第10話「感じ合う口付けをあなたに」






   10話「感じ合う口付けをあなたに」





  ☆★☆




 千春は今日も自宅で缶詰め状態だった。 


 朝は家事をこなし、秋文を見送り、その後は部屋に籠って仕事をひたすらこなしていた。


 千春は駿に指摘された言葉がずっと頭に残っていた。

 確かに結婚をしてから、仕事を減らしていたのは甘えなのかもしれないと考えるようになっていた。

 結婚しても、独身と変わらず仕事をしている人は多いし、子育てと両立している女性もいる。もちろん、千春のように時間を短くした人もいた。

 人それぞれだとわかっている。



 それなのに、駿の言葉が胸に刺さったまま抜けずに、千春を苦しめていた。

 もしかしたら、結婚した事で浮かれていたのかもしれない。秋文との時間を多くとりたい理由に、すぎなかったのかもしれない。

 自分でも気づかないうちに、楽な方へ逃げていた。

 そう思えば思うほど、千春は悲しくなってしまう。


 駿は、千春の仕事に関しては認めてくれていたようだった。

 仕事の取引相手の意見としては嬉しい言葉だった。

 それなのに、自分は甘えてばかりだったのだ。

 もっと、しっかりと仕事をしなければ。他の人達に「秋文と結婚したから、楽してるんだ。」とは、思われたくなかったし、認められているならば、しっかりと仕事をこなしたかった。




 それから、上司である千葉から多めに仕事を貰うようにしたのだ。

 千葉は心配していたけれど、千春は無理を言って「今までと同じ量の仕事をください。」と頭を下げた。

 すると、千葉は困った顔を見せながら、「無理だったらちゃんと言ってください。また、倒れられたら私も旦那さんも心配するのですから。」と、言われてしまった。

 

 倒れている時間さえもないのだから、「大丈夫です。」と答え、千葉にお礼を言って仕事を貰える事になったのだった。



 「うーん……この仕事だと職場でやった方が早いなー……。今から行っても迷惑にならないかな。」

 千春は、ため息をつきながらPCをながめていた。

 すると、スマホが電話の着信を報せるバイブを鳴らした。

 画面を確認すると、職場で1番仲が良かった同僚の菅井からだった。勤務時間なので、仕事についてだろうと思い、千春はすぐに電話に出た。



 「もしもし。」

 『あ!いた!今、会社で大変なことになってるわよ?!』

 「え………?どうしたの?」



 菅井はずいぶん急いでいるようで、そして何故か興奮状態だった。千春は「落ち着いて。何があったの?」と心配しながら彼女の話しを待った。



 『今、千春の旦那が会社に来てるんだけど。』

 「な、なんで秋文が?!」

 『なんか、前に千春が倒れた時に迷惑かけたからって、お土産持ってきたみたいだよ。』

 「そ、そうなんだ……。」



 彼がそんな事をしに会社に行っているとは知らなかった。それだけでも、驚く事だったけれど、次の話しはその事さえも忘れてしまうぐらいの内容だった。



 『それで、帰りに取引にきてた駿さんに会って、喧嘩始めちゃったの!!』

 「えっ……えぇぇぇー!!」



 千春は、驚きのあまり大きな声を出して、その場にずるずると座り込んでしまった。

 何でそんな事になっているのだろうか。

 秋文は、駿の事を知らないはずだから、彼が元彼氏だとわからないはずだ。そうとなれば、駿からふっかけたのだと自然にわかってしまう。


 「も、もう喧嘩は大丈夫なの?2人怪我は?」

 『あ、それは大丈夫よ。千葉さんが止めてくれたから。』

 「そうなんだ……とりあえず、よかった。」



 喧嘩で怪我をしたとなれば、お互いに大変な事になる。特に秋文は、暴力行為はご法度だ。

千春は、少しだけホッとしながら、彼も駿が無事なことに安堵し、そして、千葉に感謝をした。 



 『それより!本当にかっこよかったのよ、秋文さん。』

 「え?」



 喧嘩をしたのに、何がかっこいいのだろうか?千春は、理解出来ずに菅井の話しを待った。


 『なんか、駿さんが千春の悪口を言ってふっかけてみたいで。本当にあの人最低よね。……そしたら、秋文さんが「おまえは千春の何を知ってるんだ!」とか、「サッカーより会社より千春の方が大事なんだ。」って言って殴りかかろうとしたり。とにかく、めちゃくちゃかっこよかったぁー!見ていた女性社員は、感動したって言ってた。』

 


