、薙ぎ払うように角を動かす。
それをバックステップでかわしながら、虎型の方に距離を詰めていく。
《Gaaa!》
「危ない!」
尾の射程に入った春見を、すかさず虎型が狙う。
だがそれは、素早く割って入った“ヴィーザルの靴”が弾いた。返す刀で割れている虎型の額を踏みつけ、小柄な体を空中へと跳ばす。
《Ga、Aa、aaa……》
同じ場所への攻撃は堪えられなかったのか、尾の動きが弱まる。その隙を突き、春見は地面を蹴って虎型の胴を跳び越えた。
怒りのままに春見を追いかけようとした鹿型はしかし、目の前の障害物を見てその動きを一瞬止める。そんな鹿型の角を、上から落ちてくるナツキが勢いよく蹴りつけた。
外力を受けた鹿型は前のめりになり、そのまま虎型の上に倒れ込む。
その瞬間を、見逃さなかった者がいた。
「……」
数十秒前。少し離れた場所で、長刀を収めたイヴェルが構えをとっていた。
右手は抜いていなかった刀の柄に添えられ、半身を向けて立つ。それは、居合術あるいは抜刀術と呼ばれる、日本古来より伝わる古武道が一つ。
そして、四足獣達の体が折り重なった瞬間、静かに言の葉を口にしながら鯉口を切った。
「“天羽々斬”、出力肆」
――――斬(ざん)!!
瞬間、斬撃が放たれ、虎型と鹿型の首が同時に斬られた。
虎型は元より、硬く、切断に苦戦する鹿型さえ、呆気なく両断される。二機の獣は断末魔を上げることすら許されず、そのまま機能を停止した。
成し遂げたのは、鞘の長さに合わない短い刀身をした刀。
蒸気を上げているそれを疲労した眼で一瞥した後、イヴェルはゆっくりと納刀した。
『人造神器』“天羽々斬”。
威力以外のあらゆる要素を削ぎ落とし、オドを火力だけに注ぎ込む異品(いっぴん)。出力に応じて威力と消費するオドが上がっていき、命中すれば絶大な威力を叩き出すが外せば一気に消耗する、まさにハイリスクハイリターンの浪漫武器。
イヴェルのようにオドが少ない者は、少ないオドでも安定して使える燃費の良いものを求める傾向にある。しかし、イヴェルの考えはそれとは真逆だった。
『燃費が良くても、決定打に欠ける武器じゃ俺は二人の役に立てない』
そんなイヴェルの考えを汲み、用意された『人造神器』が“天羽々斬”。
ピーキー極まりない武器を、イヴェルは見事に使いこなしている。ひとえに、元A隊隊員が評価するほどの器用さがあってのことだった。
「仮想現実で散々試し斬りは見てきたけど、実物の威力はえげつないな……」
豆腐のようにすっぱり斬れた異界兵の首を見て、春見は感嘆と恐れが混じった呟きを零す。
『ハウンドドッグ』の所属歴は長く、その間に多くの『人造神器』を見てきたが、威力だけならその中でもトップクラスかもしれない。半分にも満たない出力でこの威力であることを考えると、薄ら寒いものを感じざるを得なかった。
だが、そんな思考も。
「……来る」
――――Ooooooooooo…!!
