第18話「消える闇色」






   18話「消える闇色」





  ★☆★





 「失礼しました。」



 秋文は、一礼してから今まで滞在していた部屋から退出した。

 その瞬間に、大きなため息をついて、ネクタイを緩めた。夏の暑い日にこんなスーツを着るなんて……と、心の中で文句を言いながら、ジャケットも脱いで、腕に掛けながら廊下を歩いた。



 「はー……どうするかな。」



 周りには誰もいないけれど、秋文は小さな声で呟いた。


 先程まで、チームの幹部達との話し合いをしていた。もちろん、今回騒がれている事の経緯と今後についてだ。

 記者会は、秋文が思ってもいない方向へと向いてしまい、ニュースでも取り上げられ、世間でも秋文の喧嘩について賛否両論が飛び交っているようだった。

 ここまで、大事になるとは思っていなかっただけに、秋文も驚き、そして戸惑ってしまう部分もあった。


 けれど、それで迷っているわけにはいかない。

 今後この件を無視するのか、喧嘩によって世間を騒がせた責任をとるのか。それを決めていたのだ。


 一般人ならば、これぐらいの喧嘩は何事もなく終わっていくだろう。

 しかし、秋文は違った。サッカー選手という立場、更に日本代表のリーダーを務めているのだ。そうなってくると、話しはがらりと変わる。

 皆から注目されるからこそ、誠実に過ごさなきゃいけない。



 「それで、大切な人たちに心配かけるなんてな。バカだな………。」



 秋文は、更衣室に向かい遅くなってしまったがチームの練習に参加しようと思っていた。

 着替える前に、スマホを開いて通知を確認する。


 すると、千春からメッセージが届いていた。秋文はすぐに開くと「時間が出来たら電話ください。」とだけ書かれていた。


 普段忙しい秋文を気遣ってか、自分からメッセージや電話をすることはなかった。甘えたい時や寂しい時などメッセージが送られてくる事もあったけれど、こんな風に丁寧な言葉ではなかった。

 秋文はイヤな予感がしたので、急いで彼女に電話をした。すると、千春はすぐに電話に出てくれた。



 「千春?どうした、何かあったのか?」

 『ごめんね、秋文。忙しい時なのに……。』



 電話口でもわかるほど、千春の声は沈んでいた。

 何かあったのだと、秋文は焦る気持ちが出てきてしまう。

 


 「いいんだ。千春、話してくれないか?」

 『………実は、マンションの前に報道陣が来ていて……。』

 「自宅の前までっ!?」



 秋文は、驚きで声を荒げてしまった。

 千春は、秋文にメッセージを送る前に起こった事をゆっくりとした口調で話してくれた。

 マンションの敷地を出た瞬間に、取材陣に囲まれた事。何も言えなくて困っていると、マンションコンセルジュが助けてくれた事を話してくれた。

 千春は、その時も申し訳なさそうにしていた。


 全ては、言い合いをした自分が悪いというのに。



 「千春は大丈夫だったのか?」

 『うん……私は質問されただけだから。けど、堂々と話せなくてごめんね。秋文の迷惑になるような事言わないようにって思ったら、何て話せばいいのかわからなくて。』

 「お前が無事ならそれでいいよ。それに、何も言わずに無視しておけばいいさ。」

 『………うん。それとね、マンションにいるともしかしたら他の人に迷惑がかかりそうで。』



 そこで、ようやく彼女が連絡してきた本当の理由がわかった。

 不安だったのもあるだろう。怖い思いもしただろう。

 それなのに、彼女はいつも我慢してしまう。

 

