第6話「心配と好奇の目」






   6話「心配と好奇の目」






 ★☆★





 今日は、秋文が所属しているチームでの合同ミーティングと練習があった。

 来年度の大まかのスケジュールと、試合やイベントについて話し合った。

 今年度は惜しくも決勝戦リーグで敗れてしまい、優勝は出来なかった。そのため、「来年度はこそ優勝する!」と、チームの意識は高いものになっていた。



 皆が練習に熱が入り、ベテランとして若手から練習相手を頼まれたり、質問されたりなどで、秋文も集中して練習をしていた。

 それに、千春が家事をしてくれたり、栄養面の食事を考えてくれているからか、体調もとても良く、コンディションがいい日が続いていた。手作りの弁当を食べていると「愛妻弁当ですかぁー?羨ましい!」とチームメイトから言われるようにもなり、素っ気なく返事をしていても、内心ではとても嬉しかった。


 ただ、彼女の生活リズムが崩れているのは心配だった。どんなに早く寝せようとしても、夜中にこっそり起きてきたり、朝早くに起きて秋文の分担のはずの家事も、全て千春がやってくれていたのだ。

 確かに秋文はその分サッカーに集中出来ていたので助かるが、彼女の負担は大きいはずだ。


 秋文は、次の休みはどこかに泊まりに行って家事などから解放してあげたいと考えていた。




 試合形式の練習をしている時だった。

 途中で秋文が交代になった。練習中の交代なので、何か戦略の方法を伝えるためなのだと思い、監督の元へと近づいた。



 「何か変更ですか?」

 「いや、秋文に急用だ。」

 「急用ですか?」



 秋文は、その言葉を聞いて今抱えている仕事の事を思い出した。何か、緊急でやらなければいけなくなった事でもあるだろうか?

 そう考えていると、監督は真剣な表情で秋文にある事を伝えた。



 「秋文の奥さんの会社から電話だ。奥さんが会社で倒れたそうだよ。」

 「なっ………!!」

 


 持っていたタオルを投げて、その場から立ち去ろうとしたけれど、監督は秋文を1度引き留めた。



 「待ちなさい、秋文。奥さんは、もう目覚めていて意識もある。たぶん、疲れからだろうという事だよ。」

 「………そうですか。」

 「ただ、一人で帰るのが難しいみたいでな、会社の人が送ると言っていたみたいだが………。」

 「いえ、俺が迎えに行きます。」



 きっぱりそう言うと、監督は微笑んだ。



 「スタッフも私も、お前ならそういうと思って、会社には秋文が迎えに行くと伝えてある。焦っておまえが事故に合わないように気を付けるんだぞ。明日は休んでいい。」

 「………ありがとうございます、監督。」




 明日の休みは、千春を休ませてあげろという意味だろうと、秋文はすぐに理解した。

 秋文は、監督やスタッフの優しさに感謝して、深く頭を下げてから、すぐに練習場を後にして彼女の元へと向かった。





 「どうして倒れるまで俺は気づかなかったんだ。」



 秋文は朝の彼女や、少し前の様子を見ても異変には気づかなかった。少し疲れていると思っても、早く寝せるように促していただけだった。

 千春は頑張りすぎるところがあると知っているのに。



 「俺のせいだ、な。」



 秋文は練習で汗をかいた体をシャワーで素早く流しタオルで吹きながら呟いた。


 タオルからは、秋文が「この香りいいな。」と千春に伝えてから、ずっと使ってくれている柔軟剤の香りが優しく漂ってきた。


 彼女が洗濯し、畳んで、準備してくれているタオル。

 これ1枚だけでも、彼女の様々な労力のおかげで、こうやって毎日使えているのだ。



 「………今、迎えに行くからな。」



 秋文はすぐに洋服に着替え、車に乗り込んだんだった。

 彼女が待っている、会社へと向かった。







   










