第4話
―――ここで待ってて
それは、初めて雪を見た日のことだった。白い粒が静かにアスファルトを覆った日暮れ。大きな時計の下で母さんはそう言って僕の頭を撫でた。それが典型的な別れの合図だということを知っていたわけではない。彼女がここへ戻ってこないと分かったのは、ヘタクソな笑顔に少しだけ混ざった清々しさと申し訳なさに気付いたから。殴ることも蹴ることもせず、事務的ながらもきちんと僕を育ててくれた母さんはきっと僕のことを嫌いではなかっただろう。
大好きな大好きな母さんに嫌われることだけは絶対に嫌だったから、背を向けた彼女に縋りつくことはしなかった。
「迷子か?」
母さんの背中を見送って、時計の鐘が何回かなった時。不意に少年が僕の前で足を止めた。学校名が入った緑色のジャージを着た少年は左肩に重そうなエナメルバックをかけていた。右手に持った傘を僕の頭上に持ってきて不思議そうに首を傾ける。
「こんなところにいると風邪ひくぜ?」
「かあさんが、ここでまっててって」
少年が僕の頭と肩にのった雪をはらい落とす。彼は少し考えるそぶりを見せて、持っていた傘を僕の手に握らせた。
「じゃあこれやるよ」
「え……?」
「ここでじっとしてちゃ寒いだろ。俺はトレーニングがてら走って帰るから気にしなくていーよ」
青い傘の柄にはマジックで名前が書かれていたが、文字は酷くかすれていて読みにくい。きっと何年も使ってきた傘なのだろう。こんなものを見ず知らずの他人に挙げてしまっていいのだろうか。そう思って首を傾けると、彼はトレーニングについて問われたと勘違いしたらしい。
「野球やってんだよ」
と言って笑った。
「風邪ひくなよ」
少年はそう言い残して雪の中を走り去った。日の落ちた冬の風は容赦なく体温を奪う。だけど傘を持つては妙に温かくて、僕はぎゅっと柄を握りしめた。
ごーん、ごーんと鐘が鳴る。その音に誘われるように、僕はすとんと眠りに落ちた。
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