初恋の音
空音
初恋の音
あの日僕はキミの音につられてここまで来た。
曲名は分からない。けど聞き覚えのある旋律に誘われた。後で知ったがベートーヴェン作曲の「月光」という曲らしい。
綺麗で力強いのに、どこか寂しい曲だった。
「ねぇ、綾辻くん。ピアノ、少しは興味持った?」
彼女、白石琴乃は顔だけを僕に向けてそう聞いてきた。
僕は音楽に興味が全くと言っていいほどない。
それを知った彼女は毎日のようにここでピアノを弾き、終わる度に僕にそう聞いた。
「さぁね。まだわからない。ただ、白石の弾くピアノは毎日聴いても飽きないや。」
僕の言葉に「もう!」と怒りながらもどこか嬉しそうな彼女の頬はうっすらと赤くなっていた。
偶然ここで出会ったあの日以来、僕は毎日ここへ来て彼女のピアノを聴いている。
華奢な体付きなのに彼女の音は力強く、僕の心に染み込んでいく。
僕は白石の事が好きだ。けどこの恋は叶わない。
僕と彼女では身分が違うから。
彼女の家は名高い名家で、今では珍しく彼女には許嫁がいた。
「ねぇ、綾辻くん。もう少しで卒業だね…」
あと一週間で卒業だ。
自由登校になってからも続くこの音楽室での関係はあと一週間しかない。
「そうだね。白石のピアノも聞けなくなるのか……」
「寂しい?」
ニヤニヤとそう聞いてくる彼女にいつもは無視を決め込むが何故か今日はそんな気分ではなかった。
「そう、かもね。うん。寂しいよ」
白石を真っ直ぐ見て伝える。
彼女は目を見開いて、小さく「えっ」と声を漏らした。
きっといつも通り無視するのだと思っていたのだろう。
あと一週間、きっと彼女と話せるのも一週間しかない。
なら、今気持ちを伝えてしまえばいいのかもしれない。何故かそう思えた。
「僕は白石の事が好きだ。だから、白石のピアノが聴けなくなるのも、白石に会えなくなるのも、すごく寂しいよ。」
白石は僕を見て今にも泣きだしそうな顔をした。
そして、「ごめん」それだけ言って、走って音楽室を出て行った。
ピアノには涙の雫が数滴残されていた。
それから卒業式までの一週間、白石は音楽室に来なかった。
でも、僕はめげずに毎日音楽室に来ては、何時間も白石が来るのも待ち続けた。
そしてとうとう、彼女は1度も音楽室に来なかった。
卒業式当日。式も終わって、賑やかな教室。
僕は1人窓の外を見上げて白石の事を想った。
「旅立ちの日に」の伴奏をした彼女。
その音色は、寂しいね、けど、ここから私達はそれぞれの道を歩んで行くの。
そう言っているように聴こえた。
「綾辻くん!」
教室の外からそう呼ぶ声が聞こえた。この声は……
「白石……」
僕は白石の元へ行く。白石は何も言わず、歩き出した。
きっと着いてこいって事だろう。
数分歩いて着いたのは、いつもの音楽室だった。
彼女はまだ何も話さない。
その代わりに、いつも通りピアノを弾きだした。
数分、彼女の弾くピアノを黙って聴いた。
いつも聴いてるはずなのに、それはいつもと違うように聴こえた。
「ねぇ、綾辻くん…この曲はね、ベートーヴェンが弟子である少女に贈った曲なの。私と彼女は愛し合っている。けれど、残念なことに身分が違うのです。こう書簡に書いてあったらしいわ。」
それは……まるで……
「私たちみたいだと思わない?」
僕が言う前に彼女はそう言った。
その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「私も綾辻くんが好きよ。けど、私には許嫁がいる。とても残念で悲しいこと…」
静かに涙を流す白石を僕は思わず抱き締めた。
そして、涙が枯れるまで泣いた。
でも、終わりは必然とやってくる。
「綾辻くん、もう行かなきゃ……」
涙で目が赤くなった白石
僕は白石の言葉に頷いた。
「そうだね。行こうか。」
校門まで僕たちは手を繋いで歩いた。
そして……
名残惜しくも繋いだ手を離し、
「さようなら」
互いに別れを告げた。
初恋は叶わない。
そうは言うけど、こんなにも辛いとは思わなかったな。
「さようなら……僕の初恋」
そう小さく呟いた声は夕焼けに吸い込まれて消えた。
fin
初恋の音 空音 @Sorane1117
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