第9話「睨み合い」






   9話「睨み合い」




 ★☆★



 

 また、千春の様子が変わった。

 彼女は結婚や働き方の変化がストレスになっていると思い、秋文は見守ってた。

 

 けれど、どうやら違うようだった。

 前までは、旦那である自分の役に立ちたいと、必死に家事をこなしており、秋文は少しぐらい自分にも頼ってほしいと話した。

 彼女が頑張りすぎて体をこわして倒れてしまったこともあり、千春はすごく反省して、少しずつ秋文に頼ることも多くなってきていた。


 愛しい奥さんに頼られるのは、秋文だって嬉しかった。

 せっかく夫婦になったのだから、彼女をもっと甘やかしてやりたかった。

 くっついて、キスして、抱きしめ合うだけが甘やかす方法ではないのだとわかってはいるが、なかなか難しいと、秋文は実感していた。



 最近の千春は、家事よりも仕事が忙しそうだった。

 彼女は今日も仕事に終われており、自室に籠って夜中まで仕事をしていた。

 日付がすぎてから2時間が経った。仕事があるので秋文は早めに寝てしまう事もあったが、今日は千春を待っていようと決めていた。

 邪魔になるのはイヤだったので、寝室やリビングで彼女が部屋から出てくるのを待っていたけれど、一向に出てくる気配はなかった。


 秋文は、流石に遅すぎると思い、邪魔になるのを覚悟で、ドアをノックした。

 コンコンッ………コンコンッ………。

 何度か繰り返すが返事がなかった。

 


 「千春?……入るぞ?」


 

 ドアをゆっくりと開けて部屋を覗くと、千春は机にうつぶせになりながら、すやすやと寝ていた。

 疲れているのか、表情は険しくそして疲れているようだった。



 「千春………。」



 結婚してから、疲れきっている彼女を見る事が多くなってた。秋文は自分と一緒になることで彼女に負担になってしまってるのか、とも考えるようになっていた。

 千春は自分よりも他人を優先するところが強すぎる。

 きっと秋文がどんなに「甘えろ。」と言っても、なかなか出来ないのだろう。


 サッカーを辞めれば、彼女の負担は減るだろうか?いや、きっと変わらない。

 サッカー選手ではなくても、今度は会社の社長になる。別の事で忙しくなるのだろう。



 「おまえは、俺と一緒に居て幸せなんだよな?………時々不安になるよ。」



 秋文が寝ている千春の顔に触れる。

 指に雫が付いたの気づき、千春が泣いていたのがわかった。

 何か仕事であったのだろうか……?


 秋文は、彼女をゆっくりと抱き上げてから、頭に優しくキスをした。



 「俺が守ってやるから。………だから、無理だけはしないでくれ。」



 彼女に聞こえるはずもない言葉を呟きながら、秋文は彼女を抱き上げたまま寝室へと戻った。









 千春の泣き顔を見た日から数日後。

 秋文は、少し前に訪れたばかりの千春の職場のビルに来ていた。

 眼鏡をかけて少し変装をしたけれど、すぐにバレてしまった。だが、すぐに話しかけてくる人はおらず、気づいた人がジロジロと見てくるだけだったので、ありがたかった。

  


 「すみません。一色千春の夫です。前に対応してくださった千葉さんはいらっしゃいますか?」

 「は、はい!今を外しておりまして……あと少しで帰ってくるとは思うんですけど。」


 千春が働いていた部屋に行き、近くの女性に訪ねると、緊張しながらも丁寧に教えてくれた。前に、電話をくれた千春の上司はタイミングが悪かったのか、今はいないようだった。



 「では、大丈夫です。この間、妻がお騒がせしてしまったお礼です。皆さんで召し上がってください。」

 「そ、そんな……ご丁寧にありがとうございます。」



 秋文はその女性に手土産を渡し、「よろしくお伝えください。」と、笑顔でその部屋から退出した。

 本当は、千春についていろいろ聞きたかったけれどいないならば仕方がない。

 秋文は、残念な気持ちのまま会社を後にしようとした時だった。


 廊下を歩いていると、向かい側から男性が一人やってきた。社員証がここの物ではなかったので、違う会社のようだった。

 秋文は、気にもせずにその男性とすれ違おうとした。



 「千春さんの今彼さん、ですね。」

 「………はい?」



 笑いを含んだその口調に、秋文は不審に思い足を止めた。自分に聞こえるように嫌味を言っているようにしか見えなかった。



 「………千春は俺の妻ですが。何か?」



 振り返りながら秋文がそう言うと、その男性はニヤニヤと笑いながら近寄ってきた。



 「やっぱりそうですかー。俺は千春さんとは元彼という関係でした。」

 「………おまえが、あいつがいう先輩とか言うやつか。」

 