 ☆★☆



 「はぁー……やっちゃったなぁー……。」



 千春は、そう呟くと職場の天井を見つめたあと、ゆっくりと目を瞑った。

 眩暈のせいか、目を開けるとぐるぐると視界がまわり、気分が悪くなってしまうのだ。



 千春が倒れたあと、すぐに出勤してきた男性社員が助けてくれたのだ。

 すぐに目覚めて、自分で立ち上がろうとしたけれど眩暈で立ち上がれずに、救護室で横になっていたのだ。

 同じビルに病院が入っていたので、診てもらうと「疲れからくるものだろう。」と言われてしまった。


 千春はのろのろと職場に戻り、診断結果を上司に伝えた後、目眩が落ち着くまで休ませてもらう事になった。

 自宅まで送ると言われたけれど、これ以上迷惑は掛けたくなかったので、大人しく医務室で仮眠をとることにした。



 自分の都合で仕事のスタイルを変えるのに、会社に迷惑を掛けてしまった。自分の体調管理がなっていなかったのだと、反省した。


 秋文には倒れた事を伝えないつもりだった。

 彼に言ってしまえば心配をかけてしまう。きっと寝ればよくなるだろう。疲れからだというのなら、今日は早めに寝れば回復するはずだ。

 千春はそう考えていた。




 千春がウトウトしてきた時だった。

 廊下から人の声が聞こえた。ザワザワと人が集まっている声や、時々女性の歓声も聞こえた。

 千春は、頭がボーッとしたまま「何かあったのだろうか?」と考えながらも、またゆっくりと目を瞑った。千春自身が思っているよりも体は疲れているようだった。



 コンコンッ。



 千春が寝ている部屋のドアをノックする音が聞こえた。



 「はい。」

 「一色さん。入るよ。」



 ドアの外から聞こえて来たのは、上司の声だった。

 千春は体を起こしてから返事をすると、ゆっくりとドアが開いた。


 上司の他に、もう1人別の人が部屋に入ってきた。その人を見た瞬間、千春は「え、なんで………。」と、言葉を洩らし、そして目を見開いてしまった。



 「千春、大丈夫なのか?」

 「………秋文、どうしてここに……。」



 そこに居たのは、千春の最愛の旦那様だった。彼は、とても心配した顔で、千春の傍に寄り膝をついて体を低くして、千春の顔をまじまじと見つめていた。



 「私が連絡したんだよ。一人で帰すのは心配だったからね。」

 「……そう、なんですね。」

 


 彼にはこんな姿を見られたくなかった。

 けれども、上司は自分を心配してくれたから、こうやって千春の夫である彼を呼んでくれたのだろう。だからこそ、何も言えなかったけれど、少しだけ納得もいかなかった。

 ……自分一人でも帰れたのに、と思ってしまったのだ。

 感謝をしなきゃいけない場面なのに、こんな醜い感情が出てしまう自分が、千春は悲しかった。



 「連絡ありがとうございました。そして、ご迷惑お掛けしてしまって申し訳ないです。それと、妻の体調が心配なので、明日お休みさせたいのですが。」

 「あ、秋文!私は大丈夫だよっ!」



 千春は焦って彼にそう反論するけれど、秋文は真剣な顔で、千春を見つめて首を横に振った。


 「大丈夫じゃないだろう。倒れて迷惑を掛けたんだから、病院に行ってちゃんと診てもらうんだ。」

 「………病院ならさっき行ったんだよ。」

 「一色さん、明日はゆっくり休んでくださいね。」



 上司にもそう言われてしまっては、千春が言えることは何もなかった。

 彼の言う通り、休んで体力を回復させるしかないのだ。



 「…………はい。ご迷惑お掛けしてすみません。」



 千春がよろよろと立ち上がろうとすると、「そのままでいい。少し休んだらそのまま退勤していからな。」と、上司は優しく言うと、部屋から出ていった。


 ドアを開けた瞬間、廊下から声がしたので千春はそちらの方を見ると、会社の女性社員がこちらを覗き込んでた。

 そして彼女たちの視線の先には、秋文がいた。

 上司に「早く職場に戻りない。」と注意され、彼女たちは渋々部屋に戻っていくけれど、最後まで秋文を見ていた。


 それを見て、千春は一気に頭が冴えてきてしまった。


 「あ、秋文……お迎えに来てくれてありがとう。それと、心配かけてごめんね。」

 「いや、いいんだ。大丈夫か?」

 「うん、もう大丈夫だと思う。…………それと、1つ聞きたいんだけど…………。」



 千春が秋文を見つめながら、恐る恐る質問しようとすると、彼は不思議そうに「なんだ?」と優しい表情で聞いてきてくれる。

 きっと無自覚なんだ……、そう思いながら、千春は彼に問いただした。



 「もしかして、変装もしないまま職場に顔出したりした?」

 「あぁ……。急いでいたし、いつもお世話になってるし。それに、今さら隠す事でもないだろ?内緒にしてるって聞いてたけど、もういいかと思ったしな。」

 「………やっぱり…………。」



 千春は、それを聞いてがっくりと肩を落とした。

 秋文は、自分がどれぐらい有名かわかっていないようだった。

 千春が寝ているときに聞こえた歓声や、先ほど覗いていた女社員は全て秋文を見に来たのだろう。


 突然、職場に有名なプロサッカー選手が挨拶にやってきたら、騒がない人はいないのではないだろうか。それに、秋文はモデルの仕事をするぐらいに、かっこいいし女性にも人気がある。彼が結婚したというのは、公表されているけれど、まさか同じ会社の女性としたとは思ってもいないだろう。

 同じ名字になった千春だったけれど、誰も秋文と結婚したとは思ってもいなかったはずだ。



 「秋文………きっと帰るときはすごい事になるよ。」

 「………そうか?もう30歳だし、そんなに人気ないぞ。」

 「そんなことないの!秋文はかっこいいし、有名だし、サッカー選手としてもすごいんだからね。」

 「………そう、なのか? 」


 千春がそう言うと、何故か彼は赤くなり嬉しそうにニヤけていた。

 先ほどまでの眩暈はいつの間にか無くなっていた。きっと、彼が来てくれた事で安心したのだろう。

 彼の優しさには感謝してもしきれないぐらいだ。



 けれど、これから会社では「サッカー選手の秋文の妻」として、好奇の目で見られてしまう事に、千春は少しだけ心配になってしまってしまい、別の意味で頭がくらっとしてしまった。






 




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