第17話「戸惑いの質問」






   17話「戸惑いの質問」





 秋文が家に帰って来たのは、もう夜も深くなった時間だった。

 出と立夏は、明日仕事もあるの千春が「大丈夫だから。」と言って、心配をしてなかなか帰ろうとしない2人を、無理矢理帰らせた。

 千春はリビングで彼の帰りを待っていた。秋文が疲れた顔のまま微笑して「まだ起きててくれたのか。」と優しく言う彼を見て、千春は駆け寄り彼に抱きついた。



 「おかえりなさいっ!」

 「………ただいま。心配かけたよな。」

 「そんなことないよ。」



 秋文は、優しく抱き締めながら、千春の頭を撫でてくれる。

 千春は、その感触に浸ることもなく、すぐに彼を見上げた。



 「………秋文。私は誰に何を言われても気にしないよ。だから、喧嘩の原因は私が未熟で倒れたせいだって、話していいんだよ。」

 


 千春が仕事の時間を短くしたり、倒れたりしため、駿が「楽をしている。」と思ったのだ。その原因を作ったのは自分だと千春は思っていた。

 彼に心配を掛けて、職場に行かせてしまったのも自分なのだ。それで、喧嘩をしてしまい。そんな大事にまで発展しているのだ。


 自分が原因で彼がサッカーをやめる時期が早まるのが、千春は嫌だった。



 「おまえのせいじゃないよ。だから、気にするな。」

 「でもっ!」

 「俺は、今アイツにあの事を言われても、同じことを言うし、する。俺は、何よりおまえが大切なんだ………。」

 「でも、私は秋文がサッカーしているところも大好きだよ。みんなに応援して貰ったり褒められたりするの、すごく凄いことなんだよ?………そういう秋文を最後まで見ていたい……。」

 「ありがとう、千春。……けど、お前の事は、会見で話すつもりはないよ。俺が耐えられなかっただけだ。」

 「………秋文……。」

 


 千春が目元を下げて悲しげな表情で彼を見つめると、秋文はわざと明るい笑顔を浮かべて、先程より強く千春の頭もぐしゃくしゃと撫でた。



 「お風呂沸いてるよな?入ってくる。おまえは寝てろ……って、待ってるよな。早めに上がってくるから寝室で待ってろ。」

 「……うん。」


 

 秋文が風呂場に行ってからも、千春はしばらくリビングの窓の外を見つめた。


 部屋から見える夜景にはひとつひとつの暮らしがある。

 そので、秋文の会見を見ていた人はどれぐらいいるのだろうか?そして、その人達は、どんな事を思っているのだろう?


 千春は、そんな事を考えながら色とりどりの光の粒を見つめた続けていた。







 







 次の日も、秋文は忙しかった。


 朝早くから、サッカーの所属チームの事務所に行くことになった。

 そのため、千春も早くに起きて朝食を作り彼を見送った。

 昨日は、お風呂から上がった秋文と一緒にすぐに寝たのが、それが明け方近くだったため、2人とも寝不足気味だった。けれども、秋文は眠気も見せずに「いってくる。」と、にこやかに笑い、唇を合わせてから出掛けていった。



 千春もせっかく早く起きたのだから、そのまま家事をこなして、仕事をしようとそのまま休む間もなく動き回っていた。

 お昼もサンドイッチを食べながら仕事をしていた。テレビ番組やネットニュースはどんな事を言われているのか気になってはいたが、1度見てしまうと、他の事に手がつかなくなりそうだったので、見るのを止めていた。



 夕方前になり、千春は夕飯の準備をしようと冷蔵庫の中身を確認した。

 


 「んー………今日は秋文に沢山食べて頑張ってほしいし。買い出ししてこようかなぁ。」



 千春は、着替えをしてからすぐに近くのスーパーまで出掛けた。


 


 マンションの敷地から出た瞬間だった。

 


 「あっ!!あの人じゃないですか?」

 「………………えっ………。」



 千春は大勢の人の視線を浴びて、驚きのあまりその場に固まってしまうと、あっという間にその人たちに囲まれてしまった。

 


 「あの……これは……?」

 「一色選手の奥さまですよね?!顔は絶対に出しませんので、インタビューお願いできませんか?」

 「あ、こっちもお願いします!プライバシーは守りますよ!」

 「一色選手には早く辞めて貰いたいとお考えですか?」

 


 一気に複数の質問を浴びせられて、千春はどうしていいのか戸惑ってしまう。 

 昨日の会見を見て、記者が集まっているのはわかった。けれども、自宅まで来てしまっており、そして一般人でもある千春を囲んでしまうとは思ってもいなかった。



 「あの………困ります。……インタビューはお答え出来ないので、ごめんなさい。」

 「一色選手は立派に会見をなさったのに、奥様は逃げるのですか?」

 「気持ちだけでもお伝えください。」



 秋文の引退の話しを聞きたいのだろうか?

