第7話「確かめ合う時間」






   7話「確かめ合う時間」





 秋文に支えられながら、会社を出た。

 

 ドアを開けた瞬間、沢山の人が待ち構えているのではないか。千春は、そんな風に思っていたけれど、それは杞憂に終わった。

 勤務中ということもあり、先ほどのように誰かが群がってくる事はなかった。

 けれど、千春が早退のお詫びで顔を出すと、皆が物珍しそうにジロジロと見ているように感じたのだ。

 もちろん、千春を見ているわけではない。後ろにいる秋文を見ているのだ。



 千春は、秋文が有名人でこうやって好奇な目で見られることは覚悟していた。何も悪いことをしているわけではないのだから、と普段ならば堂々と手を繋いでデートをしたり、買い物をしたりしていた。

 けれど、職場になると会社に迷惑にならないかと心配してしまう。

 噂になれば、秋文の結婚相手がこの会社にいるとメディアが来る可能性もあるし、仕事に関係のない人も来てしまうかもしれない。


 そんな心配事があるから会社に伝えてなかった。

 千春はそう思うようにしていた。




 けれど、本心では違うと自分でもわかっていた。

 秋文に好意を持つ女性の視線を、間近で見るのは嫌だった。

 結婚しているから、彼は自分の旦那様だとわかっている。ファンの人たちも、応援してくれているとわかっても、少しだけ不安になってしまうのだ。

 まだ、有名人である彼のお嫁さんにはもっと相応しい人がいるのではないか。

 そんな風に思っては、ファンや秋文に好意的女の人の視線が怖いと思ってしまうのだった。




 「千春、ボーッとしてるけど、大丈夫か?」



 いつの間にか、秋文の車は自宅のマンションの駐車場に止まっていた。千春は秋文が心配そうに顔を覗き込みながら声を掛けてから、やっとその事に気づいたのだ。



 「ごめんなさい、ボーッとしてて。」

 「やっぱりまだ、本調子じゃないんだな。……早く部屋に帰って休もう。」

 「……うん。」



 車を降りてから、秋文は千春の手をしっかりと握って部屋まで歩いた。

 眉毛が下がった彼の顔は、とても心配そうにしており、こんなにも彼を不安にさせてしまったのだと、千春は反省していた。



 ドアを開けて部屋に入ると、すぐに彼に後ろから抱きしめられた。

 千春ほ右肩に顔を埋め、ギュッと力強く体を押し付けられる。

 そして、聞いたこともないような、悲しみの声で彼は深く言葉を洩らした。



 「本当に心配したんだぞ……おまえに何かあったかと思ったら、目の前が真っ白になったんだ。」

 「あ、秋文……。」

 「……本当におまえに何もなくてよかった……。無事でよかった。」


 

 秋文に、「心配かけるな。」「無理はするな。」と、言われると思っていた。

 それなのに、秋文は千春を責める事なく、心配してくれた。

 千春は、自分が会社で秋文の事がバレてしまった事ばかり気にしてしまった自分が情けなくて仕方がなかった。


 秋文は、千春の体を心配してくれていたと言うのに。周りの目や、自分の嫉妬心ばかりに気をとられていたのだ。

 これでは、彼の妻として恥ずかしいのではない………そんな風に思ってしまった。



 「………秋文、その……。」

 「ほら、体が万全じゃないんだ、とりあえず寝室行くぞ。」

 「え……きゃっ!……一人で歩けるよ!」

 「いいんだ。少し休んでおけ。」

 


 秋文は、千春を抱き上げてスタスタと廊下を進んでいく。毎日トレーニングをしているとあって、千春一人ぐらいは軽々と持ち上げられるようだった。


 優しくベットに座らされると、次は千春のパジャマを持ってきて、着替えをされてしまう。

千春は抵抗したものの、「これぐらいやらせろ。」と、言われてしまい秋文は止めてくれなかった。ここで何を言ってもダメだと、千春はわかっていたので、何も言わずに彼にお願いすることにした。とても恥ずかしいけれど、それも我慢だ。


 秋文は千春の着替えを終えると、自分も部屋着に着替えて、千春と共にベットに入った。  そして、千春の頭を、優しく撫でながら千春の顔を見つめていた。少し考えた後、彼は申し訳なさそうに、「悪かった。」と言った。