 菅井の話を聞きながら、千春は嬉しさと恥ずかしさで顔を赤く染めた。

 きっと、駿は千春に話さたような事を言ったに違いない。それを聞いて怒ったのだろう。

 彼がどんな風に怒り、駿に迫ったのかわからない。

 けれど、「サッカーよりも会社よりも、千春が大切」と言ってくれたのが嬉しかった。

 手を出してしまうのはダメだけれど、必死になって、千春の気持ちを伝えようとしてくれたのが、伝わってきて、千春は思わずうるうるとしてしまう。



 「そんな事を秋文が言っていたなんて……。」

 『千春、愛されてるわね。』

 「そう、だね。………ありがとう。」



 仕事中だった菅井は、すぐに電話を切らなければならず、千春は騒ぎになってしまった事を謝罪した。

 千葉にも迷惑をかけた事を電話をした。千葉は全く気にした様子もなく「お菓子ご馳走様でした。」と言っただけだった。


 電話を切った後、千春は涙を拭いてから立ち上がり、そして椅子に座ってPCの前に座った。



 「よしっ!仕事頑張って終わらせて、とびきりの夕食作るぞ!」



 千春は、髪をまとめ直してやる気を出して、仕事を進め始めた。









 

 


 夕食の準備をしていると、玄関のドアの鍵が開く音が聞こえてきた。

 ずっと耳をすませて待ち構えていたのだ。

 千春はすぐに、ずっと待っていた彼を迎えに走った。



 「秋文っ!!」

 「あぁ、千春。今帰った……って、どうした?」

 「秋文、大好き……!」

 「あー………その調子だと、もう知ってるんだな。」



 千春が秋文に抱きつくと、彼はばつの悪い顔をしながら苦笑した。


 「勝手に会社に行って悪かったな。……気になることがあって。」

 「気になること?」

 「あぁ。おまえが何で仕事増やしたのか気になって。何かあったんじゃないかって。……だから、お土産渡してそれとなく誰かに聞いてみようと思ったら……原因の奴が自分から教えてくれた。」

 


 思い出すだけでも嫌なのか、秋文は苦い顔をしながら千春を見た。

 千春は、抱きついていた秋文から離れた。2人でリビングに行き、ソファに座った。ジャケットを脱いでソファに置くと、秋文は千春の頭をガシガシと強く撫でた。



 「おまえ、本当にバカな男しか好きになってなかったな。」

 「………すみません。」

 「ったく……あんな男におまえを取られてたかと思うとむかつく。その時間、俺といた方がよかっただろ?」

 「……でも、あの人と付き合ってから秋文と付き合えることになったし。もしそうじゃなかったら、今とは違う未来になってるかもしれない………だから、きっと先輩との出会いも必要だったんだよ。」

 「………おまえ、あいつにべた惚れだったもんな。」

 「今の秋文への愛情ほどではありません。」



 甘い言葉を呟いても、納得出来ないのか、いじけるような態度をとる秋文を見て、千春は心の中で笑ってしまう。

 本当は喧嘩したことを怒ろうと思ったけれど、これではそんな事は出来ない。彼が愛らしくて仕方がないのだ。



 「秋文?」

 「なんだ………っ………。」



 千春は、秋文に小さくキスをする。

 少し恥ずかしかったけれど、彼の顔に近づいたまま、真剣な表情で見つめた。


 

 「秋文がサッカーとか仕事がなくなるかもしれないのに、私の事守ろうとしてくれたの、嬉しかった。」

 「おまえ、そんな詳しく知ってるのか………。」

 「………私、迷いすぎてたんだと思う。秋文にふさわしい奥さんって何だろうって。秋文をサポート出来る人なのか、仕事と家事を両立出来る人なのか、家事をして毎日出迎えられる人なのか。全てやろうと思ったら、やっぱり出来なかった。」

 


 千春は悔しそうにしながらも、自分のしてきた事を笑いながら思い出した。本当に無茶ばかりしてきたし、秋文に心配ばかりかけてしまっていたな、と実感出来る。



 「まだ正解はわからないけど、少しずつ秋文にも自分にも合った方法を探していくね。だから、また無理しそうなときは止めてほしいな。」

 「あぁ、もちろんだ。」

 「……秋文の自慢の奥さんになれているのか不安になってたけど、今日の事聞いて、秋文が私の事大好きなんだって、わかったよ。」



 あっけらかんと笑うと、秋文もつられて微笑んだ。



 「やっとわかったか?俺はずっと千春が大好きなんだよ。」

 「うん。知ってる。私も秋文が好き。」

 「知ってる………。だから、キス全然足りない。」

 「私ももっとしたいと思ってた。」



 クスクスと笑い合いながら、目を瞑ってお互いの唇の感触に酔いしれていた。

 千春は愛しい旦那様の深い愛を感じながら、「せっかくの豪華な夕飯が冷めてしまう。」と頭の隅でそんな事を思った。


 けれと、秋文を求める気持ちが強くなり、自分から秋文の頭を腕をまわしてキスを求める頃には、夕飯の事などすっかり忘れてしまうのであった。





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