北を向いたイヴェルの呟きと、そちらから聞こえてくる咆哮で中断せざるを得なかった。
「…っと!ボスが動き出したか!」
レーダーを取り出し、座標を確認する。北側にあった大きなマーカーが、どんどん春見達がいる方向へと近づいているのが確認できた。
「よし、こっちの方に来てるな。いったん隠れるぞ、迎え撃つ」
「まとまります?散らばります?」
「散開しとくぞ。四足獣型は多角攻撃に弱いからな」
そう指示を出すと、異界兵達を拘束していた“グレイプニル”を回収してから物陰に身を潜める。イヴェルとナツキも、続くようにそれぞれ身を隠した。
二人の姿が見えなくなったところで、小型インカムをとんと一回だけ叩く。隊内通話がオンになった通信機に喋りかけた。
「イヴェル、出力はあとどれくらい出せる?」
『……後のことを考えれば出力参、後先考えなければ肆か伍だ』
考えるような沈黙の後、イヤホンから返事が返る。
「わかった、“天羽々斬”は使わないようにしろ。使うにしても出力参までだ」
『了解』
そのやりとりの間にも、新たな敵は着々と近づいてくる。
重たげな足音が知覚できるようになり、ほどなくして『それ』は姿を見せた。
《GuRurururuu……》
先ほどまで交戦していた異界兵よりさらに一回り大きい、二又の尾を持つ虎型の異界兵。
歩くたびに地面を揺らす巨体は、唸り声を上げながら虎型と鹿型の骸を見下ろした。
苛立たしげに尾を地面に叩きつける様は大きさもあいまって、固唾を呑む威圧感があった。それに気圧されないようにしながら、春見は頭の中で行動指針を練り始める。
「……ん?」
ふと、違和感が意識に引っかかった。
『どうした?』
「……」
呼びかけには応じず、ジッとボスを観察する。
ほどなくして、大きな溜息を吐きながら遅い返事をした。
「あれは虎型じゃない、合成獣(キメラ)型だ。よく見てみろ、尻尾が蛇だ」
『えっ!?』
『……言われてみると、舌みたいなものが見えるな』
春見の言葉に、二人から驚きの反応が返ってくる。
『四足獣のアルムが擬態行動か。初めて見たぞ』
その呟きには、胸中で同意の言葉を返した。
基礎能力が高い分、四足獣型は搦め手を使ってこない。その例外が他の動物をかけあわせた合成獣だったが、そこに擬態まで合わせてくるのは春見とて初めてだった。
イヴェル達と出会った時に遭遇した、増殖行動をとり弱点が従来とは異なる蟷螂型ほどの目新しさはない。だが、気づかず対峙すれば致命的な状況を招くことは想像に難くなかった。仕掛ける前に気づけたことに、安堵の呼吸が胸中を満たす。
『それにしても春見さん、よく気づきましたね』
『全くだ。指摘されなきゃわからないぞあんなの』
驚きに次いで、感嘆混じりの声が通信回線から聞こえてくる。
二人の言葉通り、そうと意識して観察しなければ見分けがつかないほど擬態は精巧だ。どんな観察眼をもってすればあれに気づけるのかと、声音には訝しむような響きさえある。
そんな二人の反応に、しかし春見はなんてことはないように応える。
「言ってなかったか?俺は目が良いんだ」
言いながら、回収した“グレイプニル”を再び手のひらに握り込んだ。
そして、改めてボスを見据える。
「あれじゃ不意打ちは通用しないが、目が多いならそれはそれでやりようもある。俺がまず頭を引きつけるから、二人は尻尾を頼む。できるだけ長く引きつけてくれ」
複数の視覚を有している以上、相応の演算能力は搭載しているだろう。それでも、同時攻撃で攻めればいずれ処理は追いつかなくなる。
目の前の異界兵は、おそらく死角狙いで油断している敵を迎撃するのがコンセプトだ。尾の蛇自体の戦闘力はそこまで高くないと考えてもいいだろう。
「ボス格の集中力が落ちてきたら、俺が急所の脳天を刺す」
『はいっ』
『カスミの負担が大きくないのか、それは』
素直な返事と、やや遠慮がちな反駁が返ってきた。