 けれど、先程の質問はそうではないように感じた。記者達も、厳しい表情を見ているだけで、自分にいい感情を抱いてはいないのだとわかってしまった。

 その瞬間、千春は怖い、という感情をやっと感じる事が出来たのだ。



 「わ、わたしは………。」


 

 千春が震えた声しか出てこなかった。頭もぐらぐらするし、顔は赤くなり汗も滝のように出てきてしまう。

 なんて、答えればいいのか。

 秋文の迷惑になるような言葉は、どんなものだろう。


 そう思うと、次の言葉が出てこなかった。

 フラッと体が倒れそうになった時だった。



 「何をなさっているのですか!?」


 

 千春の背後から女性の声が聞こえた。振り向くと、いつも笑顔で出迎えてくれる、マンションコンセルジュの女性だった。

 驚きながらも毅然とした態度で、カツカツとヒールの音を鳴らしながら千春に近づいてきた。

 彼女は、千春が秋文と結婚する前の恋人同士だった頃からいる女性で、千春にとっては身近な存在だったため、彼女を見た瞬間、少しだけホッとしてしまった。



 「取材だからと言って何でもしていいわけではないと思います。この女性は嫌がっているので、出直してください。でないと警察を呼びますよ。」



 強い口調で言い捨て、取材陣を睨み付ける。

 人々が呆気にとられているすきに、彼女は千春の腕を掴んでマンションのエントランスの中に入った。



 「ここまでは入ってこれないはずです。………一色様、大丈夫ですか?」

 「………ごめんなさい。助けてもらってしまって。私、どうしていいかわからなくて。」

 「それは仕方がないです。こちらも、取材陣がいるのに気づかなかったので外出を止めることが出来ず、すみませんでした。」



 きっちりと黒のスーツを来たコンセルジュは、深々と頭を下げた。

 千春は、「私も気づかなかったので!気にしないでください。」と言い、そしてエントランスのドアを見つめた。

 取材陣がそこから入ってくることはないとわかっているけれど、それでも先程のようにまた強い視線の彼らに取り囲まれると思うと、千春は体が震えてしまいそうで、両腕で自分の体を抱きしめた。



 「今日は外出を控えた方がいいですね。今後の事は旦那様とご相談した方がいいかもしれませんね。外の取材陣が多くなれば、ここに住んでいる方にも迷惑になるので、警察を呼ぶようにします。」

 「わかりました。………助けてくれて、ありがとうございます。相談してみます。他の皆さんにも迷惑になりますので。本当にすみません。」

 「………あのっ!」

 「はい?」



 千春がお礼を言ってから彼女と離れてエレベーターに乗ろうとした時だった。

 彼女が大きな声で千春を呼び止めた。



 「あの、私は一色様がこちらに来られた時からずっとここで仕事をしてますが……あの方が、報道されているような事をする人だとは思えません。それに、奥様も。いつも笑顔で挨拶をしてくれたり、差し入れまで貰ったりして、本当に嬉しいんです。だから……あんな報道に負けないでくださいね。」



 コンセルジュの女性は、少し頬を赤く染めて恥ずかしそうにしながらも、しっかりと千春の目を見て、そう勇気づけてくれた。

 彼女のまっすぐな気持ちと言葉が、千春はとても嬉しかった。



 「ありがとうございます。そう言ってもらえると、私も……そして夫も嬉しいです。」



 千春は、彼女に笑顔を向けてからエレベーターに乗った。


 けれど、その瞬間の顔はとても暗いものだった。


 コンセルジュの彼女はああやって良く言ってくれる。けれど、マンションの住人は快く思わない人も多いだろう。

 それに、報道陣のインタビューから逃げるように去ってきた千春を、取材陣はどう思っているか。

 やましいことがあるから逃げたのではないか。そう思うのが普通なのかもしれない。



 千春は、すぐにでも彼に電話をしたかった。彼の声を聞いて安心したかった。


 けれども、それが出来ずにただスマホを握りしめたまま部屋に戻った。


 少し考えてから秋文にはメールで、「時間が出来たら電話ください。」とだけ連絡をした。


 秋文から電話が来るまでの時間、千春はとても長く感じただスマホを呆然と眺めていたのだった。



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