第20話「大きな背中」






   20話「大きな背中」





 最上階のスイートルームのお風呂から見る景色もとても綺麗で、色とりどりの星のようだった。走る光は流れ星で、点滅するのはなんという星にしようか。などと、千春はひとりで考えてしまう。


 それは、明日秋文がまた話し合いをして、どんな結論を出すのか。それを考えたくないからかもしれない。


 千春が背中を押すのは簡単だった。

 けれど、頑張るのは彼なのだ。



 「私はいつも口だけなのかなぁー………。」



 そう呟いて、ため息を洩らす。


 スペイン行きの事もそうだった。千春はただ秋文を説得しようとして、そして勝手に飛び出してしまい、そしてその後は彼に任せたのだ。


 千春は何の力にもなれていないんじゃないか。そう思えてしまうのだった。

 


 「千春ー?大丈夫か?」

 「あ、ごめんなさい!今あがるね。」



 長風呂をしすぎてしまったのか、秋文が心配そうに声を掛けてくれた。

 千春は急いで浴槽から出た。


 


 すばやく準備をして秋文の元に戻る。

 すると、秋文は何故か少し照れた表情でこちらを見つめていた。



 「ごめんね。すごく綺麗な夜景だったから長くはいってしまって。」

 「いや………いい。」

 「ん?どうしたの?」

 「…………おまえのバスローブ姿なんてあんまり見ないだろ?色っぽいな。」

 「そっ………そうかな……?」

 

 千春は自分の姿を見て、確かになかなか着ないなも思った。

 恋人同士だった頃から、ホテルにはあまり行かなかった。泊まるとしてもどちらかの部屋だったので、旅行の時ぐらいだった。旅行自体もあまり行けないので、こんな姿は本当に数えるぐらいだろう。



 秋文が近寄ってくるのがわかり、千春はドキドキしてしまったけれど、先程の約束を思い出す。



 「今日はダメ!………秋文、夕御飯食べてないでしょ?食べよう?」

 「……ご飯よりおまえがいい。」

 「っ!!……今日はダメ。」

 「はぁー………おあずけかよ。」



 秋文は諦めたように笑うと、先程座っていたソファに戻った。

 千春も少し残念な気持ちではあった。

 彼に抱きしめられて甘い言葉で囁かれ、沢山キスをするのだ。それを考えるだけでも体が疼いてしまう。


 けれど、自分が言った約束だ。

 今更、「やっぱりしたい。」なんて恥ずかしくて言えるわけがなかった。



 「明日、ね。」

 「………そうだな。明日、覚悟してけよ。」



 ニヤリと笑う彼の表情に、ドキッとしながらも千春は気づかないふりをして、バックならタッパーを取り出した。



 「冷蔵庫の物、悪くなっちゃうかな~って思っていろいろ作ってきたんだけど、秋文食べる?」

 「ありがとう。おまえの作ったものなら、何でも食べたいよ。」

 「………わかった。あ、でもお皿とかないから、タッパーのまま食べようか。」

 「そうだな。」



 豪華な部屋で、テーブルの上にタッパーを広げて、箸でつっついで食べる。

 千春の秋文は、そんな姿をお互いに見て思わず笑ってしまう。



 「こんなところに泊まってるのに、こんな料理食べてるなんて、おかしいね。」

 「まぁ、俺たちらしくていいんじゃないか。」

 「そうだね。」



 どこにいたとしても、2人で一緒にいれば、いつもと同じ暮らしになる。

 それが安心できるし、幸せな事だと千春と秋文はお互いに感じ合いながら、穏やかな時間を過ごした。









 秋文は朝早くに起きてまたトレーニングをしていた。千春も一緒に起きて、朝食を頼んだり、スーツを準備したりした。


 2人で朝食を食べて、彼が出掛ける準備を手伝い、いつものようにドアまで見送りをする。



 「秋文、いってらっしゃい。」

 「あぁ………本当にありがとうな、千春。おまえと一緒にいれてよかったよ。」

 「…………どうしたの?急に……。」

 「いつも思ってるけど、なかなか言えないから言っておこうと思って。キスは、帰ってからの楽しみなんだろ?」

 「………そうだね。だから、頑張って。」

 「あぁ、いってくる。」



 千春は爽やかに笑う彼に負けないぐらいの笑顔で秋文を見送った。

 きっと、帰ってくる時も同じ表情のはずだと信じながら。




 千春は、秋文が出掛けた後、テレビをつけたりネットニュースを見たりして、秋文の事がどのように報道されているのかを見ることにした。


 そして、秋文が殴ろうとしたのが1番よくなかった事や、妻を取り合っての喧嘩だったとか、サッカーを早く辞めろと妻に言われているなど、千春が思い当たる事もない報道ばかりされていた。