 今日は電話を求めるぐらいに我慢出来なかったのだと思っていた。

 けれど、電話した一番の理由は、マンションに住む他の住民のためだった。


 あぁ、千春らしいな。と、秋文は思いながらも、少しだけ切ない気持ちになってしまう。



 「そうだな。じゃあ、しばらくはマンションには戻らないようにしよう。……あとで迎えにいくから、どこかに泊まれるように準備だけしておいてくれ。」

 『うん。……でも、秋文が来たら騒ぎにならないかな?』

 「確かにそうだな。じゃあ、代わりの人を探して頼んでおく。」



 そう言って、時間やバレないように変装するなど、彼女と打ち合わせをしてから電話を切った。



 「よく考えれば、こうなることぐらいわかってたはずなのにな……自分の事だけで頭いっぱいになりすぎだろ。」



 秋文は片手で髪をくしゃくしゃとかきあげながら、スマホを乱暴にロッカーへと投げ入れた。


 ジャージに着替えても、しばらく外に出れずにいた。秋文は、ぼーっとしながらも頭の中でこれからやることを考え続けた。


 そして、1番彼女に迷惑を掛けない方法を考えるしか、今の秋文には思いつかなかった。










 ☆★☆





 千春が大きなバックに着替えや仕事道具などを詰め込み、冷蔵庫にあった生物を全て料理してタッパーに入れると、大きな荷物になってしまった。

 あまりの重さにフラフラになりながら、マンションのエントランスに行くと、革製のブラウンのソファーに2人が座っていた。



 「あ、東先生に、美和子さんっ!」

 「千春ちゃーん。久しぶりねー。」

 「結婚式以来だな。いやーますます綺麗になって。秋文は幸せ者だなー。」



 そこにいたのは、秋文のリハビリを担当している東とその奥さんの美和子だった。

 東は、髭をはやしたとても渋い男性で、かっのいいおじ様という印象の先生だった。そして、美和子は、綺麗なブラウンの髪を伸ばした上品な女性で、千春の憧れでもあった。



 「お2人が来てくださったのですね。ありがとうございます。」

 「サッカー関係者はバレる可能性があるからな。久しぶりに千春さんにも会いたかったから丁度よかったよ。」

 「大変だったわね……さ、まずは移動しましょう。帽子を被って。車に乗ったら、後ろの席で出来るだけ身を小さくしておくのよ。見えないような車を借りてきたから大丈夫だと思うけど。」



 美和子は、そういうとギュッと千春の手を握ってくれた。それだけで、千春は少し安心出来た。



 「一色様、もし外に出られるのなら、こちらの出口をお使いください。私たちが使っている裏口になります。」


 

 話しが聞こえていたのか、助けてくれたコンセルジュの彼女が、そうアドバイスをくれた。


 千春は、彼女の好意に感謝をしながら、裏口から3人で外に出たのだった。

 一般人である東夫妻が運転席にいるためから、車に千春が乗っていても報道陣は気づかなかった。千春がなかなか出てこないので、諦めたのか先程よりも人数は少なくなっていたけれど、それでもまだ目立つ人数は残っていた。



 「秋文くんも大変ねー。少し有名になると、そんなに追ってくるなんて。男なんてケンカするものなのにね。」

 「立場っていうのがあるんだろうな。……でも、引退前にこうやって問題があると、彼も伸び伸びとサッカーを楽しめないのが辛いな。」

 「はい………だから、なんとかしたいんですけど。」



 東の言葉に、千春は頷きながらも彼の気持ちを改めて考えてしまい辛くなってしまう。

 昨日の夜は平気そうに振る舞っていたけれど、きっと内心では凹んでしまっているだろう。けれど、千春の元彼氏との問題だ。千春には言いにくいのかもしれない。


 千春は、秋文がどんな結論を出すのか、少しだけ怖かった。



 「千春さん。」

 「はい。」

 「秋文くんは、きっと全てが1番よくまとまる解決方法で、この問題を終わりにするような気がするのです。違うのならいい。……けれど、彼自身がどうしたのか。それを、聞けるのはあなただけのような気がします。」

 「東さん……今回の問題は私が原因な部分が大きいのです。それでも、彼は私に話してくれるでしょうか?」



 彼が千春を思っているからこそ、自分の気持ちを隠してしまうのを知っている。

 だからこそ、不安で仕方がなかった。

 彼がサッカーを諦めてしまうことを。



 「あなただから出来るですよ。」

 「そうよ!秋文くんは、あなたにベタ惚れなんだから。あなたがどうしてほしいのか、しっかりと伝えた方がいいわ。」

 「………はい。」



 助手席に座っていた美和子は、後ろを向いてニッコリと微笑む。そして、東もバックミラー越しに千春を見て、優しく微笑んでいた。

 

 秋文には、こんなに助けてくれる人たちが沢山いる。報道を見ても、信じてくれる人がいるのだ。

 千春はそれをやっと気づくことが出来た。



 千春は、自分の両手を強く握りしめて、気持ちを強くもっていけるように、力を込めた。


 

 「私、秋文と話してみます。これからの残りのサッカー人生について。」



 もう決して俯かずに、千春はまっすぐ前を見つめた。

 昨日の夜は、真下にみえた小さな光。

 今は、そのひとつひとつが目の前にある。

 


 キラキラ光るものの中が、すべて敵ではないのだ。みんな秋文の考えを知りたいのだ。


 そう思ったとき、千春の悲しい気持ちはいつの間にか消えていた。


 まるで、闇が沢山の光りを浴びて、消えていってしまったようだった。




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