 千春はそれが何の事なのかわからずに、首をかしげてしまう。



 「おまえの職場に、結婚相手が俺だとバラした事だ。……俺もお前が倒れて動揺してたんだろうな。少し考えれば、お前の仕事の都合とかあるんだってわかるはずなのに。変装するなんて、考えもしなかったんだ。……千春の顔を一刻も早く見て安心したかったんだ。」

 「秋文、秋文は謝ることなんて、何もないよ。」

 「でも、おまえは、バラされるのがイヤだったんだろう?」

 「それは……。」



 秋文の気持ちが伝わってきて、千春は胸がズキンッと痛んだ。

 彼はこうやって、いつも自分の事を1番に考えてくれる。それなのに、自分は……。千春は、泣きそうになったけれど、グッと堪えた。


 彼には伝えなきゃいけない。

 自分の気持ちの、自分の考えを。千春は、そう思った。



 「……秋文。確かにね、他の社員に伝えることで会社に迷惑かけるかな、とか、変な依頼とかも増えちゃうかなとかは思った。けど、それは言い訳なの。」

 「言い訳?」

 「うん。私が………他の社員が秋文の事を好きになっちゃわないかとか。まだ、秋文のファンの女の人に嫉妬しちゃうことがあるんだ。………秋文は、仕事として見てるだけだろうし、ファンは大切なんだっていうのもわかってるんだけど、モヤモヤしちゃって。秋文に当たっちゃったの……。」


 千春が、おどおどした態度で彼に説明をすると、始めはポカンとした表情だった秋文も、少しずつ呆れ顔になって「おまえなー……。」と何か反論がある様子だった。



 「……秋文がわざわざ心配してくれて急いで来てくれたのは嬉しかったんだよ。それなのに、自分の勝手な感情であんな事を言ってごめんなさい。」



 千春が目を伏せながらそういうと、すぐ近くで秋文のため息が聞こえた。

 やはり今回は彼も呆れ、そして怒っているのだろう。そう思った。

 けれど、次に感じたのは怒った声ではなかった。


 痛くない程度に、ほっぺたを摘まむ彼の指の感触だった。


 

 「あ、あきぃふみぅ?」

 「………おまえは、俺の奥様なんだろう。なんで、そんなに自信がないんだ。結婚しても、俺のものじゃないのか?」

 「ふへ?」

 「ファンはファンとして、お前の同僚は、千春の職場の人間としてしか見てないんだ。おまえだけが、たったひとりの俺の奥さんで、特別なんだ。……結婚しても安心出来ないか?この同じ指輪をしていても、ダメか?」

 


 秋文はそう言うと、自分の左の薬指にあるシルバーの指輪にそっと口づけしながら、少し悲しげに話しをしてくれた。

 千春はつられるように、自分の左手を見つめる。そこには、キラキラの光る、秋文と同じデザインの指輪がはめられている。

 それを両手でギュッと抱きしめながら、千春は彼と同じように素直な気持ちを秋文に向けて話しをしようと決めた。


 「秋文を支えたいと思って頑張ってきたけど、頑張りすぎてミスしちゃったり、こうやった体調悪くしてかえって秋文に迷惑かけたりしてたよね。秋文は、無理するなって言ってくれたけど、頑張りたかったの………。頑張ってるはずなのに、空回りしてしまったから、自信がなくなって、あんな嫉妬をしたんだと思う。………本当に情けないよね。ごめんなさい、秋文。」

 「……千春。おまえは、俺に頼られると嬉しいか?」

 「うん。嬉しいよ、秋文の役に立ちたいよ。」

 「それは俺も同じなんだ。俺も、千春に頼られたい。役に立ちたいだ。………おまえが好きだから。」



 その言葉を聞いた瞬間。

 あぁ、この人を好きになったんだ。

 こういう彼だからこそ、惹かれて、好きになって、ずっと一緒にいたいと願ったのだ。


 無償の愛だけではない。

 2人の事を考えて、想ってくれる。

 

 彼を知る度にもっともッと好きになっていく、そんな風に千春は感じた。




 「ごめんね、心配かけて………私も、秋文が大好き。」

 「知ってる。だから、奥様は早く元気になってくれ。キスも出来ないなんて、辛いんだからな。」

 「……してもいいのに。」

 「今日は俺もおまえも我慢だ。」



 そう言って2人でクスクスと笑いあった。


 

 脱ぎっぱなしの服も、明日のご飯の準備も、洗濯や掃除も、今はそのまま寝てしまえばいい。

 明日、2人でやればいい。


 千春は、ホッした瞬間眠気に襲われて、彼の熱を感じる腕の中で目を閉じた。




 

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