 「嘘ばっかりじゃない………やっぱり報道は嘘ばかりなのかな。それとも人の噂って変わるって言うしな。」



 千春は自分でも驚くぐらいに、ショックは受けていなかった。自分が悪者になるのはいいと思っていたからかもしれない。

 けれども、彼が日本代表に相応しくないんじゃないか。

 そう報道されているのが、一番辛かった。

 

 彼の能力が失われるのは痛いといいながらも、代表選手としては相応しくないのではないか。そう報道している所がほとんどのようだった。



 「秋文………お願いだから、負けないで……!」



 千春は祈るように、秋文を思い、そして彼にその想いが届くように力強く言葉を紡いだ。












  ★☆★






 秋文が緊張した面持ちで所属チームの事務所に到着すると、入り口のエントランスに見覚えるある人が座ってた。



 「監督……。どうしたんですか、こんなところで。」

 「おまえが来るだろうと思ってな。何か話しがあるんだろう。」

 「はい……昨日の話の結論が出ました。」



 そこにいたのは、日本代表チームの監督だった。昨日は話し合いのため来ていたが、今日は来る予定ではなかったはずだ。

 けれども、秋文の気持ちがわかっていたのか、待っていてくれた。秋文は驚きながらも、感謝をして、話をすることにした。



 秋文は、座ったままの監督を強い視線で見つめる。監督は驚いた表情も見せずに頷いて、「では、先に私に聞かせて貰おうか。」と言った。


 朝早い事もあって周りには誰もいなかった。ここで話してもいいものかと迷いながらも、秋文は監督の言葉に従った。


 そして、秋文は自分の気持ちをしっかりと伝えようと思った。

 それがもし叶わなかったとしても、最後まで抗おうと思っていた。



 「昨日話した事なんですが。……よく考えた結果、リーダーも降りたくないと思っています。」

 「ほう。………それは、どうしてだ?」

 「悪いことをしたと思っていません。それに責任をとるなら、任された仕事をこなして責任を果たしたいです。」

 「………なるほどな。」



 元GKだった監督は、秋文より背が高くがたいも大きい。50才とは思えない鍛え方をしており、近くに立たれると威圧感がある。けれど、今はそうではなかった。秋文の隣に立ちながら、秋文の肩をトントンと叩いた。

 そして、監督の表情はとても穏やかだった。



 「君はそう言ってくると思っていたよ。」

 「え………。」

 「昨日の話し合いを終わった後に、日本代表のメンバー全員に電話したんだ。みんな、秋文には辞めてもらいたくないそうだよ。」

 「監督、いつの間に………。」

 「君が辞めるというなら止めるつもりはなかった。けれど、やりたいというなら私としてもやり遂げて欲しいんだ。君がいなくなっては、私のやりたかった事も出来ないからね。」

 「監督…………。」



 目の前にいる監督の顔を、秋文は驚いた顔で見つめた。

 その顔を見て、監督は面白いものでも見つけように声を出して笑っていた。


 「はははっ。なんて顔をしているだ。」

 「いや……反対されるものだと思っていたので……。」

 「そんな事するはずないだろう。私が選んだ選手を勝手に辞めさせたれては困るからね。………君が会見で言ったことは全て本当の事なのだろう?」

 「はい。本当の事です。」

 「私にも愛する家族がいるからね。守りたくなる気持ちもよくわかる。君のそういうところも含めて、ますますリーダーに相応しいと私は思うよ。」

 「………ありがとうございます。」

 


 秋文は、思わず目に涙が貯まってしまった。

 誰にも理解されていないと思った。

 自分より立場が上の人たちの「責任逃れ」は、仕方がないのかもしれないとも思っていた。

 けれど、自分を日本代表選手に選び、導いてくれた目の前の監督は違っていたのだ。

 

 自分を信じて、仕事を任せてくれる。それが、どんなに恵まれているのか、秋文は今更ながらに気づいた気がしていた。


 「あとは、私の仕事だ。君は早く練習に行きなさい。……後は任せてくれ。」

 「それは……。」

 「きっと、夜になれば全ては変わっているだろう。………次の日本代表の試合。絶対に勝ってくれたまえ。」

 「もちろんです。」



 秋文が力強くそういうと、監督はそのまま手を挙げながら去っていった。

 秋文、泣きそうな顔のまま、監督が見えなくなるまでその背中を見つめ続けた。




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