旅立ちの日に

 トムがアメリカに出発する日。

 空港に見送りに来たのはレイナたちだけで、ゴミ捨て場の住人は来なかった。


 朝、裕とレイナがトムを迎えに行ったとき、マサじいさんはあきらかに落胆していたが、「向こうで頑張って来い」と何度もトムに言った。


「うん。日本に帰って来るまで、マサじいさんも元気でね。すぐに戻って来るからさ」


 トムが無邪気に言うと、マサじいさんは首を大きく振り、「いや、ここにはもう戻って来ないほうがいい。いや、戻って来てはいけないんだ」と言い聞かせた。


「なんで?」

「なんででも。ここから出た人間は、ここに戻って来てはいけないんだ。もう住む世界が違うから」

「えー、だって、オレたちは家族じゃないか」

「そうだ、家族だ。家族だから言うんだ。もう、ここには絶対、戻って来るな」


「なんだよお。ジン、マサじいさんがひどいこと言うよ?」

 ジンは何も答えなかった。無造作に、「ホラ、これ、持ってけ」とトムに荷物を渡す。


「なんだよお。二人とも、オレがいなくなっても平気なのか?」

 トムが泣きそうな顔になる。


「違う、そうじゃないよ。二人とも、トムには幸せになってもらいたいんだよ」

 レイナがあわててフォローする。


「だって、帰って来るなって……」

「外の世界で暮らしたら、ここには戻って来ないほうがいいってことが、分かるさ」

 マサじいさんはポツリと言う。トムは解せない顔をしている。


 ふいに、ジンが「これ、持ってけ」といつも使っているサバイバルナイフを渡した。

「えっ、いいの!?」

「ああ、いつも使いたがってろ? これぐらいしか、あげられるものがないからな」

 ジンはしゃがみこんで、トムの目を見つめた。


「いいか。これで人を傷つけたりすんなよ、絶対に。でも、自分が大切な人を守るときには使ってもいい。そのときだけ、人に向けてもいい。分かったな?」


 トムは分かったような分からないような顔をしていたが、うなずいた。


 レイナはアミを迎えに、小屋に向かった。

 昨日ゴミ捨て場にアミを連れ帰り、アミを引き取って育てたいと、裕がヒロに申し出た。


 ヒロはあきらかにホッとした表情をした。

 相変わらず酒臭い息で、小屋の中をのぞくとルミが布団に横たわっていたので、レイナはアミには見せないようにした。


 ――あんなひどいお父さんでも、さすがに最後の日は二人で過ごしたんだろうな。


 ドアをノックする。だが、ドアが開く気配はない。

 再度、強く叩くと、ややあってゆっくりドアが開いた。シュミーズ姿のルミが目をこすりながら「あら、早いわね」と顔を出す。

 レイナは絶句した。


「――アミは?」

「ああ、アミは、私の小屋にいるわよ」

「えっ……どういうこと? アミは、今日、街に行くんだよ?」

「さあね、知らない。私は呼ばれたから来ただけ」

 ルミは大きくアクビをする。


「ヒロさんは?」

「んー、まだ眠ってるわよ。昨夜、かなり頑張ったからねえ」

 ルミは意味深な笑みを浮かべる。


「ヒロさんを起こしてよっ」

 強く言うと、ルミは面倒くさそうにヒロを揺り起した。


「ヒロさん、アミ、これから街に行くんだよ? しばらく帰って来ないのに、一緒にいなくていいの?」


 レイナが批難すると、ヒロは布団から出ずにトロンとした目で、「まあ、あの子を、よろしく頼む」と言った。


 レイナは怒りが爆発しそうになるのを、何とか堪えた。


「いいよ、もう。アミは私が守るから。ヒロさんのところには、二度と連れてこないからっ」


 それだけ言って踵を返すと、「へえ、偉そうなこと言うじゃない。ゴミ捨て場から抜け出して、いい暮らしして、ずいぶんいい気になってるじゃない?」と、ルミが煙草を吸いながら言った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る