 秋文は目の前の相手が誰なのか理解した。

 会社の取引先の相手で付き合っていたのは1人しかいない。

 千春が大学の頃から憧れていた相手で、付き合ってからすぐにフラれて泣かされた相手だ。しかも、フラれた後に体の関係を迫ってきた最低な男なはずだ。


 「千春に最低な誘いをしたのは、おまえなのか………?」

 「あれは、彼女が寂しがってたと聞いたからですよ。でも、断ってもらってよかった。」

 「…………。」

 「千春ちゃんは玉の輿狙いだったなんて、残念ですよ……。捕まえられた人は気の毒ですけど。」

 「……千春が玉の輿狙いなら、なんでおまえと付き合ったんだよ。………おまえ、千春より小さい会社に勤めてるくせに、あいつが金目当てにおまえと付き合ってたとは思えないけどな。」



 秋文は、駿を睨み付けながら、吐き出すように強い言葉を投げつけると、駿の顔色が一気に変わった。

 先程まで余裕そうだった表情が、険しい物になったのだ。



 「っっ!言わせておけばっ!あいつは嘘つきなんだよ。身なりや顔だけ綺麗にして、中身は嘘ばっかりでどこも女らしくない。そして、結婚すれば、仕事も楽な事しかしないなんて、最低じゃないか。よく金持ちをひっかけられたと、ある意味感心するけどなっ!!」

 「っっ!!おまえが千春に何か言ったんだな?!」

 「だったらどうした?」

 「っっ!!」



 千春への冒涜の言葉に、秋文は頭に血が一気に上っていくのを感じた。気づくと、秋文は駿に向かって手を伸ばしていた。

 秋文が相手の胸ぐらを掴んだとき、騒ぎになったようで、周りに千春の会社の社員が集まっているのが視界に入ったけれど、秋文は止められなかった。



 「おまえは千春の何を知ってる?あいつが俺を支えるために体調を崩しながら働いてるんだ。それに、こんなおまえに好かれようにあいつは必死に自分を磨いていたんだ。なんでわからないんだ!!」

 「わかりたくもないね。あんな男好きな女の気持ちなんか。」



 秋文に胸ぐらを掴まれているというのに、駿は妙に冷静だった。興奮しているのは、秋文ひとりだけのようだ。

 きっと、プロ選手であり、有名人である秋文が暴力行為をするはずがないと思っているのだろう。

 そんな事をしてしまえば、サッカー選手としても、会社の社長としても問題視されてしまう。それはわかっていた。

 けれど、そんな事は秋文には関係なかった。


 彼女のバカにされ、こんな男に見下されているのが我慢出来なかったのだ。



 「俺がおまえを殴らないとでも思ってるのか?」

 「…………当たり前だろ。暴力行為は人間として最低だからな。」

 「最低なのはおまえだよ。……俺はサッカーよりも会社よりも、千春の方が大切なんだっっ!」


 秋文の手に力が入り、ギュッと拳を作り、手を振り上げた。駿もハッとした表情になり、すぐに目を閉じて体を強ばらせた。


 その時だった。



 「何事だね。」



 人混みの中から、聞き覚えのある声が聞こえ、秋文はピタリと腕を止めた。

 振り返ると、そこには千春の上司の姿があった。


 「一色君の旦那さんだね。どうしたんですか、また会社に来ているなんて。」

 「………すみません。騒ぎを起こしてしまって。」



 秋文は、駿を睨み付けながら、手を離した。すると、駿も舌打ちをしながら秋文から離れて、スーツの乱れを整えながら立ち上がった。



 「あぁ、先ほどお土産を受け取ったよ。わざわざありがとう。」

 「え………いえ。」



 千春の上司である千葉は、何故か駿と秋文の喧嘩を見ていなかったように話をすすめてくる。秋文や駿、そして野次馬の人々も呆気にとられてしまう。



 「千葉さん、ちょっと待ってください!さっき、俺がこいつに掴まれていたのを見てましたよね。これは大事だと思いませんか?」



 それを止めたのは、駿だった。

 自分が殴られそうだったのを、必死に認めさせようとしているのだ。

 秋文も呆れた目で相手を見ていた。

 こんな奴に、千春が泣かされていたのだと思うと、吐き気がしてきてしまう。

 


 秋文がまた反撃の言葉を言おうとしたが、それは千葉に阻まれてしまう。

 千葉は、秋文を優しい顔で見た後、冷たい目で駿を見据えた。



 「あなたは、秋葉駿さんでしたよね。………私の部下に酷い言葉を浴びせて泣かせた相手とは、この会社で会いたくないですね。」

 「なっ………。」

 「私があなたの会社に連絡をして、担当を変えて貰いましょう。お引き取りください。もちろん、今後一切の入室もご遠慮します。」



 それはとても冷たく強い言葉だった。

 それを突きつけられた駿は、顔が真っ青になったが、千葉や秋文、そして周りの社員に冷たい目で見られ、居た堪まれなくなったのか、逃げるようにその場から去っていった。



 「さて。やることも出来たことですし、仕事に戻ります。」

 「千葉さん………ありがとうございます。」

 「私は何もしていませんよ。お菓子いただきますね。」



 そう言って微笑みながら去っていく千春の上司を見つめる。

 あいつは、いい会社で働いているな。自分もあんな人にならなければいけない、と感謝と尊敬の念を抱きながら、自分よりも小さい背中を見送った。





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