通信回線の向こうで、ナツキがイヴェルを窘める声が聞こえてくる。それでも意見を差し戻す気はないらしく、どうなんだと問いかけが繰り返された。押しそのものが強くないのは、イヴェルの経験値だと妥当性の有無を判断できないからだろう。
「……俺は大丈夫だ」
しばらく黙った後、そう言い放って通信を切った。
他に言いようはあっただろうと、己の浅慮を咎める自分がいる。だが、適当にごまかしても納得を得られるとは思わず、そうなった時にイヴェルが言うことをあまり聞きたくなかった。
苛立つというほど過激なものではない。
ただ、戦場に赴く前に言われたあの一言以来、イヴェルの言葉で胸がざわつく。それは、隊室でナツキにある人物の顔を重ねてしまったことまで思い出させた。
(……別にどっちも似ちゃいないのに、なんだってダブるんだ)
ざわつきを落ち着かせるように、煙草を咥えて火をつけてから物陰を離れる。
――――はるみ、あんま自分に負担かけんなよ。
「……」
ゆき、と。
無意識のうちにそう呟いたことには気づかず、ボスの前に躍り出た。
《Gaaaaa!!》
「っと…!」
煙草の臭いを敏感に感じ取っていたのか、体を見せると同時に巨躯が飛びかかってくる。しかし、春見もそれは想定の上だ。難なくそれをかわし、短剣を構える。
刃を向けられたボスはよりいきり立ち、前脚を振り上げて目の前の獲物を引き裂かんとする。
春見はそれを時にかわし、時に短剣で払いのけと、うまく立ち回る。爪がかすめるのは、その部位が重傷を負うのと同義。一瞬たりとも気が抜けない攻防に神経を費やしながら、ボスの注意を自分に引きつけた。
「行くぞナツキ」
『うんっ』
ボスの注意が十分春見に向いた頃合いを見計らい、物陰から飛び出したイヴェルとナツキが背後からボスに攻撃を仕掛けに行った。
片や左手に鞘を持ち、右手に持った長刀で左後ろ脚の切断を目論む。
片や跳躍と同時にガントレットを振るい、右の尾を狙う。
それを察知した擬態の蛇は鎌首をもたげると、獲物の盲点を突かんと牙を剥いた。
《Syaaa!》
威嚇と共に襲いかかる顎は、本来なら致命打であっただろう。
しかし、来るとわかっている不意打ちをいなすのは容易い。イヴェルは素早く鞘と長刀を持ち替え、蛇の牙を鞘で受けてから長刀の峰で胴体を殴打。ナツキは振り抜こうとしていた右手をそのまま開いた顎に叩き込んだ。
《Guo…!?》
予想していなかった反撃に蛇の頭が混乱し、それは虎の頭にも伝播する。全体の動きが鈍った隙を逃さず、三人は攻勢の手を休めることなく攻め立てた。
攻撃、追撃、迎撃、反撃。
間断ない攻勢に、徐々にボスの反応速度が落ちていく。その分返ってくる攻撃は苛烈さを増しているが、冷静に対処すれば恐るるに足らない。
《Gaaa!!》
状況に焦れてきたのだろう。ボスは大きく吠えた後、尾を鞭のように振るって後ろにいるイヴェルとナツキを薙ぎ払いにきた。
風切り音が響き、完全に避けきれなかったイヴェルの鞘が宙に舞う。
それを見て春見は一瞬肝を冷やしたものの、ボスの意識が自分から逸れたその瞬間は見逃さない。懐から素早く取り出した球体を、ボスめがけて投擲した。
「“グレイプニル”起動!」
声に合わせ、球体から出た紐が前脚に絡みつく。精密な指示を込めるだけの余裕はなかったので楔を打っていない簡易の拘束だが、一時的に動きを封じられれば問題ない。
地面を蹴って頭上をとると、無防備な虎の額めがけて短剣を振り下ろした。
(殺った……!)
その確信はしかし、短剣の刃が額に弾かれたことで打ち消される。
「!?」
高硬度のものがぶつかり合う音と共に、跳ね返ってきた勢いが春見の体勢を崩す。
身動きができない空中での事態に焦燥が込み上げるものの、それ以上に短剣が弾かれた驚愕が勝った。虎型の硬さならば、春見の短剣で十分のはずだからだ。
(なん、で――!)
動揺する春見の目と、ボスの目がかち合う。
ネコ科とは異なる横長の瞳孔を見た時、春見は自らのミスを悟った。
(こいつ、内部構造は鹿型なのかよ…っ!)
だが、そうと気づいた時にはもう遅い。
《Ugaaaaa!!》
空中で体勢を崩した春見の体に、ボスの頭突きがめり込んだ。
みしりと体の内側から嫌な音が聞こえたのも束の間、体が近くの建物に叩きつけられる。コンクリートの壁に亀裂が入り、嫌な音が背中の方からも聞こえた。
「、ごふっ」
咳き込むと同時に、血の塊が口から零れる。
イヴェル達が叫ぶのはわかったが、それを知覚するだけの意識は割けなかった。気を失う寸前でどうにか踏みとどまり、敵影を見失わないようにするのがやっとである。
無論、それが事態の好転に繋がるわけではない。ボスが拘束を振り払い、自分に向かって駆け出してくる様を捉えても、起死回生のアイデアなど都合よく浮かびはしなかった。
(やべ、久々に死ぬな)
戦闘フィールド内での損傷は死亡を含めてリセットされるが、痛みが消えるわけではない。踏みとどまる余地もなく意識が寸断される感覚を思い出しながら、覚悟を決める。
(……ひょっとして、これで――――)
虎の顎が目前まで迫った時、脳裏をかすめる思考。
それに自嘲を浮かべかけた直前。
「春見さんっ!!」
焦ったソプラノアルトが聞こえ、同時に側面から衝撃がきた。
それに目を瞬かせているうちに目の前からボスの姿が消え、景色が変わる。フードから見え隠れする白髪を認識した時、ナツキに抱えられていることを理解した。
「――――“天羽々斬”、出力伍」
そして聞こえる、静かで、それでいてはっきりと耳に届く声。
それが誰のものか理解する前に、斬撃が空を裂く音が響いた。
両断されるは虎の体躯。
左右真っ二つに断たれた体が崩れ落ちた地面もまた、大きな亀裂が走っていた。
刀身自体が短いのを利用し、鞘を逆手に持って縦向きに抜刀するという荒業を持ってその光景を造り出したイヴェルは、無事な春見達を見届けてから前のめりに倒れた。
「イヴェルっ」
「動けない……」
春見を横抱きにしたまま、ナツキは慌ててイヴェルに駆け寄る。
力の入っていない声を上げたイヴェルは、斬撃の余波で後ろに倒れ込んだ体勢のまま、口以外は指一本動かせていなかった。オドを消費しすぎた者に見られる状態である。
「……出力参までって、げほっ、言ったぞ」
イヴェルを見下ろしながら、そんな言葉が口をついた。
それに対し、目線だけを向けたイヴェルはまっすぐと春見を見つめ返す。
「カスミの攻撃が弾かれた時点で、ボスの外殻が硬いのはわかったから……。出力参だと弾かれる可能性があると、思った……」
「……」
「指示は、破ったが。間違ったことは、してない……と思う」
「……お前は戦闘続行無理だし、ここでナツキと一緒に休んでろ」
返事はせず、目線と言葉から逃げるように顔を逸らしてからそう告げる。イヴェルは不服そうな色を浮かべたものの、反論は口に出さずこくりと頷いた。
それを目の端で捉えて居た堪れない心地になりつつ、下ろすようナツキに指示を出した。
「春見さんはどうされるんです?」
「徳島さんとこ。“グレイプニル”投げるくらいはできるし、ヘルプ行ってくる」
そう言うと、案じるように見つめてくる四つの眼を無視して歩き出す。
「……二人とも、手間かけさせたな。悪かった」
数歩進んだところで足を止め、振り返らずにそれだけ言う。
そして、反応が返ってくるより早く、痛む体に鞭打って駆け出した。
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